はてなキーワード: 一休とは
フレンチフルコースを食べてみたいけど1人でも大丈夫だろうか…?
恋人も友達もいないから世間一般の人間がどこかで経験したであろうことを経験する機会を作ろうと思ってディズニーランドに行ったり海外旅行にいったりスーパー銭湯に行ったりしているけど、おしゃれなレストランでたくさん並べてあるナイフやフォークで食べるようなコース料理を食べたい
前菜とか何か数品出て、メイン①、なぜかここでデザート①やチーズが出て、その後にメイン②、デザート②と続くらしいのはわかった
せっかくだから素敵な夜景の見えるようなホテルのレストランが良いけど、1人で窓際の景色の良い席なんか予約させてもらえるんだろうか
というかどこのお店が良いのかもよくわからない
・俺
・母
・妹
放射線技師、母のクリニックに勤務、既婚子持ち、実家に敷地内同居
・義弟
数日前のこと。
大学での日勤と当直→別病院での日勤→大学での当直と日勤を終えようやく帰宅。
買い物帰りだったようで母と妹、義弟と姪っ子甥っ子が家にいた。
姪っ子「おじちゃんやだ!向こう(妹家)で食べる!」
腹が立ったが我慢。母にお風呂の湯沸かしと枝豆を茹でておいて欲しいとお願いし、夕食には唐揚げが食べたいと伝えた。
妹「自分で準備すれば?」
怒りを抑え、一休みしてから風呂に入り、枝豆とビールを持って一服しようとした。
義弟「義兄さんも少しは家の事やるなりしたらどうですか?」
妹「てか一人暮らしすれば?」
俺「うるさい!お前らはあっちに帰れ!出てけ!」
甥っ子「おじちゃん怒った!」
ようやく帰宅したのにクソ妹、クソ妹旦那、クソガキどものせいで不愉快な気分になったので、その日はファミレスで1人夕食を済ませた。
もう二十年も前
やすいパンだけを食べて、甘いものがほしいから砂糖をなめて生活してた。
それで数千円
働いて移動とご飯で消えるくらい少ない
それでも家を追い出されないように手元にある現金を切り崩しながら生活していた。
次の仕事を見つけないといけないし、しかしその時間は生きるために労働力に変えないといけないし、そして働いたとしてもパンと砂糖で暮らすしかない。
計算していけば数カ月先に家賃は払えなくなる。なんとしても延命して仕事を見つけないといけない。
有限の時間を生きるために安売りした。
軽自動車でも数百万する1万円を手に入れるのすら苦しいのに、なぜこんなに乗用車が溢れているんだろう。
なんで僕は買えないんだろう
いや、なんでみんな買えるんだ。車を買う金の一部を僕に回してくれればいいのに…
スーパーに行きパンや砂糖を買っている横で、たくさんのお菓子や肉を買う人を見ても思うようになった。
そもそもこんなに商品が余っているのになんで僕は買えないんだろう。余れば捨てられるのに…そう思えば万引きすら正義のように思えてきた。
僕は早めに家に帰ると電気代がかかるので駅の明るいところで時間を潰していた時だった。さっきいた人が忘れたんだ。酔っ払って一休みでベンチ座って、そして家に帰るために駅から出ようとしていた。
どう見ても財布が入ってそうだ。
数千円でも生活費の足しになる。あいつは余剰のお金を使って酒を飲める身分だ。その分を僕が使っても悪くはない。大丈夫だ。あいつは戻ってこない。僕の持ち物と装って駅を出ればいい…
ずっとそんなことを考えながらちょっと離れたベンチで考えていた。改札から最も遠く、次の電車が来るまで長いので幸い周りに人はいなかった。
でも5分くらい経ってからだろうか、持ち主が戻ってきてカバンを無事回収して帰っていった。
あのとき僕は、惜しかった、もうちょっと早く決断していれば…と思った。
その数ヶ月後仕事は見つけられ、初給与まで一旦金は底をついたが仕事があるということで金も借りれて何とか立ち直せた。
今は、ちゃんとした給与の会社に勤めて、あの頃の念願だったスーパーでお菓子も買えるし、車も買えた。
あのとき僕は盗めなくて惜しいと思ったけど今思えば異常だったなと思うし、盗めなくてよかった。
35歳、身長163、体重46、ハゲ、職業はアルバイト(倉庫の検品、早朝のヤマトの積み込み)で年収は約200万、国立大学教育学部卒(二浪、三留年、一休)、実家暮らし、恋愛経験1人(中学時代ネトゲで知り合った同い年の人と3年間付き合うも何もなし)、童貞、趣味は海外旅行と読書、特技は英会話
・過敏性大腸炎(治療中ですがあまり効果なし)と若ハゲにより高校中退し通信高校卒
・胃潰瘍治療、過敏性大腸炎、若ハゲの進行で人目が気になる等の理由で8年かけて卒業
・スウェーデン人の友人とガムラスタンの露店で働くもVISA切れて帰国
・マッチングアプリ→3つほど登録するも援助交際以外マッチせず
・結婚相談所→入会を断られる
・街コン→何回か参加するも連絡先交換できず
公式に物申すのは腰が引けるけど… カップ数表記はいささか度が過ぎるんじゃないか。
女子校、女子大、女性だけの職場と、今まで実在する男性にほとんど触れてこなかった。
それでも、趣味で研究対象としてる(とも言える)ので一家言あるつもりだったけど。
私は両方あっていいと思う。欧米とは異なる多様性のあり方が、日本にはあると思うから。
キャラクター設定にカップ数を記載しちゃうマンガも、書いたりしないマンガも、どちらもあっていい。
だけど男性オタクたちが、どうしてあんなにカップ数を書かせたがったのかは最後まで解らなかったんだ。
彼にも聞いてみたけれど、肩をすくめるばかりだった。女兄弟に囲まれて育って、同性の友達がほとんどいなくて、流れ流れて女まみれの職場にたどり着いた彼に、男らしい考え方を聞いてもマシな応えが帰ってきた試しがない(笑。
いくつか仮説はある。
一つ。アンチフェミニストとミソジニー、および腐女子を毛嫌いしてる人々の阿吽の呼吸による連携。
ネットには昔からこういう人たちがいるし。増田でも多いので、これが一番可能性が高いと思うんだけど、面白くないから省略するね。
二つめ。女子のカップ数を書くという行為を、あえてすること。しかも男性皆んなで肯定することに何らかの快感を得ていたんじゃないか。バストサイズを書かせるべく躍起になったのは、仕事を終えて一休みして後は静かに眠るだけの彼らにとって、男だけの連帯感情、見えない絆を確認できる貴重なチャンスだった。かも知れない。
三つめ。性的でプライベートな情報であるカップ数を、公然と表記させることで支配欲が満たせる。コメントの人たちは会社でセクハラしたり、電車で痴漢したりは決してしないけど、しかしそれでも男性である以上、支配欲は持ち合わせてる。だけど、ケアしてくれる誰かはいない。抑えているつもりでもキミの密かな欲望は、ずっと出口を探してたんだ。
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
スルーギーッス
本日はカトリックでは十字架称賛の日、正教会や東方諸教会が9月27日に行う十字架挙栄祭に相当する日らしいです。
昔の日本のラジオ番組ではセプテンバーバレンタインとかいう別れ話を切り出してもいい日みたいなのを作っていたらしいです。
今日も不確かな情報が錯綜する現代社会ですが、調べてもよくわかんなかったら今日は一旦離れて一休みするのも、大事なのかもしれません。
それでもスッと入って来なかったらもう仕方ないのでわかる人にパスです。
出来ないことは出来ないと言うことはとても大事なことです。
無理せずやれることをぼちぼちやれる範囲でやりましょう。
出力調整よいか!出力調整ヨシ!