はてなキーワード: イワクラとは
イワクラと吉住の番組で「チェックしているコンテンツの数」を言い合うという企画があった
・You Tubeで某球団マスコットとASMRとタロット占い。偶に登録しているチャンネル(お笑い)
・増田
・You Tube musicで新譜と好きなの。あとダラダラ適当に聴いて好きなの見つける
以前は阿呆ほどネット漬け・情報漬けだったんだがなあ。アニメも沢山見てたし。今と雲泥の差よ
但し、今も昔も映画やドラマは全く見ない。スポーツも。そんなところまで手が回らない。興味も無いし
だから人と話が合わない
今となってはアニメすら見ないからアニメ見る勢の人とも話が合わない(過去作品ならいけるけど。あと、毎期チェックくらいはしてるからタイトルはわかるけど)
もう、本当に個人的に見てられるものしか見られないし、頑張って何かを仕入れようって気にもならない。そんな必要もないしね
でも、飽き飽きしてくる。こんなこと5年とか続けてると
新規のものが入って来ないんだもん。当然だよね(You Tubeの動画については自分の中の流行が長くて半年から1年単位くらいで変わるからまだマシかなあ)
同じもの見続けて死にそう
そしてTverでイワクラと吉住の番組(ヒコロヒーゲスト回)を見ている
↑の中で、イワクラと伊藤と肥満とサイダーがルームシェアしていた時の話が出た
ある時、「熊本プロレスが(イワクラとサイダーに)『2人、誕生日だから1パックずつあげるね』と苺を2パックくれた」ことがあったそうだ
そんで、サイダーは「一人で苺1パック食べた」
それを見たイワクラが「え。苺ってみんなで食べた方が良くない?(そんなに沢山入ってる苺を一人で1パック全部食うか!?)」とサイダーに言ったところ
イワクラは納得いかず、他の2人も「おかしくないか?」とサイダーを詰める感じになった
詰められたサイダーはギャン泣き(自分が貰った苺を食べただけなのに詰められる理由が分からないと)
その後、サイダーと懇意にしているヒコロヒーが呼び出され、↑のエピソードを聞かされたそうだ
サイダーの言い分だけを聞いたヒコロヒーは
「(その苺がサイダーに対する誕プレだったとは知らず、「イワクラが楽しみに取っておいた苺をサイダーが勝手に食った」と思った為)それはお前が悪い」と伝えたそうだ
「自分も苺貰ったら一人で食べるわ。だからサイダーはいっこも悪くない」と言った
(ちなみに吉住も「一人で食べます」と言っていた)
冒頭で私がパピコを食っている話をしたが
でっかいパピコ2本を一人で食う痴れ者はあまり居らんだろうから、「一本頂戴」と言われてもあげる人が多いだろう
(人と一緒に居て分けるつもりが無いのにパピコ買うヤツって居るだろうか?家に持って帰れる距離ならいいけど。一本残しても溶けるじゃん)
それを「一個くれ」と言ったら「ふざけてんのか!?」と思うヤツも居るのだ
あと、「ピノ」も微妙なところだ。「3個くれ」と言われたら凄く嫌がる勢も居そうだ。一個ならいいけどとか
(自分は基本的にアイス類は全て「半分でいい」派であり、たとえカップアイスであっても「誰か半分食ってくんねーかな」という特殊な人間なので、雪見だいふくわけわけにブチ切れる人の気持ちにはあまり共感出来ない。が、理解は出来る)
何にせよ、食い物を人と分け合いたくない人間というのは凄く生命力が強そうで羨ましい
良いと思うぞ
最近観だしたクチだけど朝ドラの最終回選手権で私一番あのはやっぱり『エール』かな。
私があんまりウエブのおすすめ情報に出てくるのを避けているから朝ドラのことを一切検索しないようにしたから
なんかぜんぜん情報が出てこなくなったのが良いんだけど、
世間では今新しく始まったのは評判なの?その感じも全く分からないまま、
『舞いあがれ!』竜頭蛇尾のごとく
最後そうなの?って?
いや意外ではないとは言えないけど、
なんか尻つぼみと言うか、
てっきりパイロットになれるかと思っていたのになれたけど、
なんか言い方が難しいわ。
直接舞ちゃんが呼んだわけではなさそうだけど
まあ『ちむどんどん』の最後全員老人コントばりの特殊メイク最終回よりかはましだとは思うけど。
『舞いあがれ!』の一番の功労者は舞ちゃんのお兄ちゃんの悠人くんだと思うわ。
そこは意外とサラッと流すじゃない。
舞ちゃんもてっきりオープニングのあの勢いでジャンボジェット機を操縦するのか否か!?だと思っていたのに。
うーん、
なんか思ってたんと違うー!みたいな。
あともうちょっとそこ詳しく!って思ったのが
貴司くんの短歌の本爆売れってのと
貴司くんを担当していたクセ強なあの編集者のリュー北條さんが超絶クセが強くて印象的だわ。
でも、
最近の朝ドラの最終回全員メンバー集めがちなのは流行なのかしらね?
あれって途中やっぱり変更とかあんのかしら。
作品によっては
なんか急に慌ただしく最終回?って感じの時もあるし
いかにもの語りを初めて上手く終わらせるかってのもひとつ腕の見せ所なのかも知れないわね。
まあとりあえず『舞いあがれ!』は私も完走したわ!
念願かなってというか最近お店に寄れてなくて寄ってもタマゴサンドがなかったショックがゆえ
あって嬉しいわ!
朝の元気はやっぱりタマゴ!って感じかしら。
いや!そうに決まってるのよ!
緑茶習慣つづけてるわよ。
だんだん暑くなってくるから熱いの飲むのどうしようか問題出てくるけど、
まあまだ今はホッツでも大丈夫よね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
イワクラと吉住の番組で何故か一週飛んで後編が放送された小籔さんゲスト回
高校三年間がコロナ丸かぶりで全く行事を経験せずに卒業することになり立腹している子に対し
「『この世代だけが持ってるエピソードトーク』を持ってると考えたら、選ばれし3年間
言っていた
なるほど
でも、ふと思ったけど「団塊ジュニア」とかの世代は人生まるごと不遇で目も当てられなくて、エピソードトークどころでは済まない人も多い
不遇は人生のほんの一部分だったらネタとして使えるけど、生涯通しての場合は憐憫を誘うものでしかない
次、
「最近話題になったニュースで腹立つなってことありますか」というイワクラの質問に対し
(一回ニュースになったら)『あんなんなんねや、やめとこ』って普通なるもんやん
と言っていた笑
ほんと意味わからんよな。承認欲求強過ぎて後先考えないんだろうな
とも言っていて
報道されることでフォロワーが出てしまうのは今始まったことじゃないんだ
その「事件」の良し悪し関係なく(ランドセル贈り魔とかも流行ったよなあ)
次、は小籔さんの発言じゃないけど
「(漫画編集者が面白いと思った作品を上司に認めて貰えないという悩みに対して)時代が追いつくっていうのが本当にあるんだなと身を持って体験しているから
自分が面白いと思った事を貫けるかどうか…貫き続けれてばいつかきっと」
と吉住が言っていて
「時代ってなかなか追いつかないよな。ほんと10年かかるよな」って個人的に思った
今もてはやされている音楽シーンの人達は、10年前にネットで流行った人達なんだもん
関係ないけど、この番組で出されてるお菓子食べてる人初めて見た笑
流石小籔さん。kawaii
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
イワクラと吉住の番組にて「大きいおっぱい」について語られていた
自分(女)も大きいおっぱいが大好きだ。岩倉と吉住は「癒やし」と言っていたが、自分は男性的な目線で見てしまう
入眠時によく見ているASMR動画の某外国人女性You Tuberは度し難い程おっぱい大きい。見ていると眠くなるどころか覚醒してしまうので声や音だけ聴くようにしている
大きいおっぱいは大好きなのだが、自分が巨乳になるのは絶対に嫌だ
サステナブルが叫ばれる昨今ではあるが、「おっぱいの美しさは有限」であり持続可能性と対極にある存在だ
大きくて張りがある美しいおっぱいは、時間の経過とともに見るも無残なことになるのだ
顔のタルミだってキツイものがあるが、おっぱいのタルミの悍ましさはその比ではない。顔と違って常日頃晒されているものではないから余計キツイのだろう
みんな必死で抗うのだろうが、なかなか難しい様だ(ちなみに太ったお婆さんの巨乳は比較的保たている模様。痩せている元巨乳のお婆さんのおっぱいが悲惨。完全にコント)
若い女性の、美しくハリがある大きいおっぱいだけが存在価値を持つ。あれは至宝だ