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はてなキーワード: 超訳とは

2011-03-11

超訳孫子兵法

超訳孫子兵法」ってのを書き始めた。

孫子がスゴイって、よく言われるんだけど、なんか難解でね。

自分の理解のために、少しずつ超訳してるんだ。

http://bluesnap.net/sonshi/

仕事が忙しいので、ゆるーくゆっくりやってるんだけど、

全部終わったら、さらにもう一段階超訳しようかな、と思う。

2010-08-19

ギズモードの湯木イタコ訳がマジすごいので感動したよ

ギズモードジャパンの「自由過ぎるAndroidユーザー敬遠され始めてる? 悲劇のガラケー化する懸念まで噴出中...」という記事が話題だけど、コメントでも指摘されてるように超訳ですごいよ。っていうか訳ですらない。翻訳するとき、ちょっと文の構成をいじっちゃったとか、勢いで書かれてないことまでコメントを付け加えちゃったとか、そういう冒険でドキドキすることもあるわけですけども、湯木訳はもう本文以外の電波的ななにかを受信しているとしか思えない。マジでイタコレベル。感動した。イタコ訳と名付けよう。

これがイタコ訳。

http://www.gizmodo.jp/2010/08/android_10.html

「原文」になってるもの。

http://gizmodo.com/5593264/bloatware-creeps-into-android-phones

ちゃんとした訳は下のURLにあるので見比べながら楽しもう。

http://trans-aid.jp/viewer/?id=12179&lang=ja

イタコ訳:自由過ぎるAndroidユーザー敬遠され始めてる? 悲劇のガラケー化する懸念まで噴出中...

まとも訳:ブロートウェアがAndroid携帯に忍び寄る

そもそも米国人の文章なのにガラケー化の懸念が出てくるはずがない。いきなり日本仕様で先制パンチ。百歩譲って米国の非スマートフォンガラケーなんだと考えたところで、原文には「多機能携帯の再来」とあるだけ。

イタコ訳:改めてiPhoneが見直される動きにも!

iPhoneにブロートウェアがないという話はある。原文はそれだけ。対立構造煽りまくりPV稼ぎまくり

イタコ訳:実はユーザーの間で大きな苦情の嵐になり始めている問題が表面化してきていますよ。

「大きな苦情の嵐になり始めている」が日本語としてよく分からない。苦情の予測ができるに違いない。すごい。

イタコ訳:実のところ、弊社としましても、本当のところは最初からスマートフォン本体にアプリプリインストールするのではなく、ユーザーの皆さまが自由に後で欲しいアプリだけをAndroid Marketなどのアプリストアからダウンロードする方式を推奨していきたいと考えています。でも、この点で最終決定権を握っているのは、一般的に携帯電話キャリアのほうでして、弊社もキャリアの方針には従わざるを得ない状況になっています。やはりキャリア側は、ただ単に端末を販売するのみならず、その後の売上げを確保することも含めたビジネスプランを立てていかないといけないでしょうから...

まとも訳:「端末によっても、携帯電話会社によっても十人十色だ」と、HTC広報担当者であるキース・ノバックは言う。「とはいえ総じて、携帯電話会社の都合でインストールされ、その収益源になっていると言えるのではないか。」(略)「われわれは提携する携帯電話会社と歩調を合わせなければならない。」ただ、「消費者に選択権を委ね、Verizonのように、プリインストールされたアプリを別途ストアに移したいと考えている」

一番戦慄したHTCコメント部分。原文ではこれだけ。これぞイタコHTCの人の心が読める。っていうかHTCの人が「従わざるを得ない」とか言うはずない。インタビュー先が口を割らなくてもなんでも書ける。

イタコ訳:現在Androidケータイで問題になってきているBloatwareは、フィーチャーフォンの古き良き時代を思い出させるものでもあります。携帯電話メーカーキャリアも、とにかく他社のモデルとは違う面をアピールしようとするあまり、さまざまな音楽サービスコミュニケーションソフトなんかを搭載して、かえって多くのユーザーが使わない機能ばかりで膨れ上がった携帯電話の新モデルが次から次へと販売される事態を招きました。それが特にAndroidを搭載するスマートフォンでも生じるようになったということですね。滑稽なことに、メーカーキャリアは、まさかユーザープリインストールされている数多くのソフトウェアアプリを消し去りたいとまではだれも思っていないなどと決め込んでいるのですが、実際にはその逆のようです。アップルiPhoneでは、最初からキャリアによってプリインストールされているものなんてほとんどありませんけど、Androidならば販売後も売上げを伸ばせそうなソフトウェアアプリを自由に入れられることに着目したキャリア側が極端に走っていることに、ユーザー不快感すら覚えていますよ。データ通信プランだけでは思ったように利益が伸びないキャリアジレンマは理解できますが、ここで判断を誤ると、かえって消費者キャリアから離れていく逆効果になってしまうでしょうね。

まとも訳:「かつての多機能携帯の再来だ」と、Forrester Researchのチャールズ・ゴルヴィンは言う。「端末メーカーキャリアは、メッセージング機能や音楽機能で多機能携帯差別化を図ろうとしていた。同様の戦略スマートフォンでもなされようとしている。」今のところ、これらのプリインストールアプリを削除することは不可能だ。ゴルヴィンは言う。「多くの携帯電話会社は、消費者がそれらに注意を払ったり、削除したいとまで考えているとは思ってもいないのでいだろうか。」

こちらはForrester Researchのチャールズ・ゴルヴィンによるコメント部分。なにこれ。湯木進悟は神か。我々に見えないものが見えるのか。

イタコ訳:どのAndroidケータイを買ってきても、ほぼ間違いなく米国内では多種多彩なソフトウェアアプリプリインストールされている状態です。

まとも訳:もっとも、全てのスマートフォンがそうだ、という訳ではない。AT&TiPhoneに余計なソフトウェアを入れないようにしているし、モトローラのDroidには基本的なアプリしか搭載されていない。GoogleT-Mobileもまた、Nexus Oneにブロートウェアを入れようとする誘惑に抗している。

訳で意味が反対になるパターン。DroidやNexus OneAndroid。原文読んでない。原文なしでも出来る訳。天才。

イタコ訳:おまけに多くのアプリが、最初の試用期間のみ無料であるものの、一定期間が過ぎると勝手に有料に切り替わって、利用料金を請求される羽目になるというイワクつきだったりもするんですよね...

例えばなに? 書いてない。原文にも書いてない。彼だけが知ってる。本当に翻訳家か。それとも全知全能か。

イタコ訳:現時点では、BloatwareがAndroidケータイシステム面で与えている影響はストレージ容量の占有くらいに限られていますけど、今後はCPUパフォーマンスにまで深刻な影響を及ぼすレベルになってくれば、もう消費者も黙ってはいないでしょう。そして、とにかくユーザー獲得競争が熾烈な携帯電話業界では、消費者に見限られるほど恐ろしいことはありません。ですから、自然AndroidケータイのBloatwareも減少傾向をたどって沈静化していくのではないでしょうか。とりわけパソコンよりもリソースの限られるスマートフォンでは、もしBloatwareの問題が根強くなると、一気にユーザーの不満が爆発する方向にだって進みかねませんからね。

まとも訳:現在のところ、携帯端末におけるブロートウェアは、システムリソースではなくむしろストレージを占有するという点で問題である。新規顧客の獲得に鎬を削るAT&TやVerizonが、プリインストールアプリに関して一線を踏み越えてしまうことはないだろう、そうゴルヴィンは考える。「市場は飽和している。顧客の流失を黙って見過ごすことは許されない。」

ふたたびゴルヴィンのコメント。なんかこれくらいならまだ翻訳っぽいかもと思ってくる。日本中の翻訳家歓喜。すごすぎる。

まだまだあるけどきりがない。マジ感動した。この訳を読んだあと、原文を読むとふつうすぎてつまらないもの。これぞエンターテイメント。神の業。湯木イタコ訳に今後とも注目。

(原文側のHTCコメントが不足してたので追記。ブクマコメント感謝

2010-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20100815060844

基本的に何事も自分が悪いと考える癖ができてしまった。

というか、そう考えることで逆に自分を成長させようとしてる。

とりあえず自分が悪い、もしくは劣ってる→だったらそれを直せばいい、的な感じ。

このやり方が正しいのかどうか分からないんだけど成長はしてると思いたい。

同じことを中高大と10年間続けた経験がある立場から言うと、これはお勧めできない。効果がないというよりも、むしろ逆効果になってしまうからだ。

確かにそのような態度は謙虚に見える。しかし実はこれがさにあらず。これは単なる無責任なのだ。

理由を説明しよう。まず、「常に自分が悪い」と考えることは「常に他人が正しい」と考えることと同じであり、従ってあらゆる他人に判断を依存することになる。そしてその結果、自分リスクを負って判断する責任から逃れ続けることとなり、自動的に他人におんぶにだっこという態度に無警戒に陥ってしまうのだ。これが実にまずい。当たり前のことだが、「常に他人が正しい」ということはあり得ず、「他人」を信じた結果ひどい目に遭うことだってあり得るわけだが、そうなったときに「安易に判断を他人任せにした自分責任」という正しい反省ができなくなってしまうからだ。そればかりか、間違った判断をした他人を必要以上に逆恨みしてしまうことになる。

もはやこれは謙虚などというものではない。幼児に全面依存を許す親のような態度をあらゆる他人に要求するようなとんでもない尊大な態度ということになってしまうのだ。

具体的にはどういうものか。例としては厳しすぎるように思えるかも知れないが、オウムアルカイダ信者がそういう態度の行き着く一番不幸な例だ。彼らの多くは実は自分に厳しく真面目な青年だった。自分を過信せず、世の中に自分をできるだけ適応させるように努めた。だが、世の中には実はかなり酷い面もあった。それを知ったとき、彼らは世の中を憎悪し、次の依存先を求めた。そして行き着いた先が、わかりやすい物語提供してくれる「尊師」だったのだ。

そこまで行かないにしても、世の中を憎悪するばかりで何も生み出さない人間というのが世の中に結構いることははてなを見ていれば大勢いることはわかるだろう。ああなってはいけない。

恋人作れる時点で充分に自己評価高いと思うけどな。

俺の場合は、自分の中で恋愛をするまでに超えるべきハードルを設定してるから

それを超えない限り自分の中ではスタートラインにすら立てない。

こんなハードルすら超えられない人が誰かに愛されるわけがないと考える。

実際のところ、宅間守みたいな人間の屑中の屑でも女をとっかえひっかえしているわけで、その時点でこの考えが誤りであることは明らかだ。それに早く気付くべき。

真面目な話、「俺は宅間以下なのか」とまで自分無意味に責め苛んだあげく、苦しみの他にはなにも得られない非モテはてなあたりを見ていれば大勢いることはわかるだろう。ああなってはいけない。

以上、貴重な青春時代を君みたいな態度を取り続けて浪費した挙句魔法使いが目前となってしまった元はてな非モテネガティブブックマーカーが実体験をもとに、自分反面教師として記す。俺の轍を踏まないように、

  • 他人は完璧でもなんでもなく、良くも悪くも自分と同レベルの奴らでしかないということを認めること
  • 一番責任の重いことは自分の判断を信じることであり、その責任を引き受けることこそが真の謙虚さであること

を心がけて欲しい。

最後にどこぞの名言超訳して引用

大人になるということは、子供卒業することだ。精神的に子供だというのはすべて、自分のせいであり、自己責任である。子供であるというのは、親や教師の許可がなければ自分の頭で考えられないということだ。こういう風な子供じみた態度が自分のせいだというのはなぜかというと、それはその態度が、頭が悪いからということではなくて、親や教師の許可を得ずに自分の頭で考えて動く度胸がないところから来ているからだ。だから、「自分で判断しろ」「自分の頭で考える度胸を持て」と私は言いたい。それが大人になるということだ。

出典はどっかのドイツ人だけれど、権威主義みたいになるのが嫌だから敢えて名前は伏せておくよ。もちろん、その「どっかのドイツ人」というのはどこにもいないんじゃないかとか、実はヒットラーなんじゃないかとか色々疑ってみてもいいんだよ。そうやって自分で考えることが「自分で考える」ということなんだから、信用していいかどうかも自分で考えてみてね。

2009-12-28

FF13ストーリー超訳】4行でまとめたよ

機械世界を支配しており、勢力は地球と人工月に2分されており、お互いが敵対していた

人工月の機械の親玉が鬱になって「自分の勢力全員死んじゃえばいい」と画策して暗躍

駒だった人間達(主人公達)は足掻きながらも従わざるを得なく機械の親玉のシナリオに踊らされる

最後の最後で運良く奇跡が起こり、全員死ぬ事だけは阻止できたが、人工月の勢力は滅びた

機械ファルシと呼ばれています

地球…グランパルスと呼ばれています

※人工月…コクーンと呼ばれています

※人工月の機械の親玉…バルトアンデルスという名前です

2009-09-08

まともな訳ができないから意訳だとか超訳だとか言って逃げる。

2009-05-10

シリコンバレーから将棋を観る」英語版からの超訳版。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20090420/p1

を受けて、

http://d.hatena.ne.jp/shotayakushiji/20090508/1241797762

http://modernshogi.pbworks.com/

と言う形で下訳された「シリコンバレーから将棋を観る」の英語版。

これにエキサイト翻訳をかけ、だいたいのところをつかみつつ、超訳をかましてみました。

シリコンバレーから将棋を観る」のリバースエンジニアリングと言えます。

リバースエンジニアリングに正当性を持たせるため、「シリコンバレーから将棋を観る」は購入はもちろん、ブログ引用などに目を通すことすらしていません。純粋英語版だけを元にしています。

このため、特に邦題、固有名詞、会話の語調などが間違っている可能性がありますので、その点はご承知おき下さい。

また、今のところ実施したのは前文のみです。

下訳は1時間超訳は全く別のDVDながら見しながら3時間ほどで終わらせましたので、その程度の精度と取っていただければ。

ツールとして、アルク英辞郎(http://www.alc.co.jp/)を始め、オンライン辞書Amazon書籍検索Wikipediaなどを活用しました。IT革命仕事のツールが便利になったってのは本当ですね。

忙しい人のために要約しておきますと、

と、こんな感じみたいですが、実際のところどうなんでしょう?

前文「指さない将棋ファン」宣言

 20世紀末に起きたIT革命と急速なグローバル化社会はより複雑に大きく変わりました。得られる情報は増え、仕事に使う道具も増えました。その結果、昔(と言っても20年ほど前ですが)に比べ、今は、自分に合った仕事をやりたいとか、やりがいのある仕事をやりたいとか、そういった仕事できちんと生活したいと思うと、一人前になるために必要な期間も、そうなってから働く時間も、ずいぶん長くなってしまっています。良いか悪いかは別にして、「自分趣味に関することを勉強しよう」とか「趣味仕事にしよう」というのがなかなか難しい時代なのです。

 将棋は、日本社会日本の文化として、日本人の心に深く根付いています。日本人なら、小学生、あるいは中学生の時は、将棋でよく遊んでたな、という人も多いでしょう。ただ、そんな時代は長くありません。将棋に夢中だった男の子女の子も、10代後半以降、専門の勉強が増えるなどして忙しくなると、だんだん将棋を指さなくなります。私も他の皆さん同様、そうやって将棋を指さなくなったうちの一人でした。

 10代末から始めてきた自分の専門をいかして働き、それで家族を養っていこうと、日本を去りシリコンバレーで生活してきた、というのが、私のこの25年のことでした。そうして私は自然将棋を指さないでいました。

 とはいえ、日々忙しいなか、たま余暇には将棋に関する情報に触れていました。著名な将棋関連本でしたらほぼ全ての書籍を読んでいましたし、雑誌"将棋世界"を定期購読したりしていました。ですから、遠く離れた場所から、日本将棋棋士の魅力にとりつかれていたと言えます。

 将棋を"指したり"、"腕が上がったり"、する暇は全くありませんでしたが、今でも将棋を"観戦したり"、棋譜を"読んで楽しんだり"、将棋から"人生のヒントを得たり"することは日常のことになっています。例えば、米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長)が記した名著「人間における勝負の研究 - さわやかに勝ちたい人へ」(82年、祥伝社)は私が大学にいる時に出版されたものですが、私にとっての必携の本でした。重要な決定に関わる時、この本が自分を助けてくれたことが何回もありました。また、金子金五郎九段については、おそらくこの本の中でも何度も語るでしょうが、単に彼の本がいい、だけにとどまりません。彼の本は、私の執筆の手本となっていますし、彼の生き方が、私が後半生に目指したい生き方でもあります。

「指さない将棋ファン」である私。

 私はこうして将棋に係わってきましたが、将棋はほとんど指してきませんでした。そのため、将棋が好き、といったことや、趣味将棋、といったことを公言してはいけないと思っていました。将棋を好きと言うためには将棋が上手くなければいけない、そんな空気があるように見えるのは私だけでしょうか。将棋界の一員になるには、敷居が高すぎると考えたのです。それで、私は一人静かに将棋を愛し続けました。

 40代になり、暇になってきたので、私は愛する将棋について、自分ブログでつぶやき始めました。

 すると、驚いたことに、かなりの反応があったのです。日本にも、将棋を指さなくなって長くなっても、心の中では将棋を愛し続けていた人がいたのだとわかりました。

 小学校の同級生で、今は外科医をしている友達に30年ぶりに会った時にいちばん盛り上がった話題は、前に私がブログで書いた話がきっかけでした。

梅田、お前、子供の時から将棋が好きだったのか。俺も下手の横好きでな。医学部に入ったら、将棋を指す暇なんてなくなっちゃたけど。でもなあ、今度中二になる俺の息子が、将棋クラブに入っていて、毎週あいつと毎週日曜のNHK将棋番組を見るのが楽しいんだよな」

「なら、将棋の大ファンじゃないか」

「いや、未だに将棋を指す時間はないし、下手だし」

将棋を見るのが好きなら、俺と一緒で、十分趣味と言えるよ。プロ棋士はすごいよなあ」

「今から5,6年経ったら、オペも引退だろうし、そうしたら暇になるから、その時は将棋観戦ももうちょっと楽しいだろうな」

彼と将棋について話している時間はあっという間に思えましたが、それは子供時代にタイムスリップしたひとときでした。

また、S社の技術関連責任者10名と、新技術商業化に関してぶっちゃけ会議を行った時のことです。会議の後で、そのうちの1人のソフトウェア技術者、私はこの人とは初対面でしたが、彼が私に話をしに近づいてきました。30代で、凄腕の技術者です。

梅田さん。将棋が好きって本当ですか?」

「ええ」

ブログ将棋に関するエントリ、読むの好きですよ」

「それはうれしい。仕事のあとでそういう話が聞けるのはいいですね。」

自分高校の時には初段を取ったくらいの腕前だったんですが、大学に入ってからはソフトウェアにかかりっきりで、将棋を指す暇がなくなってしまったんですよ。でも、時々雑誌とかテレビとかインターネット将棋をみていましたし、それで鳥肌の立つこともありましたよ。あれは本当に面白いものです。学生時代将棋に没頭する人たちがいて、彼らはアマ有段者だったりするんです。そういう人が仕事場にいるんですが、ああいう人たちを見ていると、どうも自分将棋ファンだと公言するだけの資格がないように感じてしまって。」

「そんなことはないでしょう。あなたは"指さない将棋ファン"だし、"趣味将棋観戦です"と言えばいいんです。私は自分趣味を言う時には"将棋"ではなく"将棋観戦"と言いますよ」

また別の機会には、K社の役員会議オブザーバーとして加わって、そこの社長と話しました。

「ええ、自分羽生さんの本を会社経営の参考にするためにいつも読んでます。生きている間に1度は彼に会いたいと思っています。10年以上もアメリカで疲れる暇もなく働いているせいで誰とも将棋を指せなかったのですが、でも将棋に関する雑誌はずっと読んできました。役員会に招集されて日本に戻っても、すぐに世界一周に飛び立たないといけないので、雑誌を読むのは主に機内でですけどね。将棋を指す暇は全くありません。」

将棋の大ファンじゃないですか!」

「いえいえ。上手くはないんです。子供の時にはいつでも将棋で遊んでましたが。今となっては将棋の腕を磨く時間すらとれません。今はコンピュータ将棋も強くなりましたが、自分にとっては羽生さんが活躍しているのを遙か遠くから静かに見守るのが、自分将棋の腕を磨くよりもいいと考えてます。」

「そのうち、タイトル戦の大盤解説を一緒に見に行きましょう?」

「いいですね」

将棋界は完璧才能で成り立っています。谷川浩司。あの人が出てきた時は、まさしくそ才能完璧才能の人が現れたと思いました。しばらくしたら、羽生善治が現れました。10年経って、別の完璧才能が現れるんです。なんというか、将棋界はかくも信じがたき世界ですよ。私が強く将棋に惹かれるのもそこです。でも私は将棋を指すのがうまくないんです。上手くないですから、将棋界の外から静かに見守ります。」

どうも世界中に、彼らのような"指さない将棋ファン"がまだまだ隠れていそうです。

 最初ブログ将棋エントリをこわごわ書いていました。将棋の上手い人がそれを読んで「こいつは将棋を知らないな、まともに指せもしないのになんでこんなことを書いているんだ」と思われるのではないかと思ったのです。

 しかしながら、隠れ将棋ファンの皆さんから来た思いがけない反応をみて、私は将棋界で何かお役立ちの一端を担えるのではないか、また"指さない将棋ファン"というコンセプトが、ファン層を厚く、広くするために重要ではないか、と思うようになりました。

 子供将棋人口を増やすために親に将棋を広める、というのも大事ですし、それ以上に、将棋グローバルになるるためにも大事です。

 また、羽生さん、佐藤さん、深浦さん、渡辺さんのようなプロ棋士と仲良くなったのですが、同じようなことを皆さんも常々考えていたようで、"指さない将棋ファン"や"将棋観戦のファン"が増えるよう、私を励ましてくれました。

 将棋を見て、楽しむのに、特段必要なものはありません。

 誰でもすぐに「指さない将棋ファン」になることができます。

 将棋を指さなくなっても、将棋界のことを考えている人、理由はともあれ将棋好きだけど、将棋が上手いとは言えない人、将棋を今まで指したことがないけれど、棋士の輝きに魅了されて、そのため将棋により興味が湧いた人。

 それらの人たちに向けて、私はこの本を書いています。

 将棋を指さずとも、将棋の楽しさはわかるように、素晴らしい棋士楽しみを感じられるように、何か変わったことがほしくて将棋を見始めたくなるように。

 本当にそうなって欲しいなと願いながら、私はこの本を書いています。

2009-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20090430103417

うんうん、東京でひどい目にあっちゃったねー。大変だったねー。

こんなひどいところ早く見切りつけて帰ったほうがいいよー。

大阪? いいところなんだー。よかったねー。

帰ったらゆったり楽しくしてねー。


超訳:なーんだ、大阪モンが東京になじめなくていちゃもんつけてるだけか)

2009-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20090410194621

超訳

1. 給料とか高度な技能の要る仕事に関わる機会とか

2. 基礎および高度な教育を受ける機会とか

3. 政治に関わる度合い

4. 健康および寿命

女性日本であきらかに低いのは多分1だな。

参政権保証されてはいるけど、議員の数からすれば3も低い。

2は基礎教育では差はない、高度教育だと少し低いかもしれない。4は高い。

2009-04-02

Re:総理大臣とは、役割である

http://anond.hatelabo.jp/20090402020114

 

文章が長くなったので、要点を超訳
  1. 日本では「総理大臣は役割である」という西洋的な考えはなじまない。
  2. それは爵位の与えられ方を見れば分かる。
  3. 爵位の与えられ方が違うのは日本王権神授説的な考えを持っていないからである。
  4. 日本には「高貴さは個人に由来する」という通念があり、個人性が強い。
  5. それはガンダムにも見出すことが出来る。
  6. 天皇制にあるように、日本では「個人を神格化」することで文化的な統一性を維持している。

 

以下、当初の本文

内閣支持率ニュースを見るたびに、いつから日本人は「総理大臣とは役割である」ことを忘れてしまったのだろう、と思う。

意外に思うかもしれないが、

日本というのは、個人性の強い文化なのだ。

西洋啓蒙主義的な意味での個人主義ではない)

 

とりあえず、Wikipediaの「爵位」という項目を読んでみてくれ。

日本爵位制度との違い

 

欧州爵位に共通しているのは「爵位」という名誉は何らかの貴族家系そのものに対して与えられているのではなく大本の爵位官職)が担当する行政区域(公爵領、侯爵領、伯爵領など)に対して与えられているもので、爵位の保持とは言い換えればこうした領域の保持の事という点である。つまり特定の地域が何らかの爵位担当する区域であるなら、その区域を実効支配する人物こそが爵位を名乗るに相応しい人物という形になる。

 

こうした点は家柄そのものに与えられる称号である日本爵位制度とは大きく異なるため、注意が必要である。例を挙げれば、ある一つの家が複数の爵位を保持している状況は日本においては制度的に考えられない。しかしヨーロッパの場合はその爵位担当する所領を保持していることが爵位の保持と同義であるから、ある家が7つも8つも爵位を保持していることは全く珍しくない。こうした複数の爵位を保持する家の場合、もっとも重要爵位以外を切り離して嫡男以外に分け与えることすらある。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D

「神のもとの平等」という建前のある西洋では、

「高貴さ」は王権神授説的な「神の代理人」として合理化されており、

「立場」に由来しているものとされている。

(あくまで建前上の話である)

 

一方、日本では、「現人神」がいたり、「生き仏」がいたり、カジュアルな「ネ申」だっているわけで、

神性を含む「高貴さ」は、「血統や個人の振る舞い」に由来している。

つまり、西洋に比べ個人性が強いのである。

 

だから、元増田がいうような

総理大臣とは役割である」という考えは、

日本ではそもそも馴染みがないのだ。

 

さて、ガンダムに「コスモ貴族主義」という言葉がある。

あるいは一般論で言えば「ノブレス・オブリージュ」でもよいが、

あのガンダムという物語根底に流れているのは、

「高貴なる個人が、そうでないものを導く」という価値観である。

それが「ニュータイプ」だったり「イノベイター」だったりするわけだ。

(追記注:西洋的にはノブレス・オブリージュは「高貴な立場にある人間が・・・」であり、個人性は建前上、消されている)

 

こういったものは建前上、西洋では受け入れられない。

西洋では、社会システムの中に人間の貴賎が組み込まれている。

つまり、

「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」

ということにしているのだ。

 

日本はそうではない。

確かに社会システム西洋のものを使っているが、

王権神授説的な

「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」

という考えは輸入しなかった。

なぜなら、天皇という現人神がいたからだ。

日本では、「高貴さは、その人個人に由来する」のが当たり前であり、正義なのだ。

 

今までの話を一般化すれば、

日本という物語は、個人を神格化することで受け継がれている」

ということになる。

 

だからこそ、「総理大臣とは役割である」という考えは、

日本では建前にもならないわけだ。

2009-01-30

えええいぇるされむくろにくる

Haruki Murakami が 「エルサレム賞」なるものをもらうことになったとかいう話。

イスラエル人殺しのの悪い国なので、そんなところの賞は、辞退しろ。

黙ってもらうのはけしからん。

検索してでてきた根性のある日曜左翼女史の話をひきあいに出して、

見習え。

とか。ほんとに、やれやれ

情報の少いところで、ほにゃららはへにゃららであれねばならぬ、というような思いいれで、どんぱちやっているわけだ。

まあ、「エルサレム賞」の「エルサレム」にみんな反応してるわけだが、これって何? どんな賞か調べてみた。

Jerusalem Book Festival にくっついている賞ということ、ふむふむ。Festivalのサイトに説明がある。

....

ここからノーベル賞5人も出てるんだね。ということは、ノーベル賞にかなりリーチポジションへのステップでもあるわけだ。そりゃほしいよ。

どんな人が審査員か調べてみた。市長が任命か、なるほど。政治世界だな。ハアレツの編集員とか... 、

ありゃ、エトガール・ケレットが3人の審査員のうちの1人じゃないか。

イスラエル人みんな悪〜い、賞も悪〜い、もらうのよくな〜い」みたいなのってちょっと短絡的じゃないかな、ということで、ちょっとけれっと。

日本語の記事にまともなのがない。

本人のwebsite だ。

http://www.etgarkeret.com/news.html

そこに出てくる最新のLA Times の記事は一読の価値がある。ほんもののドンパチの話だ。

政治文学の話だと、インタビューの手軽なのがカナダ新聞にありますね。でもフランス語 orz

でも、わりにまとまっていて、問題をもうちと繊細に考えられるてがかりかもしれないので半分くらい訳してみました。

エトガール・ケレットとのインタビュー -- いやいやながらさかなにされ(超訳)

Entrevue avec Etgar Keret - Controverse' malgre' lui

Le Devoir.com

2008.5.17/18

http://www.ledevoir.com/2008/05/17/189963.html

イスラエル人の作家であることは楽ではない。たとえその国で左翼であっても。スター作家 のエトガール・ケレットにそのことを話してみよう。パレスチナ人の友人、サミール・エル・ユセフとの共著で『ガザブルース Gaza Blues』を書き、しかし、論争の中で、そして、母国であり今でも自分が住み続ける国に対するボイコットをの中で、困難にもかかわらず、生きつづける彼に。

イスラエルに生きるのは簡単ではない。それは確かだ。しかし、作家にとってのほんとうの国、それは言葉だ。ぼくにとって、ヘブライ語を話せない場所に生きるということは、一種の亡命だ」[...]

イスラエル政府に対しきわめて批判的な彼は、ホロコーストの生き残りである父と母の、反骨精神を受け継いでいる。「両親は、よく言っていた。イスラエルはいくつもの問題をかかえているかもしれない、しかし、少くとも、それは私たちの問題で、そして、それを私たちが告発することを誰も禁止することはできなかった。他の国で、もし私たちが政府に対して抗議の意を表わせば、国へ帰れと言われるだろう。」

世界的に認められた左派作家であり映画監督(伴侶のシーラ・ゲッフェンとの共作による処女作ジェリーフィッシュ Les Medues』は批評界から絶賛され、2007年カンヌカメラドール賞を獲得した)である彼も、論争の外側にはいられない。

最近でも、パリのブックフェ、サロン・ド・リーブルがイスラエルの建国60周年に関心をひくため、同国を招待国としたとき、複数のアラブ系の作家出版社が行事のボイコットを呼びかけた。エトガール・ケレットもイスラエル側の招待者リストに入っていた。「知識人ボイコットを呼びかける、しかし、そこに知性的なものなどなにもない。ボイコットは、あらゆるコミュニケーションを拒否することだ。それでは結局、他人に考えを変えさるチャンスはなくなる。それは、だから、行動としてはとても矛盾に満ちたものだ。」

トリノのブックフェでボイコット騒ぎにあったとか、カナダ爆破予告電話を受けた話とか、中略]

それでも、エトガール・ケレットはパレスチナ人イスラエル人の間の対話の推進者だ。その本 『The Bus Driver Who Wanted to Be God』は、第2次インティファーダ以来、アラビア語に訳されている唯一の本である。とうことは、パレスチナ人はエドガール・ケレットを読んでいるのだろうか? 「ぼくの本のパレスチナ出版してくれる人にそう質問してことがある。彼が答えるに、売れ行きはいいが、でも、読んでるのか、それとも燃やしているのかまではわからない、とさ」。

[彼の本を読んだパレスチナ人の反応とか、いろいろ中略]

エトガール・ケレットは「やむにやまれぬ楽観主義者」ではあるが、文学の力の限界について十分に意識している。「1万冊の本ができることは1発の銃弾のできることの半分だ。建設することより破壊することのほうが簡単だ。書くということは、ぼくにとって、一種のセラピーだと思う。自分の本で世界を変えようなんて思ってはいない。」

未来に対する大きな不安を抱きながらもーー彼はイスラエル消滅の可能性さえについてさえほのめかしているーー、彼はパレスチナ人イスラエル人がいつの日かいくばくかは平和に生きられる可能性を信じている。

[いろいろなるほどと思うことを言ってるけれど、疲れたので後略]

はい。

まあ、イスラエル人といってもいろいろ立場があるということで。

賞とかボイコットについての考えも。


追記 もうちゃんとまじめに調べた人がいたんだね http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090128/p3

2008-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20081108170922

技術者の間じゃ、普遍語はもう英語だよなぁ。

分かりやすいところじゃRFCだし、ちゃんと調べていくと英語の文献にあたらざるを得ない状況は結構ある。

オープンソースなんかだと、日本技術者でも英語の文献しかないことあるしね。

それらを(少数精鋭が)きっちりと日本語化して、日本語だけでやっていけるようにすれば、技術屋の国語として日本語が守られるかと言えば、それは違うような気もするし。


「ぐろーばる」とか「いんたーなしょなる」な感覚がなきゃ、この先生きのこれないとして、どうしたって普遍語化してしまった英語の知識は必要。


その上で思うのだが、海外言語と違って、言語体系があまりにも違いすぎる日本語について、そうそう容易く置換って起こるのだろうか?

海外小説日本語翻訳するとき、その感情表現に至るまで修正する「超訳」が行われることは結構ある。

日本語のラップはどうにもキモチワルイのと同じで、単に英語化しただけの物は、やはり馴染まないのではないか?

逆に言えば、それでも問題ない程度の違和感に留まってしまうなら、それは日本の文化がそこまで(感情表現価値観に至るまで)欧米化してしまったって事で。

その域に達してまで日本語が生き残るべきかどうかは、また別の議論のような気もする。

2008-11-08

Yes we can

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081106/1225972453

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51135541.html

http://anond.hatelabo.jp/20081107234548

のはなし。

人の感じ方はそれぞれかな。しかし、文脈ってのもあるし、一部を取り出してもな、とも思う。対比ってのもある。ほのめかしってのもある。裏読みってのもある。ってわけで超々訳してみた。

超々訳

こんばんは。

皆さんの答えに答えて諸問題に取り組みます。

<謝辞>

これは皆さんの、民主主義の、221年の勝利です。

これからは、すべてにおいて一丸となって戦いましょう。

世界の皆さん、私たちは負けません。アメリカは変わります。

この100年間、私たちは諸問題を乗り越え変化してきました。

これから100年、私たちは諸問題を乗り越え変化します。

私たちは出来ます。

ありがとう

超訳

こんばんは。

不安や疑問に答えが出ました。

沢山の人が長い時間をかけて、あらゆる世代が、思想が、民族が、個人が、州が、私たちがアメリカ合州国であり、歴史を手にし、歴史を作ると答えました。

アメリカは変わります。

マケイン上院議員、ジョー・バイデン家族スタッフ感謝したい。しかし、この勝利は、あなたの、みなさんのものです。

私は草の根活動をしてきました。皆さんの家庭が、募金が、ボランティアが、2世紀たとうとも、この地球から民主主義は途絶えないと証明しました。

皆さんは勝利しました。私は承知しています。二つの戦争環境問題金融危機に、全身全霊をかけて取り組まなければならないと。

イラクアフガニスタン養育費に眠れない親、新エネルギー仕事教育、脅威、同盟

私は皆さんと対話します。221年一つ一つ皆さんの手で行なってきたように、国家再建を行ないます。

この勝利は変化へのきっかけに過ぎません。皆さんと共に変化しなければなりません。

金融危機から教訓を得ました。この国は一丸となるべきです。悪政と戦いましょう。

共和党価値観民主党も共有しています。溝を修復しましょう。リンカーンは敵ではなく味方だと言いました。

私に投票しなかったあなた方の協力が必要です。あなた方の大統領になりたいのです。

世界の皆さん、私たちは運命共同体です。悪をくじき、平和と安全を支援します。民主、自由、機会、不屈の希望、それがアメリカです。アメリカは変わります。

アン・ニクソン・クーパーさんは106歳です。奴隷制が終ってから一世代後に生まれ、彼女アメリカを見てきました。Yes we can

女性参政権ニューディール政策太平洋戦争公民運動アポロ計画、ベルリンの壁崩壊、インターネットYes we can

106年間アメリカを見てきた彼女は知っています。変われる事を。Yes we can

100年後の子供たちは何を見るのでしょう。それは、私たちの行ないです。行ないましょう。出来ないという人には、こう答えましょう。Yes we can

ありがとうアメリカ合衆国に栄あれ

本当の訳?

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51134807.html

http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20081105-05.html

でもって問題の太平洋戦争の部分

When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world, she was there to witness a generation rise to greatness and a democracy was saved. Yes we can.

この部分の流れは時系列で、第二次大戦/太平洋戦争である事に間違いはない。

アメリカ視点としては、直接参戦のきっかけが真珠湾攻撃で、民主主義の国アメリカ民主主義を救った戦争となる。

以下裏読み的な部分

[追記:実際の所は単なる表現の問題でしかない]

「a democracy was saved」に「太平洋戦争正義を行なったアメリカ」を見てとれる

「democracy」が正義ってのは、

that the true strength of our nation comes not ... but from the enduring power of our ideals: democracy, liberty, opportunity, and unyielding hope.

わが国の力の源が、...ではなく、尽きることのない理想にあるのだということを。民主、自由、可能性、そして確固たる希望にあるのだということを。

からも分かるし、「the Democratic Party」だし。そしてそれを救ったと。

そういう、「戦争アメリカ正義の現れの一つ」っていうのが嫌って意見

「on our harbor」って気を使ってぼかしている

「the Pearl Harbor」という固有名詞を用いずに「our harbor」と、ぼかしてくれた。

アメリカ日本との関係を重視している証拠。今もこれからも、日本アメリカ関係は良好だよ、って意見

「When the bombs fell on our harbor」「a democracy was saved」に911アフガニスタンイラク戦争をみる

[追記:以下ミスリード]

前半では「二つの戦争」「イラク」「アフガニスタン」が挙げられている。

不意の攻撃、戦争、勝利、占領、復興

かつて、日本は(アメリカにより?民主主義により?)復興した。

これから、イラクアフガニスタンは(アメリカにより?民主主義により?)復興する。

Yes we can

問題は、復興とは何か。日本はなぜ復興したのかだろう。

2008-09-22

anond:20080922230728

どういうシチュエーションか分からんけど、友人らとの些細な話し合いなら、案件に対する論理だけじゃダメでしょ。

話し合いに参加している人々の立ち位置、感情、脳の具合、その他諸々の総合的なファクター論理的に(あるいはコミュニカティブに)構築しなければ。

その相手の「論理的すぎるんだよ」という批判はある意味で的を射ている。

超訳すると「論理をふるってもいいが、お前の組み立てた論理は必要なピースをたくさん取りこぼしている」となる。

彼女との間には、お前のいう「論理」のみに焦点化する話し合い関係ができているのだろう。

彼らとの間にもそういう関係を構築すれば、いわゆる「論理的」な話し合いが通じるはずだ。

自分より到達度の低い人間と話し合う場合、ある種の教育的な状況構築が必要となることを忘れてはいけない。

これは到達度の高い人間の義務であり、最低限の良心

2008-05-22

超訳本居宣長

人間死んだら終わりなんだ。善人も悪人も、汚い黄泉に落ちるんだ。

だから死んだら悲しいんだ。ギャーギャー泣いて当然なんだ。

孔子のバーカバーカ。やまとごころLOVE。

俺も泣きたい。電車の床を転がりながら、泣き叫びたい。

追記。出典は、『玉くしげ』でした。かなづかい等、我流でなおして引用します。

さて死すれば、妻子眷属朋友家財万事をもふりすて、馴れたる此世を永く別れ去りて、ふたたび還り来たることあたわず、かならずかの汚き黄泉国に往くことなれば、世の中に、死ぬるほどかなしき事はなきものなるに、かの異国の道々には、或いはこれを深く哀れむまじき道理を説き、或いは此世にてのしわざの善悪、心法のとりさばきによりて、死して後になりゆく様をも、いろいろと広くくわしく説きたる故に、世人みなこれらに惑いて、その説どもをもっともなる事に思い、信仰して、死を深く哀むをば、愚かなる心の迷いのように心得るから、これを恥じて、強いて迷わぬふり、悲しまぬ体を見せ、或いは辞世などいいて、ことごとしく悟りきわめたるさまの言葉をのこしなどするは、皆これ大きなる偽のつくり言にして、人情に背き、まことの道理にかなわぬことなり。すべて喜ぶべき事をも、さのみ喜ばず、哀しむべきことをも、さのみ哀しまず、驚くべき事にも驚かず、とかく物に動ぜぬを、よき事にしてたっとぶは、みな異国風の虚偽(いつわりかざり)にして、人の実情にはあらず、いとうるさきことなり。中にも死は、ことに哀しからではかなわぬ事にして、国土万物を成し立て、世の中の道を始めたまいし、イザナギ大御神すら、かの女神のかくれさせ給いし時は、ひたすら小児のごとくに、泣き悲しみ、こがれ給ひて、かの黄泉国まで、慕いゆかせたまいしにあらずや。これぞ真実の性情にして、世人も、かならず左様になくてはかなわぬ道理なり。それ故に、上古いまだ異国の説のまじらざりし以前、人の心なおかりし時には、死して後になりゆくべき理屈などを、とやかくやと工夫するようの、無益のこざかしき料簡はなくして、ただ死ぬれば黄泉国にゆくことと、道理のままに心得ておって、泣き悲しむよりほかはなかりしぞかし。そもそもこれらは、国政などには要なき申し事なれども、皇神の道と異国の道との、真偽の心得にはなり侍るべき事なり。

2008-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20080217204812

>ならなぜ最初から、「このように、知らない人ついていくのは危険ですよ」と言わないのだろうね。

 

最初、って一体誰なんだろうな?

 

そしてその相手は誰なんだろうな?

 

産経の花岡か、2ch増田か。

 

無数の人間の発言をごたまぜにして、思い切り超訳して、

それを相手にシャドーボクシングをしているだけではないのか。

 

特に、はてなサヨク人達ね。

2008-01-26

教委主催講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

 

前書き

ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー

(厳密には、八木氏はかつてはつくる会会長だったが、今はつくる会とは無関係

 

書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。

 

先に書いておきますと、私は公立校勤務です。

で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。

 

この教育講演会教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。

 

講師は八木秀次氏(日本教育再生機構理事長)。

 

恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。

 

忍び寄る何か

開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピック

“「不当な支配」の主体の転換”

という内容。

 

教育基本法の、

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」

という規定が、

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」

と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、

 

before:政府の圧力

after:日教組などの職員団体

 

と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。

 

私としては、

「なるほどそうか……。これは大変だな」

と思ったわけなのですが、その先を読んだら

「……なんか違う?」

 

なにしろ、いざ講演が始まったら、この

政府=正当な支配」

「職員組合=不当な支配」

という立場を全面的に賞賛する論調でして。

 

日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。

(うちの地元には、「教職協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。

方針としては、行政との対話路線。

私もそっちに入っています。

まあ、日教組の勧誘姿勢もアレだし。

新採の時、勧誘パンフが送られてきて。

ガリ版刷りの楽しげなパンフレットだったんですが、封筒に

「教え子を戦場に送るな!」

って書いてある。

言いたいことはわかるがちょっと引いた。)

 

内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。

 

滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。 byゾーマ(DQ3)

講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。

 

第二次大戦末期、樺太ソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。

事件名とか知らなくても、

「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」

とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。

 

で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、

日本人公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」

とか褒め称えるわけです。

 

……ところで、これは教育講演会なんですが。

このエピソードを教育にどう生かせと?

 

彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。

お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」

 

置かれたら?

 

自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。

 

私としては、子どもたちには

「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」

……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。

 

ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。

そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。

 

彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?

 

少なくとも、八木氏の言う

ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」

……というのは、この場合は事実に即してないと思います。

 

……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。

 

また、沖縄集団自決の件について、八木氏は、

沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。

だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」

 

という、目の覚めるような主張を展開します。

 

なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。

なんか、とにかく死ね責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。

 

「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。

近代化が遅れた地域だからな。

 

あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。

 

本当の戦いはこれからだ!(打ち切り

とにかく、こういう歴史観のリビジョン促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。

開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。

本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。

 

もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。

なんという教育予算の有効活用

 

内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会

 

「○○中学校社会先生も、あれはひどいと言っていた」

「○○小の先生に聞いたら、あれは有名な右翼だと」

「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」

 

……ええーっとですね。

つまり、「つくる会」の教科書採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会史観に染まるわけではない、ということですよ。

 

このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。

我々はロボットではない。

 

いや、染めることを目的にした講演会だったんでしょうけどね。

 

本地区では、教育長はじめ偉い人が「つくる会」の支持者です。

その一存で採択が決まったようなもので。

 

しかし、「つくる会教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。

なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会趣旨だったんだと思います。

 

しかし、今どき、中学生ならネットくらい使いますよ?

真岡郵便局には女性交換手が12人いた」

くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。

 

授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?

そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。

 

……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。

さすが日本教育再生機構理事長

率先垂範を地で行っておられる。

 

で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。

で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。

 

スタンディングオベーションかよ偉い人。

 

とりあえず絶望した。

現場がなんとかしないとならん。

 

重箱の隅つつき。

以下、こまごまとしたこと。

 

*紀元は2600年。

八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。

 

なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識誕生したのがその時代だからだ、というのです。

ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。

天皇独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。

 

……飛鳥時代象徴天皇制だったのか。

 

八木氏は、「皇室ニッチ産業」だ、という、寛仁親王言葉引用します。

政府行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」

 

確かに、障害者スキーへの支援とか、結構なことですね。

 

「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」

いや……そうなの?

 

革命史観

八木氏は、他の教科書にある

平安時代貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」

……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。

 

これらが、マルクス階級闘争史観子どもたちを導くものだ、というのです。

 

君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!

 

……別に教科書記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。

なんでマルクス

明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?

 

明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)

うわ新しい見解だ。色んな意味で。

 

そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。

武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」

上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」

……みたいに。

 

八木氏によると、現在学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。

 

その闘争目標とは、電通経団連の打倒……ではなく。

「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」

とかいうのが「闘争目標の提示」だと。

 

……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。

 

歴史に学べ。歴史は繰り返す。

仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。

 

奴婢の話とかって、私は

「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」

って趣旨の話だと理解していたんですが。

人類歴史進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」

的な。

 

八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。

 

私としては、貴族平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。

八木氏も、それが「事実ではない」とは言わなかったし)

 

都合の悪い歴史事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。

それこそ、遺伝学におけるソビエトルイセンコ学説みたいに、学問イデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。

 

まあ、「歴史科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。

 

でも、望ましい思想を注入するために、歴史事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国十八番なんじゃ。

ソ連生まれのくせに白頭山で生まれたと称する誰かさんとか。

 

日本の伝統を尊重しよう。祖先精神を大切にしよう。

基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。

「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。

 

そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。

確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。

八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。

 

ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。

縄文時代は公共の意識が発生していない」=「日本ではない」

から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。

 

日本あけぼの」って言えば、普通縄文時代を指しますし。

逆に、明治憲法現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。

 

縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。

縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。

 

八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権時間的拡大」「死者には墓石投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。

……天孫降臨

 

ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。

走者がバトン渡す前に死んだらリレーにならなくね?

 

ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。

死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。

 

……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。

 

*美しい日本語を守ろう。

八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。

 

「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。

一瞬、弥生式か縄文式か悩んじゃったじゃないですか。

 

自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。

 

日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。

 

返信欄

なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。

 

教育委員会主催講演会とかに行って何かを得たことがあるの?

ありますよ。

まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。

……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。

 

>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。

まあ、チキンなので。

 

偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。

そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。

 

それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)

 

それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。

これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。

 

っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。

 

でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実

古代以来、皇室ニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。

そこで、例えば平安時代朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」

くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。

 

>自分のはてなダイアリーで書いたら?

少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。

何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。

(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)

 

こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。

偉い人にばれたらどうしよう。

 

>「教職協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。

会員でありながら組織背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)

 

>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。

ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)

今や日本教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!

あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)

 

馬鹿冗談はさておき。

大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい

難しいところですね。

 

おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。

 

その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。

そして、大学専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。

だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。

 

その内容としては、重要歴史事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。

 

……もっとも、「歴史事実」というのは現実にはほとんど無限存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。

エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。

 

でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。

2008-01-06

超訳 つくったものを悪意からまもる十の所作

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50979976.html

試訳 - コードをセキュアにする10の作法

セキュアとかいまだに和製単語がないの……? 根付かないわけだわ。

この10の作法みてても、まるっとただのwebコーディングの話しなのであまりピンとこなかった。

つーか、なんか、ほんとはてブってLLな人ばっかりだよね。

せっかくの内容なので、ちと裾野を広げて考えてみたよ。

1.なにをするのか決めましょう

どのような操作をうけつけるのか、どのようなデータをうけつけるのかまず最初に決めましょう。

そして受けとったものをもとになにをしたいのか明確になっているのはもっとも重要なことです。

お金を受け取って商品を返すのか?サービスを返すのか。

お金だって日本円なのかドルなのか。

お金のかわりに注文をうけるだけなんていうのもありますよね。

まず最初に決めておくのが重要なことです。

2.構造に問題があるのかあいての挙動に問題があるのか切り分けしましょう

1で決めたように挙動の想定なしには規定外のデータの受け渡しなどは追うことができません。

想定内以外はすべて想定外に落とすのが悪意から身を守りやすいです。

構造的エラーはtryで括るなり、error procでおとすなりし、

構造エラーが起きたときにどこでどのようなエラーが起きたのかは最低限いつでも追えるようにしましょう。

PHPとかでtryつかってるひといる?)

3匹の子豚の童話をおもいだしてください。

ドアには鍵をかけられるようにして、暖炉には火をともせるようする必要があります。

そしてなによりその前提は建物が頑丈であることです。

3.家を建てるまえに治安を調査しましょう。

その場所に狼が住んでいるのかいないのかは家の設計に大きな影響を与えます。

また狼がいるのがわかったら家を建てる必要があるのか吟味するのはとても重要なことです。

社内のLANで済ませれるシステムをわざわざon Webな設計で建てる必要はありませんよね。

4.窓の数や暖炉の数は吟味してください。

部品が増えれば大工さんの工数は増えますし、住んだあともお掃除が大変です。

家を建てるのにいくら掛かるのか?

そのサイズの家を建てたら家政婦さんにはいってもらわなければならないのか?

家政婦さんがいいのかメイドがいいのか?

庭師をいれなければならない大きさなのか?

警備員を雇わなければいけないのか?

自宅警備員はやくにたつのかたたないのか?

部品がふえるだけで指数関数的に費用が増します。

お財布と相談するのは非常に重要なことです。

本当は1Kで十分なんじゃないですか?

見栄はときに判断を見誤らせます。

もしあなたが建てるのを手伝う側だとしてもお客さんを諭すのは大切な仕事です。

5.最初にためしてみなよ。

家を建てるまえにその地域にすんでみるのも必要です。

甘い言葉に騙されていきなり30年のローンとか抱えないでください。

完成例ばかりに目を奪われると完璧なものばかりに目がいき真似したくなります。

もしあなたが商売を始めようとして、そこに経験がなかったらどうしますか?

路面店を構える前に自転車の後ろに商材つんで売ってみてからでも遅くはないのでは?

最初からすべてを用意しようとすると取り返しがつきません。

「だってみんなやってるよ!」

そういったときに親からなんていわれたか思い出しましょう。

規模に応ずることは非常に重要なことです。

システムキッチンをつかったこともないのに新しく建てようとする家に入れたいのはどうしてですか?

ほんとうに自分にあった家をたてたいのであれば、まずはあれこれ使ってみることが重要です。

まずは小さなモデルをつくってテストしてみてください。

6.火事には気をつけて

あなたのつくった木造の小屋がもし火事になった場合どのような被害を出すか考えておく必要があります。

どんなに頑丈な設計をしていたとしても、地震台風放火など”ありえない”なにかの災害はおきうることです。

そのときにあなたのつくったものはどうなりますか?

まわりの建物に火がまわってしまいませんか?

危険というものはすべてを排除しようとするのは困難です。

もしもの時にそなえる方法はいくつかあります。

火災保険にはいるだけではなく、消火器などを用意して被害を最低限に抑えるということも重要になります。

数千円の消火器で家の全焼が防げるならコストパフォーマンスは悪くないですよね。

Hedgeとassessmentは別々(並列)にもうけることができる性質のものです。

ヘッジばかりで満足していませんか?

あと、風の強い日に焚き火をしないとか、そういうわきまえも大切ですよね。

(risk deterって言葉ないね? こーゆーのなんていうん?)

7.なにかがおきてしまったら

割られてしまった窓ガラスはさらにわられないために早めに直しましょう。

できるだけ早く「対応した」と見せかけるだけで大きな効果があります。

次なる悪意から身を守る術はできるだけ早い対処です。

8.定期的に補修してください

検収さえのりきって瑕疵責任だけまぬがれるような糞システムねじこんだらいいやとおもってるから、いつまでたっても糞なんだよだぼがぁあ!!

・・・ゴホン。

失礼しました。

つくったものは古くなります。

建物の場合だってニスを塗り替えるだけで経年劣化は相当防げます。

そのために既成関数などをラップ関数差し替えて最初に書いておくのも実はメンテナンス効率をあげる手段だとおもいます。

言語仕様がかわったときとかも対応がらくちんだよ。

9.盗られたら大変なもんはおくな

財産を引き出しに入れておくとか、そういうことはしてはだめですよ。

個人情報だってそもそも集めなければ取られる必要がありません。

不必要なものを保持しておくのは初期費用も保守費用も莫大に押し上げます。

使用用途ができてからでも遅くはありません。

部屋を綺麗にしておきたいなら要らないものは買うな!!

(部屋汚くてごめんなさい……。)

10.人が書いたものをうのみにするな

成功例、失敗例、参考にするのは非常に有意義なことです。

ですが、その意味もわからず模倣することほど意味もなく危険なことはありません。

あなたがだれかの真似をして飛ぼうとするまえに、自分の足元を確認する必要があります。

あとで読むとか、必読とか、タグをうつのは自由です・・・。

でも自分と他人というものは違います。

相手がどんなものであれ、それをもとに自分を磨かなければ意味がありません。

また相手がどんな体験をしたのであれ自分を磨くことの役に立てることはできます。

人のせいにするのは簡単な事です。×××でよんだから、×××で見たから。

でも、そもそもこの記事だって猫が偶然キーボードの上で暴れて書いたものかもしれないのですからニャー。

参考文献

うるおぼえ脳内より

キーワード

日本円を受けるところでインドルピーうけてちゃレートもわからなければ偽札も区別できないよ!

リスクアセスメント(リスクアクセスメントだと思ってたのは内緒

テストファースト

ブロークンウインドウ理論

未病

やずややずや

いいえケフィアです

みんなってダレ?

ヨソはヨソ、ウチはウチ。

炎上

全焼

火の用心!

いいえ、あなたの心です

他山の石

増田ねこ

2007-12-05

ALL I REALLY NEED TO KNOW I LEARNED IN KINDERGARTEN

なんか見てると、"ALL I REALLY NEED TO KNOW I LEARNED IN KINDERGARTEN" http://www.peace.ca/kindergarten.htm ってあんまりみんな知らないのね。昔日本でも流行ったんだけどな。 欧米人達は結構これ好きみたいで、Kindergartenの部分を、一時期の吉野屋テンプレのノリみたいに my cat とか star wars とかに変えた亜種がいっぱい存在する。

ネットで見たけどあんまりいい翻訳ないのね。 だから百式の中のひとみたいに超訳してみました。

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どうやって人生をおくるか・どう生きるかについて必要な事の全部を、幼稚園で学んだんだ。そういう知恵は、大学院っていう教育システムてっぺんにあったんじゃなく、幼稚園砂場の中に埋もれていたんだ。

僕が幼稚園で学んだのはこんなこと。

・なんでもみんなで分けよう。

・フェアにやろう。

・人を叩いちゃいけない。

・使った物は元に戻す。

・自分の後片付けは自分でする。

・自分の物じゃない物は取らない。

・誰かを傷つけたら「ごめんなさい」っていう。

ごはんを食べる前に手を洗う。

トイレつかったら、ちゃんと流す。

・あったかいクッキーと冷たいミルクは体にいいんだ。

バランスの取れた生活をしよう。 ー ちょっと学んで・ちょっと考えてみる。 絵を描いたり塗り絵したり歌ったり踊ったり遊んだり仕事したりをちょっとずつ毎日やる。

・毎日お昼寝しよう。

・外に出たら周りに気を付けて! 手を取り合って離れ離れにならないようにしないとね。

・驚きとか疑問とかを大切にしよう。 発砲スチロールのカップに植えたあの種の事を思いだそうよ。 根っこは下に伸びて茎は上に伸びる。なんでそうなのか、だれもわかんない。 でも、僕達もその種みたいなもんなんだってことは、なんとなくわかる。

金魚とかハムスターとか鼠とか、そう、それにあの発砲スチロールに植えた種もみんないつか死ぬ。 僕達もだ。

・ディックとジェーンの絵本に一番最初にでてくるあの言葉を思いだそう。一番大きな字で書いてあったよね。「ちゃんと見て!」って。

君に必要なこともきっとこの中にあるはずだよ。「自分が人にして欲しいように、自分も人にしてあげなさい」っていうイエスさまの「黄金律」も愛も基本的な衛生概念もこの中にある。 エコロジー政治も平等も、そして、ていねいな生活に必要なものも、全部この中に入ってる。

このリストのうちなんでもいいから一つでも、小難しい大人語に訳してから、家庭生活とか仕事とかお役所とかの、君を取り巻くいろんな事柄にあてはめてごらん。きっとちゃんと立派に通用するから。 例えば、僕達みんなが ーつまり世界中がー 三時のおやつ時にクッキーミルクをたべて、お気に入りのブランケットに包まれてお昼寝するようなになっとしたら、なんて素敵な世界になるだろう。例えば、もし世界中のお役所が「使った物は元に戻す」と「自分の後片付けは自分でする」を基本政策としてちゃんと実行するようになったとしたら、なんて素敵な世界になるだろう。

で、これも本当の話さ。いくつになっても「外に出たら、周りに気を付けて」、「手を取り合って、離れ離れにならないようにする」のが、一番大切なんだよ。

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著作権上の問題あるのかな?

2007-11-08

無題

Tupper's Self-Referental Formulaは、2次元で描画されたときに、自身を可視的に再現するような再帰性をもつ式であり、Jeff Tupperによって定義された。

Tupper's self-referential formula - Wikipedia, the free encyclopediaより超訳

「つまり、タッパーの再帰公式のような式になるような数式の条件が求まるんだ」

「そんな馬鹿な!!だいたいグラフ人間が見て初めて数式だとされるんだぜ」

君は思わず反論する。増田の発言はどう考えたってナンセンスだ。ところが増田は我が意を得たりと「その通り」。指を鳴らして、君を指さす。仕草がいちいち気に食わない。彼は続ける。

「ところが数学的に厳然たる方法で条件を求められる。つまりだな、数学が我々の認知体系を仮定なしに記述できたんだ。物理なんかとは違う。形而下の世界に対して形而上の数学押し付けるのでない。人間は本来形而上の存在なのだと示されたんだ」

増田は、不信をあらわにする君に構わない。多少、歩調を早めたようだ。

ケイオスに対して人間認識体系が意味を与えコズモスを築くのではない。バベル図書館には、どんな言語体系に於いてもどんなルールを課しても意味をなさない完全にランダムな文字列が含まれるんだ。今、まさに我々は」

いいながら、増田は、ちょうど目の前をドアを開け放った。できすぎた演出に苦笑しつつ、部屋に入るとそこでは70年代漫画にでてくるようなコンピュータが、テープを吐き出していた。君の疑惑は、ますます深まる。増田は、君が圧倒されるという期待が裏切られて、言葉を継げないでいたが、気を取り直し

「…タッパーの式の条件を一般化してね、あらゆる文字列のうち意味をなすものだけ出力させるようになっている。今のところ、例外なく完璧意味の通るものしかでていない。見たまえ、これは『じゃじゃ馬ならし』の一節、これに至ってはツァラナンセンス詩だ…」。

君の顔が恐怖に引きつるのを確認した増田は、満足げに残酷な笑みを浮かべた。

2007-09-26

翻訳ブログを作成するための5つのポイント

許可を取る
勝手翻訳して公開するのは著作権の侵害になる。まず訊いてみよう。
辞書を引く
一見納得できる訳になっても知らないイディオムが隠れているかもしれない。勘で訳すのは試験だけで十分だ。
機械翻訳は使わない
それっぽいだけで文意とはかけはなれたものになる。参考にもするべきではない。
言い訳はしない
いい加減な訳であることを意訳や超訳といって誤魔化すのは正直でない。そのかわり誤訳の指摘を募集する。
他人の翻訳ミスを指摘する
コメント欄で徹底的に指摘して委縮させる。ブクマされそうな翻訳ネタは可能なかぎり独占しよう。

2007-09-05

超訳してみる

脳や電子頭脳などの物理的な構造に意識が宿ることを証明しても、なぜ意識が宿るのかを説明したことにはならない。

ならば、物理的な構造の中を抽象化された概念(=情報)が行き交うことが意識の正体なのだろうか?

だとすれば、日常の些細な計算や情報伝達においても、その経路には意識が生じているのではないだろうか。

となると、そこで伝達される情報の定義って何?なんなの?あああああああああ

http://anond.hatelabo.jp/20070905175644

2007-08-17

anond:20070817193715

超訳やっちゅーのに。ドコモauも。

外国人論理的にまじめに書いてるわけないじゃん。

扇動的にユーモアきかせてテキトーに書いてるだけやろ。

変な記事がブクマで人気

”とある外国人向けのページ”が面白かった。「超訳」ですが…。

面白いなぁと思ったのは、エントリの内容もさることながら、むしろ罵倒表現のバラエティについてです。念の為。

(その後引用らしき記事が続く)

「違う、我々が欲しいのは電源をONにした瞬間起動するマシンだ。」ZAPAブロ~グ2.0

ttp://zapanet.info/blog/item/1072

書かれてある様子からして引用元になった外国語の記事があると思うのだがリンクどころか言及すらない。

引用元を書くほうが記事が煩雑になると善意で解釈しても延々引用、というかほぼ全文転載してるように見える。

しかも書いてあることは

馬鹿みたいに垂れ流すだけのもの。

それすらも

面白いなぁと思ったのは、エントリの内容もさることながら、むしろ罵倒表現のバラエティについてです。念の為。

で免責済ということなのだろうか。

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