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はてなキーワード: カンヌとは

2011-11-26

真剣にやる」を言葉とかイメージしか理解してない人を相手にするのはツラい

自分では何かを真剣にやったことがないのかどうか知らないけれど、

「お前、こういう時はもっと真剣にやるものだろ

 真剣ってのは休まず脇目もふらず集中力を切らさず云々カンヌン」みたいなことを言ってくる人がいる。

どうも彼の中に非現実的な「真剣」のイメージがあって、それと違うものは不真面目かなんかに見えるようだ。

いっちゃなんだけれど、私のほうが彼よりパフォーマンス高いわけで。成果も出してるわけで。

彼が私に誇れるのが真面目そうなふりをすることとか、態度だけなのかもしれないけれど、余計なお世話すぎる。



基本的に余計なことで争いたくはないから、譲れるところはどんどん譲って、

先輩の顔も立てて、いい気分になってもらって、優越感持ちながら私のことは放置して欲しいのだけれど、

妙に劣等感が強く、なんとか自分が優位に立つことにこだわるくせに、つまらんことしか言えないってのはどうなのか。

他のことはともかく、自分なりの仕事の進め方にケチをつけられるのだけは耐え難い。

2011-06-07

バカ学生より先に学生をバカ呼ばわりする大人を駆逐しようよ

http://anond.hatelabo.jp/20110606204153

これの続き。

今日もまた不愉快な記事がホッテントリに入ってて気分悪いったらありゃしない。

http://www.s-shiori.com/con3/archives/2011/06/21.html

タイトルに「バカ学生」とか持ってくる人が、就活アドバイスか。へー。

そうやって「この記事をよんでるあなたはこういう馬鹿じゃありませんよね?」って差別を行うことで人気を得るわけですか。大した人間ですね。

まさか他の記事で面接で問われたり企業で必要とされるのは人間性とか書いてないでしょうねぇ?



↓の記事と比較して、自分の書いてる記事おかしいと思わないの?

http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20110524/p1

目的の第一が情報提供はなくて「自分信者を増やすこと」な記事ってどうなのよ。




後ね、前の記事の佐藤某さん同様、この人の本も読んでみたんですけれども

就活コンサルタントっていわはる人の主張って全く一致してますね。

http://www.amazon.co.jp/dp/4072718009/  <私が読んだのはコレね。

要するに、「アドバイスする」と行って客を引き寄せるけど、本心では3年になるまでにもう勝負ついてるから、って言いたいんですよね。

なんでそういう人がコンサルタントやってるわけ?本音と職業全然一致してないじゃないですか

少なくとも、一般人向けの就活論なんて興味ないんでしょ?

普通学生やバカ学生には興味ありません、東大卒リア充コネ持ちは私のところにいらっしゃい。私の実績にしてあげるから」って言えばいいのに。


で、なんだ。自分はバカ学生を救うつもりなんて全然ありませんよって見下してるくせに、

そのプライドだけは食っていけないのかどうか知らないけど、バカ学生藁人形にしてPV稼いで生きてるわけですか。

いい下流ビジネスですね。心底軽蔑しますわ。



頼むからさ、学生から治そうとするんじゃなく、大人自らがまず自分の問題を見直すところから手をつけよう。な?

おとながみんなちゃんとしたメールのやりとりが出来てたら、自然学生も身につくから。そのほうが手間かからないよ? 

それどころか、一生懸命学生がちゃんとしたメールのやりとりをできるようになっても職場のオジサンオバサンが出来てなかったら、おじさんたち間違った方法を強要したりするんだよ?

すごく無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄。すっごく無駄

学生とか新人にそういう徒労感を与えてやる気を奪っておきながら、学生とか新人ゆとりとか非難する駄目大人を放置してあんたら何をやってるの?ねぇ。



ほんまどいつもこいつも手を付けやすいところに全部意識がいっちゃうのが嫌なんだよホントに。

自分を見る前に、下を見て、学生たちよりはマシだっていって自分を改めない大人が放置されて

学生新人たちにはいまよりずっと求めるものを増やしますか。そうですか。すげえ腹立ちますねそれは。

学生は確かに柔軟ですよね。大人と比べたら変えやすいかもしれない。

実際には変わってなくてもあんたら身勝手な大人の要望に答えて一生懸命成長した演技をしてくれるかもしれない。

そして、それを持ってまた変な自尊心とか必要とされてる錯覚を味わうんですよねわかります

でも、本当に変えるべきところってそこですか?まじでその腐った目をほじくり出して捨てるのが先じゃないんですかね。




もう学生メッセージを投げかけるのは、UEIの清水さんとかだけでいいよ。

格好いい大人をみかけたら、学生の方から話を聞きにいくから、それ以外の人は目と口と鼻と耳を閉じたままでいて欲しい

余計なノイズとか要らないの。 説教混じりで気遣いのない役に立たない一般論とかも要らないの。

本当に必要な情報だったら、コンサルタントとかなくても同年代の人が記事書いてシェアされるからそれで十分なんだよ。

とにかく格好悪い、死ぬほどダサイ大人様がたに、学生が云々カンヌンとか言われたくない。

メシのために我慢するのも限界で、あんまり我慢してると死にたくなる。




まず学生が憧れるような大人を育ててよ。お願いだよ

2010-12-15

渡辺真由子さんは「いってることは正しいからこそたちが悪い

http://mediaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-785b.html

女性がどのような服を着るかは「好み」による部分も大きい。脚線美が自慢ならミニスカートを履きたくもなるが、必ずしも挑発しているわけではない。露出した肌を「見せびらかす」ことと、実際に「触らせる」ことには、雲泥の差があるためだ。

だが、このような心理は男性向けメディアにはわかりにくいと見える。痴漢の被害に遭った女性を、「露出する服を着ていたのが悪い」と逆に責める風潮すらある。勝手な誤解が、女子から服装の自由を奪う。

まったくもっておっしゃるとおりだと思います。なぜそれを女性にだけしか適用しないのかが理解出来ないけど。


男性がどのようなエロ漫画を読むかは好みによる部分も大きい。男性は読むエロ漫画を自慢したり見せびらかしたりしない、世間を挑発する意図などない。むしろバレたら身の破滅だと思って自重していると思う。 それはエロ漫画を読んで妄想するだけと実際に危険な行動に及ぶことには雲泥の差があるためだ。

だが、このような真理は女性子供を自称するメディアジャーナリストには分かりにくいと見える。なんもしていない男性を「エロ漫画を読むような男(女もいるよね)は存在自体が悪」と逆に責める風潮すらある。勝手な誤解とそれに基づいた自己反省を欠いたヒステリーが、一部の人間の表現の自由を奪う。





http://twitter.com/#!/mayumania/status/14564489911345153

アニメフェアへの協力拒否という強硬姿勢に出た大手漫画出版社の慌てぶりは、自分たちが如何にこれまで「性的虐待の描写」で儲けさせてもらったかの裏返し。馬脚を現したのう

という発言で瞬間的に有名になった渡辺さんだがブログを見ると常識的な人間に見える。


しかし、その常識やら正義一部の人間にしか適用しないといってるのが変。

自分の言ってる正義には普遍性はないと自ら主張したいのか。

自分恣意的に例外を設定しても良いと思っているのか。

よくわからない。それって差別あるいは独裁者思考というのではないでしょうか。






あとね、蛇足かもしれないけど、

「自慢」と「挑発」に誰にとっても自明な明確な区別があると思ってるなら、ちょっとジャーナリストとしての素質を疑う。

もし明確に区別したいなら、ちゃんとそれぞれの言葉定義をしてから語るべきですね。

これは私の印象論でデータ等による明確な根拠があるわけではないのだけれど、

日本ジャーナリストは、曖昧ななんとでも解釈できる言葉自分解釈で使って持論を展開する割に

相手の言葉の使い方にはいちいちツッコミを入れるという矛盾した行動を取ることが多い気がする。


例文書こうか。

 twitterで有名なトリガヤさんとか渡辺真由子さんみたいに、ただ強い言葉を書いて

 周りを「挑発」することだけがとりえの自称ジャーナリストとかマジ勘弁。

さて、この「挑発」はどういう意味で使われてるんでしょうかね?

定義しないで使って良いなら、このようにいくらでも勝手な文章がかけます

多分こう書くと、彼らは「挑発」などしていない。という言葉尻だけをつつくか

あるいは「こういう無礼なことを書く人間は云々カンヌン」など自分言葉人格攻撃をして終わりでしょう。

そんなつまらないことはジャーナリストじゃなくてもできることです。私でもできます

渡辺真由子という人間にとって「ジャーナリスト」とはなですか?

それを定義した上で、あなたの今回のtwitter発言は、ジャーナリストとしてふさわしいものですか?

ジャーナリストには、誇りを持って仕事をしていただきたい

好きなことを書けば、そこそこ調べ物をすれば、それでジャーナリストだと周りが認めるわけじゃない。

あなた自信のジャーナリスト定義を持っていて、

それに従った行動を取っているひとだけを私はジャーナリストとして応援します。

2010-11-15

リカバリーの上手い会社、下手な会社

勤め先の勤務部署の仕事柄、いろんな会社と一緒に仕事をしたりすることがある。(どんな企業と一緒にやるかはぼかさせてほしい)

だいたい、そうい仕事を始めるには最初プレゼンなんかをしてもらうわけで、まあ、今までにいろんな業種のいろんな会社プレゼンをしてもらっている。たぶん、ゆうに100社はやってもらっている。

で、それでわかったことをほんの少し。

プレゼンってのはだいたい、2,3社、へたすると7,8社くらいに同じ案件について、どのように仕事をしてもらえるのかってのを話してもらうわけなんだが、意外とそこで大きく差が出たりする。

ま、そんなのは社会人だったら、誰だって経験はあるだろう。やる方もあるだろうし、受ける方もあるだろう。

で、そんな中で1社選ぶわけなんだが、その1社に決めた後が面白い

 

面白いのは、断る会社電話なり、メールなり、直接会うなりして連絡するとき。

だいたいの会社は「弊社のどこが悪かったですか」みたいな聴き方をしてくるので、まあ、どこどこがどうで、とかできるだけ真摯にでも、嘘も織り交ぜながら答えるわけだ。だって、全部話すと決めた会社の手の内までばれちゃうじゃん。

そうすると「うちの○○戦略や○○システムには絶対に自信があって、再考をなにとぞ」みたいなことを言ってくることがままある。

ま、こうい会社ダメだよね。

まあ、何のかんのいいながら、断わるわけだ。

 

でもって、決めた1社(A社としとこうか)との仕事が始まって、それが何らかの形になったりして、表にでたりするわけだ。

まあ、最初から全部うまくまわるわけもなくて、いろいろトラブルがあったり、売り上げとか稼働率とかがうまくいかなかったりすることもあるわけだ。

そうするとしばらくして、件のプレゼンで負けた会社(B社)が来たりする。

で、「A社さんとの△△うまくいってませんよねえ」なんて言ったりする。

「まあ、まだ色々トラブルがあったりしてねえ」と僕も答えると、そこでドヤ顔を決めながら、B社の人間はいうわけよ

「先日、プレゼンさせていただいた弊社の○○システムなら、そうい課題は全部解決させていただきます。△△で問題となってるあれこれは、云々カンヌン」

で、今までの○○システムとか○○戦略とかいうやつをちょこっと手直ししたやつを、もう一回説明してくる。

たぶん、こいつら、腹の中では「だーかーら、うちが正しかったんだよ、ほれ、もう一回説明してやっから、とっとと非を認めて乗換えやがれ」って思ってるんだろうなあと、そのドヤ顔プレゼンを聞くわけよ。

まあ、そんなプレゼンで覆るわけもなくて、「でも、」○○じゃ、A社の△△で出来てた××に対しては対応できませんよねえ」なんて言うと、それはそれ、これはこれなんていいながら、また、なにとぞーとか、言って帰っていく。

で、結局、こちらとしてはA社とコツコツと仕事チューニングさせていくってのが、普通対応

 

でも、負けた会社でも違うことをしてくる会社がある。C社としよう。

最初はおんなじ。

「A社さんとの△△うまくいってませんよねえ」なんて言ってくる。

「まあ、まだ色々トラブルがあったりしてねえ」と僕も答えると、そこからが違う。

「そこで、ちょっと考えてみました。何が問題になってて、どうすれば解決できるかを」なんつって、前回とはまーったく違う切り口を作ってくる。

しかも、その切り口は今やってるA社とのシステムだったり、戦略だったりを上手く使いながら、いわば、部分対応的に問題を解決するというやり方。

ういうのはやばい

本気で、そういうのは検討してしまう。

で、だいたい、こういプレゼンをしてくる会社は、よくできたシステムとか戦略を作ってくるので、案外採用することも多い。

もちろん、A社の方もそのまま運用し続けるので、全然問題はなくまわったりする。

ういうC社はだいたい、その後も自分が作った切り口をもとにガンガン攻め込んでくる。

で、気が付いたら、A社に発注してた案件の年間費用のうち結局、半分近くがC社に払われるようになったりする。

で、そうすると次のプレゼンの時には、結局、A社じゃなくてC社が勝ったりするわけだ。

 

ういうC社みたいな会社、昔は欧米会社よりも日本会社に見られたような気がする。

欧米会社は、あまりそういうのには興味無くて、一撃必殺みたいなやり方が多かったように思う。

だから、B社みたいにぐちぐちとは言ってこない。次のプレゼンの機会を待ってるような感じ。

でも、今は日本会社は逆にC社みたいなのをやってこなくなった。

今、C社みたいなのをやってくるのはアジア会社

中国韓国に限らない。台湾シンガポールタイインドマレーシア、とにかくアジアのやつらはねちっこく仕事を取ろうとする。

そのために手を変え品を変えを怠らない。

もちろん、一つ一つの戦略だのシステムだの企画だのは、まだまだ稚拙だったりする。

でも、B社みたいなのばっかりになった今の日本会社よりも、一緒に仕事をすると圧倒的にきもちよい。

 

ちなみに、日本でもずっとC社みたいなことをやってくる会社も、もちろんある。

ういうのを一番得意とする会社名前は。。。

 

ま、やめとこう。

わかる人には多分、わかるはず。

2010-11-07

映画しんぼる」の正しい解釈ネタバレ

松本人志監督作品の映画しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。








松本人志テレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートーク自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。

映画しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。

では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?

見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。

この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。




解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。

という訳で、正解を探す事にする。

僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。

タイトルを付けるなら「小日本人」

しんぼる」は、日本人海外に対するコンプレックス表現した作品だ! と強く断言してみる。




しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。

バベルネタバレになるが、バベルメキシコ出身の監督脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族子供低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志ナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本馬鹿にすんなと怒ったはずだ。

だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくそ因果関係に理由は無い。また物語舞台となる国の数も同じ。バベルアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ監督恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。

さらに、映画撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラ映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。




次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌフランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。

まず主人公の髪型衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本現代アートのコンセプトそのものである。

バベルカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人イメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。

そして映画クライマックス最後最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図日本が中心となっている。




このように「しんぼる」という映画は、日本日本以外の世界意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語ひらがな表記であるのはそういう理由だろう。

要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画




おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家高須氏によるものなんじゃないかと思われる。




憶測だが、バベル脚本家監督菊地凛子演じる聾唖女子高生イメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーアニメ映画でその様なイメージ女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。

2010-09-11

愚痴も気軽にいえないこんな世の中じゃ

「真面目に学問をやっても報われない社会萎え」というのと、「その社会は間違い/変えるべき」は意味合い違う。

単に気分の上下によって笑ってやり過ごせるときと

すこし愚痴を吐き出したくなる気分の時というのが誰にでもあると思う。

私が入社したての20年前は、いろいろ不満がたくさんあるけれども

なんだかんだ言って時代の流れは国を豊かにする方向に進んでいるという認識が強く、

文句はさんざん言ったうえで「まぁいずれ時間が解決してくれるから頑張って目の前の苦難に耐えよう」

という流れでいつも終わることが多かった。

簡単に言うと、愚痴をいっても、単なる愚痴としてスルーしてもらえた。許された。



ところが、最近の若者は非常に気の毒だと思う。

どうもあまり気軽に愚痴を言うことも許されないのだそうだ。

何か愚痴を言うなら、対案を持ってこい、解決策をとれ、TakeActionだ!といろんなものを要求されるそうだ。

理想はそうだが、それはもう愚痴とは違うのではないか。

いつから愚痴というのはそんなにたかくつくものになったのだろうか。

世の中に、若者にそんなエラそうにいえるような立派な愚痴を言ってる人がどれほどいるのだろうか。



この前飲みにいったとき上司がいうのには、

最近の若者は文句ばかり言って何も自分で変えようとしない」、とか

社会社会のやりかたに文句があるなら変えればいいじゃないか、アクションとればいいじゃないか、

 俺が学生のころには学生闘争で・・・海外に飛び込んで・・・云々カンヌ」というのだ。

どうもこれが納得いかなかった。


そもそも変える役目は、本当に若者仕事なのだろうか。

私は情けないが、目の前のことを一生懸命やるだけで精一杯であり、

社会を変えるために何かを行動したり、会社にNoを突きつけるようなことをしたことがない。

そもそも、上司の世代にしたって、いろいろやったことは認めるが

それが何かを変えたのだろうか。海外に行ったのだって会社の指示ではないのか?

若者自分で何か変えようとするのは難しいのではないだろうか。

意見を言ったりすること、異議を唱えること、新しいことに取り組んでみることなどは若者仕事だと思うが

それを受けて物事を実際に大きく変えるのは私たちやその少し上の年代仕事ではないだろうか。



余談だが、この上司、○○部長なのだが、最近会社を変えるために何をやったのかとやんわり聞き出してみると、

あまりよろしいActionとは言えないようなことしか出てこない。

「毎年海外日本を行き来して情報を得ている」とか (その情報とか危機感を共有しろよ)

「部署替えを定期的に実行して最適な組織構造模索している」とか (そんなことより人間関係が定着するようにさぽーとしろよ)

「高い目標値を掲げて、その遂行のために部署を見回っている」とか (現実的でない目標逆効果では?)

とか。

これに対してまず「どうしたらいいか対案はわからないけど、文句を言う」

ことがそれほどおかしいことなのだろうか。私にはよくわからない。

もっと気軽に愚痴というかNoをいう権利が保障された状態で

みんなが満足できるものを議論することのほうが大事だと思うんだけれどなぁ。

2010-02-10

エセメンヘラより劣ってる私はエセメンヘラを虐めてるらしい。

http://anond.hatelabo.jp/20100209184804

↑を書いた増田だけど、コメントトラバありがとう。

愚痴にこんな多くの意見が寄せられてびっくりやらありがたいやら。

一晩寝て、周りに愚痴ってここ見たら

会社にも問題あるよなーとか、ミスしない様に頑張ろうとか、エセメンヘラはしたたかだよなーとか

復帰したら有給取って旅行にでも行こうとか色々思った。

で、今日上司に呼ばれた。先日のミスの事かとビクビクしてたら

メンヘラ先輩が今度復帰するから、今度は虐めないであげて、仲良くしてあげて」

と言われた。目玉飛び出るかと思った。

メンヘラ先輩曰く

増田さんが冷たい、病気の私を思いやってくれない

私は病気なのに無理な仕事押し付ける…でも「病気なのに仕事平気なのか」と聞かれた傷ついた…ウンヌンカンヌン」

だそうで。

あー困るわー。すごい困るね~どうしようかな~

嫌いって感情が顔に出る事もあるけど、少なくとも業務に関わる事はちゃんと会話してたし

本人が出来ると言った事はお願いしたし、体調が悪そうな時は「大丈夫ですか?」とは聞いた。

でもこの人にとってはどれもダメみたいだ。

無視してもダメ、干渉してもダメ、ならばどうすれば満足なんだ?

と言うかこんなに休んだり休まなかったりして周りに迷惑をかけてるのに

「おかえりなちゃい~みんな心配してまちたよ~今日から皆で仲良くお仕事ちまちょうね~」なんて

言ってもらえると思ってんのかこの人は…

上司メンヘラ意見しか聞かない

どっちに転んでも私が悪役。

八方塞がりで頭痛い。部署変えてもらうしか無いかね…

何でこっちが加害者なのかねぇ…

2009-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20090915103835

そんなことするくらいなら独り言いってたほうがマシジャー。

棲み分け。Aをしたいならこっち、Aじゃないことをしたいならこっち。

既存の枠組みに強引にハメこむのには多少無理がうんぬんカンヌン。というお話

2009-01-30

えええいぇるされむくろにくる

Haruki Murakami が 「エルサレム賞」なるものをもらうことになったとかいう話。

イスラエル人殺しのの悪い国なので、そんなところの賞は、辞退しろ。

黙ってもらうのはけしからん。

検索してでてきた根性のある日曜左翼女史の話をひきあいに出して、

見習え。

とか。ほんとに、やれやれ

情報の少いところで、ほにゃららはへにゃららであれねばならぬ、というような思いいれで、どんぱちやっているわけだ。

まあ、「エルサレム賞」の「エルサレム」にみんな反応してるわけだが、これって何? どんな賞か調べてみた。

Jerusalem Book Festival にくっついている賞ということ、ふむふむ。Festivalのサイトに説明がある。

....

ここからノーベル賞5人も出てるんだね。ということは、ノーベル賞にかなりリーチポジションへのステップでもあるわけだ。そりゃほしいよ。


どんな人が審査員か調べてみた。市長が任命か、なるほど。政治世界だな。ハアレツの編集員とか... 、

ありゃ、エトガール・ケレットが3人の審査員のうちの1人じゃないか。

イスラエル人みんな悪〜い、賞も悪〜い、もらうのよくな〜い」みたいなのってちょっと短絡的じゃないかな、ということで、ちょっとけれっと。

日本語の記事にまともなのがない。

本人のwebsite だ。

http://www.etgarkeret.com/news.html

そこに出てくる最新のLA Times の記事は一読の価値がある。ほんもののドンパチの話だ。

政治文学の話だと、インタビューの手軽なのがカナダ新聞にありますね。でもフランス語 orz

でも、わりにまとまっていて、問題をもうちと繊細に考えられるてがかりかもしれないので半分くらい訳してみました。



エトガール・ケレットとのインタビュー -- いやいやながらさかなにされ(超訳)

Entrevue avec Etgar Keret - Controverse' malgre' lui

Le Devoir.com

2008.5.17/18

http://www.ledevoir.com/2008/05/17/189963.html


イスラエル人の作家であることは楽ではない。たとえその国で左翼であっても。スター作家 のエトガール・ケレットにそのことを話してみよう。パレスチナ人の友人、サミール・エル・ユセフとの共著で『ガザブルース Gaza Blues』を書き、しかし、論争の中で、そして、母国であり今でも自分が住み続ける国に対するボイコットをの中で、困難にもかかわらず、生きつづける彼に。

イスラエルに生きるのは簡単ではない。それは確かだ。しかし、作家にとってのほんとうの国、それは言葉だ。ぼくにとって、ヘブライ語を話せない場所に生きるということは、一種の亡命だ」[...]

イスラエル政府に対しきわめて批判的な彼は、ホロコーストの生き残りである父と母の、反骨精神を受け継いでいる。「両親は、よく言っていた。イスラエルはいくつもの問題をかかえているかもしれない、しかし、少くとも、それは私たちの問題で、そして、それを私たちが告発することを誰も禁止することはできなかった。他の国で、もし私たちが政府に対して抗議の意を表わせば、国へ帰れと言われるだろう。」

世界的に認められた左派作家であり映画監督(伴侶のシーラ・ゲッフェンとの共作による処女作ジェリーフィッシュ Les Medues』は批評界から絶賛され、2007年カンヌカメラドール賞を獲得した)である彼も、論争の外側にはいられない。

最近でも、パリのブックフェ、サロン・ド・リーブルがイスラエルの建国60周年に関心をひくため、同国を招待国としたとき、複数のアラブ系の作家出版社が行事のボイコットを呼びかけた。エトガール・ケレットもイスラエル側の招待者リストに入っていた。「知識人ボイコットを呼びかける、しかし、そこに知性的なものなどなにもない。ボイコットは、あらゆるコミュニケーションを拒否することだ。それでは結局、他人に考えを変えさるチャンスはなくなる。それは、だから、行動としてはとても矛盾に満ちたものだ。」

トリノのブックフェでボイコット騒ぎにあったとか、カナダ爆破予告電話を受けた話とか、中略]

それでも、エトガール・ケレットはパレスチナ人イスラエル人の間の対話の推進者だ。その本 『The Bus Driver Who Wanted to Be God』は、第2次インティファーダ以来、アラビア語に訳されている唯一の本である。とうことは、パレスチナ人はエドガール・ケレットを読んでいるのだろうか? 「ぼくの本のパレスチナ出版してくれる人にそう質問してことがある。彼が答えるに、売れ行きはいいが、でも、読んでるのか、それとも燃やしているのかまではわからない、とさ」。

[彼の本を読んだパレスチナ人の反応とか、いろいろ中略]

エトガール・ケレットは「やむにやまれぬ楽観主義者」ではあるが、文学の力の限界について十分に意識している。「1万冊の本ができることは1発の銃弾のできることの半分だ。建設することより破壊することのほうが簡単だ。書くということは、ぼくにとって、一種のセラピーだと思う。自分の本で世界を変えようなんて思ってはいない。」

未来に対する大きな不安を抱きながらもーー彼はイスラエル消滅の可能性さえについてさえほのめかしているーー、彼はパレスチナ人イスラエル人がいつの日かいくばくかは平和に生きられる可能性を信じている。

[いろいろなるほどと思うことを言ってるけれど、疲れたので後略]



はい。

まあ、イスラエル人といってもいろいろ立場があるということで。

賞とかボイコットについての考えも。




追記 もうちゃんとまじめに調べた人がいたんだね http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090128/p3

2009-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20090125194008

IT業界に未経験で中途入社して1年弱の人間ですが、ネットワークデータベースはサッパわかってません。

コンピュータの基本的なところ(論理回路から始まって云々カンヌン)やハードウェア周りもほぼわかってません。

普段の仕事は主にソフトウェアを作ることで、ネットワークorデータベース関連のソフトには手をつけてません。

そうは言っても知らないとヤバいなーとは思っていたので

http://www.amazon.co.jp/dp/4764902842/

http://www.amazon.co.jp/dp/4891003383/

これらをとりあえずポチりました。あと「ネットワークはなぜつながるのか」も持っていたはずなので読もうと思います。

情報理論では

http://www.amazon.co.jp/dp/0471241954/

がいいらしいんですが、高くて躊躇してます。



全てをカッチリやろうとすると時間がかかりすぎます。

どのように勉強していったらいいでしょうか。

言語は主にC++(最初オブジェクト指向のオもわかってなかったので苦労しました)です。

CはC++に入る前にK&Rとオーム社上下巻の本を読んで一通り勉強しましたが、今ではオブジェクト指向じゃないとまともなコード書く自信ありません。

LINUXは使えますが、emacsキーバインドは全然使いこなせないです。viとか使えないです。つまりその程度です。

二分探索とかキューとかスタックとかバイナリツリーとかリストとかソートの基本的なデータ構造アルゴリズムは一応勉強しました。全て実装したことがあるわけではありませんが。

数学はできます。グラフ理論(離散数学)は入社するまで全く未知でしたが。

2008-08-30

誰も知らない

是枝の「誰も知らない」青山真治の「ユリイカ」は、当時としてはあまりに時代を狙ってるセンセーショナルな感じがしたけど、今思うとその場限りでない問題をきちんと提示してたんだな。

さっきwikipediaで調べたら、主演男優賞しかカンヌではとってないらしい。タランティーノ柳楽優弥の表情にやられてしまったせいだとはいうのだけど、結局は是枝の撮り方がうまかった。役的に彼は表情を捉えられやすいポジションではあるけど、あの作品はお話としては悲しいというかビミョーなはなしなのに、映像にするととってもきれいっていう、撮り手のやりきれないディレンマに意義があると思うんだよな。あの現場はうちの近所だったから具体的にわかるんだが、あの桜をあんなに印象的に撮るなんてすごい。(しかも近場にもっと桜の名所っぽい公園があるのに、都道沿いの街路樹を大写しにするなんて。)

ちなみにあの姉妹が遊んでる公園は、2,3年前の大雨で浸水してしまった。都内なのにね。

ユリイカもそういうディレンマをもってると思う。だからこそ3時間もあるのだと。

ビミョーな気持ちにさせられるけど、美しすぎて何度も見たくなる。だからこそ泣けるのだな。

そういえば、北野HANABIもそうか。「アキレスと亀」はたぶん、北野の中では営業よりも賞取りにかけてる映画だろうし、期待していいのかな。期待したいなあ。興行成績なんて悪くってもいいじゃん。どうせDVD化して、著作権保持期間で子供たちに富が行き渡るんだろうし。それがくやしいなら、ファンド作って、NPVを先に回収してもいいしさ。そういうロングタームで見れば、マニア層に指示され続ける作品は必ずしも商業ベースに乗らないわけじゃない。著作権ってのを認めれば。

2008-07-02

08上半期のベスト映画

シークレット・サンシャイン』で決まり!

チョン・ドヨンの表情の変化が素晴らしい。カンヌ主演女優賞も納得だ。

前作『オアシス』のムン・ソリもそうだったが、イ・チャンドン映画に出て来る女優には驚かされる。

「迫真の演技」という言葉彼女らにこそふさわしい。

2008-04-14

俺教員志望だけど、ロリコン容認するよ

ロリから乱交まで…イケメン教師のエロ恐ろしい性癖

http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/10fuji320080410017/

というか、俺も世間一般ではロリだと思う。

小学生は厳しいけど、中学生とかすっげー好き。14歳から15歳が俺のホームランゾーン

これは「やぁ、この娘っ子はまだまだ若いし、これから俺の子をたくさん生んでくれそうだ」という生物学本能によるものなのか、どうなのか。


そんなことはどうでもいいけど、とにかく俺もロリってことでいいと思う。

で、リンク先の先輩教諭は、実際にダメっぽいもの(「すけべっ子」「ぷちCLUB」「ロリ盗撮」「カナは小学6年生」「無毛宣言」)を持ってちゃったわけだ。

俺のHDにもこんなようなもんは入ってる。お気に入り見たらロリループとか少女カメラが入ってる。

でもまぁ、このへんはセフセフだと思うのよ。予定調和あるじゃん?どうみても30代のおねいさんです本当に(ryみたいな。


問題なのは、ジュニアアイドルリアル子供を取り扱って、商売にしてるほう。

さっきも書いた通り、俺は小学生にはピクリとも来ない。

実習でよく小学校とか行くけど、ションベンクササとかドロクササみたいなもんが実際にあるし、オタまも宣言してっから、「愛でる」って志向性がある。中学生も俺が夢見てるだけで実は似たようなものなのかな。


で、そんな俺でも、ジュニアアイドルとかのモンは勃つ。

いもうと倶楽部」とか行って、年齢が10前後でも、勃つ。

このへんは自分に甘いのもあるかなーと思うけど、こう分析する。


エロく見せることのプロが『エロく見せよう』と作ってるんだから、そりゃエロく見える」


そしてリンク先でいちばんムカついたのはここな。

>教諭は妻と息子2人、娘2人の6人家族

家族全員で参加した音楽会では、ギターを演奏しながら自作の歌を披露するなど家族思いで知られていた。

長身イケメン先生として児童にも保護者にも人気で、

>自らの名前を音読みした「我狼」と称し、2000年には近隣の小学校を巻き込んで太鼓クラブを発足させるなど精力的に活動。

>篠笛を操り、地元紙の取材も受けていた。

あのさー、ちゃんと発散してるんじゃん。自分の「オタカラ」で。

ホントにマズいヤツってのは、こういう「抜きどころ」(うまいこと言った)を分からずに、モノホンに手を出しちゃうヤツだと思うのよ。

そりゃ保護者とか周りの人間にしてみりゃ「あの人がそんなものを!?」「信じていたのに……汚らわしい!!」だろうけどさ。

マンガとか読んでみろよ。

主人公が、自分が犯した過去の過ちを悔いる場面とかよくあるじゃん。で、周りの奴らは、

「それでも、今のあなたが変わるわけじゃない」

過去過去。今は今よ」

みたいになるわけじゃん。これでいいと思うんだけど。



<余談>

未成年売春ってさー、おっさんが捕まる割に、女子校生(変換で一発で出た……)は罪にならないんだけど、これおかしいよね。

麻薬はバイヤーの方が罪重いじゃん。両方に罪があるのは当然として、提供する側により問題がある。さっきのジュニアアイドルもそうね。我が子を性の対象として売り物にする親全員爆発しろ!

未成年だから判断能力が云々カンヌン」ってのが免罪符に多いけど、それは多分買う方も同じ。社会的に責任を持ってて、大会社の幹部クラスとか教頭みたいな人が、ここまでのリスクを背負ってることを分かってでも手を出しちゃうくらい、魅力的なのよ。若い子の体ってのは。

やっぱりこれは麻薬みたいなもんだと思う。責任は両方にある。そして、提供する側の罪が重い。

2008-02-24

「4ヶ月、3週と2日」で超憂鬱になりました。

タイトル映画を見ました。

一番新しいカンヌ最高賞のやつ。

まだ公開されてない(3/1から渋谷で見られる)。試写で見た。

ネタバレになるかもしれないので、内容などに触れた部分は消します。

本題は後半、20代前半女の自分語りです。


なんていうか…登場人物全員にイラっとして落ち込むいい映画でした。

知人はカメラワークを褒めていた。めっちゃ褒めていた。

私もそうだけど、素晴らしい日本映画カメラワークと似たような

意匠を込められていた気がしてそこまで斬新とは思わず…


ユリイカとか、小津映画とか、そっちのほうが個人的には好きなカメラの運び。

なんというか、日本映画カメラワークには呪いがかけられてる。

この映画カメラワークには、魔術がかけられてる。

でも、私がいう「優れた日本映画」のカメラの視点ってなんか「見守ってる」感じがするけど、

この映画カメラワークは「見張ってる」感じがしました。ジトッとした視線というか。

そこが、チャウシェスク政権下のルーマニア云々…をリアルに再現していて云々…で、評価されているんだろう。わかるよ。

お話自体もすごい悶々としてて、どれだけ問題をクリアしても目の前のモヤが晴れて来ない感じの話でした。


これで良かったのか?悪かったのか?ジャッジしてくれる人もいないし、人に話すべきことでもない。

自分の責任引き起こして自分だけで解決すべき、なのに、愛すべき人を悪い形で巻き込んでしまう。

でもこの背負っている「現状」は、巻き込んだ人たちについて後悔したりリカバリーしたりする余裕も与えてくれない。

どんどん追いつめられていく…

現状打破のために少しずつ世間や法から脱線していく…

戻れない所まで来てまわりを見渡したらひとりぼっちだった…

なんというか、映画版プチ「闇金ウシジマ君」を見ているような…

この映画は闇金の話でも、主人公に何の問題もないんだけど…

ちょっとした判断ミスで何かが変わるあたりがなんかそっくり。

気になった人はぜひ見てください。


加えて、私の今の状況にもすごく似ていてすごくイヤな感じでした。

取り繕っているわけでもない、とりあえずなるべくいい手段をとっているつもりが、どんどん悪くなっていくような…


私は、あまり自分が何をしたいかわかってない。

先日、職場の直属の上司に「あなたが何をやりたいと思ってここにいるのか、わかんない。

ただ『ここにいるだけ』のように見える」と言われた。

全くその通りだと思う…。

やれる範囲のことをやってお金を稼いでいるだけと言われればそうですとしか言いようがない。

私はただ軽作業をしてお金をもらって食いつぶしているだけです。

すみません。

でも私は今は出来ることをやるしかない。借金が150万ぐらいある。

それは家庭の事情でどうしても家を出なくてはいけなく、一人暮らしするにあたり背負ったものが焦げ付いたのだ。

ここでの仕事は当面、あと1年弱はやらなくてはいけないだろう。

貯金もしたかったらもっといなくてはいけないかも。

要するにお金のために働いているので、やりたい仕事だろうがやりたくなかろうがとにかくやらなくてはいけない。

幸い、私の仕事は割がいい。風俗関係では全くないが、マトモな感じではない。説明しづらい感じ。

まぁまぁ華やか。華やかで楽で割がいい。周囲から見たらさぞムカつくと思う。

実際「うらやましすぎるから」という理由でマイミク切られたこともある。何じゃそりゃって思ったけど。

その仕事をもう数年続けている。


「あーそーだよ!じゃあ私がやりたいことはここにないのでさようなら!」と言えない私もいる。情けない。

ついでに言うと仕事なくなるのやだから言うつもりもない。情けない。

その目的があれば、それに向かって一直線に進める自信はあるけど、進みたい道がない…

どうやって道を探せばいいのかもわからない…

ただ、今わたしは出来ることをやっていって、そこで得た何かを自分が好きなことにこつこつとつなげて、

同時進行でやっている勉強といつかリンクする日が来るかもと思っているぐらいだ…

上司(厳密には上司ではないのかも、クライアントだ)には

「じゃあどうしろと言うんですか、やめればいいんですか、ここにいてはいけないんですか!?

私は今やりたいことをおおっぴらに流行っていないけど、公言せずに自宅で勉強をしています。

借金もあって自宅で勉強するぐらいしか出来ないけど、したいことに向けて頑張ってます。

こういうことを四六時中言って回らないと納得しませんか?」と言ってしまった。大人げない。

上司は困っている時はアドバイスが欲しいタイプで、私は「困ってもコトはなるようにしかならない」ので、

応援してほしいタイプ。要は、基本的にわかりあえないタイプ


でも実際私には全くどうしていいのかわからない。

「どうか今は見逃してください」って言うぐらいしか出来ない。

(↑それも結局は言わなかった。かっこわる。)

ここ2年ぐらい、こんな感じでずっと五里霧中だ。

「ここにいる人は、みんなやりたいことを見つけてここにいるから、

そうじゃないあなたみたいな人は、人として下に見られ続けるよ」とも言われた。

そうだろう。そうじゃないって言う人もいるだろう。

でもこの人はずっとずっと私がやめるまで心の中でひっそりとそう思うんだろうなって思った。

一番近くの人にそう思われているのは辛いね。

仕事さぼってるわけでもなんでもないのに、人として見下されるのはキツいです。


私には自信のある能力とか、才能とか、そういうのは全くないと思う。

全般において全く自信がない。何かにぶつかる勇気もそんなにない。

出来るのは何かに感動するのと人に少し心を配って優しくするぐらい…。

でもそれでご飯が食べられるわけでもない。

だから、運良くもらえた今の仕事をこなしているだけなのだ。

頼む世界よ。もう少し待ってくれ。

150万を返せばもう少しは動ける。それまで勉強もちゃんとするから。許してください。

お願いします。仕事の割に稼いでるとか言われても困ります。クライアントに言ってください。

ただ単に、その値段で振ってきただけなんです。

最近出来たクライアントはたまたまそのポストに穴が空いたときに、私の顔見て気に入ったから振ってきただけなんです。

採用なんです。ほんとすみません。でも仕方ないんです。

ちょうどその時たまたま余裕あったから仕事受けたんです。それだけなんです…。

私が誰かわかった人、居ないと思うけど、わかっても知らないふりをしてください…

2007-11-08

ウォール伝「生成ユーモアの企て」 を 整形してみる。

ウォール伝「生成ユーモアの企て」http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

2007-11-08 生成ユーモアの企て。CommentsAdd Starmimisemi2007-11-08

アルファブロガーアワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブ
ログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspace
でのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、
推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日社会学のテス
トがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行
く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだ
ったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。

まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうな
って思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々
カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリ
ームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱
していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表され
るわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。

あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメ
ールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなス
ターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本
人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見て
たら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたっ
て思っててください。

人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わ
らず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分
勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、
あ、その前に、「ニューヨークコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、
いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージ
というのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにや
ら凄い感じじゃん。

まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッ
ジの質を高めてるっていうか、オクラホマコミュニティーカレッジだとあんまス
テータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めて
るっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下
みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で
勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコ
ミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを
受けている生活の中で綴るポスニートダイアリー」みたいなね。

ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなっ
て。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻
も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎる
と。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。

あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐ら
く昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートな
んてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できな
かったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。

ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじ
ゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワー
ドに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔
から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリート
とか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本
人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな
人もいるわけ。

ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがよう
は年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、
仕事が無くてさ、んで中国行って電話オペレーターとかやってる人とかいるらし
いけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするっての
とキャリアアップってのもあって日本無駄バイトしてるよりマシってことで行
ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本先進国だなんて
いう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。

それこそ本国仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシ
ってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。
こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命
したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないから
さ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況
的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらな
いわけですよ。

まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアス移民たちと俺を一緒
にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専
門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然
たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベル英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで
留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。

こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとか
いって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たよ
うな資本主義社会で、言語英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを
得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、た
だなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。

こうやって勝手留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にし
ている代行業者とかによるイメージ捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつー
かそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手幻想抱いてる気が
するのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろ
うがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしい
し、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、
状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことな
わけよ。

主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとか
ね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に
書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わってい
ったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず
無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって
凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。

だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界放浪してもダメなんですよ。自
分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考と
かっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトと
かアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわ
け。

この石状態ってのがスッカラカンな石人間留学先で起こるわけ。ただこれは師匠
2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い
話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それ
で変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をな
んかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間っ
てのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違
うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつか
ないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。

だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里
はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。
こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、
隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。

ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりう
るでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイ
メージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思
ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキ
ツイよ。

まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の
世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだ
から別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは
山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんても
のにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色
々と克服できることって結構多いと思うのね。

それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病
かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのっ
て内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじ
ゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃
げられないでしょ。桃源郷社会存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいい
だけの話だよね。

まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なも
のの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわ
けだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準える
と、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教え
に行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識
ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教
科書読むわ。

いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さ
ないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本馬鹿芸能人がハリ
ウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、
書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想という
ものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃった
ほうがよっぽど幸せになります。

ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけ
ど、なんか今回俺のブログノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつ
らしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャ
ープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という
企画主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企
画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法な
どにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログに
は社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。

かなり批判的。逆にちょーメジャーしょこたんブログみたいなのがノミネートさ
れるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。
「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういう
のを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようは
アカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺み
たいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なか
なかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に
出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。

ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー?
Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、
ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたい
なのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。

あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。
それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルス
エレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んで
ノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか
比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけ
の分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってこと
になるわけ。大半の人はこんな感じ。

内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画アワードとか
もそうでしょ。ちょー有名監督ノミネートされてたりしたら、その比較として凄
いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、
オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個
性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だ
けで人々が勘違いするわけ。

で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」
だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれ
かねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思
っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアート
リンゼイライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかっ
たな。

選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。
あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込ん
で、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらも
ミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。

なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との
係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を
与えてくれたんだよね。

ようは独りよがりでやってるようなオナニー音楽をやっているのなら評価なんて
求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェア
できるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって
思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか
前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて
俺には作れるわけがないから。

そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワ
ード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に
出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。た
だ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていう
ことと、何よりこんなブログエントリー主催側が許してるってことだよね。

まぁ逆を言えばこんなブログエントリーを許してるから社会的な認知が得られな
いのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ
他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだった
んで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃな
いかと。

「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか
選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道
徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、
そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。

当たり障りの無いメジャーブログ選出したところで面白くもなんともないからね。
まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えと
か経験を出力できる凄まじくインディビジュアル媒体なわけじゃない?これは逆
にメディアじゃありえないことなわけだ。

そういった媒体キャラクターを利用してアメリカなんかではブログソーシャル
クリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントとい
うか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロ
ガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うん
だよね。俺がアルファブロガーだとはとても思えないけど、ただなんつーかせっか
くネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色
々なことガンガン書いていくべきだよね。

色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値
があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすってい
うね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガン
ガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブロ
グならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。

それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発
達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジー進歩につい
ていってない感じがするんだよね。

ようは人間側とか社会システム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、
テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテク
ノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イ
マイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。

そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。
だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとか
googleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユ
ーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだ
よね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。

具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経っ
てもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと
思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育レベルではアメ
リカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこ
そアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的な
こととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。

少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトで
しょ。それってアメリカレベルが格別高いわけじゃなくて、日本レベルが低い
ってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。

あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日社会学先生がなぜか来なくて、
みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来な
い場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか

まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独
自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう
次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思った
ね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったも
ん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって
思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもう
モノの考え方の差なのかなって気もするけどね。

日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃ
うっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わない
ってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無
いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう
社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカス
タマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作
られている部分もあると思うんだよね。

それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人で
も、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人の
DNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話
題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いた
からいいや。

っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブ
ロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に
出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。
俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自
身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。

あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」
みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん?
あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだ
しいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思う
んだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いて
おくね。

https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html

あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルな
ことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつき
にはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファ
ンキーキンキーアップするとか。

まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最
終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注
意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっ
ていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるとき
に更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書
いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとか
ってよく文章であるけど、最近アメリカでも一人ノリツッコミ存在することに
お笑い普遍的な価値を見出しましたね。

生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモ
アといえば今日学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テスト今日じゃ
なくて良かったかも。

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http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

2007-10-02

大島渚伝説

以下略。難しいや)

2007-05-20

痛み無くして、得るもの無し

http://anond.hatelabo.jp/20070520050503


というのは、よくあるアドバイスかもしれませんが、

関係を進展させたいなら、勇気を出して誘ってみるしかないのでは・・・?


 ○○(場所)に××(食べ物)の

 美味しい店がウンヌンカンヌ


映画よりも食事のほうが

誘い易いような気がするのは僕だけですか。


そうですか。

- 転職ならen
- 派遣ならen
 
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