はてなキーワード: スタートラインとは
某サイトに掲載されたコラムが発端となり、ブログ・SNSに飛び火し、基本的に若者は恵まれているというスタンスで進んでいる論調。
現在の社会はインフラが高度で合理化され、過去の自分たちが費やした苦労や時間とは比較にならない容易さで、クリック一回で実行できる社会。
そこで高い代償を支払わずに、ゆるい連携を持って生活する若者は恵まれている、しかし熱が感じられないので、過去の経験から「夢」と「積極性」を持つことをアドバイスする。
という点、過去は苦労したが未来は明るいという楽観的な先入観はもう通用しない時期に来ているのに、発展した未来のインフラや生活様式に気を取られ新たに発生した問題が見えていない。
見えていないというより「更に発展した未来で解決可能」又は「過去の苦労に比べればやさしい問題」と考えているのでしょうか。
社会基盤が発展すれば、価値観や生活水準が変わりますと言えば、誰もが同意するでしょうが、負の発展(規模の縮小)は誰も経験していないのです。
例えば90年代まで若者のアイテムとして誰もが持っていた車、車離れが叫ばれて久しいですが、都市に住んでいる若者における車の必要性が低下し、代わりに携帯電話とPCを持つようになっただけです。
しかし車の購入・維持に比べれば遙かに購入が容易な端末なのに、PCを持っていない人が大勢いる。00年代初頭における我が国のITインフラ整備率は世界一位ですが、現在は目も当てられない状況です。
PC購入するだけの収入がない若者は携帯で何をしたか、現在ではスマートフォンでかなり情報収集が便利になりましたが、ガラケーと呼ばれる国産端末におけるネット探索能力は前者と比べると劣悪で、利用者は検索エンジンで何かを調べるというより、遙かに狭い範囲でしか活動できなかった。新聞も購入していない、TVも見ない、社員として収入が確保できる30代以上は例え不慣れでもPC位なら即金で購入する事が出来るので、ある程度のリテラシーを培う事が出来ますが、その機会さえも与えられていない。結果情報を持つ人と持たない人の間の格差が広がる。所得が低くなっても相対的な幸福度は昔より高いという人は、かつての新聞とTVから情報を得ていた経験から言うのでしょうが、インターネットで必要な情報を素早く調べて理解するというのが基本となった世の中で、流動的な情報ニュースより固定化されている公的・私的な各制度のアクセスにおいて絶望的な差が生まれている。利益が1与えられるか99与えられるかの差でなく、0か100かの差で生きなくてはいけない。この問題に最初に晒されたのが現在の20代後半。
今の大学生はPCを所持することを半ば義務化されていますが、業務で使用できるレベルでOfficeを使えると認定される資格を持っている人は、2割居ないでしょう。ですが、職安に出されている求人のほとんどはOfficeを最低限使える人間を求めている、でも資格を取れるレベルで教えてくれる高校や大学はほとんどない。高卒は自力で学ばないとスタートラインにさえ立てない。しかし採用基準は厳しくなったのに、現在働いている社員になんら教育を施さない、Excelで文章作成する事の何が悪いかのかさえ分からない。
収入は、小泉改革以降合理化され、事務職は派遣で構成され収入は捨扶持レベルの15万円程度、それでも仕事があればマシと言えるかもしれませんが、今後は労務環境の国際化によって事務職そのものが国外に外注されるのは確実。そして発生する人口減による国内市場の縮小、70年代に隆盛を誇った着物業界の現状の様な事態が各分野で発生するでしょう。
中年が考える未来は必ず発展し、解決されうるものとして存在していますが、今後の日本が進む道はその真逆としか言いようがない。中流のホワイトワーカーは営業を除いて全滅し、高所得者は移民の導入を要求する、対して単純労働者は仕事を取られまいと反対に回る、すでに同じ事が発生している会社もあるでしょうが、これが社会全体で常識となるのに何十年もかからないでしょう。
更に合理化され、余計な費用を払わずに生活できる世の中、しかし収入は少ないのに、最低限のインフラをそろえないと就職さえままなならない世の中、企業では仕事を一から教えてくれないので、自費で各種の専門校に通い勉学する日々、収入のすべてをつぎ込んで遊びなんて全くできない20代、当然お金が足りないので脛を齧れる人は脛をかじり、齧れない人は何年もアルバイトをして費用を捻出して、職歴なしというハンデを背負い戦う。大人は新卒ですぐ就職することが全てでないと高説を垂れるが、そんな人間を雇う気は無い。
昔あった問題と今の問題、問題という意味では等価値で、その大きさは当人には判別できない。過去にとらわれているのはどちらだと。
戦前に生きていた人達は、次の世代に多くの機会を与えましたが、その世代は次の世代に機会を与えない。というのは言いすぎですかね。
学歴は大事じゃないと主張する人は暴力的に分ければ二種類います。
ひとつは、ほんとうに大事ではない人が、学歴は大事じゃないと言っているケース。これは、例えば成功者に多い。つまり溜めがある人。学歴に助けられたという自覚がないから、本当に大して価値がないと思っている。こういう人は、実際なくてもなんとかなる場合が多いので、それでいいです。はした金程度にしか思ってません。
もうひとつは、ほんとうはその人にとって学歴は大事なんだけど、当人にとっては様々な事情から学歴は大事じゃないと言っているケース。こちら側の人はどういう人かというと、例えば学歴コンプレックス。例えば相手を蹴落としたいから情報戦に打って出ている。例えば、前者に感化あるいは洗脳されしゃべるステマになっているケース。
後者に属す人ははっきり言ってダマされてます!世の中学歴は最低条件です。大学出てスタートライン(イコールゼロ)。学歴は大事だよー
まだ誰もいない会場に一番乗り。
適当に座って待つ。
しばらくして一人二人と席が埋まっていった。
俺の前に来たのは、
手足が長くスラっとしている。
これで歯並びが良ければとてもチャーミングな人だと思う。
緊張しているのかこちらに目もくれず、
うつむいていて、
しゃべるチャンスがつかめない。
せめて席に付くときに軽く笑顔で挨拶ぐらいしても良いのになぁと思ったのだが、
きっと人見知りなのかもしれない。
まさか全く興味なしで声かけるなオーラ出してる?
悶々としていたら、
いつの間にか会場は埋まっていて、
各馬スタートラインに着きましたってな具合で、
さらに緊張が襲ってきた。
各馬一斉にスタート!
早速自己紹介。
出だしはやはり緊張しているせいか上手く話せない。
しどろもどろになりながらも、
リアクションはあるけど、暖簾に腕押し的な感じで
向こうから会話を広げていこうという感じが全くない訳で。
うーん、こりゃダメか。
だんだんまるで象に挑むアリの気分なんて、
卑屈になってくる。><
さらにそんな最悪なタイミングで遅刻してきた友人から電話が来ちゃって…。
出ない方が良かった…俺バカ!
難攻不落の城攻めもあっさり撤退、
いや、かなり消化不良な感じ。
よし、気を取り直して、
さ、さぁ張り切って次行こうかぁ!
次!
アウチ!
はい、次!
アベシ!
数をこなす事に慣れて流れ作業化して行って…
なんの手応えも得ないまま一周して自己紹介は終わった…
その後のフリータイムになった。
ここで先ほどの失敗をなんとか取り戻したい俺は、
止せばいいのにもう一度、
でもそこがまた(・∀・)イイ!!
またしても話せども話せども心ここにあらず的な、
そっけない返事。
話してるうちにループに陥って、
しどろもどろになって、
なんて自虐な質問してた。泣
…
なんか余計に傷に塩塗ったな。
HP:0
今回の反省点。
イマイチパットしない服装だったりしてさっぱり自身が持てなかった。
それよりも最近は会話がさっぱりできない。
もとより苦手だったものがここに来て本格化している気がする。
高望み過ぎた?
笑いの神よいつ降りてくる?
天使よいつ微笑むのだ?
「努力の人」とか「成功者」とかいう露骨なキャッチコピーで紹介されることは少なくなってきたとは思うが、先駆者的な役割をかつて果した(今成している)人の話というのは実際価値があるものだと思う。奇抜なアイデアや行動力は、若者がビジネスの場をはじめとした様々の環境で活躍するのに、大いに参考にしてしかるべき部分が多い。
だけど、そういった人の話を積極的に取り込んで自分の糧にし、成長しようとする若者こそ、知っておかねばならないと考えることがある。それは、成功者がそのスタートラインから一つの目的に向けて一定のスピードで走ってきたかどうかは危ういことに気付かず、そのせいで自分自身に無力感を抱くおそれがあることだ。
インタビューや講演というのは、少なからず商業用に加工された言葉をもって構成された、一連の創作だ。なので、「『○○になりたい』という目的をしっかりもってやり続けてきた」と、数年経って語るのは、いわば後だしである。何十年前、その講演者が若かりしころ。グングンと栄養を吸い、学び、考え、経験し、成長を続けていたころ。そのときから、彼はすでに目標・目的を明示的な言葉で固め、自身の未来に向けて据えていたのであろうか。おそらくは違うことと思われる。今になって雄弁に自身の成功や挫折を語る彼が、まさにがむしゃらに走り続けているそのときから、確固たる『人生の目標』をくっきりと頭に浮かばせていたとは考えられない。それは「がむしゃら」というべき状態ではない。目的を達成し、まさに次世代の人間たちの先達となるために自分自身の経験を惜しみなく語ってくれるその人は、語るに連れて気付かぬうちに言葉に囚われ、過去の自分の脳を急激に現在の状態まで成長させた錯覚に陥っているのだ。
きっと、若さや自信に任せて夢中で走り続けているとき、彼の頭の中には言葉にならない願望や感情の断片が粒子状になったものが多数揺れ動いていたのだと思う。ときにそれらは結集し、一つの具体的な将来像を成したかもしれない。ときにそれらは霧散し、彼の眼を曇らせ眩ませるだけの濃霧にもなったかもしれない。でもその試行錯誤のうちに、ときたまチラつく幻のような自分の真意を認識し、直観を追い続けることで、何年後・何十年後に、粒子は密度を増し、振り返って考えたときに、自分が思い描くべきだった青写真がようやっと形成されるのだと思う。時が経った彼らはその写真を認識することで、あたかも若かりし自分はずっと前からそれを知覚しており、それだけを追い求めた健気な青年だったと、過去を振り返るのだろう。これを読んでる人だって、きっと「今になってあのときの自分(彼/彼女)の気持ちがわかった」という経験は何度も何度もしてきたことだと思う。
時が経ち、過去のことを正確に理解し、それを後世のために語り伝えるのは素晴らしいことだと思う。だが、素晴らしいとは言え、今を走る若者に、数年経過後に知覚された経験を差し出すのは、残酷だと言わざるをえない。なぜなら、彼が差し出す『私は20歳の頃こうだった』『君等も20歳のときはこうすると良い』は、本当は数十年分の経験を上乗せしたのちに多少薄めることで作られた「架空の20歳」だからである。
そして、若者がその真似をして自分を知覚しようとしたところで、得られるものはたかが知れている。語られる20歳が隠し持つ経験の差は絶対に埋めることはできないレベルにある。先達の語るかつての20歳と、今を生きる自分の20歳を比べて思うのだ。『僕は無力だ』と。
あなたがどういう人なのかはよくわかった。
「相手のことを考えたり、想像してあげる。」
のが個人的にはコミュ力だと思ってるんだけど、そういう視点で考えてみたら良いかも。
面接官が人事担当だったら、人を雇って現場に配置するのが仕事だ。
面接官の成功は、あなたが無事に会社に入ってもらって、現場でも無難にこなしてもらうこと。
「無難にこなす」には、仕事の理解力とか、周りとの協調性は絶対だ。日本企業は特に。
あなたの言う「コミュ力」とやらがあれば、そのスタートラインに立てるという事だ。
「アルバイトやサークルの、まあそんなこともあるよねエピソード」の増田さん
まあ、トークの内容や雰囲気にもよるけど、貯金エピソードは面接官が他の人に推薦しづらいかな。
あるがままの自分を面接で受け入れてもらいたい、という欲求があるように思えるけど。
あるがままの自分を認めてもらうのは、入社してからでも良いと思うんだ。
面接での15分。内容なんて現場の人の耳には、ほとんど入らないし、記憶に残らないから。
「エピソードの誇張が悪だ」みたいに捉えてしまっているように思えるけど。
「まあそんなこともあるよね」ってエピソードしか持ってない人が世の中の大半だよ。
そういう人達が工夫して協力し合いながら、仕事は回っていってる。
今の状況は大変だと思うんだけど、面接が全てでは無い。
(2012年1月書き直し。文章が長いという意見が多く見られたので箇条書きでまとめ直した)
http://d.hatena.ne.jp/rengejibu/20110830
に対して不満だったのは、記事の内容が、みんな3年くらい前に通過した古い話だったと感じたからです。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51229157.html
(1)学業においてはもはや女性のほうが上。業務においても平均レベルなら女性のほうが上
・学位取得における女性の進出はすさまじい。幅広い分野で男性を凌駕しているのが見て取れる。実際、学位取得者の割合は、北米では男1に対し、女1.4となっている。
(2)フェミの方々は必ず「オヤジズム」を批判し、それさえ解決すれば女性はもっと活躍できると考えている
。折角男勝りの高等教育を受けていながら、それが職場で活かされていないのはなぜなのだろうか。日本における「バリキャリ」女性たちは、その答えを「オヤジズム」とする。オヤジが認識バイアスに基づいて「女性は仕事を続けないものだ」という偏見を、経営に適用した結果、女性の高学歴が職場に活かされていないという
(3)しかし実際はそうなってない
彼女たちにはもっと活躍する権利があるし、社会はそれをもっと後押しする義務がある。
しかし、それを徹底してもなお、邦題のとおり昇進を拒む女性が後をたたない
(4)じゃあ(2)の話だけしていてもしょうがない。むしろなんで(2)の様になってるのかを
勝間和代みたいに頭ごなしに批判するんじゃなくてもうちょい理解してから別の解決策考える必要があるよね。
もう今の話の焦点はこの先にあると思う。なのにいつまでも(2)の話ばっかりされるとうんざりするわけですよ。
ぶっちゃけ勝間さんとかこのフルブライト留学生さんが使うロジックは「こう考えればつじつまが合う」程度のものであり、ただの問題分析。
無数にある答えの一つを引っ張り出してきただけです。
つまり、必ずしも問題を解決する銀の弾丸にはならないにも関わらず、それが答えだと騙される人が多くて嫌になる。
だから、私は(2)止まりの人の主張ってのは嫌いなんです。河合薫しかり本田由紀しかりこの人然り。
あと頭のよい女性の論者って自分の思い込みとか、「○○さんから聞いた」話をさぞ一般例のように持ち出す人多いですね。
http://anond.hatelabo.jp/20110731161324
必要性から組織に属することを要求されてもなんとかいるというだけで、常に他人との乖離感を感じてきた。
俺にとって社会の層というのは自分と、自分以外しかない。そしてどんなに浅はかに見える人間も俺の上の階層にいる。世界には、俺の上しかない。コンビニで買い物をするとき、他人と仕事するとき、オンラインゲームで見知らぬ人とパーティーを組むとき、どんなときも世界に申し訳なさを感じている。リアルもネットも何も変わらない。常に人々は俺の上にいる。
エリートも無職もノマドも、俺から見れば等しく眩しい。ただ、眩しい。俺以外の全てが属する上の世界では、沢山ある薄い層の間で馬鹿にしたり馬鹿にしあったりしているということが彼らの書く文章などから想像できるが、それも含めて全てが俺には眩しい。
「同じ階層の人は同じ場所に集まり、異なる階層の人とは必要のない限りコミュニケーションはとることがない」
それで十分じゃないか。同じ階層の人がいるなんて感覚、俺にはわからない。
Twitter もやっているが、フォローが来たらフォロー返してるだけ。怖い。どうしてこんなに眩しく魅力ある人達が俺に興味を持つのか理解できない。俺の上にいる人たちがどうして俺をフォローなんてしてくるんだろう。そんな彼らがたまに「同じ階層の人は同じ場所に集まるよね」なんて話をする。彼らから俺がどう見えているのか、全く想像できない。俺は息を殺す。泥に身を潜めるように。
(そんな俺が匿名だとある程度はモノを書けてしまう理由 http://anond.hatelabo.jp/20110309111848 匿名だと責任を持たなくていいとかそんな理由じゃない。匿名だとスタートラインを 0 まで "上げられる" からだ。)
ある種のポエムは、書き手が何かを隠蔽したいと考えている時に立ち現れる。書きにくいことを書かねばならない時や、書くべきことを書かずに済ませようとする時、散文は、詩の似姿をとることで、その場をしのぎにかかるのだ。卑近な例では、グラビアのキャプションがそうだ。アイドル水着写真には、必ず編集部のオヤジが書いた似非ポエムが添えられる。「ク・ミ・コ。声に出して言ってみる。ボクの心の日記帳はキミの名前でいっぱいなのさ」こんな詩は単独ではもちろん成立しない。が、グラビアがポエム抜きで成立しないこともまた事実で、結局、グラビアを見ている少年の恥ずかしさは、添えられたキャプションのこっ恥ずかしさで中和しないと解毒できない。そういことなのだ。
格闘技のイベントでも、リングアナウンサーの語りはいつしかポエムになる。「孤独な求道者の鉄の意志とぉー、血に飢えたプレデターの魂がぁー いまぁーリングに連なる獣道でひとつになったぁーーー。宿命と呼ぶにはあまりにもうつくしいー、バーリトゥードの旋律がぁ、いまぁー幕を切って落とされたぁああああ」こういう時、「旋律に幕なんてあるか?」 と突っ込む者はいない。ポエムは、殺伐とした空気を撹拌するための風だ。意味なんか要らない。むしろ、意味は有害。リングサイドの男たちは、あまりにも興奮していて、ポエム以外の日本語が理解できない。それだけのことなのだ。
神様のメモ帳とかまさにそんな感じ。読んでてイライラするのだな。
だから 前の時のように墓を暴いてまで自体を追求する義務はない。
「・・・証拠が見つからなかったら、適当に決めつけろってこと?」
「きみはどうしようもなく散文的な男だな」
終始こんな感じ。めんどくさい。アメリカドラマ好きな人が見たら発狂するレベル。
ポエミィや電波なヒロインと、どこまでも散文的な主人公。奇想天外なヒロインの行動を主人公がちくいち解釈する。
あるいはその反対の中二病の主人公と、現実的な幼なじみ。突飛な主人公の行動をちくいちたたきつぶすヒロインを見せる。
こういった組み合わせによって
人生経験も感性も乏しい読者に対して彼らにでもわかるような卑近な物事を、
電波なヒロインをドラッカーにかえたら200万部オーバーの作品ができることもあるわけでこういうものに対するニーズは根強くあるんだろうな。
もちろんそれ「だけ」と言いたいわけじゃない。ラノベ大好きだし。当てはまらない例のほうが多い。
そしてその人らの多くは、あなたが夢見る年頃より前から行動を持って夢を身体化、具体化してきたのであり、
今の夢見るだけのあなたはスタートラインにぼーっとしてるだけの存在です。
あなたが宇宙飛行士になりたいとして、その夢は達成できますが、
しかし、あなたが思ったとおりの宇宙飛行士には絶対になれない、ということです。
最悪の場合、夢に生きるという決断事態を悔いる時があるかもしれません。
しかし、あなたはそれでも後悔します。つまり、どっちへ行こうとも苦しむということです。
ここで夢を諦めたとき、その夢の成功者に嫉妬するか、心から尊敬できるかは、あなたの心持ち次第です。
それはときに未練だと揶揄されるでしょうが、あなたの余暇を夢の仮想体験に充てるのも、悪くはないはずです。
たとえば野球なら審判であるとか、宇宙飛行士なら研究所であるとか。
もちろんそれらの道は、夢同等の長い道のりになるでしょう。
でも、夢が何らかの事由で達成困難ならば、そちらを選ぶというのも、考えていいはずです。
子供のうちから地に足つけた行動をするのは厳しいかもしれません。ましてや親の不理解、不足が行く手を阻むかもしれません。
でも、早いに越したことはありません。
あなたが天賦の才を持ち合わせていないなら、なおのこと。
その理由をざっと考えてみた。
こんな感じかな。他にもありそうだけど。
サンタのこの話http://www.twitlonger.com/show/7k0gjqのときもそういう反応したやつが多かったけど、
「そんな中途半端な行動はすべきではない、むしろ逆効果」って主張して優越感に浸る馬鹿共が非常に多い。
そしてそんなやつに限って何もしないんだよな。
「しない善よりする偽善」なんていうけど、それがいいかどうかは置いておいても、何もしないやつなんてそもそも善や偽善を主張するスタートラインに立ててないよな。
増田なんかやってるやつに、「ボランティアは自己満足で邪魔」だなんて意見を与えたら、また増田たちが馬鹿な方向に行ってしまう。
ハウツー話から懺悔まで色々これまで書いたが、そんな経験ない。
あからさまに一人だけ罵倒するために一行レスつけてるだろ、ってのに噛み付かれることはあったが少ない。
あってもあからさますぎるやつ。(職場の受動喫煙がきついーって書いたら、「タバコ吸えないインポは死ね」と書かれるような)
ここから本音のターン。
匿名の利点述べると、必ず「自分の実績になるやりがいを知らないからだ」という人が居る。
汚い言い方になるけど、リアルでイケメンとそれ以外のスタートラインが違う世界があるように、ネットイケメンとも言うべき存在がいる。
そういう人は自分のマーケティングが苦にならず、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのにやりがいを感じる。自分名義で発表した方がスタートラインが段々前になっていくし、アルファなんとかや有名Pみたいな存在になって、いい結果をだせる。何故自分のキャラ作り戦略にやりがいが感じられるのかというと、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしてるから、表現したいものとそのための自分の理想形に乖離が少ない。乖離があってもそれを埋めるべく常に努力をしていて慢心しないから自信があり自己崩壊しない。そしてそのやりがいが自己評価を上げることになり、自己評価が上がることで乖離は少なくなり、やりがいを感じ、と循環する。
対して俺みたいな奴は、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしていないから、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのが自分に欺瞞を感じるだけで苦痛でたまらず、自分名義で発表するとスタートラインがだんだん下がっていく。そしてその乖離感からさらに自己評価が下がり、自分を表現する時に自分を偽る恐怖感から「俺はゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな人間だが、許されるなら独り言をここに書く機会が欲しい。」みたいに出来る限りスタートラインを後ろに下げるようになってしまい、それがさらに表現の評価を下げることになり、さらに自己評価が下がり、下がる一方の循環になる。そうなってしまうと、肩書きの利点を捨てて、匿名でスタートラインをゼロ位置に戻した方がまだ自分の表現が受け入れられるなんてことになる。
しかし社会と言うのは不思議で、そんな「ゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな、独り言を言うのも許されないような人間」と自覚している人間の書くものでも、匿名だと人に何かを与える事ができてしまう。そしてそんなトリックのような表現であっても、それで何かが他人に与えられる限り、存在価値を100%否定できない。
増田の文、5,6回読んじゃったよ。もぅ。
とりあえずテンプレートにそって書き直せよ。
まず、「頭の回転が速い」でも「論理操作能力が高い」でも何でもいいんだけど、
ブロック2で定義した言葉の具体的な例。シチュエーションの提示。
↑これがないから以降の話が具体的に何をさしてるのかがさっぱりわからん。
どんな言葉定義しても具体例がはっきり示されないと俺とお前で概念を共有できない。
んで、ブロック3で2で提示した具体例を元に、観察し、抽出された特徴の提示とか考察。
ブロック5で4への解決策の提示
ブロック6で最終的な結論。
みたいな流れでないと論にならない。
増田の文は具体例が一個もないから段落ごとのつながりがさっぱり見えない。
んで、文の最初に結論書いてその後に根拠を書いてるといってるが、それすら出来てないので、
なおさらわからなくなる。
例えば、3段落めの
とか。
本来なら
論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。なぜならば・・・
と、その根拠を述べなければならないところで、「だから」で先に進んでる。
論理操作能力ってのもピンと来てない状況で遺伝的だから訓練しても無理とか言われても、
訳わからんしそのまま、説明無しに先に進まれたらもうお手上げ。
横だが、今時高卒の奴は大概DQNでクズって評価はそんなに間違ってないと思うぞ。
個別の要件は、個別に解決されるべき。
「品行方正だが家庭の事情により止む無く」とか、「飛びぬけた才覚があるがそれが学校教育の方向性とずれている」とか
そういうのは「高卒」というスタートラインが持つ客観評価に対して、個人が付加する「別の評価」に過ぎない。
「高卒」という評価自体を変更するものじゃない。
プログラムの才能に溢れ、フリーのプロジェクトを沢山立ち上げ(参加し)て技術貢献し、そのまま一流企業に抜かれるような人もいるが、
それは「高卒」が評価されているんじゃない。
その人の持つ才覚が評価されているだけだ。