はてなキーワード: セラピーとは
等である。
行く末は一人ぼっち。
そんな恐怖な妄想に囚われて一人悩み続けるしかないのかと死にそうになる。
とにかく全く誰にも相手にされない寂しい状態になってしまいそうで怖い。
その恐怖心から、
つまらない発言をして嫌われたくない。
↓
↓
焦るばかりで何をしたらいいのかわからないし、相談できる相手もいないし。
医者にでも行くべきだろうかと何度も考えた。
でもネットで探すとセラピーだの、なんだのと、的確な指示がもらえそうもない怪しげな場所ばかりあって、悶々とした日々を送るのが現状だ。
そこで2、3年前に購入した本を引っ張り出してきた。
どっちも同じ作者による本で、一冊は症例集、一冊は改善集である。
思えばここ二年間やってきたことが、原因になっていることは確かだと思う。
前職では二年間職場の人間関係で悩み、無言の日々を過ごしてきた。
安月給のため週末を家で過ごし、ネットのチャットだけが唯一の会話だった。
また、去年別れた彼女には、毎日元彼の話しから、その他大勢いろんな人の自慢話を聞かされた。
最後はこっちから切ったが、そこからしばらくモメてかなり憔悴しきっていた。
現在の仕事はまた暇で、指示が遅く、上の人間は愚鈍で、つまらないコードの解析ばかりを行なっている。
そのため一日中ぼーっとWebを見ていたり、青空文庫読んだり。
会合などでは大して興味が持てないので、うなずいて聞いているふりだけしている。
大体人と合うのは苦手だけれど。
でも以前はもっとユーモアがあった気がするのに、日々楽しく飲んで誰とでも交流できたし、会話中に色々イメージしながら話していた気がする。
少なくとも今よりはずっと社交的だったと…思う…思いたい。
今は話していても全くイメージが湧いてこない。
そんなわけで、2冊の本で改善を試みようと思う。
この本によると、前頭葉を鍛えることによって、上記の問題が改善するみたい。
効果はあるだろうか。
そしたら…死ぬしかない。
妄想メモ書き。論点多すぎてぐちょぐちょ。もうちょっとまとまったらちゃんと書く。
ソーシャルゲームに求められているのは一般的な意味での「承認」とは違うと思う
むしろネットとは承認を求めてやるものだ、みたいな考え方に対する
アンチテーゼ・・・ではないが発想の転換すら行われていると思う。
篠房六郎さんのネトゲ関係作品は今だからこそ興味深いと思う。特に「空談師」。
元来ネトゲというかネットワークのコミュニケーションに期待されてたこと、およびその問題は
しかし、現実において、ビジネスとして資本効率を追求したときに
「篠房六郎の思い描いた可能性
(現実の大半をゲームに持ち越すほどにヘビーゲーマを中心としたコミュニティ構築)
作者自身もこの路線を放棄していることからも、こっちの可能性はもうないと思う。
作者は、ビジネス的な面からゲームを考えてなかったよなーと今から読み返すと思う。
⇒安っちい承認欲求というか視線欲求を満たすだけなら小町で十分なんだ。
ネットでは得られないというのはもうコンセンサスになりつつあるんじゃないだろか。
⇒ソーシャルゲームでは
承認を目的ではなく手段とする(承認=仲間になればお得)という発想の転換があると思う。
仲間づくりはあくまでそうしたほうが便利だからそうするだけ。
⇒この発想の転換はビジネスを運営する側の都合から生まれたんだろう。
「仲間」の部分をすごいグラフィックや濃密なコミュニケーションを演出しなくていい。
むしろ単純なステータス化して極力力を入れないことで、低コストでサービス運営できる。
しかし、今のヒットを見てると、これが正解なのだと思う。
他人はそのきっかけ程度の重みしか求められてないんじゃないだろうか。
本当に飢えているのは自分の価値とかよりも、とにかく自分を楽しませてくれるもの。
自分のやってることに後暗さを感じなくていい場所というか。ここがうまく説明できない。
⇒自己完結ができるということは、それだけお気楽な、深く悩まなくて良い社会を想定してるはず。
昔の古き良きRPG、ネットワークビジネス的な雰囲気。
これらは「昔の楽天的な高度経済機の日本」という幻想の代替物みたいな。
⇒そういう「何も考えずにただ目の前のボタンをクリックし続ければいい」仮想社会を
つくろうとしたのがソーシャルゲームだとすると、実際のところは非常に不完全。
グラフィックというよりも、ゲームデザイン側に深刻な問題がある。
成長がすぐに限界に行き詰まり「増資=課金」をしないと成長できない。
しかも増資をしても、そのリターンが帰ってこないというところで現実との乖離が生じる
本当にずっとやりたいなら、増資=自分で投資をした分の見返りが必要。
⇒この問題を解決するためには
「リーダーシップとして一番大切なこと」という本に書いてあった
「ステージ乗り換え」によって成長を持続する仕組みが必要。
チャレンジできる、ということが求められるだろう。
⇒現状はどのゲームも似たり寄ったりだ。
別にパクリとかなんだとかは好きにしたらいいが、レベルが同じで
これでは「時間つぶし」以上にはなれない。
男性向けの自己啓発本は、「マインドマップ的読書感想文」に代表されるように、肉食的なガツガツしたやつとモテ系が多い。キャリアアップや成長曲線が前提。
女性向けはどっちかというとスピリチュアルであったり、今を楽しく生きるとか身体を健康に保つとか、若い状態をキープする横ばいの曲線が基本。
男性と違って20歳あたりからすでに老いを恐れ、その対策を強いられる女性の感性からしたら当たり前やね。とにかく人生計画とは無縁。
一時期勝間和代が、この女性の傾向に対してリベラルな存在として立ち上がったけど、やっぱり長続きしなかった印象。
どだい、自分のキャリアのためなら離婚も辞さず、くらいの覚悟がないと、長期的な人生計画、キャリア計画を維持することが女性には難しい。
肉食系と言われる人たちでもせいぜい和田裕美とか佐藤なんちゃらさんくらいがちょうどいいレベルのようだ。
ちなみに、これは一般的な女性向けの話で、昔から勝間さんのようなスーパーウーマンというのは一定数存在する。
彼女たちはもともと「名誉男性」と言われるように男性以上に男性的なので、女性向け自己啓発書など必要としていない。
・私がわたしになれる本
・人間関係がうまくいく本
・鏡の法則・スピリチュアル系(江原じゃなくてバシャールみたいなやつ)
などなど。こういうのを眺めて憧れを抱くのが基本。
アメリカでは、母が転落死した子供が、人形でその様子を再現した。
子どもたちはときに、大人が考えつかないほど残酷な行動をとる。
だがけっして、子どもたちがおかしくなったとだけは思ってはいけない。
非言語的なコミュニケーションを中心としたプレイセラピー(遊戯療法)やアートセラピー(芸術療法)では、人形遊び・粘土細工・絵画・ゲームを用いた創作行為(表現活動)によってカタルシス(感情浄化)の効果を引き出し、虐待状況を遊びの中で再現することによって自己洞察(アウェアネス)を深めていきます。トラウマの問題を解決する為に実施される遊戯療法(プレイセラピー)を、「トラウマを受けた後に適用する遊戯療法」という意味でポストトラウマティック・プレイセラピーと呼ぶこともあります。その場合には、室内の安全性と玩具の選択が十分に配慮されたプレイルームで遊戯療法を実施し、子どもの内面的な感情や虐待的な家族関係を『遊びの内容』で象徴的に表現させるように工夫します。
どちらの事例も照らし合わせると、奇妙でおぞましい遊びではなく、子供たちが、トラウマを克服しようとしていることがわかる。
肉親を失う、たくさんの人が死んでいく、そういった過酷な状況は、大人ですら平静でいられない。
精神の平衡を乱し、一時はふさぎこむだろうし、そのまま立ち直れない可能性もある。
子どもなら、なおのことだろう。
同じトラウマに対し、ある人は泣き叫び、ある人は怒り狂い、ある人はふさぎこむ、というように、人は実に多様な関係を築く。
今回の地震では、多くの人の日常が、命が、はかなくも崩れ去った。
受け止め方は、さまざまある。
いいねえ こういうのおもしろい
でも、セラピー人妻増田にこういうの書かせたリアルな事情はなんだろなって
思うと、ちょっと怖いね
増田さんこんばんは。
昨日は大変お世話になりました。
増田さんのペニスが膣内に入ると、とても温かく穏やかな気持ちになり、いつも胸にあった「死にたい」という気持ちが和らいでいました。
ペニスが入ったまま抱き合って動かないでいるときに、とてつもない安心感が胸いっぱいに広がる瞬間がいちばん好きです。
女性の心と身体の健康のため、増田さんご自身が体を張って治療に尽力されているお姿には頭が下がる思いです。
さて、セラピーですが、旦那が急に出張となりましたので、明日の夜などは空いておりますでしょうか?
増田さんのセラピーで少しずつ回復してきておりますので良くなるまで続けていきたいと思っております。
増田さんのセラピーを受けると、鬱がよくなるので病院でもらっている抗不安薬をお休みできます(笑)
お返事お待ちしております。また料金は事後振込みでお願い致します。
なかなか書けずにいたら似たエントリが出てしまったけど、釣りじゃないです。
http://anond.hatelabo.jp/20100820021613
最近父が死んだんだけど、息を引き取ったときほっとした。
私は殺されずに済んだ。殺さずに済んだ。
そして父は誰も殺さずに済んだ。
父はいわゆるDVだった。
物心ついた頃の記憶は、もの投げの標的にされて泣いている自分だった。
あらゆるものが飛んできた子供時代だった。もちろん殴られたし蹴られもした。
母も同じ目にあってたから、暴力は毎日あるものだった。
少し大きくなって、この事態をなんとか避けようと努力はしたのだけど、
避けられないんだよね。外で、仕事で、嫌な目に遭うと家族に向かって爆発するんだから。
避けられないなら止めるしかないと思って、今度は抵抗してみた。
すると抵抗者=敵と認識されて敵の敵は味方になってしまった。
私が交通事故にあった時の加害者へのバックアップなんて、熱烈歓迎だったよ。
漸く大人になって母と二人で逃げだせる時になって、問題が起こった。
そのクッションである私たちがいなくなったらケンカ沙汰で人を殺したりしないか?
「殺人犯の元妻と娘」に世間は甘くはない。
逃亡は出来かねた。
それからはどう父と折り合いをつけるかに重点を置いたんだが、
これが至難の業だった。父の思考回路がみえないのよ。
考え方、理論の立て方が普通と全く違うと気付くまでに大変な時間がかかってしまってた。
以降父への意思疎通を試行錯誤して色々やってみた。上手く行った部分もあるけど、通じなかった部分が多かった。
今から数年前に「発達障害」の事が新聞なんかで取り上げられた。
読んだ時母と二人で「これだ!」って叫んだ。
何故普通なら伝わる言葉がつうじないか、何故他の人とは似ても似つかない反応が返ってくるのか、
積年の疑問が漸く解けた感じだった。
でもそれで病院を訪ねてみようとならなかった。
薬で治るものでなし、父も年だから今更変わることもできないだろう。
今までの試行錯誤をまたやるなんて、私は耐えられなかった。
そしてそのまま時は過ぎて、今年父が死んだわけだけど、
このブログを読んで医者やセラピーに行く事の重要性を改めて認識した。
「意味不明な人々-発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/
父の入院中、意識が朦朧とした時に、譫言で演説を一日中ぶったことがあった。
内容は近所の集会でやった議事の説明。短いから途中で急に最初に戻って、壊れたレコードみたいだった。
それを大声で、陶酔しきって話し続けてた。
それを聞いて思ったんだ。話が通じないと感じていたのは父も同じだったんじゃないかと。
自分の話が通じないから誰も話を聞いてくれない。
この譫言でしている演説は、珍しくみんなが耳を傾けた父の話だったんじゃないかって。
議事説明なら、みんな聞くわな、仕方なく。
今まで父の事を変人と思ってた。
それは間違いないんだけど今考えると、父にとっては周りの人が考えの通じない変人だらけだったのかもしれない。
父は私の事を昔から「このキチガイめ」と罵倒していたけど、父からはある部分がそうみえていたのかもしれない。
父にしてみれば、孤独だったかも。
自分の家族がどうもおかしい、変だとおもっている人は少なくないと思う。
私は「思考の仕方が違う」というただそれだけの事に気づくのに数十年もかかったけど、
対処の仕方が分かれば、ひょっとしたら相手も、自分の対処方を考えてみる気になるかもしれない。
夫婦なら別れればいいけど、親子で縁を切ることが出来ない人は是非相談にいってくれ。
私、父への対処方では徹底的な理詰めでやってた。
それしか方法がなかったからなんだけど、上のサイトを読むと
最もマイナスのでない対応らしいので、それだけは救いだったかなと思う。
父も少しずつまともになってきていたし。
だから手遅れって事はないと思う。
みんな、がんばれ!
書いてるうちに色々思い出してしまって、踏ん切りをつけるためにがんばれ!とか書いたけど、
頑張る必要はないと思う。努力があんまり通じない相手だし。
でも誰かに相談する事は必要で、発達障害では?と切り出せば相談のきっかけになると思う。
こういう話は相談しづらいんだよね。私も父の事はあまり話さない癖がついていたから(だってどう話す?昨夜も殴られましたとか?)
何をどう話して良いのか見当付かなかったから。
よくわかるなー
うちの母親は中卒で庭弄り以外に特に趣味もなくて本も読まない人で、科学系の知識全然無いし難しい漢字読めないしPCなんて全く触れないという人なんだが、宗教やカルトやネズミ講の類に対する判断が恐ろしく敏感でそういうものに絶対近づかない。
近所には、高学歴で勉強熱心なのにカルトや変なセラピーにはまりまくってる奥さんが数人いて、母親にいろいろアクションかけてくるんだがまったく動じない。奥さんたちはそういうのに集団ではまるので、うちの母親がスルーしまくるからはぶられる原因になったほど。
母親はモノを知ってるかという意味ではあきらかにかなりの情報弱者なんだけど、多分世の中にそんなに夢見がちで自分にとって都合のいい事は無いとわかってるんだよな。情報弱者かどうかと、引っかかりやすいかどうかはまた別の問題なのかも。
話しているうちに一方的にまくし立てられて、自分を否定されて唖然とした。
ふつふつと怒りも沸いたし、彼女に対して嫌悪感を抱くようになった。
もちろん、私にも落ち度があったんだと思う。
それでも納得できないことが多いし、気持ちのやり場がなくてやり切れない。
そもそも自分を否定する人を肯定的になんて見れるわけないよね。
とりあえず「セラピー」とか「癒し」とか彼女が連呼しているせいでそれに対して嫌悪感を抱くようになった。
それに関わるみんながみんな、彼女みたいな人ではないとは頭では分かっているんだけどね。
友人にもセラピー関連の勉強をしたいっていう子がいるけど、何無駄なことやろうとしてるんだろう?としか思えなくて応援できない。
一度嫌いになったら視界にも入れたくないので、今後改善されることはないだろうな。
しばらく彼女と仕事上でやり取りをしなければいけないので、体調だけ崩さないようにする。
もう何度か崩してるんだけど。。。
今回のやり取りが終わったら、先輩にバトンタッチできるので頑張る。
あー、本当に嫌いだーーー。むかつく。
私の場合は、症状はもっと軽度だったんだけど、アメリカにいたころ、
何回か日本人セラピストにみてもらった。ほとんど効かなかったな(笑)。
すっごい高いから、罪悪感はたしかにあるよね。
自分語りしか出来ないので悪いのだけれど、
考えてみれば、セラピーみたいなもんだ。
アイデンティティを取り戻せ! みたいな。
歴史は、固い岩盤のようなもので、
掘って掘って出てくるのは、まぁ大体「モノ」であるからして、
人を裏切ることがない。人間の世の中が続く限り、
おそらく永遠、絶対のものだ。(もう終わってるし。)
趣味は悪いが、死人の声を聞こうとするのが、
なにかそういう、「確かなもの」があれば、
心のanchorになるのじゃないか。
あと、水村美苗さんの『私小説』は帰国子女に絶大な癒し効果がある。
私は二ページごとに泣きながら読んだ。超オススメ。
僕は昔から小説家になりたかった。小説でなくとも、何か文章を書いてメシを食いたかった。
世の中には物書きになりたいという人間が腐るほどいる。僕もその腐った残飯の中であることは違いないが、しかしその夢を捨てきれずにいる。
今年、4月にある小説の賞に作品を送った。僕が生涯で完結させた小説では2作目となるものだった。今まで沢山の完結しない小説もどきは書き綴ったが、なんとか完成させたものではふたつめである。
先日、1次選考の結果が発表され、稚拙な我が作品は何とか残ってくれた。僕の書いたひとつめの作品は、とある文学賞に投稿したのだが、そちらでは箸にも棒にもかからず、下読みの段階で落選してしまったわけだが、今回は何とか生きながらえてはいるようだ。
こうやって、我が作品が落選してしまうかも知れないというやきもきした気分で毎日を過ごしていると、何故自分が小説家になりたかったのかを反芻せずにはいられなくなる。そもそも、僕にとって小説は本当に大事な存在であった。
僕は小さな頃から父親に暴力を受けて育った。言動でも行動でも、つまりそのどちらにも暴力の力が伴っていて、僕は文字通り精神的にも肉体的にも鍛えられてきた。父親はアル中だが、この話には関係ないので省く。
そんな鬱屈した毎日の中で、中学生くらいの時に本気で自殺をしようかと考えたこともある。自殺の方法をいくつか考えている内に、生きていることがくだらなくなってきて、同時に自ら死ぬことのくだらなさにも気付かされてしまい、感情が空白になってしまった。
誰かと話していても、楽しくはなく。勉強やゲームに没頭していても楽しくはなかった。何だか、全部流れていくだけの白昼夢に思えて仕方がなかった。
醒めてしまえば、全部が存在しないんじゃないか。なんて意味もなく思ってしまっていた。
僕はそんな風にして、幼少期を過ごし、共に遊ぶ「友達」と呼ばれる存在もいくつか出来たが、だけど友達ってのが何なのかよく分かっていない。それは未だに理解が出来ない。
辞書を引いてみれば友達というのは――親しく付き合っている友人。友。――だなんて説明されているが、『友達』なんて言葉を『親しい友』だなんて同意義としか思えない言葉で説明している辞書ですら、酷く滑稽に思えた。
意味が分からなくなってきた僕には、本当に心が許せる友人は存在しなかった。過去形で表されているが、だが、今でも本当の意味での友人はいないのかもしれない。
同時に、僕には本気で好きになったひともいなく、「ああ、もしかしたら彼女のことが好きなのかも知れない」と考えても、何故、好きなのか? と考えてしまうともう駄目で、顔が可愛いだとか、振る舞いが華麗だとか、性格が良いかも知れないだとか、そんな曖昧な理由で人を好きになってしまうなんておこがましくないのか? と勘ぐってしまう。こんな浅はかな理由で人を好きになるならば、別にその人じゃなくても良いハズだ。とも思う。
もっとシンプルで良いハズだ――とも、確かに思う。好きだから、好きで好きで理由はないだとか、そんな風で本当は良いのかも知れない。
そんな諸々の世界に対する訝しみ、この世界と付き合う方法を考える時には、どうしても脆弱であっても――言葉が必要だった。
僕はある日、こんな恥ずかしい話はないだろうが、中学校の頃に学んだ夏目漱石の「こころ」の抜粋部分(確か授業中には抜粋部分のみだったはずだ)を読んで、初めて文章を読むことの意味に気付かされた。「大造じいさんとガン」を読んでも気付かなかったが、「こころ」で気が付いた。
鮮烈でめまいがするような秀逸な筆致が、その頃の僕には酷く輝いて見えた。夏目漱石なんて、千円札でしか知らない人だったけど、彼が何かに煩悶しながら世間に訴えたいことがあるということは幼い僕にも分かった。それは幼少期の勘違いであったかも知れないがね。
それからは、様々な小説を読んだと思う。世間の読書好きの人々には決して敵わないだろうが、それでも本は読んでいた。昼休みや授業中や帰宅後も、暇があれば読んでいた。
ここでは、誰の小説を読んだとか、どこそこが良かったとか、そんな無意味なことをあげつらう気はない。ただ、僕が重要視したのは『本を読んで考えること』であった。
だけど、間違いだったかもしれない。
余計な言葉知識が頭に埋め込まれてしまったせいで、余計に僕は生きていく上で悩んだり、無意味さを噛み締めたり、そんな感慨を抱くことが多くなってしまい、なんて生きていくのは切ないんだ。と物思いに耽る中二病患者になってしまった。
今は、社会人として仕事をしているが、自分が雇われている企業での僕のこなす業務というのは、僕以外の何者かが代行しても全く僕と変わらないレベルでやり遂げることが出来るのではないか、と思う。当然ではあるが、大抵の仕事はそうだ。
地下鉄の駅を降りて、ホームからの階段を登り、世間の人々の波に埋没していたら、すごく自分が存在していないんじゃないか? なんて思ってしまう。
恥ずかしいことだ。だけど、こんな風な思考回路を構築してしまったのは僕だ。僕が悪いのはよく分かっている。
だから、そんな自分に対するセラピーの意味合いもあるかも知れないが、僕は文章を書くことで精神の安定を得る。実際は何でも良い。文章だったら何でも良い。ブログを作って意味の伴わない単語を羅列したっていい、誰にも理解されない主張を標榜してもいい、だけど何か考えていないと、何か書いていないと、僕は本当におかしくなってしまうんじゃないかと、そう感じてしまう。
だったら、もうそこまで来たら、僕は仕事をやめて、実家に帰ってニートをやって、インターネットの世界に没入して、日々を食い潰して、そのまま死んでしまった方が良いのかも知れない。その方が、誰の毒にも薬にもならず、迷惑を掛けないまま、緩やかな自殺として完遂出来るかも知れない。
だが、親に迷惑を掛けるのも嫌だ。これは我が儘に違いないが、僕は誰にも迷惑を掛けたくないのだ。自分以外の誰にもに、人畜無害な存在であり続けたい。本当に自殺するなら立ち入り禁止の富士の樹海へコンパスを持って行く。
そうした曖昧模糊な思考の行く末は、誰しもが抱く物書きになりたいという夢だった。
結局、こうなってしまう。馬鹿な邯鄲の夢だ。
実際、小説家の仕事についてはよく分かっている。自分の書きたいことを書けずに職業として編集者に指示を受けながら書かねばならないことや、サラリーマンよりも低い年収で、しかも売れなきゃゴミだと評価されることも分かっている。
それでも、こうして文章を書くことに意義を見い出すことが出来るのは、個人的に素晴らしく有意義に思える。自分が真っ当に生きていく結論としては、小説家になることが最も分かりやすくてシンプルなんじゃないかと、そう思った。
先述した――恋はもっと、シンプルで良い――なんて青臭い科白は、そのまま僕の文章に対するスタンスに直結している。
もっと、シンプルで良く。僕は心の底からシンプルでありたいと思っている。
だから、小説家になりたい。そう思って僕は文章を書き続けている。
元増田です。
最初の話は、知人の話が半分、自分の話が半分です。
id:shimaguniyamato ネタ たぶんそれはそれで充実している。逆に親友や恋人がいなければダメとするほうが、リア充洗脳を受けてる部分もある。
後半の洗脳の所は同意です。
id:key_potpot 8割くらい共感した。暴力のあるなしに関わらず、幼少の頃に縛られてきた人は、こういう考え方に落ちつく。リア充を羨ましいと思う反面、自分がそのような立場になっても、きっと喜べないだろう。
仰るとおり、いわゆるリア充になりたいわけじゃないという気がします。
id:yura_saito 人生, 心理 現在の環境を一時的にでも逃れて洗脳解除できれば、回復する可能性はあるでしょうね/どっぷりつかってしまってると逃れることそのものが意識外かもですが、それでも外には違う世界もある
逃れることそのものが意識外、っていうのがまさに学習性無力感なんですが・・・
違う世界の存在は分かるのですが、自分を活かすという考えが乏しいので
そっちに行こうという意志を持つこと自体がハードルになっているようです。
そこが最大の難関です。
id:bookmarker98 強烈な何かを求める方法を手に入れるしかないか。創作表現に手を出してみるのもありだと思う。何か作ってみたら?
創作表現って、表現したい、伝えたい、みたいな自己主張とか承認欲求とかがなくても
効果があるでしょうか。いちど、セラピーとか訓練の一環として試みることにします。
muddy muddy 学習性無力感を克服した人間の独り言ですが、自分だけが不幸なのではなく不幸な人間というのも腐るほどいるので、自らを客観視して何が異常でダメなのかを把握して行動を速やかに開始する事。
これは克服できるんですね。もし差し支えなければ、一番最後の
「行動を速やかに開始する」モチベーションをどのように生み出したのか、
そこを是非お聞かせ下さいませんでしょうか。
サバイバーからスライバーへの転身に関する情報があまり見つからなくて困っています。
http://anond.hatelabo.jp/20090627161243
「ヴィパッサナー瞑想」調べてみました。妄想が止められるとしたらすごい方法です。
日々のプチ・フラッシュバック(笑)を止められたら、違う人生を歩めそうな気がします。
ありがとうございました。
俺なんかそれで、感情自体が全然わいてこなくなってるよ。無表情だし。
どこへいても何をしても自分がそこにいるという実感がなくて、いつもそれを客観的に見てる自分がいるし。
今週からちょっとセラピーうけてくる。
二十代前半までに読んでおけば勝ち組になれる本
神田昌典「非常識な成功法則―お金と自由をもたらす8つの習慣」
石井裕之「 「心のブレーキ」の外し方~仕事とプライベートに効く7つの心理セラピー~」
斉藤一人「ツイてる!」
苫米地英人「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方~「クリティカルエイジ」を克服する加速勉強法~」
トニー・ブザン「ザ・マインドマップ」
ロバート・ディルツ「ロバート・ディルツ博士のNLPコーチング」
ポール・R・シーリィ 神田 昌典「あなたもいままでの10倍速く本が読める」
五日市剛 矢山 利彦「ツキを呼ぶ「魔法の言葉」―幸せになる!お金が舞い込む!病気も治ると大評判」
ジェリー・ヒックス、エスター・ヒックス、 吉田 利子「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」
ブライアン トレーシー「ブライアン・トレーシー 100万ドルの法則」
江本勝「水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ」
望月俊孝「幸せな宝地図であなたの夢がかなう―きっと! 今日から人生が変わる」
野口嘉則「鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール」
アンソニー ロビンズ「一瞬で自分を変える法―世界No.1カリスマコーチが教える」
本田健「きっと、よくなる!」
ニール・ドナルド ウォルシュ「神との対話―宇宙をみつける自分をみつける」
本田直之「レバレッジ・シンキング 無限大の成果を生み出す4つの自己投資術」
J.マーフィー 大島淳一「マーフィー眠りながら成功する」