そんなに弱肉強食じゃなかったよ。メンバーにもよるんだろうけど。
増田よりも安いとこで、ノリが学園祭みたいだったけど、おおよその流れは同じだった。
このくらいの競争率だと「自分から女子に声がかけられない根暗系」が余ってしまうだけで、
見た目△、話たどたどしい、けど自分から積極的に話すタイプなら、普通にカップルになってた。
まじでこんなとこまで相手見つけに来ている女子って、合コンより甘いと思うんだけど。。
ちなみに、合コンとちがって、はっきりと、何人に興味をもってもらえたか、というのが出てきたりするから、
プライドの高いナルシーはへこんじゃうかもね。
先日失恋した。
オレ「好きです」
彼女「しってる」
オレ「君の事をずっと好きでいていいの?」
彼女「別にいいんじゃねーの」
オレ「それってつきあってくれるってこと?」
彼女「いや、それはない」
オレ「え?今後は?」
未来永劫勝ち目の無い戦いなんて出来ないよ・・・
失恋して落ち込んでるところにとどめの一撃として
「諦められる程度の恋で愛してるとか言うな」
と怒られた。
オレはどうすりゃいいんですか・・・?
ちくしょう連休初めての海外旅行なのにこんなタイミングで出るなよー。連休とはいえ休みとるのにどれだけ苦労したか・・・!休み明けだって早速出張予定あるのに万が一感染/隔離コースなったらどうしてくれよう。
よく企業の採用面接ではコミュニケーション能力が一番重要という。
根っからのコミュ強者には何の問題もないだろうけど
コミュ弱者が採用面接で「コミュニケーション能力がある」ことを
前職での具体的なエピソードを踏まえてアピールするには
のどちらが面接テクニックとして有効だろうか。
実にくだらない論争?というか口喧嘩をしてる大人げない大人たちが。
Dan Kogai氏がやばいと思うただ二つの理由
正直パソコンがヤバいとか、ネットブックがヤバいとかどうでもいいんだよね。
そもそも、ネットブックってパソコンだろうが。ある意味で携帯もパソコンだし。ある意味じゃなくてもそうだろ。
いっこうに議論が交わらないのは、ソフトウェアとハードウェアの両面から議論してないからじゃないかな。
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まぁ、小難しい話は置いといてとりあえず適当に分類したハードウェアに基づいてみてみると
おそらく、これがヤバいと言われてる”パソコン”の代表格でしょう。
「デスクトップが淘汰される!」とか「ノートパソコンが出てきたからデスクトップは不要」とか言われて久しいけど、デスクトップがなくなるということはしばらくないんじゃないでしょうか。一般ユーザーレベルでは分からないけどオフィスなり大学なりでデスクトップパソコンを使わなくなるのはちょっと想像つかないかな。
なぜなら、デスクトップパソコンはやはり指摘されているように作業するのには最適な構造であるから、というか設計思想、製品の由来からそういうものとして設計されてきたから。
どんなに発展したとしてもどう考えてもケータイで論文は書けません。メールはできるでしょうが仕事はできません。
プレゼンもどう考えても作れない。
ただ一昔前みたいにデスクトップにしろ、もしくはノートパソコンを加えたとしても一人一台という時代は結局来ないだろうね。
そういう意味で予定が狂ったという点ではヤバいと言えばヤバい。でもやっぱり作業をするものとしては残るでしょう。
何がガラクタって、ネットブックとか言っておいて、ネットがやりづらい。画面小さすぎワロス。
OSも同じの乗っけてるしただ単に一昔前のパーツ寄せ集めて売ってるだけだし。最近のはともかく出たての頃のネットブックなんて完全に素人お断り。
MBAかぶれが、”破壊的イノベーション!”とか最もらしいことほざくかもしれないけど、残念ながらこんなの破壊的イノベーションじゃありません。
話はずれるけど、ネットブックがなぜイノベーションではないのかって、ソフトウェアを含めてネットに最適化してないから。
今のままじゃ「ただのちっちゃいガラクタノーパソ。」本当にネットブックと名乗りたいのならやっぱり多少OSなど変えないとね。
ネットブックのコアコンピタンスwwwがネットの閲覧ならそれに最適化したソフトを乗せましょう。
携帯電話は事実上もそうだし、今後もしばらくは個人に最も近いパソコンであり続けるでしょう。
なによりの優位性は常に電源が入ってる。確かにパソコンつけっぱなしの人もいるけどノーパソとかを電源入れたまま持ち歩く人はほとんどいないでしょう。
ケータイは独自のOSを乗っけてるしそれなりにソフトウェアも最適化されてます。日本のはガラパゴスっててヤバいけどさ。
スマートフォンも含めたらネットの利用というならネットブックよりもよっぽどやりやすいでしょう。スマートフォンについて話し始めたら議論がごっちゃになるのでとりあえず自粛。
携帯電話が電話じゃなくなりつつあるのは面白い現象だけど、ニーズに合わせた正当な進化ならばいいのでしょう。日本のはガラパ(ry
個人的にはノートブックという製品がヤバいと思うんだよね。誰も同意してくれないと思うけど。
だって家で使うならデスクトップでいいじゃん。どう考えても持ち運べないばかでかいノートパソコンとかみるたびにそう思う。USBメモリとかものすごく大容量になってきたし。
置きっぱなしにするならiMacみたいな一体型デスクトップで良くないか?
ネットしかしないなら最近のゆとり達みたいに携帯でいいでしょう。レポートやりたけりゃ学校のデスクトップでやるんだろうし。
まぁこんなこと言っても今まで一人も同意してくれた人はいませんが。
とりあえず、大人げなく長々と書いてみたけどそれぞれの製品が消費者のどのようなニーズを解決しようとしてるのかを考えて、そこからハードウェアとソフトウェアを合わせた議論をした方がいいのではないでしょうか。
天皇制に使われた100兆で国土を発展させ、外交的に独立し軍事面でアメリカに依存する事もなく、フランスとドイツを合わせたような強大国になって東アジアの覇権を握る誇りある「美しい国」になっていたであろう。
極右乙
小1の時。おじいちゃんが死んだ。
なぜ死んだのかは知らない。正直興味もない。
だっておじいちゃんの記憶は何にもない。
優しかったのか怖かったのかすら覚えてない。
小2の時。お父さんが死んだ。享年42才(くらい)。
B型肝炎。数十万人に一人の割合で発症するらしい。
助かる可能性はとても低かった。
お父さんの記憶はちょっとだけある。
まだ父が元気だったころ。
夜、布団に入ってからなかなか寝付かない私のところへ来て、目の上に手を載せて「もう寝ろ」と言われた。
蛍光灯の反射で暗くて顔はよく見えない。
大きな手だったのを覚えてる。
発症してから。
一時帰宅していた時祖母宅にて。
布団の上でぐったり顔を覆ったまま動かない父。
大人たちは皆忙しそうに険しい顔をしていた。
その一時帰宅の後、お父さんは遠く離れた都会の大きな病院に入院した。
お母さんは看護のためお父さんについていった。
なので私たち姉弟3人は父方の祖母のところにしばらく預けられていたらしい(覚えてない)。
ある日、私たちはお見舞いに行った。
病室に向う廊下で母に「爪を噛むのをやめなさい」と言われた。
当時のひどい癖だった。(今でもストレスがたまると噛んでしまう…)
ベッドの上で上体を起こしていた父はガリガリにやせ細っていて、体が異常に黄色かった。
そして「○○子か…」と言った。弱々しくかすれた、老人のような声だった。
自分がなんと答えたかは覚えていない。
今思うと、もう助からないから最後に会わせた的なお見舞いだった気がする。
それでも当時の私には父が死ぬとは予想できなかった。
ただただ、父の変貌ぶりにショックを受けていた。
父が死んだ時。これはけっこう覚えてる。
私は学校にいた。休み時間だったと思う。教室にいた私を先生が廊下から呼んだ。
「この前お見舞いに行った時、お父さんは元気だった?」
「…? いや、わからないです…」
「いいかい、すぐに帰りなさい」
「???? はい…」
当時私は父が死ぬとは全く想像してなかったので、その時は何を言われているのかわからなかったが、
とりあえず帰ることにした。
祖母宅までの徒歩10分を歩く途中でハッと気づいた。
「たぶん、お父さんが死んだのだ」と。
誰に聞いたわけでもなかったけど、妙な確信があった。
祖母宅には小1の弟がすでに帰っていた。
もう1人の一番下の弟はまだ2歳だった。
親戚の大人たちが集まり始め、騒々しい雰囲気になっている。
子供である私たちはほっとかれていた。
唯一ひいおばあちゃんが「○○(父)は死によったぞ、わかるか」みたいなことを言ってきた。
「死」というものがどういうことなのか、私は理解していた。
黙ってうつむきじっとしていたら、泣いてしまいそうだった。
私は弟にいった。
「外行こう」
弟は「うん」と返事をした。
手をつないであてもなく歩いていた。
6歳と7歳。
私たちは幼なすぎた。
「お父さん、死んだんだよ」私が言う。
涙が溢れてきた。弟も泣いていた。
もう何か言おうとしても涙しか出なかった。
ワンワン泣きながら、手をつないで歩くのは止めなかった。
そこで記憶は途切れる…。
小3の時、父方のおばあちゃんが死んだ。
優しくて好きだったので悲しかった。
小4の時、母方のばあちゃんが死んだ。
母が泣き崩れていたが、私はあまり会ったこともなかったので
いつも通りボーッとしていた。
とにかく小学校の時は葬式やら法事やらばかりでほとんど想い出がないし思い出せない。
母は資格もない、商売の才もない、ついでに免許もない何の変哲もない高卒だった。
私は母が実際何をしていたのかあまり知らない。
母は言わないし、私も聞かなかった。だがとにかく、忙しそうにしていた。
その頃の私はとにかくぼへーーーっとした覇気の無い子供だった。
暗くおとなしい子だった。
とにかく読書が好きで、ヒマさえあれば本を読んでいた。
人と居ても本を読み、家にいても本を読み…本さえあればそれで良かった。
外で遊ぶのは大っきらいで運動神経は驚くほどなかった。
お金がなかったので何度も何度も同じ本を読んだ。
本を読む以外の事はすべてにおいてめんどくさかった。
なので"おかあさんは大変だから家事をしよう"とかは一切思わなかった。
ただ、"おかあさんは大変だから金と自分の事で迷惑をかけてはいけない"という気持ちだけは強かったが。
ある意味では何もせず、本をむさぼり読み、自由気ままな暮らしっぷりだった。
こういう子はたいていいじめられ体質だ。
とは言っても特に激しいいじめはなかったし数少ない友達もいたが、基本的には家にいた。
ある夏の日、母についに「あんた友達いないの?頭おかしいんじゃないの?」と言われた。
私「○○ちゃんと遊んだりしてるよ」
母「あぁ、あの子とあんまり仲良くしない事。あの子のお母さんはナンタラカンタラで評判が…」
私「…」
私は少しずつ違う友達を優先するようにした。
○○ちゃんはありえないくらい優しくていい子だ。(今では優しい旦那さんと結婚して2児の母。今でも大好き)
幼いころから優しく包容力のあるお母さんキャラという感じだった。
いつも「私、●子大好き!」と笑顔で言ってくれた。
私も当然○○ちゃんが大好きだった。
でも、母が言うことは絶対だったので、少しずつ離れていった。
母の言うことに疑問など持ち得なかった。
そして思春期。
いない父の代わりに1つ下の弟のことが無性に気持ち悪くなり、無視ばっかりしていた。
存在するだけでむちゃくちゃ腹が立った。
今思うと弟は「ねぇちゃん遊ぼうよぅ」といつもどおりだったのだが、私だけが近寄るなオーラを出していた。
こればっかりは今思い出しても胸が痛む。
その頃、我が家は少し険悪な雰囲気になっていた。
私は反抗期なりに何とかせねば、という思いが多少あった。
とりあえず、皿を洗ってみた。
ろくにやったことがないので、割ったり泡が残ったりひどいもんだった。
母に「余計なことをしてくれた」と罵倒されたので、もうやらないことにした。
次に、何かの本で読んだ知識であろう「家族で交換日記をする」事を提案した。
それを聞いた母は「おまえは家族をメチャクチャにする気か!!」と鬼の形相で罵倒してきた。
私は意見を言うのもやめた。
友達と服を買いに行けば「ナマイキだ。何考えてるんだ」と言われた。
部屋が散らかっていれば「おまえは頭が変だ」と散々溜息を吐かれた。
そういう風に言われても、別に母のことは好きでも嫌いでもなかった。
すでに私は何も感じていなかった。
一度罵倒タイムが始まるととにかく長いので、心を閉じて無にした。
ただひたすら終わるのをじっと待った。
母に言葉で逆らうことは無かったが、すぐに母をイラつかせる自分がダメなヤツだとも全く思っていなかった。
とにかく、黙っていればそのうち怒鳴り疲れてくれるのでそれを待っていただけだ。
本好きが高じて成績はよかった。答えがあるものは楽だった。
高校の進路相談で都会の進学校を進められたが、金がないので断った。
母は「行きたいなら行ってもいいんだよ」と言ったが、行くわけがないだろ、と思いながら黙っていた。
この頃から学校の先生や友達から「あんたは何を考えているかわからない」と現在も言われるようになる。
中学の時、相変わらず仲良くしてくれていた○○ちゃんが入院したことがあった。
住まいから離れたご実家の病院に入ることになり、そのことを母に告げると、
「妊娠でもしたんじゃないの?あの子は素行が悪いから」(嘲笑)と言った。
さすがに腹が立ったが、黙っていた。
私は○○の母にそれをチクった。
「うちのオカンが妊娠じゃないの?なんて言うんすよーw愚かな母でサーセンwww」的な軽いノリで。
それからすぐに悲しい顔になり「お母さんは愚かなの?」と言った。
どうやら、○○の母は自分の娘がクソビッチ呼ばわりされたことにムカついたらしく、
(その場では何も言わなかった)私の母にクレームの電話を入れたようだった。
私は初めて父の死以外のことで母の前で泣いた。
泣きながら母の問いには首を振った。とんでもないことをしたぞ、と思った。
その頃の母は夜の外出(ママ友達と遊び)が激しくなってきたので
「でも家にもっといてほしい」ということだけをなんとか言った。
家にいる時間は多少増えたが、わたしへの風あたりは当然強くなった。
16歳になった頃、もう母に必要な要件以外言うことは何もなかった。
ただ、衣食住を供給してくれるので家にいるだけだった。
険悪でもなく、仲良くもなく、
母はもともとよくはしゃぐ明るい性格なので、それに適当に付き合っているだけの関係だった。
高校に入ってバイトを始めた。家に金を入れようとは微塵も思わなかった。
このころにはもう子供たちの手もかからなくなっていたので、割と毎日ご機嫌だった。
私も学校ではそれなりに明るくなっていた。
とにかく長いものに巻かれろ精神で適当に調子を合わせておけば、ハブられることもなかった。
部活をやったり好きな先輩がいたりと、とにかく普通の地味な高校生だった。
金のことだけは私はシビアだった。
だが自分で稼ごうとも思わなかった。思いつきもしなかった。
ただひたすら、現状を受け入れガマンしているのが、母との関係の上で自分なりの最善の策だった。
進路の時期、高校出たら働くと言ったら、鬼の形相で「大学は絶対に行け。ただし浪人・私立は行かせられない」と言った。
私は勉強だけは相変わらず得意だったので、けっきょく都心の国公立に入ることになった。
母の元から離れたかった。家が嫌いでも好きでもなかったが、とにかく息苦しかった。
まぁ結局母も私も自分のことしか考えていなかったのだ。
母は口では信用しているから好きにやらせているといいながら、本心では自分が解放されたかったのだと思う。
高2の時、先輩に連れられてバイトを休んでいじめに悩んで不登校になっていた後輩の家に行った。
その子は暗くて太めでメガネで、とにかくいじめられる要素満載だった。
でも私は別に好きでも嫌いでもなく、学校に来るきっかけになればいいなくらいの気持ちで遊びに行ったのだ。
良いことをした、とまでは思わなくても、悪い気持ちではなかった。
家に帰ると母が鬼の形相だった。
どうやらたまたま私のバイト先に行ったようだ。運が悪すぎて笑えた。
「バイト休んで何やってたの」
「友達の家にいってた」
「!!!!!!!!!!!!!!(激昂タイム)
母に説明する気はさらさらなかった。
要約すると、母は自分が恥ずかしい思いをしたこととわたしを信頼していたのに裏切られた、やっぱりあんたは最悪だ、ということを言っていた。
私はまた心を無にして時間が流れるのを待っていた。
そのころにはもう私は自分の意見や好きなこと、嫌いなことを人に言うという行為を失念していた。
ただモヤモヤしたものだけが心の中に渦巻いていたが、表面上はとにかく無気力だった。
大学で私は生まれて初めての何とも言えない開放感を味わった。
ネチネチ言う人は誰もいない、すべてが自分の自由である。
入学金と学費は家庭環境から免除、生活費と学生寮費は奨学金とバイトでまかなった。
最高の気分だった。
私は一気にヤリマンになった。
(見知らぬ人は怖くてデキないヘタレでした)
みんな優しくて明るかった。
私はうれしくて家事をしたり、尽くしまくった。
だがそのうち面倒くさくなったり浮気をされたりで悲しい思いをすることも多かった。
でも、なんだか生きてる感じがした。
女としておしゃれをしたりメイクをしたり、何をしてもネチネチ言ってくる人はいない。
従わなければいけない人がいないというのはこんなに楽しいものかと思った。
この頃から他人と自分の家庭の違いに気付き始めた。
続き
違う。
目標とは現時点では叶えられていない夢であり、自分自身ではないことを知った上でこそのものだ。
一方自分に嘘をつくということは、こうありたい自分こそが真の自分であり、現在の自分は仮初めの姿であると思いこむことだ。
後者の場合は、自分がさも目標の自分になったかのように思いこむところから、他者に対しても目標の自分を基準にして尺度を作り、目標の自分として接し、相手にも同じものを求めたりもする。だがその目標は現時点での本当の自分とは違うものだから、考えとふるまいの間にマイナスのギャップが発生し、それが他人の失望を産む。その積み重ねの結果が、人望を失うということにつながるわけ。
やりました。僕が目がいって抱きついたりしていたのは
チラチラ見えたりしたのでその友達とまとめて抱きついたり
嫁にはエッチな目しすぎと言及されましたがエッチな胸揉みしだいて
いないのが残念なのと今年は材料がよくないのに高い会費3,000円
というのが残念でした。
思ったのが毎日こんな暮しがしたいということ。
ですので
低位株での爆発的取引
アッキーナも知らなかったくせに何が分かるんです?
俺の偏見フィルターを通すと、オールでカラオケなんていう若い子なら誰でもやってるようなレベルの遊びを許容できない童貞アイドルオタが
『清純(笑)じゃない○○なんてアイドルじゃない!!!』とかファビョってるだけに見える。
社会保険に入らない(入ってない)ケースってのは企業が負担したくないからなんだから、まず企業の負担をなくす。
で、社会保険(失業保険)に入る/入らないは個人が決定できるようにする。保険は民間もアリにする。
日常の中でおきる、ふっとした事件・疑問について考えることである
例を挙げるなら、
・何も取らない泥棒の話
・なぞめいた校内放送の真意
・なくなった女の子の鞄探し
といった類である。
1ジャンルたるゆえんは、従来のミステリーと違い、殺人が起きないことや、その凶器探しに奔走する推理とは、考えるべき問題・疑問が異なるからである。と考える。
その説明の前に、大枠のミステリーの面白さの正体をまず説明する。
●ミステリーの面白さ
ミステリーとは、本文の情報をまとめて、一番妥当性のある結論を導くことである。
・情報とは、Aさんは、その時間部屋にいた。死因は、なんらかの毒物である。などで
・結論とは、だれが、なぜ、どうやって、 その事件を起こしたかの説明である。
つまり、
→情報を見つけること。
→情報から結論を導くこと。この2つの行程が面白いのである(さらに細分化できるが)
●その中でも【日常の謎】の面白さ
『日常の謎は、従来のミステリーとは違い、考えるべき対象、疑問が異なる。』
と述べたように、この違いから、上記2つのプロセスの質が変わる。
より、身近に、想像しやすい・推測しやすいものになる。
その変化が、より面白くさせている。
密室を作り出す難解なトリックを『対象にして』、名探偵と同じように
一本の紐や、石ころや、ガムテープから密室の謎を『考えること。』
何も取らない泥棒を『対象にして』、他人の部屋に侵入して、
何も盗まない人に、どんな得があるのかと『考えること』
想像しやすい、推測しやすい背景には、
盗むという行為の意味を誰もが知っている点にある。自分に置き換えて考えられる。
密室にする行為の条件・方法は、誰もが知っているとは限らない。
これが、推理という難解そうなものを、私の傍にたぐり寄せた、面白さの秘訣であると思う。 日常の謎とは、つまるところ、私たちが経験してきた日常の延長にある謎ゆえに、【考えやすい謎】なのである。私たちが、今まで習ってきたものや経験の、少しの背伸び、応用で手が届く。
上述の『結論とは、だれが、なぜ、どうやって、 その事件を起こしたかの説明である。』とあるが、
一般的には、以下の用語で言われるらしい。
・who done it
・why done it
・how done it
そこまで思いこみが激しいのも尊敬に値するな。
良いことを教えてやろう。いまみたらGood 10, Bad 720になってた。
これで確定だな。
「ただしイケメンは除く」だなw
サークル内でそういうことをしたくなければサークル内だけでも指輪をすればいい
それをしたくないってことは、彼ら以外の誰かが気になるってこと
人を好きになるのに理由なんていらない
告白も自由だ
断るのもね
やっぱりここは公園の設置基準までさかのぼらないといかんのではないか。
そこまで至る過程が
イージーな人間もいるだろう。
んな奴は一生塀の中で生きててもらわなきゃ困るだろw
どこのハンニバル・レクター博士だよ。
お願いだから早く病院に行ってください。
http://anond.hatelabo.jp/20090430222754
↑は俺じゃないよ。
カテゴライズをすれば増田言うところの「危険人物」にあたるだろうね。
自分が人と違うことにも気がついてるよ。
摘み取る作業を怠ってはいけないんだよ。
でも、自らの内に危ない部分がないか監視するのは皆が
やってもいいことではないのかな・・・
あと
そうとも限らんよ。
そこまで至る過程が
イージーな人間もいるだろう。
そうなる前に気を付けなきゃってこと。