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ウェブは資本主義を超える 「池田信夫ブログ」集成 - 池田 信夫
毒は普通の食品に含まれている 毒物に詳しい生物学者のブルース・エイムズ(カリフォルニア大学)は、野菜や果物にはどれも少量だが天然の有害物質が含まれており、アメリカ人の食事に含まれる殺虫作用のある物質の99.9%は天然の植物から作られていると主張した。 その後、全米科学アカデミーのアメリカ国立研究会議はエイムズの主張を検討し、「人工的な化学物質より、食物中の天然の化学物質の方が、発癌性が高いのはもっともだ」とエイムズの主張を大筋で正しいと報告している。 エイムズによれば、たとえばコーヒー1杯に含まれる発癌性物質の量は、普通の人が年間に摂取する発癌性のある殺虫剤の残留物より多いらしい。 計算すると普通の人は一生のうちに5000から1万種類の天然の殺虫物質とその成分を食べることになり、その量は普通の人が摂取する人工の殺虫剤の約1万倍に相当するようだ。
まあこれだけじゃなく、人が普段使っているものに含まれる合成/天然化学物質にも発がん性のあるものは大量にあるんだよね。
喫煙者が撒き散らす副流煙もそう、排ガスもそう、唐辛子に含まれている刺激物でも発がん性は高まるしね。
こんなにも発がん性の物質にまみれて生活しているのに、ことさら放射性物質ばかりなんで気にするんでしょうね。
またチェルノブイリやヒロシマナガサキと比較する低能が多いが、飛散した核種がまるで違うので、同じシーベルトでも単純に比較はできません。
チェルノブイリはプルトニウムが大量に飛散しているが、フクシマではほぼ無いしね。
また、
原子炉内の放射性物質が大気中に量にして推定10t前後、14エクサベクレルに及び放射性物質が放出された 。これに関しては、広島市に投下された原子爆弾(リトルボーイ)による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残されている]
フクシマは
原子力安全委員会のSPEEDIシステムを使った放射性物質の放出量は、3万 - 11万テラベクレルと推定された。これは国際原子力事象評価尺度のレベル「7」の基準1には該当する。
とあるので、単純に考えて放出量はチェルノブイリの100万分の1、ヒロシマの30万分の1なんだよね。
単純にチェルノブイリは~と持ち出すことの愚かさにはやく気がつくべきだと思う。
OK、ちょっと良さげだね。出先なんで聞けないから感想はあとで。
絵だけでも「勝っている部分」が何か判りそうな動画だね。
さてと、そんじゃ約束通り。
学生時代に洋楽が流行った世代で、そのままバンドブームとかカラオケ全盛期を抜けてるんで、邦楽洋楽問わず聞いてるよ。
洋楽では、カントリーやブルースも好きでメジャーどこは聞いたかな。
個人的に好きなのは、邦楽だとアルフィーで、洋楽だとYESという古さ。
CDだと3000枚は超えてるんだけど、アーチスト数はよく判らない。
まぁそんなわけで、節操なくCDは買ってるんだけど、こだわりは特にない。
って感じかね。
ただただし氏が数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)で科学的懐疑心の重要性をとき、本旨の導入として斉藤和義の「ずっと嘘だった」とその態度への批判をしている。
ただ氏の批判を抜粋する。
断っておくけど、おれは別に原発推進派でもなければ反対派でもない、強いていえば消極的容認派だけれど、だからといって今さら「絶対安全って言ってたのに! 騙してたなんてひどい!」なんて騒がないよ。世の中に「絶対」なんてものがありえないって知ってるし。悪いけど、「絶対安全です」なんて言われて信じるほうがおかしい。
こんな歌、十代の子供なら許されるかも知れないけど、斉藤和義はもう44歳、おれと同世代じゃないか。この歳になったら言っていいのは「(自分より若い世代に対して)無知でごめんなさい、騙されててごめんなさい、黙っててごめんなさい」だろうよ。いい大人がイノセンスぶって責任回避かよ、情けねぇ。
さて、ただ氏の言うように斉藤は今回の事故をキッカケに、これまでの「絶対安全」が嘘だったことに気づき、「ずっと嘘だった」を歌った情けない大人なのだろうか。
「ずっと嘘だった」の歌詞には「原発が54基」「ほうれん草食いてえな」というフレーズがある。
これは忌野清志郎が1988年に発売したカバーズに収録された曲「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」を意識していることは明白だ。
松永英明氏がキヨシロー「Love me tender」のアンサーソングとしての斉藤和義「ずっとウソだった」の無力感[絵文録ことのは]2011/04/08でその対応関係を指摘している。
キヨシローの「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ」を受けて、斉藤は「風に舞う放射能はもう止められない」「ほうれん草食いてえな」と歌った。違うのは、放射能(放射性物質)はすでに放出されていることだ。
そもそも、タイトルやサビ自体がキヨシローへのアンサーである。斉藤の「俺たちを騙して、言い訳は「想定外」」「ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな」という歌詞が、キヨシローの「たくみな言葉で一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてる、その黒い腹」という歌詞を受けているのは明白だ。23年前はほんの少しバレてる程度だったが、今や安全神話は崩壊した。
なお、「サマータイムブルース」の歌詞との対比を追記しておくと、「37個も建っている原発がまた増える」は斉藤の「原発が54基」、「それでもTVは言っている「原発は安全です」」は斉藤の「教科書もCMも言ってたよ、安全です」に受け継がれている。
これを見るだけでも斉藤が「騙された!」とは違った文脈で「ずっと嘘だった」を歌ったことが伺える。
何しろ斉藤は東海村JCO臨界事故の翌年2000年に発売したCOLD TUBEに収録した「青い光」で原発批判をすでにしているのだから。
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
ヘリコプターがハエのように・・・うまく思い出せない・・・
青い光を見たんだ
いつも通りにやったんだ
今日も髪がたくさん抜けた
斉藤は原発に対して、関心があり、懐疑心を持ち、曲を書き歌うことで反原発を訴えていた。
以上をふまえて本旨にツッコミを入れていこう。
どんな技術にもメリット・デメリットがある。メリットばかりを吹聴されて、それを盲信しないためには、科学的な懐疑心が欠かせない。われわれ日本人は、えてして道徳的な立場から人を疑うのはよくないことだと教えられるが、正しい判断をするために、いや「生きるために」、科学的懐疑心は必要なスキルだ。あらゆる意見は「仮説」として受け止め、反証できないか考える。検証されない仮説は採用しない。訓練は必要だが、なにも難しいことはない。人を疑うのではなく仮説を疑うのだから、道徳的にはなんの問題もない。
いやいや、あんたは斉藤和義が騙されて喚いてるって検証もしないで決めつけてるだろwしかも人を疑ってるしw「訓練は必要だが、なにも難しいことはない(キリッ」ってw面白すぎるw自分ができてないww
40代にもなって「騙された!」と騒ぐような情けない大人にならないためには、きちんとした科学教育が必要だ。それも、教科書を丸暗記すれば試験に合格するようなエセ科学教育じゃなくて、正当な懐疑心を養い、仮説検証を経ない理論は採用しないといった「科学の心」を持つための科学教育が。ちゃんと人を育てるところから始めないと、また数十年後におかしな責任転嫁を聴かされることになるよ。
「科学の心」を持つと科学以外のことに対する懐疑心は無くなっちゃうの?ただ氏が数年後におかしな責任転嫁を歌うことを楽しみにしてるよw
おまけ
数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)のブコメ
俺
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった 2011/04/09
ただ氏
id:sho 「アンサーソングと知らないのか」ってコメが複数あって笑った。年代的に知ってて当然だという反証を思い浮かべもせずにお気に入りの結論に飛びついちゃうあたりが、ダメな大人の典型だねぇ。 2011/04/10
俺の追記
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった/知っててこのエントリーなら日本の言論的リテラシー教育の重要性が問われるな 2011/04/09
もちろん、知ってて当然だという反証は思い浮かべてました。そして、知ってたらこんなエントリーは書かないだろうとも思ったので確認の為にコメントしてみました。
「懐疑心を持つことが大切だ」というテーマのエントリーの導入部でいきなり決めつけから入っていたので。こんなことググれば十数分でわかることですし。
地震から2週間経ちました。理系の皆さんがその知識を総動員させて原発被害に立ち向かい、体育会系の自衛隊員の皆さんは被災した地域に赴き、身体ひとつで精神的にも肉体的にも辛く苦しい作業を行っています。そんな中、我々文系一同は、デマに流され、右往左往、一人前の罪悪感だけ抱えてすぐに忘れ「この際仕事さぼれねーかなー」なんてことを考えています。思えば、学生時代からそうでしたね。日々勉学にいそしむ理系、トレーニングに勤しむ体育会系をしり目に、我々は髪型や服装にうつつを抜かし、レポートを写し、酒を飲み、日々を楽しく、現をぬかしてばかりいましたね。昔からそうなのです。我々文系には、目先のことばかり考え、仕事をサボり、毎日を面白おかしく過ごすことしかできないのです。
原発、その他火力発電施設の被害の大きさが明らかにありつつある現在、ひとつ確定的なのは、「今年の夏、首都圏では日中冷房がほとんど使えなくなる」ということであります。都会の夏に冷房を使えないということは、文字通り致命傷です。私自身、アトピー性皮膚炎を患っているものですから、そのつらさは身に沁みます。ですが、こんなときこそ我々は、我々文系は、楽をすること、毎日を面白おかしく過ごすことを考えるべきなのです。
ですから、みなさん。今年の夏は、スーツを脱ぎましょう。代わりにTシャツにハーフパンツ、サンダルをはいて通勤しましょう。髪の毛はオシャレ坊主にしましょう。職場にBGMとして、サザンやチューブ、レゲエミュージックを流しましょう。サマータイムブルースを、ホテルカリフォルニアを口ずさみましょう。政府のえらいさんが提唱する、シエスタやサマータイムの導入を、積極的に後押ししましょう。夢にまで見た社会人での長い長い昼休みを、このどさくさにまぎれて実現させるために。そうして、長い昼休み、近くの銭湯に立ち寄り、汗を流し、コーヒー牛乳を飲みながら、高校球児を応援しましょう。ある日、海が見たいと思ったら? 鈍行電車に揺られて1時間、近くの海まで行けばいい。かき氷を食べて、足元を波にさらわれて、そうしてまた仕事に戻りましょう。企業の業績が悪くなれば、きっと有給消化を兼ねて、長めの夏休みを提案されることもあるでしょう。そのときは、少し足を延ばして、地方のおいしい料理を食べにいきましょう。北海道でも。沖縄でも。もちろん、東北でも。アーパーな、享楽的な願望を、それらしいカタカナ語で無理やりに取り繕って、それを文化的な暮らしだと言い張りましょう。そうやって、今年の夏を、電気を使わず乗り切ろうではないですか。
昔から我々文系はアホだと言われてきました。その通りです。しかし、馬鹿ではないことは証明しなければならない。今こそ、我々は一丸となって、猫のピートになるのです。皆が皆が冬の寒さに凍えながら耐え忍ぶ中、お調子者の我々こそが、部屋中の扉をあけては閉め、夏への扉を探すのです。例え滑稽に見えようとも。
「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、なぜそうなったかという原因があるんだ。
http://blog.esuteru.com/archives/1660984.html
ブログに掲載された文章とは、人気コンテンツ『イナズマイレブン』の、WEB上にあるキャラクター人気投票欄が恣意的に操作されたことに対する批判であった。
その文章に使用されていた一部のタームを否定的に受け取った複数の人物が、このブログの文章を転載し、そして文章掲載元のブログが炎上する騒ぎとなっている。
弱い者達が夕暮れ
更に弱い者を叩く
その音が響き渡れば
ブルースは加速していく
http://blog.esuteru.com/archives/1660984.html
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弱い者達が夕暮れ
更に弱い者を叩く
その音が響き渡れば
ブルースは加速していく
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弱い者達が夕暮れ
更に弱い者を叩く
その音が響き渡れば
ブルースは加速していく
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ふと思った。
もしかしたら、普通の人は、かりんとうの排出のタイミングを自由にコントロールできるのか?
自分の場合は、そのケも無いのにかりんとうなぞ 1 かけらも出てこない。しかし「運命の瞬間 -The Period X-」から10分も経過せぬうちに、かりんとうはフランス革命を起こし自由を手にしようとする。なんか俺フランスの中の人に怒られそうだ。
あれ何なんだろう? なんでかりんとうは、門様をわざわざこじあけてまで外に出ようとする? そういうブルースの魂でも宿ってんの? というかどちらかと言えば、門様の方が脊髄反射的に (←いや、分かってるねんで) かりんとうを破門にしようとしてるんだよね。進化上、どんな理由があったんよ? 俺の体はそこまでかりんとうが嫌いか? ええまあ嫌いですけど。
普通の人はどうなの? つか、猫さんとかと話しても「今日電車止まってヤバかったニャ」とかいう話は聞かないじゃん。俺だけ進化しすぎ? なんか合点がいかない。
大学生だった頃、ぼくはかなりとんがったやつだったと思う。
とんがるといってもとても格好いいとはいえないとんがりかたで、世界を敵にまわしているような、一人で戦争をしているような、敵意を剥き出しにして斜に構えるような、そんな生意気ながきだった。
自分の好きなものだけに触れて、世の中間違っていると言い張った。
作り出される自分のアイデアが、とても素晴らしいもののように思えて、それだけに夢中になってあれこれと作った。
ハードボイルドの主人公のように両肩で風を切って、ギャングのように何か面白いものはないかと物色しているような、そんなたぶん二十歳ぐらいの自分を思い出すとなにか冷や汗が出るような気がし、その一方で、なかなかに冴えていたなとも思う。一切を閉ざしてしまって、自分だけの世界に閉じこもって、世の中のものをせっせと自分の世界に取り込んでいたような気がする。
ほとんど誰とも話さずに過ごし、たぶん話していてもかなり機械的な反応しかできなかったと思う。その頃のメールの下書きのテキストが残っていて、それを読むと、官僚的というかガチガチな隙のない文章を書いていて、なんだこいつはサイボーグみたいな文章を書くやつだと、なつかしくなって笑ってしまう。
その文章の中にいる二十歳のぼくはいつも完全武装なのだ。
そんなことになってしまったのは大学一年の頃に起こった事故のせいで、ある事件をきっかけにぼくは人間というものが信じられなくなり、社会を敵にまわすようになった。数ヶ月は立ち直れず、それでも本を読んでいるうちにだいぶ立ち直っていき、読書欲に駆られながら読みふけるうちに、復帰していた。
好んで読んだのはハードボイルド。
チャンドラーとか、ジャック・ヒンギスとか、ギャビン・ライアルとか。
ハードボイルドを読む人なら、この手の小説が汚れきった社会を渡り歩く勇気(社会に絶望していたのでそういう勇気を必要としていた)をもたらしたこともわかりやすいと思う。ぼくはあろう事か、ギャングや、探偵や、元軍人や、スパイに社会との渡り合いかたを教わってしまい、いつも鞄のなかには拳銃が入っているようなそんな心地で、復帰していったのだ。
それは今からしてみれば、常時戦場にいるような緊張感で、そんな状態でまともな会話など出来るはずもないし、たぶんしても鋭すぎる態度で、相手を居心地悪くさせてしまっただろううと思う。それでもギャングだが、探偵だか、スパイだか、元軍人気取りのぼくは、そんな完全武装であちこちを歩き回り、あれこれと色々作って、仲間に見せたりしていた。
それは今から見ても、あの頃に作ったものはすごかったと思うほどで、錯覚ではあるのだけど、本当にたったひとりで世界を相手に戦っていたのだと思うし、シャープで甘えがなく、手を切りそうなほどの切れ味あるものたちを作っていたのだと思う。
だから、こう言いたい。
完全武装の時代もそんなに悪い時代じゃなかったって。
その当時にどのように世の中と接していたかと言われて、ふと思い出した言葉がある。
著名なSF小説「ニューロマンサー」の続編「モナリザ・オーバードライブ」の解説にその言葉はあって、それらの作品を評して「鏡に覆われた(ミラーシャーデッド)表層」と言っている。
この感覚。
ガラス越しという言葉があるのだけど、それよりもシャープな感じで、こちらの表情が見えないようにスモークガラスで覆っている感覚。そして、社会もスモークガラスに覆われていて、お互いが冷たく冷淡で、それが日々すれ違っているのだけど、完全に別け隔てられている。
あちこちのバイトを短期でまわって、世の中のいろいろな風景をスパイしながら(そういうつもりだった)、いろいろに世の中の仕組みを知っていくようになった。会話をしなければならないところでは当たり障りのない、そしておそらくかなり素っ気ない会話を交わし、とても冷淡にその体験だけを盗んでいくスパイのように働いていた。
もちろん、その短期バイトをあちこち回ったことが、のちのちまともに社会に出て、効率的な現場のまわしかたみたいなところでとても大きく効いてくることになったのだけれども、誰もが短期なだけにコミュニケーションらしいものは皆無で、煙草を吸いにいってせっかく話す機会があっても、他の誰かがはなしているのを聞いているだけという、なんという非コミュ。
あの当時のぼくはとてもプライドが高く、口を開くにしてもなにか高級な事を言わなければと思っていたように思う。例えばハードボイルドの主人公のようなセリフなど、いま思えば、現場にまったく必要のない言葉以外話したくなかったのであるが、結局の所それは自分の我が儘で、自分の価値観以外のコミュニケーションを仕事場でさえしたくない、もしくはそれをしなくて良いようアンドロイドのように、時間貸しのロボットのように、ただ効率的に現場をまわすにはどう動けばいいか、だけを考えていたように思えてくる。
ボトルネックを事前に発見して、誰も気づかないうちにそれを埋めていく、それで今日の作業は30%ぐらい効率化できたと悦にいる。そんな毎日。それはリアルシュミレーションゲームのように思えていたし、コミュニケーションなどなくとも、出来る遊びではあった(そしてこの経験はのちのち凄まじい威力を誇った)。
しかし、その当時のぼくはやはりゲーム感覚で、いつでもスイッチを切ってさよならできる現場でしかなく、ミラーシャーデッドどころか、液晶パネルの中の駒でしかなかったのかもしれないと思ってしまう。
そんな事をしているうちに、交通誘導の仕事をやってみることにした。
これは簡単に言えば、工事現場に立っている警備員で、たぶんやってみないとわからないが世の中の潤滑油的な仕事である。仮設の信号機でいいのではないかと言われれば、まあ、そうかもなのだけど、ぼくはその辺の議論はどうでもいいし、もう交通誘導をするはずもないので、あんまり関係がない。
で、いきなりやってくるのは、研修。
法定で4日だったかの研修が義務づけられているとかで、ひたすらに、交通誘導がどんな仕事かをたたき込まれる。そこで言われるのは、ひたすらに危機対応、そして、顧客である工事現場の人たちを守るか。酔っぱらい運転で工事現場につっこんでくる車から顧客を守るのが、交通誘導の第一の責務だとか何とか。まあ、ねえ、顧客だからねえ。
そうやって始めてみるしょっぱなに言われた。
「あれさ、お互い遠くに立ってるじゃない。互いに孤独で。8時間とか、12時間とか。そうするとね、話せないから、上手くいかないと不満がたまってどんどん上手くいかなくなるんだ。そうするとたいへんだよ。向こうはぷりぷり怒ってさ」
これはチームワークなのだと、コミュニケーションなのだと、ぼくはあなたのことを信頼していますと伝える事が重要なのだ。あなたが怒らないように、要らぬ誤解を抱かないように、あなたがぼくが心配ないというシグナリングをしなければならないんだって、あの赤く光る棒を振りながら、ずっと伝えなければならないんだと、それはプレッシャーだったのではあるのだけど、それまでの自分とは違うことが価値があるのだということを、思い知らされた事ではある。
交通誘導に業務効率化する要素などなく、どうやってチームワークをよくしていくか以外に改善点はない。そういう意味では完全コミュな仕事であり、ぼくはあんまり自信がなかった。
それが初めての集合で、煙草を吸っていて結構くせがありそうな人に言われた。
ぼくは、どれだけハードボイルドな世界でショートピースが標準か語りたかった。
「香りがいいんです。それでくせになっちゃって」
「どれ、吸わせてよ。うわ、きつ、なにこれ」
その人は笑う。
「缶で吸ってたときもあるんです。あのときは肺に穴が開いたのがわかりました」
ぼくはきっと「ショートピース野郎」と記憶されたことだろう。それでもその瞬間に、ミラーシャーデッドが融けたのを感じた。ぼくの世界に入ってくる人がいた。確かにさりげないのだけれども、それで勇気づけられたのは確かだ。
そういう感じ。
その瞬間に、一緒に仕事をする人々の世界観もわからないとと思って、一瞬にしてぼくのミラーグラスは破壊された。
同じ人と同じ現場になって、その頃はきつい両切り(ショートピース)はやめていて、もうすこし穏健なロングピースになっていたけれども、その人は、仕事が終わってヘルメットを長時間かぶっていたせいで髪型がめちゃくちゃになっていたけれども帽子をかぶって、自転車に乗る。
そういって、現場から明るくたちさる。
あの職場で、いろいろな人々と、その職場を暖かくする事にどれだけ尽くしただろうか。誰もがその底辺で生活しているわけだし、いつの間にか、それは自分の片足だけつっこんだ居場所になりかけていた。世界がガラス越しではなくなったのこの職場だったし、それはなにか守らなければならない暖かいチームワークの場所だった。
底辺などというべからず。
その後の十年近いキャリアを通しても、素晴らしいチームワークだったと断言できるし、この1/5000ぐらいの荒涼とした、無生産な現場は大量に見てるし、基本的に言えるのは底辺ほど効率的で、上層ほど無能であるということだ。のぼるほど無能になっていく。
機能不全とすべての罪は上層にあるのだけど、わかっているか。
ちょっと言い過ぎた。
ぼくが言いたいのは、底辺を経験してすばらしく暖かく機能的で、ここは問題がまったくない、ということなのだ。ここには何の問題もない。すばらしい経験だった。ぼくの非コミュも解けた。
貴族趣味なぼくは結局ほぐされて、そして紹介で別の職場に入ることになる。
本格的な就職に近い形で、人事のトップに笑われる。
「いや、こんな真っ白な履歴書を見るのは初めて」
その履歴書は真っ白だろうか?
数こと話すと人事の最高責任者は頷く。
じゃあ、採用するけど、明日からちゃんときてね。
配属されたのは実務の最精鋭部隊が集まっている部署で、そこで、笑い合いながら、冗談を言いながら、学びながら、いろいろ効率的なオペレーションを学んだ気がする。それで、特別なプロジェクトが立ち上がって、それにたったひとりで派遣されて、その現場監督(ただし、実権はまったくなし。不安にさせるな)で、まったく見知らぬコミュニティーにぶち込まれる。
「山崎まさよしさんに似てますよね、雰囲気だけ」
「あー、そう言われたのは初めてで」
(ブルースは好きなんだけどねえ…)
そうやって、あ、これで大丈夫なんだ、これで上手くいくのだと、そう安心した。
http://anond.hatelabo.jp/20090615221632
触発されたのでいまさら語ってみたくなった。
(独り言ですよ。とか言っとく。)
・いきなり余談。とらドラを最初見たのは3~4月ぐらい?きっかけはdj newtownのsilky heartのeditだった。MPCのぶったたき具合がアツイ。こんなイイeditが作られるほどのアニメって何?て思って見たんだった。
・「とら」が家に押しかけてきてって、あーうる星やつらか、と。王道感というか、基本に忠実な感じというか。
・「虎と並び立つものは~」と「竜児は私のだああ」のセリフって無理やりっぽいなぁ、とか思った。ラノベがいつ打ち切られてもいいように一応オチなセリフだったんだろうなー、とか初見時おもった。
・水着を選んでるとこのくだりで、大河の「・・・そうね。」て呟く演技にぐっと来る(後述)。
・文化祭の話で、大河の親父がロクでもないやつだとわかるシーンに疑問を感じた。メールだけで判断するって憶測でしょ?大人なんだし、仕事じゃしょーがない。仕事がいそがしくやっと作った時間があのときで、大河はステージ上で連絡つかず→竜児にメール、なんてことも状況から考えられるし。(原作でもこの辺ぼや~っとしてるんだよね。夫婦ゲンカのダシに大河が使われてる、って理由は一応つくけども。)
だいたい中盤まで。こんなふうに見てて、なんかネガティブな感想ばっかでエラそーにって感じだけど、初見時にはこう思ってた。
ラノベだししょーがないね、とかおもってて、こまけえこと気にしなきゃ面白いじゃん、とも思ってた。要するに本気で見てないってことなんだけど、なめてた。やっぱ後半戦に入ってから目が醒めたなー。
・クリスマスツリーがっしゃーーんのとこ。このシーンやられた。いまでもたまにここだけ見返す。ていうかおれSなのかな。あそこまで、キレイに、みるみるうちに人の顔が青ざめていく様子なんてそうそうみれるもんじゃない。作画すごい。ラストのキスシーンに次いでエロいシーンだと思うけどどうでしょう。
・とか、自分で書いてて自分で酷いと思った。でもあのシーンはほんとにイイ。普通ラノベで登場キャラが青ざめるようなシーンて人の生き死にとかが関わってたりするものだけど、本来ならツリーがっしゃーーん!で十分なんだっていうさ。
・サンタ乱入退場→大河が自分の気持ちに気付くシーン。このシーンはなんと言うか、発症したよ。釘宮病がwこれが釘宮かと。おそろしいね。「…そうね」だけで感染そして潜伏か。
・ていうのはともかく、このシーン、既視感あるなぁと思ったら思い出した。以下じぶん語り。約十年くらい前、よる新宿歌舞伎町あたり(だったと思う)を歩いてたら、突然、建物から服装はドレッシー、でも髪ぐちゃぐちゃ、みたいな女が走り出てきた。で、「わたしが思い上がってた」とか男の名前?とか叫んで道端で泣き出した。都会はわからんなーとそん時思ったのだ。
・でもようやくとらドラ見てわかったよ。以下、脳内補完交えて。
女はホストクラブ通い。遊び慣れてる。「ちょっと、あの子、新人?」女の扱いになれたホストもいいが慣れてないのも面白いかも、と女は思った。早速、新人ホストを指名する。新人ホストはとても気が利く。でも目つきが悪い。ホストとしていかがなものか。女はこのホストを指名し続けた。「あんたは私の犬よ。わたしが指名しなかったらあんたクビになるでしょ」ホストは女に感謝した。「こんな目つきの悪いホストを愛せるなんて私だけね」などと内心、女は思ってた。しかし、女は目撃する。ほかの女(客)にも等しくやさしいホストの姿を。女は嫉妬を押し隠す……で、いろいろはしょって「思い上がってた」と。
・竜児がホステスの息子って偶然じゃないねwホストの英才教育!
・そんなことを考えてた。初見時。
・この辺でようやくキャラの心理について考えをはべらすようになった。主に、なぜみのりんは竜児を諦めたのか、について。(後述)
・ガールズトーク、こわい。
・最終回。キスシーンえろい。そして「そういうふうにできている」の語りでもって第一話に円環する。うまくいえないけどミソジにはきついんだよ。青春の甘酸っぱさが。取り戻せないじゃん。ブルースじゃん。円環してるし。この中に入ることって形だけでもできないんだよね。にじとかかんけーなく。
・普通に死にたくなったんで、見終わったら死ぬと思ってw原作を買いに走ったのだった。(キャラの心理をくわしく・・・なんて表向きの理由ですよw)
・原作の印象を書くと長くなってメンドイのでテキトーに。
・作者同い年!同い年の表現て変に「合う」感じがあるなーと。
・新井素子の文体に似てるなーと。
・4巻までタルイ。「高須家に入り浸る大河」のえくすきゅーずがムリに見える。でもこれにアニメ版がいかに編集のハサミをいれたか、って部分をみると味わい深い。アニメ版のすごさがわかる。
・で、5巻から「別人?」てくらいギアが入る。密度が濃い。一気読み。スピンオフ2冊まで余裕でいけた。特にスピンオフ2巻の「秋がきたから畑に行こう!」の前半。単に高須家の朝を淡々と長めに描いてあるだけなのに、何も起こらないのに、なんか狂気を感じた。
・あ、(後述)て書いたやつ忘れるところだった。まー簡単に(尻軽にお手軽に)。スピンオフの春田のやつ見て確信したけど、とらドラってどうも「だらしない女子」と「ホスピタリティある男子」がくっつく、というルールがしかれてるっぽい。だからみのりんじゃだめ。
・あーかんたんすぎた。もっと考えてみるなら、クリスマスの話で独身が「報われなきゃ」みたいなこというけど、どうも竜児って「がんばれば報われる」って思ってる人みたい(アニメじゃカットしてたけど、原作では進路調査書を竜児は書いてる。そこで書いてた言葉がひでー)。まーがんばれば報われるだろうさ。でも報われないことのが多いわけでさ人生。がんばれば報われると信じて報われなかった時の心理的ダメージ、やばいよ。そういうの竜児はわかってない。大河も当然わかってない。でもみのりんはわかってる(あみちゃんは当然わかってる。だから世話焼きばばあやってる)。夢を成すために失敗をすることもある、とわかってる。それのわからない竜児は子供でみのりんに対してホスピタリティが届かないんだよね。だから、、竜児から振ってやればよかったんだよ(無理)。みのりん痛ましい・・・、みのりんから振るなんてさ。いろいろキツイんじゃないかと、そんなふうに読んだ。
・んー簡単に書きすぎたか。(独り言だから許して。とか言っとく)(読みづらくてゴメン)
twitter+ソーシャルコミュニティの威力がはっきり実感出来た。
それに加えて「ネットの専門家」ではない「ジャズを演奏する人」が個人でこういうこと
をやってるってのがすごい時代だなあと。
twitterで「Tom harrell」と検索したらたまたま発見。
理由はTom harrellの吹いてたフレーズが「251進行のフレーズ」まで細分化されて
タグ付けられて動画と記事になってむこうの「フレーズ共有サイト」みたいなところで
共有されてたから。
ジャズのフレーズにしろ和声にしろ、ネットワークとは相性いいだろうなぁと思ってた。
でもそれにはもうちょい時間かかるんだろうなぁと思ってたら、あっちだともう普通にやってたりして。
たとえば25進行のフレーズ探したければ25タグクリック又は検索でうじゃうじゃと。
んでさらにTwitterとかデリシャスとかフェイスブックとかGoogleBookmarでソーシャルブックマーク。
いやーすごいよこれは。
今までも勿論こういう情報を提供している人は居たし、そういう書籍もあるしサイトもある
けど、今までと決定的に違うのは
「全てのフレーズが細分化されてタグ付けされて共有されてる」こと
これでフレーズやら和声のソートが一発で出来る上に、人気のあるフレーズみたいなのも一発で分かる。
例えばFブルースの最初のパーカーのおきまりのフレーズが「F7」タグでブックマーク数一位とかね。
例えばDm7 G7 Cのタグが付いてるフレーズがあったとしたら
それに対して25のタグとかビバップスケールのタグとかコンディミのタグとか付いたり
みたいなことは余裕で出来る訳で。
「どのコードでどういうことがかっこいい」みたいのがネット上で共有で効率良く大量に
出来る。
リアルタイムオンラインジャムとか疑似ジャムとかフレーズコミュニティとか
リアルタイムで吹いてるのが譜面になるとか、今の時点で想像出来るのは
そんなに時間かからないで実現されるのかな。
いやー夢の話みたいだよこりゃあ
彼が何者かというと、サバンナというお笑い芸人の高橋が考え出したピンネタである。
もともとはコンビネタでやっていたが、いつしかピンでやるようになったわけだ。
この犬井ヒロシというのがどういうものかというと、グラサンにTシャツジーパン姿でギターを持って歌いながらネタをやるといういつも同じパターンだ。
ブルースのメロディにあわせて歌を歌うわけだが、その内容というのが例えば
回転寿司屋に行った時の話やけど
回転寿司屋に行ったときにお醤油を一皿一皿たらしていくのか それとも一皿目に取ったお皿のお寿司をたいらげてしまって そのお皿をお醤油入れとして使うのかは・・・ 自由だ~!!!!
お醤油 is freedom お醤油 is freedom お醤油 is freedom お醤油 is freedom
でもレーンを流れてるやつの中に自分が希望しているお寿司がない時
それを頼むのものすごい勇気いるで!
こんな感じだ。
喫茶店で近くに座っていたカップルの男が彼女に対して自信満々で話をしているのだが、実はその話が思いっきり間違えててそれを注意してあげるのか、注意してあげないのかは・・・自由だ~!!!!
みたいなのもある。
彼は常に自由を求めているわけだ。
そして自由を求めて歌い上げる。
しかし彼は気付いていない。
二者択一までいっている時点で全然自由じゃない。
カップルの話の場合は、そもそもそこに居なければそんな不自由な二択を選ばないという自由が存在したはずなのだ。
彼はカワイソウだ。歌えば歌うほど、彼には自由がまったく無いことがわかってしまう。
電車でギリギリおばあちゃんっぽい人に席を譲るかどうか自由だ。
自転車で人が邪魔な時にベルを鳴らすか、ブレーキ音を使うかどうか自由だ。
彼が自由を歌い上げる場合、それは必ず不自由な二択しか存在しない。
彼は自由意志によって行動を決めていると思っているが、実はそうではないのだ。
だから俺は彼にこのブルースを奉げよう
犬井ヒロシの歌についての話やけど
犬井ヒロシが「自由だ!」と歌ってる歌はほんとは全然自由やないんやでって注意してあげるのか いやいやアレは自由やんね、自由の一種やんね、俺はわかってるで!的な同情で妥協して注意してあげないのかは・・・自由だ~!!!!
自由だっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!