はてなキーワード: 貴族とは
老害オタクと言われても今のなろうの追放ブームクソつまんねーからさっさと廃れてほしいわ。
元々、女性向けで流行った悪役令嬢とか追放モノが男性向けにも悪魔合体されて今の流れになってるんだが、
貴族は実力じゃなくて血統が重視されるって文脈があるから、婚約破棄とか追放するアホ貴族の存在に一定の説得力があった。
実力主義の社会で周囲をバカにしたらその世界全体がバカの世界なんだよ。
賢い人間が描けないから、周囲をアホにして相対的に頭良くする話ってあるじゃん?男の追放モノって大体これなんだよ。
最序盤のテンプレで済ますから雑に書いてるんだろうが、そこを許したらバカが闊歩するバカの世界観が構築されるんだよ。もう最悪。
電車で200円ぐらいだからタクシーなら800円ぐらいやろ思ってタクシー乗ったら目ん玉飛び出る金額請求されてワイ涙目
雁琳に足りなかったのはさえぼーのような緻密なレトリックの使い方
アカデミックな領域で非正規のままだった人間との格の違いがあるのだ。
例として、これは明らかな誤りを含むツイート
伊藤 剛
@GoITO
そして、本件に至る過程で、原告側が裁判前に雁琳氏の職場に内容証明を送り、非正規雇用で立場の弱い氏の職を(結果として)奪っているという経緯がある。これを踏まえると、たしかに雁琳氏には非はあるし、彼の主張には頷けないところもあるが、しかし原告側は「勝ちすぎ」なのではないかと思える。
そしてさえぼー氏の誤りの指摘
saebou@Cristoforou
「原告側が裁判前に雁琳氏の職場に内容証明を送り、非正規雇用で立場の弱い氏の職を(結果として)奪っている」→職場に内容証明送ってません。本人のメールボックス宛に内容証明を送ったら本人が全く気付かずスルーしていただけです。なんでこんなデマみたいなことをまだ信じて拡散しているんですか?
内容証明でない文書を職場に送っているのである。(ツイートには書かれていない)
例えばの話だが、自分のパートナーとSNS経由で不倫をしている人間がいるとして、職場宛に問題解決を求める文章を送る人間がいたらどう思うだろうか。
職場内の関係にダメージを与える意図があると捉えられて当然じゃないだろうか。
公私で分けて私の領域でのトラブルにもかかわらず、公に宛て文書を送るというのはそういうことだ。
そして彼女のツイートは雁琳とのトラブルの文脈を追っていない人間が読めば、
職場に書面を送り、職場関係にダメージを与える意図があると思われてしまうような行動なんかやってない印象になる。
草津の「民衆の敵」の話のように致命的にならないギリギリの言葉選び、これが非常に上手い。
政治家が致命的な失言と捉えられないような貴族の言葉遣い シェイクスピアをはじめとした欧州文化から取り入れたんだろう。
まずローマ数字のいいところはな、「直線」だけで書けるところなんだよ
アラビア数字だと3とか6とか、曲線があるだろ?
これが書きにくいんだよ
それを直線だけで書けるラテン文字だけで構成することによって、木の幹とか石とかに傷をつけるだけで数字を表せたんだよ
あと、4はIIII、9はVIIIIにしろって言うけど、その度に傷をつけるの面倒なんだよ!
庶民はナイフとかで「傷」をつけて数字を「刻む」からさ、4はIIIIだと何回も傷つけなきゃいけないじゃん
ローマ数字は羊を数えるのに使われた数字なんだから、何回も傷つけるのは面倒なんだよ
あと分かりにくいって言うけどさ、慣れればそれなりにやっていけるんだよ
0が6に見えちゃう時もあるでしょ?
お前は今後一切ローマ数字を使うなよ!
ファイナルファンタジーⅦって言わずに、
ファイナルファンタジー7って言えよな!
反AIから知性と理性を奪ったのはAI推進派であり、反AIがクソみたいなパブコメ連投したのも、公式に対して魔女裁判行ったのも、全部AI推進派が悪いんだぞ!彼らは絵描き貴族特権をもってそう言う世界観で生きているんだから、そこについて疑義を挟むのは絵描き貴族特権に対する反抗だぞ!
街を歩いていると外人が非常に多くなってきた。
彼らの動きは非常にワガママなことが多く、また英語がどこでも通じると勘違いしている人間も見かけるようになった。
英語OKとも書いていないレストランに入って英語で威圧的に店員さんに注文をしているのも見かけた。
すれ違いざまに「fuck」や「jap」と言われたりもした。
外人の動きを見ていると、やたらと堂々としている。母国で堂々とできないストレスを発散しているかのようだ。それを見て萎縮している日本人たちを見るのもうざい。
自分は外国人全体について言っているのではない。「外人」のみを指している。彼らは日本が好きで来ているのではない。
「自分が貴族になったかのように傍若無人に振る舞っても許されて、しかも清潔感などは保たれているし、治安が安全な国」という天国のような場所に来ていると思っている。
正直排斥したい。尊王攘夷運動というのはこういう気持ちから起こったのではないかという心持ちだ。
今のところ倒幕しようなどとは思っていないが、ときどき斬り殺してやろうかと思うときがある(これは冗談)
自分は英語が少しできるので彼らの話の内容を聞くことがあるが、日本人をバカにしているのをときどき聞く。日本人は全員が英語ができないとナメているのかもしれない。
彼らは観光地や東京に多い。本当に道を避けない。自分が道を歩いていると「道を避けない日本人もいるのか」と仰天したような挙動をする。常にいて本当に邪魔である。
立派な人間が堂々と振る舞っているならともかく、ただ金があるというだけで礼儀もへったくれもない外人にデカい顔をさせてヘラヘラさせている現状に腹が立つ。
企業が1つのコミュニティだった時代が過去になり同じ職種でSNSで繋がったり同じ地域などで連帯するようになるかも
不人気な作業員の仕事など人が集まらない業種はロボットAIに置き換えられる
複数の仕事を掛け持ちするようになり時間や場所により囚われない働き方になる
企業は社員を抱えたりせず1つのプロジェクトごとに人を集めるだの
これってさ、人員を安く掃いて捨てられるようにする第二の氷河期世代を作りたい宣言だよね
どうせ社員を抱えませーんなんて言っても、どうせ少数の超優遇された貴族的な正社員と木端で生きるために複数の仕事を掛け持ちする非正規社員という構図にしかならないし見えないよな
シロクマ先生のコラムを読んで共感したことと、違和感を感じたこと。結論からいうとタイトルの通りで、自分キラキラは推し活に食われた概念だと思う。今や推し活を稼働させる内蔵のひとつ。
もとのコラムはこれ。
https://blog.tinect.jp/?p=85980
◯ 承認欲求の昔話
このトピックは、さすがに"何者かになりたい"をずっと追っている先生だけあって腑に落ちる。
自分をキラキラと演出すると、それに対して大量の承認が得られて、心理的に満たされる。このキラキラを身に纏うため、2010年代では皆が色んな方法を片っ端から実行した。
この実行フェーズが"自分キラキラ"ブームのピークだったのだと思う。それは華やかなナイトプールかもしれないし、神秘的な絶景の写真かもしれない。プロも顔負けなスーパープレイもあれば、美麗なイラスト制作も人気は高い。コラム内ではインスタグラムにだけ焦点が当たっているが、実際はYouTubeやTwitterも同様で、ツルハシは飛ぶように売れていた。
◯ 推し活が台頭するまで
いろんな方向にキラキラする人が生まれて、「みんな自分の好きな事してイイね!!」みたいな理想郷(あるいはインプレッションのドル箱)をSNS各社は維持したかっただろうけど、実際はそんな貴族は一握りなので虚構と金欠に疲弊した人から脱落していき、祭りは終わった。自分キラキラに疲れた社会は自分の好きなものを輝かせる、オタク的感性を受け入れ始めている。……ここまでが先生の見解だと思っている。普通に違ってたらごめんなさい。
ここで冒頭の話に戻る。
個人的な感覚では、推し活が台頭する理由については頷けるも、「自分が好きなものを輝かせる」オタク的感性とやらはそこまで浸透していないのでは?という違和感がある。確かにコミュニティの一部としては存在するが、それよりも自分をキラキラさせるための手段として推し活は利用されているのではないか。
元祖の自分キラキラブームに無くて推し活にあるもの、それは"絶対的推し"による恩恵じゃないかと思う。それは"推しの為なら"で無限に湧くバイタリティと、推しが世界から引っ張ってくる無数のオーディエンス。そして、バイタリティのあるオーディエンスで構成されるコミュニティ。
まず、"絶対的推し"を応援する活動は、そのすべてがコミュニティから称賛される。ハッキリ言うと承認を得るまでのパフォーマンスが良い。自分が1からフォロワーをこつこつ増やす必要も無ければ、派手な生活を演出する必要もない。お役立ち情報を発信しなくてもいい。ただ推しを応援することが称賛され、自分の内心からも他者からも承認され、心が満たされる。
さらにもっと承認されたかったら、グッズを揃えて祭壇を作ってもいいし、二次創作に励んでもいい。それが推しを盛り上げることにも直結する。推しのライブ情報をまとめると沢山のファンにも感謝される。外部の人に布教して、もっと推しの存在が広まったら万々歳。世界で有名人にはなれなくても、界隈の有名人になるのは容易い。これらのどこかで、自分キラキラはいくらでも見出すことができる。推しへの貢献は自分の名上げとなり、それなりのキラキラになる。
少し話が逸れるが、宇佐見りんの推し、燃ゆで描かれている主人公の推し活はそのあたりの解像度がかなり高い。本人は「各自がそれなりの思惑で推しを推しているし、そこに優劣はない」みたいなスタンスをしているが、ときおり自分キラキラが顔を出す。推しの成りすまし投稿を見破ったファンとして界隈では一目置かれているらしい(自称)とか、解釈ブログを更新するとコメントをくれるオーディエンスが居るけど、ちょっと返信ダルいな……wみたいな顔する。端からみたら「いや、しょーもな」と言いたくなるような小ささかもしれないけど、彼女の心はそれで満たされている。(ちなみに、作中の推しは暴力沙汰や騒動で希求力を失っていく。コミュニティも萎んでいく。)
全てをまとめると、推し活とは"絶対的推し"が寡占できるオーディエンスの可処分◯◯(時間|精神|所得)をコミュニティ内で山分けし、承認を行き渡らせるエコシステムの総称である。
だから推しが絶対的である限り、衰退することはない。推しを推すという大義名分で承認欲求を綺麗に隠しつつも、ちゃっかりコミュニティ内で承認を得られる仕組み、これが推し活の発明ではないかと思う。この原理のもと、自分の承認欲は必ず満たされるはずである。そして、オタク的な利他愛の感情はそこには無い……というのが自身の感触である。
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……そう考えると、「自分の好きなものを輝かせたい」というオタクらしい感性とは、一体何なのか。正直なところ、これは綺麗事に留まり、少数派の域を出ないのではないかと思う。n=1。
(先生が思ってる以上に、みんな自分のことが可愛いし、実は自分を見てほしいと腹の底では思っているはずですよ。)
あとは、推し活が広まると、推される側の席もある程度増えるというのは想像が容易い。自分キラキラ系の一部は過酷な競争を超えた後にこの席に座ったのではないかと思われる。自分キラキラブームの勝者と敗者は、推し活でタッグを組んでいるのかもしれない。この話はもっと詳しい人が居そうだから誰か書いてください。
“語源として、夫の所有する人の意である” という誤解がある[1]。フェミニズム論者には好まれない側面もあるというが、安易な言葉狩りであるとも言われている。
律令制における天皇の后妃の身位及び称号。皇后・妃に次ぐ地位にあり、定員は3名。位階は最低でも従三位・正三位を与えられる。
平安時代以降、妃・嬪(ひん)の号とともに次第に用いられなくなり淳和天皇期に事実上廃止され、夫人の地位は中宮・女御・更衣へと移行する。
后妃位の1つ。 秦から唐までの後宮における高位の妃嬪の汎称。特定の称号として