はてなキーワード: サミーとは
(メーカー名は当時のものと、現在のものが入り混じって表記されています。ご了承ください。)
■92~94年 黎明期
それまで、液晶を搭載した台はなかったので、登場するとしても、
パチンコの盤面に描かれる
スロットの台パネルに描かれる 例:「バニーガール(オリンピア/1988)」※1
パチンコの役モノとして、動きがある部分に小物として取り入れられる 例:「ニューモンロー(西陣)」 ※2 「ビンビンバラエティ(西陣)」※3
程度でしかなかった。
もちろん、これらで登場した場合でも、実写調であったり劇画調であったりするのが普通だった。
萌え市場というものは、80年代にソコソコ形成されていたことを考えると、パチンコ/パチスロの萌えの取り入れはやや遅かったのかもしれない。
1991年、初カラー液晶搭載パチンコ「麻雀物語」(平和)※4 が登場。
この初カラー液晶において、大当たり直後に女性の1枚絵が出てくるが、この時の女性のタッチが、既にアニメ調であった。
そして、この「麻雀物語」の大ヒットを受けて、パチンコメーカー各社は、一気にカラー液晶搭載に突き進む事になる。
しかし、データ保持領域が大量にある訳でもない当時においては、荒い画素数で数カットの女性が登場する程度のものばかりであった。
そんな中でも、大手メーカーは、それなりに「頑張った」萌えモチーフを投入してきている。
平和が、初出の麻雀物語以降、「プリンセス物語(平和)/1993」※5 「弾丸物語(平和)/199?」※6 等、「物語シリーズ」として、この手の台を出し続けた中、
これに対抗し、爆発的ヒットを飛ばしたのが、「フィーバーパワフル(三共)/1992」※7 となる。
今でも三共のマスコットキャラクタとして、ここの出す台のあちこちに顔を出したり、主役となったりしている「夢夢ちゃん」の最初の作品。
そしてもう1つ特筆すべきは、この台の姉妹機として、「フィーバーガールズ(三共)/1993」があること。
パワフルに比べて台数は出なかったが、
「版権と組み合わせた」「オタクを直接ターゲットとした」「萌え女性そのものを完全と主役としていた」「物語性を持たせた」
という意味で、「萌えパチ」として挙げられるべき、初めての台は、この台が一番相応しいかもしれない。
「おたくの星座(FC用)」の版権を使い、キャラクターデザインが江口寿史…という辺り、実に80年代溢れるテイストがタマラナイ台。
(またこの声優陣が、千葉麗子とか高田由美とか井上喜久子とかね…)
http://ameblo.jp/hi-up-turbo/entry-10006810607.html
※2■「ニューモンロー(西陣)/1991」
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10005413668.html
http://blogs.yahoo.co.jp/newmitsuborn2008/13239836.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E9%9B%80%E7%89%A9%E8%AA%9E
http://retropachi.blog18.fc2.com/blog-entry-55.html
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10044450859.html
※7■「フィーバーパワフル(三共)/1992」
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10005687824.html
http://www.geocities.jp/pachinko_palor_teruteru_777/newpage31.html
【パチスロ】
この頃はまだ動き無し。
■95~99年 普及期
【パチンコ】
連続大当たり規制&カード化、台の設置許認可ルールの変更など、業界として大きな事件が続いた。
そんな中で、液晶搭載機が普通となり、データ量も格段に増えていく中で、萌えモチーフの台も、それなりに受け入れられていった。
いわゆる「萌え」が、たった3年程度で、あっという間にパチンコを侵食していったのは、かなり面白い事と思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6455634
「ミルキーバー(ニューギン)/1995」
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10110632872.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4852532
96年には、(版権としてはちょっとしょぼいが)既にゲームメーカーとの開発連携は始まっていた。
当時爆発的に導入された「CR大工の源さん(三洋)/1996」も、アイレムとの連携/版権モノである。(打ってる人は全く知らなかっただろうけどw)
http://ja.wikipedia.org/wiki/CR%E5%A4%A7%E5%B7%A5%E3%81%AE%E6%BA%90%E3%81%95%E3%82%93
http://www.youtube.com/watch?v=WFOU4Cp4OKg
しかし、今のように「まず版権を取って、その版権の人気にあやかる」という動きが出てくるまでには、もう少し先にすすまないといけない。
※個人的にはこの辺りも結構衝撃だった。
絵的に十分なレベルに達したと、初めて思わされた台
「CR乙姫(メーシー)/1998」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9814525
及び、バカだなと笑いつつ、「絵柄が揃うだけ」から1歩踏み出した(踏み出しすぎた?w)台
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10009539191.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6300433
【パチスロ】
なぜか、パチンコへのカラー液晶搭載とは背を向けたかのごとく、2000年まで、パチスロ台へのカラー液晶搭載は無い。
但し、萌えモチーフは欲しかったようで、パネルやモチーフとしての進出は、少しずつ始まっていた。
http://777.nifty.com/cs/kuchikomi/777_777/freeList/n3_1/n3_2/aid_onsentengoku/1.htm
(この後しばらく、テクノコーシンは、この女性キャラクタを用いて台をリリースし続ける)
■00年~ 氾濫期
【パチンコ】
既にこの頃には、「液晶は当然として、どのような絵を使うか」という面で、コンテンツ不足が目立ち始めてきた。
完全オリジナルな路線に走るケースよりも、有名人/アニメ/ゲームなどの版権を持ってきた方が楽で、客が付きやすいという流れも出来つつある。
但し、オリジナルキャラで一発当てて…という夢は捨てがたいらしく、今でも各メーカーは様々な手法を試しているというのが実情かもしれない。
パチンコオリジナル版権で、オタクファンがそれなりに付いた台として幾つか。
※完全に趣味の為、偏りがあるのはご容赦を。
「CR 超絶合体SRD(サンセイR&D)/2007」
「CR 上にまいりま~す(エース電研)/2009」
【パチスロ】
2000年に、初のカラー液晶搭載機「ゲゲゲの鬼太郎(サミー)/2000」が登場以降、萌えの侵略が一気に進むか…と思われた。
しかし、実際にあからさまにそれをターゲットとした台は、「賞金首(NET)/2003」まで見当らない。
NETとテクモが提携して、オリジナルキャラで液晶演出を作り上げて、何作かリリースしている台は、どれも「あざとい」といわれつつも、オタク層を掴んだのだけは間違いない。
「賞金首(NET)/2003」
「SuperBlackJack(NET)/2003」※Rio初登場
以降、NETは全面的にオタク層をターゲットとし、オリジナル版権の確立に突き進んでいる。
また、2004年にパチスロの性能許認可の方針が変わり、ギャンブル性を抑えられた台しかリリースできなくなった事をきっかけに、他のメーカーからも、新規顧客層を狙ってか、萌えを用いた台のリリースが出てくる。
とはいえ、パチンコ同様、オリジナル版権で戦っているのは一部であり、アニメやゲームで既に知名度のある版権を引っ張って作り上げるケースが殆どである。
パチスロオリジナル版権で、オタクファンがそれなりに付いた台として幾つか。
※完全に趣味の為、偏りがあるのはご容赦を。
「快盗天使ツインエンジェル(トリビー)/2006」
「がんばれ満月姫!(トリビー)/2009」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA_%28%E4%BC%81%E6%A5%AD%29
パチンコ、パチスロに関して、既存の版権(アニメ/ゲーム/漫画/芸能人等)を片っ端から抑え、メーカーへ販売。
また、メーカーが作った台の、店への卸販売など。
この会社が各種版権を抑えに出る前に取得した、幾つかの版権は、繰り返しリニューアルされてリリースされたり。特定の版権の噂が出たり出なかったり。ドマイナーな版権でしか勝負してこない小さなメーカーが有ったり。
今や、パチンコ、パチスロにおいて、台を売るセールスポイントとなった版権について、ここの会社抜きにして語れない事が非常に多い。
HTMLはわかるけど、サーバーサイドはお遊びでphpを触ったぐらいだったので、会員制でデータをためこむサイト作りに初めて挑戦した。
今回重視したのは、「いかに個人情報をお漏らししないようにして、万が一漏らしても被害を少なくするか」ということ。
世の中、有償サービスでもパスワードを平文で保存してるサービスが意外と多いらしいので、流出した時のリスクを少しでも減らせる対策として書きます。
サーバー:ロケットネットのキャンペーンにでレンタルサーバ年1000円ポッキリプラン クライアント側の処理:HTML+CSS+jQuery(とプラグインもろもろ) サーバ側の処理:PHP Webサーバー:Apache データベース:MySQL
俺も巻き込まれたところでは、サミータウンがメールアドレスとパスワードセットでお漏らししてお詫びに1ヶ月無料なにそれこわい。
サミータウンだけならまだいいけど、メアドとパスワードを他のサービスで共通化して使ってる情弱なので、
共通化してメアドとパスワードをどこかのサービスが一箇所でも漏らすと、ヤフオクID乗っ取り事件みたいなことになる。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/09/26/20967.html
俺だってできれば人様のメールアドレスとパスワードとか預かりたくない。
万が一、肉親のメールドレスを発見してパスワードにrapemeとか入ってたら明日からどういう顔すればいいかわからない。
ググってみてもどこにも情報のってない。うーん困った。ダメもとで「個人情報ってどうやって保存したらいいんだろう。。。」
って、twitterでつぶやいたら、「住所とかは可逆暗号化でいいけど、パスワードはハッシュで不可逆化しないとだめだよ!」
「住所とかは可逆暗号化でいいけど、パスワードはハッシュで不可逆化しないとだめだよ!」
何のことかわからなったので、調べてみると、
・ハッシュ=ハッシュ値を使った、元のデータに戻せない暗号化方式
うーん。。。よくわからん。。。
電話番号とか住所は、第三者が使用する情報なので、可逆が必要。パスワードは、認証にしか使わないので、
ハッシュ値の結果が一致すれば元のデータがわからなくてもOK、という方式なのでこういった暗号の使い分けをする。
●可逆暗号のイメージ(もとにもどせる) 暗号化キーは開発者が指定する。 090-xxxx-xxxx →(暗号化)→ !'&%($% →(復号化)→ 090-xxxx-xxxx ●ハッシュのイメージ(もとにもどせない) 登録password(DBに保存)→(ハッシュ値抽出)→!"$#'$#=" ログインpassword →(ハッシュ値抽出)→!"$#'$#=" ※二つのハッシュ値が合っていれば、パスワード一致として認証する。
今回はMySQLの関数で実現した。encode関数で暗号化して、decode関数でもとに戻す。
例えばtel_noという項目だけあるテーブルがあるとすると、
//データベースに保存する時 insert into テーブル名 (tel_no) values (encode(tel_no,'暗号化キー')); //データベースから取得する時 select decode(tel_no,'暗号化キー') from テーブル名;
これで、データベース格納時は暗号化(バイナリ化)されて、データベースから取り出してHTML表示する時に復号化はされる。
<ユーザ登録時>
$password=(フォームから取得) $hash=hash('sha512',$password) //ユーザ登録時は、ここで生成した$hashをデータベースにぶっこむ。
ユーザ認証時は、入力されたパスワードと、データベースのパスワードが一致するかチェック。
//フォームから入力されたパスワード $input_password=(フォームから取得) $input_hash=hash('sha512',$input_password); //MySQLに保存されたパスワードを取得(略) $db_hash==(データベースから取得) //判定 if($input_hash==$db_hash) echo 'ログインしますよ!'; //ここにログイン処理を書く else die('メアドとパスワードがあってないよ!');
これでもしSQLインジェクションとかでデータが流出しても、ハッシュ暗号のパスワードに関してはまず解析されないはず。。。
可逆暗号のデータもphp側の暗号化キーが盗まれない限りバレない。。。はず。。。
何でもかんでも暗号化するとコードが煩雑になるし、パフォーマンスにも影響でそうなので、
住所データの都道府県とか、漏れても良いような情報は暗号化しませんでした!!
個人情報保護法 2条による定義 「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。
これで、もし漏れても、俺、ウンコ漏らして臭いけど、パンツから出てないからいいよね?というレベルにはなった。はず。
万が一漏れても大丈夫!と書いたけど、そもそも漏らすなというお話になる。色々調べた結果、以下の対策をほどこした。
・当初jQuery側でSQL組み立ててPHPに渡してたので、これだと任意のSQLが実行できて漏らし放題なのでやめる。
・GETとかPOSTでDBに渡すパラメータを扱ってる場合、ちゃんとエスケープする。
例えばログイン認証するPHPで、GETメソッドでフォームからデータを取得するような場合、
$id=$_GET['id'] $pwd=$_GET['pwd'] $sql="select * from ユーザーテーブル where uid='$id' and pwd='$pwd'
とかやってると、login.php?id=admin'&pwd=' OR '1'='1とかパラメータを渡されるとあら不思議!
select *from ユーザテーブル where uid='root' and pwd='' or 1=1
で、誰でもログイン出来ちゃう!ので、mysql_real_escape_stringでエスケープしたり、渡されたパラメータが想定した値かどうか(例えば数値かどうか、とか)のチェックをいれたりする。
・保存するデータにタグやJavascriptを埋め込まれないように、保存されたデータを出力する場合はPHP側でhtmlspecialchars関数使ってエスケープするようにする。
こんな感じでお漏らし対策をした。間違いがあったら教えて欲しい。
ちなみに出来上がったサイトはこれ。
http://www.j-cast.com/2011/01/25086431.html
なんか、10年以上昔にもどったような、そんなニュースだったw
とはいえ、覚えている限りでも、パチスロの異常割は結構な件数が在ったり。
(いわゆるゴトと呼ばれる、特殊機器や台扉開けなどの操作を除く)
1.5号機時代
FireBird(現ユニバーサル系列): ボーナス中に特殊な打ち方で、予定枚数を越えてコインを出す事が出来た。
2号機時代
リバティベルその他(現ユニバーサル系列) : 特定の操作でボーナス強制スタート
サファリラリー(現大都?) : 小ボーナスを揃えられる状態なのに、大ボーナスを揃えられた
ムサシ2 (パイオニア): 大ボーナス揃えられる状態で延々とコインを増やせた/何と盤面をグッと押すとリールを止められたwそのままボーナスをそろえる事も可能
3号機時代
コンチネンタル(現ユニバーサル系列): 大ボーナス揃えられる状態で延々とコインを増やせた/メーカーが仕組んだボーナス強制成立装置に、アホな罠があったため、ボーナスかけ放題
ドリームセブンJr/マジカルベンハー(現アリビット系列?) : 大ボーナス中に再度大ボーナスをスタート
4号機時代
ビーナス(現オリンピア系): 子役を取得する方法を工夫する(変則押し等で察知)事で、通常時に子役を想定より多く取得する事が出来た
※あともう1台、別メーカーで同じ失敗の台があったはず。名前失念。
■メーカー純正台での異常割事件/それメーカー(というか開発者)がコッソリ仕組んだんちゃうの?編
(以下すべて4号機)
サミー系の多数の台 : レバーをゆっくり下げて、リールが回ったら即放すという手順で、取得した乱数を前回の値のままに出来た。
※当時、特定の台では特殊な子役をきっかけに大量の出コインを獲得できる抽選を行っていた為、破壊力が大きかった。
獣王(現サミー系) : ランプの点滅で、特殊なゾーンに居る事を察知する事が可能(これは判別できてはいけなかった)
インディジョーズ(現サミー系) : ランプの点滅で、多数ある15枚子役の絵柄を推測しそろえることが可能
ゴールドX(現ユニバーサル系) : 液晶に出る数字で、15枚子役の揃え方を推測可能
雑誌などにも載った、有名かつ知名度の高いものに絞っても、こんなところ。
1号~3号機までは、パチスロそのものの作りが甘く、これらの話も多く聞く事があった。
しかし4号機の初期は、メーカー側も決まりきった性能の台しか作らなかったので、この手の話は殆ど聞かなかった。
4号機後半になって、特殊なゲーム性がお目こぼしで許可されたとたんに、色々と変な事件が出たりしたけど、それも結局5号機で完全に息の根を止められたわけで。
5号機になってからは、割の計算や技術介入余地などは、完全にシミュレートしているので、そう簡単にこの手の話は出てこないと思い込んでたんだけども。
って、ここまで書いて、ヤケにサミー系の黒さが目についたりw
なにが「娘(ニャン)type」だ!!ふざけんな!!
はっきり言って危機感がねぇんだよ角川に。
最低だな。そもそもNewtypeって言ったら、「ディア」や「ジュ」よりも硬派なのが売りだろ?
高いレベルの雑誌を今までみたいに造ってれば、読者はちゃんとついてくるんだよ!!
だいたい、表紙が「なのは」ってなんなんだよ!!エロゲオタに媚売ってんじゃねえよ。
よくもまぁあんなの表紙に持ってくるよな。
なのはって「天地無用!」における「プリティサミー」みたいなもんだろ?
かってにやってろって感じだな。Webで表紙見たけど「誰?」って感じだし。
わけわからん萌えアニメの記事ばっかり掲載されてるんだろうな、資源の無駄遣いじゃね?
いまさら感が拭えない感じはするけど、これだけは言わせてくれ、
しいたけ。
Haruki Murakami が 「エルサレム賞」なるものをもらうことになったとかいう話。
イスラエルは人殺しのの悪い国なので、そんなところの賞は、辞退しろ。
黙ってもらうのはけしからん。
検索してでてきた根性のある日曜左翼女史の話をひきあいに出して、
見習え。
とか。ほんとに、やれやれ。
情報の少いところで、ほにゃららはへにゃららであれねばならぬ、というような思いいれで、どんぱちやっているわけだ。
まあ、「エルサレム賞」の「エルサレム」にみんな反応してるわけだが、これって何? どんな賞か調べてみた。
Jerusalem Book Festival にくっついている賞ということ、ふむふむ。Festivalのサイトに説明がある。
....
ここからノーベル賞5人も出てるんだね。ということは、ノーベル賞にかなりリーチポジションへのステップでもあるわけだ。そりゃほしいよ。
どんな人が審査員か調べてみた。市長が任命か、なるほど。政治の世界だな。ハアレツの編集員とか... 、
ありゃ、エトガール・ケレットが3人の審査員のうちの1人じゃないか。
「イスラエル人みんな悪〜い、賞も悪〜い、もらうのよくな〜い」みたいなのってちょっと短絡的じゃないかな、ということで、ちょっとけれっと。
日本語の記事にまともなのがない。
本人のwebsite だ。
http://www.etgarkeret.com/news.html
そこに出てくる最新のLA Times の記事は一読の価値がある。ほんもののドンパチの話だ。
政治と文学の話だと、インタビューの手軽なのがカナダの新聞にありますね。でもフランス語 orz。
でも、わりにまとまっていて、問題をもうちと繊細に考えられるてがかりかもしれないので半分くらい訳してみました。
エトガール・ケレットとのインタビュー -- いやいやながらさかなにされ(超訳)
Entrevue avec Etgar Keret - Controverse' malgre' lui
Le Devoir.com
2008.5.17/18
http://www.ledevoir.com/2008/05/17/189963.html
イスラエル人の作家であることは楽ではない。たとえその国で左翼であっても。スター作家 のエトガール・ケレットにそのことを話してみよう。パレスチナ人の友人、サミール・エル・ユセフとの共著で『ガザ・ブルース Gaza Blues』を書き、しかし、論争の中で、そして、母国であり今でも自分が住み続ける国に対するボイコットをの中で、困難にもかかわらず、生きつづける彼に。
「イスラエルに生きるのは簡単ではない。それは確かだ。しかし、作家にとってのほんとうの国、それは言葉だ。ぼくにとって、ヘブライ語を話せない場所に生きるということは、一種の亡命だ」[...]
イスラエル政府に対しきわめて批判的な彼は、ホロコーストの生き残りである父と母の、反骨精神を受け継いでいる。「両親は、よく言っていた。イスラエルはいくつもの問題をかかえているかもしれない、しかし、少くとも、それは私たちの問題で、そして、それを私たちが告発することを誰も禁止することはできなかった。他の国で、もし私たちが政府に対して抗議の意を表わせば、国へ帰れと言われるだろう。」
世界的に認められた左派の作家であり映画監督(伴侶のシーラ・ゲッフェンとの共作による処女作『ジェリーフィッシュ Les Medues』は批評界から絶賛され、2007年のカンヌでカメラドール賞を獲得した)である彼も、論争の外側にはいられない。
最近でも、パリのブックフェ、サロン・ド・リーブルがイスラエルの建国60周年に関心をひくため、同国を招待国としたとき、複数のアラブ系の作家と出版社が行事のボイコットを呼びかけた。エトガール・ケレットもイスラエル側の招待者リストに入っていた。「知識人がボイコットを呼びかける、しかし、そこに知性的なものなどなにもない。ボイコットは、あらゆるコミュニケーションを拒否することだ。それでは結局、他人に考えを変えさるチャンスはなくなる。それは、だから、行動としてはとても矛盾に満ちたものだ。」
[トリノのブックフェでボイコット騒ぎにあったとか、カナダで爆破予告電話を受けた話とか、中略]
それでも、エトガール・ケレットはパレスチナ人とイスラエル人の間の対話の推進者だ。その本 『The Bus Driver Who Wanted to Be God』は、第2次インティファーダ以来、アラビア語に訳されている唯一の本である。とうことは、パレスチナ人はエドガール・ケレットを読んでいるのだろうか? 「ぼくの本のパレスチナで出版してくれる人にそう質問してことがある。彼が答えるに、売れ行きはいいが、でも、読んでるのか、それとも燃やしているのかまではわからない、とさ」。
[彼の本を読んだパレスチナ人の反応とか、いろいろ中略]
エトガール・ケレットは「やむにやまれぬ楽観主義者」ではあるが、文学の力の限界について十分に意識している。「1万冊の本ができることは1発の銃弾のできることの半分だ。建設することより破壊することのほうが簡単だ。書くということは、ぼくにとって、一種のセラピーだと思う。自分の本で世界を変えようなんて思ってはいない。」
未来に対する大きな不安を抱きながらもーー彼はイスラエル消滅の可能性さえについてさえほのめかしているーー、彼はパレスチナ人とイスラエル人がいつの日かいくばくかは平和に生きられる可能性を信じている。
[いろいろなるほどと思うことを言ってるけれど、疲れたので後略]
はい。
まあ、イスラエル人といってもいろいろ立場があるということで。
賞とかボイコットについての考えも。
追記 もうちゃんとまじめに調べた人がいたんだね http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090128/p3
<1愛の力>
愛は永遠である。たとえあなたの愛が報われなくても、その愛は逆流し、あなた自身の心を和らげ、清めてくれる(ワシントン・アーヴィング)
それが、以前の彼と同一人物だと思えないくらい、愛が一人の人間を、大きく変えてしまうことがある(テレンス)
愛しなさい。そうすれば愛される。愛はすべて数学的で、代数方程式の両側面のように公平である(ラルフ・ウォルド・エマソン)
自分たちを傷つけるものまで愛するのが、人間の義務である(マルクス・アントニウス)
<2信念の力>
征服の条件は、いつも簡単である。「しばしの間、苦労して耐える」「常に信じる」そして、「決して後悔しない」この3つ。ただそれだけのことである(シムズ)
私には、ある信念がある。実のところ、今日まで自分が達成したことのすべては、その信念のおかげなのだ。すなわちそれは、「並みの才能」と「並はずれた忍耐力」があれば、どんなことも達成可能、ということだ(T・F・バクストン)
根気よく努力を続ける人は、他人が失敗に終わるころに、成功への第一歩を踏み出す。(エドワード・イグルストン)
慎重に、あせることなく前進するものにとっては、どんな道もそれほど長くはない。そして名誉へ向けて、忍耐強く準備するものにとっては、そこへいたる道のりは、それほど遠くない(ブルイエール)
人間はすべての動物の中で唯一、動物的欲求の充足だけでは決して満足することない生き物である(グラハム・ベル)
立派な人の生き方は次の3つからなる。「高い徳」すなわち不安がなく、「賢明」すなわち困惑することがなく、「大胆」すなわち恐れることがないということだ。
<4今日は死ぬにはいい日だ>
誰にとっても、人生は一冊の日記帳である。始めに、人はそこにある一つの物語を書こうとするが、結局それとは別のものを書く。人は実際につづった日記帳の厚みと、自分がつづろうとした物語の量を比較する時に、最も謙虚な気持ちになる。(ジェームズ・バリー)
生や死に対する治療法は、その2つの出来事の間の時間を楽しむ以外にない。死のもたらすくらい背景は、人生のや割らない色を、くっきりと引き出してくれる。(ジョージ・サンタナ)
人々が、あなたのような人間となり、あなたのような人生を生きれば、この世は神の楽園になる・・・そんな人間になりなさい。そのような人生を送りなさい。(フィリップス・ブルックス)
<5自らの、そして相手の好調不調の周期を知り、さらに不調に対処できるようにする>
道端に座り込み、誰かが富や力を目指している走っている車に「一緒に乗っていかないか」と誘ってくれるのを待っていることほど愚かなことはない(ジョン・ゴフ)
人生の流れにおいて、最高の瞬間というものは、またたく間にすぎ去ってしまい、そのあとには砂が残るだけだ。われわれは天使が去ってしまった後、はじめて彼らが自分たちのもとを訪れたことに気が付く。(ジョージ・エリオット)
賢い人にとって、チャンスは見つけ出すものというよりも、創り出すものである(F・ベーコン)
<6自ら笑い、そして周りに笑みを与える>
何が成功かはわからない。けれども失敗が何かは知っている。失敗とは、すべての人を喜ばせようとすることだ(サミー・デイヴィス・ジュニア:エンターテイナー) *1
人は笑いという人生の大きな喜びのためを思って、あまり賢くなりすぎないよう気をつけるべきではないだろうか(アディソン)
完全に失われてしまった日というのは、一度も笑うことのなかった日だ。(シャンフォール)
私なら、阿呆を手に入れて、陽気に暮らす。経験を手に入れて悲しく暮らすよりはましだと思うからだ(シェイクスピア)
いつも元気でいなさい。元気な気持ちを強く持っている人にとって、どんな道も容易に歩むことができ、どんな負担も軽くなり、自分を悩ますどんな影も、すぐに立ち去ってしまうものです。(ウイリッツ)
<7普通の人より、ほんの少しだけ優れていることを目指す>
平凡というものは、凡人の目には最高に素晴らしいものとして映るものだ(シュペール)
<8自分から今すぐに行動を起こす>
交遊に成功した日は、ビジネスで失敗した日である。
神はよい考えを受け入れるが、人間にとっては、もしその考えが行動に移されなければ、それは単なる良い夢にすぎない(F・ベーコン)
人生は怠惰な瞑想や自己研究のためにあるのではない。また、真実とは何かとくよくよ感が混むためでもない。行動。行動のみがその真価を決定する(フィヒテ)
われわれの重要な務めは、遠くにあるものをぼんやりと眺めることではなく、近くにはっきりと見えるものから取り掛かることだ(カーライル)
<9神を信じ 神に祈る>
ちょっとした祈りの記録をつけるといい。そうすれば実際の日常生活で、その祈りの言葉を撤回できなくなるから(ヘントリー)
正しく祈るものは、決して泣きながら家に戻ってくることはない。自分が頼むこと、または頼むべきだったことの、いずれかは必ずかなえられる(レイトン教授)
世間が夢見る以上のものが、祈りによって創られる(テニソン)
<それでもなお、人を愛しなさい>
何事も、価値のある立派な行為で、一生のうちに成し遂げられることなどありはしません。それゆえに、人は希望によって救われるのです。何事も、美しいもので、たちどころに理解されるものなどありはしません。それゆえに、人は信念によって救われるのです。何事も、価値のある行為で、一人でなしうることなどありはしません。人々の協力によってなされなければなりません。それゆえに、人は愛によって救われるのです。(ラインホルト・ニーバー)
95%の人が、まだ使われていない自分の能力を呼び覚ます決意にかけている(ウィリアム・ダンフォース)
愚か者は、平凡という平原に身を落ちつけて、高い所に立つ人を見あげながら自分の身を不幸や、不運だと嘆き悲しむ(オグ・マンディーノ)
ほってんとり経由で
http://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/51283909.html
火の鳥じゃね?
ロビタ?チヒロ?
大事故で手術の後、人間が人間に見えなくて作業ロボットが唯一人間らしく見えたほうはチヒロだっけか?
ロビタはムーピーと心中してロボットになったエリートの後日談だったような・・・
イノセンスにも似てる?
もしくはSACのささやかな反乱。
この原則を守りつつロボットの尊厳らしきものを守る行動が自殺。
ロビタでも、イノセンスでも。
チヒロのケースは忘れた、SACの3話はマスターの命令に背いて犯罪行為を止めたんだっけ。
イブの時間も2話のラスト付近でロボットの個性がどうのこうのというネタになっていたから、個性の果てに自殺するのかなぁ
イノセンスもロビタも中身は人間から・・・というケースだったからイブの時間でもゴースト元があるとかだと内容的にヤバイネww
人工知能は高度演算処理プログラムじゃなく、ネットワークの海で生まれた人形使いであってほしいな・・・シナプス的に(で増田が人工知能の日記となるとwww)
見えるものや音や匂いなどが平坦に、平坦な俺に真っ直ぐ降り注ぐ。それは祝福であるなんて脳みそ皺なし。どうにかなって。140センチメートルほどの老女三人が談笑しながら歩いて、向こうからやって、決して俺を見ないのだが、一つだけ言っておきたい。三人はそっくり。俺は、何もかも平坦でつらいというか、しんどいし、だるいなあ。言ってもしょうがないから。音も平坦なのは耳が悪くなったのかなと思いながら、ぼうっときょろきょろばかりしていると急に目がおかしく、ぐわんって明滅し、次第にスケールが狂ってしまう。体も重い。ふにゃふにゃーっと体が背骨ごと折れ曲がって俺は座り込んでしまうともう立ち上げれず。老女はまだ遠くからにやにや歓談しながら近づいて、その所作は極めて小人っぽく、近づくごとに、ああ矢張り小人なんだろ、と確信したくなるほど小人なのだがしかし多分小人じゃないなと心の何かによって思って、落ち着け俺、と呟いたが落ち着かない。そわそわしてしまう。この奇妙さは何なの。あ、今気付いた。なんか俺が小人になっていくようでもあるな。なんでだ、と思っていた。そして、いや、スケールがおかしいのは俺以外のものがどんどん大きくなっているからじゃねえ、と思ったら。寧ろ婆たちはでかくなって、俺が小さくなりだして。あらあら。俺以外がみんな大きくなるのと、俺だけが小さくなるのはどこに区別があるんだ。むずかしいですね。俺以外はどんどん大きく、それか、俺がどんどん小さくなって、ある地点で、婆よりも俺のが確実に小さいと思ったけれどもサダカではない。しょうがないな。俺はガンタンクのように立ち上がってぐんぐんっと逃げたが、小さくなっているので中々前には進まないでその場から遠ざかれない。婆らが、しわがれた声で笑いだした。不穏。気温が下がった。サミー。ひゃーひゃーひゃーと笑う声が、ドーム内のようにくぐもって木霊するのがきもちわるく、むかつく。俺が小さくなるのは止まないし。笑い声も止まないし、耳が聞こえないし、目も見えなくなったよ。今。笑い声だけ聞こえる。何も見える。すべては世界の所為であると僕は直感した。それほど悪辣な、悪魔的な所業。世界の所為にした。私以外のものすべてが世界だろう。私は私のことを省みない婆たちを恨みたいが、しかし、善良幸福そうな彼女らが私利私欲怨恨怨嗟のために或いは意地悪で或いは俺を怒りらせようとしてわざと嫌な風に笑っているのだ、とは思えなかったし、文句を言う気も起きなかった。いづれ止むだろう。と思って我慢した。4秒。しかし、笑い声は止まぬので、俺は益々苛々してくよくよした。それを反復しました。いらいらくよくよしました。疲弊した。もういきていられぬ。婆らは自分がそのような声を出して笑っていることについてどう思っているの、と考えた。知っているのか。受け入れているのか。幾十年前は恐らく婆たちだって花も恥らう乙女だったんだと思うけれど、その時もああやって笑ったのかというと、あんな風には笑わないだろ。少なくともしわがれてはいないんだ。じゃあ今俺をくよくよさせているこの声は何なのか。これが老化か。格好良く言うと老化現象。わからないが。いや。分からないけど、でも、と、私ことあたいは思ったンだ。私たちの住む世界というのは何の断りもなく当人さえ知らぬうちに何もかも変容させるし、それも受け入れないならば死ぬしかないみたいな嫌がらせのようなあくどい世界で、それはまあ何度も何度だっていやになるのだが、しかし死んだからといって願いが叶うとは限らないし、それどころか死んでしまったら自分がその現状さえ維持することも極めて難しくなる。例えば、死んだ自分を自ら死んでない死んでないなどと言ってフォローすることさえ自らが死んでしまっては不可能なんであるからね、というか大体において死んだ身体というものは動かないし死ぬのは怖いし死の先は見えず見えないものというのは大体において恐ろしいものだけどそれが何故恐ろしいかというとそれが何なのか分からないからでまた大体のものというのは分からないものなのでもあるからこそ分かったような気にもなるのな。たぶんだけどね。お前が悪いわけじゃなく、お前が悪いわけでもないんだがお前が嫌い、と思っていた。僕は。そして、気がつくと目が覚めていた。気がつくときはいつも目が覚めていた。ほってんとりを見ていたら、コーヒーをこぼしたらキーボードが壊れた。多くのキーが反応しない、そんななか、kキーだけ自分は押されてると思い込んでkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkってなってる。押してないいよ。キーボードを買いに行く。しかしお腹が、ぐるうん、ぐるうん、ぐるうん、と断続的に、連続的に鳴り続けて止まないのだがどうしたら良いのだろう。お腹の音は本人が思うより周囲には聞こえないものだけれど、聞かれても大人的に知らんふりされるのだろうけどで、さすがに、これは、知らんふりしずらく、見つかったら、奇妙というか珍妙で、恥ずかしい、堪らないなと、僕は舗道をずんずんと早歩いていた。空腹というのは波だから、収まるのを待とう。それまでは、騒音のある郊外にいようとおもったのである。さみーとか思いつつ。考えつつ、ふらふらする。そもそもお腹の音が止まないということはありうるのだろうか。僕は今現に自分で止まないと言っているのにそれを疑っています。疑り深い。ぐるうん、ぐるうん。空腹。自分が楽器になったようだ。或いは虫だな。空洞の胴体が振動している。手はおまけのようにくっついてぶらぶらしているし、足は勝手に歩んでゆくような。頭は余計な下らない装飾のように生えているだけだ。腹が歩いてく。盲目の人を見かける。こんな街中で。赤線の入った白い格好良い杖をもっている。俺のことが見えない人。盲人。意地悪をしたくなる。僕は眼というのが嫌いだなあ。とくに軽蔑の目なんかは胃が痛くなる。敗北感が鳩尾辺りできりきりする。次の朝起きれなくなる。その割りに僕という人は尊敬される人でないし、寧ろ積極的に軽蔑される人だよなー。不思議。世界は絶望で満ちていますか。だって。わらた。いやらしいハッピーエンドいやらしいいやらしいいやらしい。迷惑な命。生まれてきて残念でしたすいませんでしたもうしませんもう生まれてきませんビスケットのすいませんでしたマリーを食べていたら頬がなんだか熱をもってしまい口中は乾いてつばを飲んだら喉が痛うという憂き目である。散々だ。死んだほうが益しだ。菓子ばっか食っている。たまにしか死にたくならない。幸いなことである。なんて幸福なの。なんて幸福なの。自己を規定する際他人というものはとりたててじゅうようで他人なしに自己を形成しようとすると失敗してしまうな。自分とはおそらく社会的なものなんであって他人なしで自己を作っていくと自意識だらけになってしまうのだろ。結果的びに自分の誠実を守るために都合の良いルールを取り入れなければならず、自分中心を後後天的に許容して、独我てきに、あらゆる責任は私に帰するのだとして、私が気持ちよいやうにやる、と言って逃げ回っておるだけで、逆説的に、逃げるのはつらくないから気持ち良いのであって、結局、態度を保留し続けているという極めていやらしい態度で生きている。のうのうと死にもせず、愛されもせずに。おぞましく不愉快な生物がいたものである。ああそうだ。何もしてないのに髪が伸び続けるのは俺へのあてつけで、嫌がらせなのだ。爪が伸びるけど爪きりが見つからない。すぐに物をなくしてしまう。数年前のことなんだけど、2ちゃんねるの書き込みの、思春期に愛されなかった人はもう一生愛を知れない、というような断言には呪われてしまっていた。そこまで言い切る根拠はなんだ、気が狂っているのか、こいつと、おれは全く思わずに、静かにゆったりとした時間の中でぼんやりと発狂するところだった。精神薄弱である。でも実際、そんな阿呆な、とすら思えなかったのでびびりますね。如何に下らない言説であろうともタイミングによっては直撃的なネガティブな信仰・呪いとして無抵抗で受け入れてしまうときもあるものなのだな。少なくとも俺にはそういうところが。俺はそのときは本当に呆然自失して、がびーん、てなってた。もうだめだ。もう。このクソみたいな煽りみたいな2ちゃんのレスに中てられているんだけだとは半ば、知りつつも、悲劇みたいな憂鬱的な心地よさにおちついて、徐々に憂鬱浸しになってゆくしな。しにたいとゆって、決して死にたくないのに。死にたいと言う人にじゃあ死ねというのはひどいね。だれのこととはいわないけども死にたいって言うひとはたしかに気持ち悪い。うぜえ。死ねばいいのに。だめなやつら。時折死にたいと呟くやつがいるが、いけないんだぜ、実にいけない、俺は少なくとも本当は死にたくなんてなかった。死んでしまった以上なんとも言えなけれどもね。俺は、つうか寧ろ、なのであるが、生きていない状態を死んでいると言うから、つまり、それは生きているの対義語なんであって、だから、生きたくない、死んだ状態になってしまいたい、という意味で死にたいと言ってゆるのであって、まじ死のうとしている気狂いと一緒にすべきではなかった。願っていただけだった。おれは。静かに。死ぬという行為をスキップして死んだ状態になりたかっただけだ。歩きたくなければ歩かなければ良かった。生きたくなければ生きなければ良い。それは馬鹿だ。馬鹿な話だ。この世は極楽だ。歩かないことは簡単であるが、生きないことは簡単ではない。我々はもはや生きないためには積極的に死ななければならない。生きないからと言って呼吸運動を停止するのはつらく、ご飯を食べないのもつらい。痛いのはつらい。そして、だからこそ僕は死にたいと言って死ぬ覚悟を得るために生きない理由を思いつこうとするがどれもこれも結局のところ全く致命的ではないのだ。吃驚しますね。いいから死ね。積極性をもって死にたくない。だって俺は生きたくないだけだ。誰が好き好んでつらい思いして死ななきゃならないんだ。馬鹿か。もういみわかんねえ。せかいはいみわかんねえよ。いいから死ね。命に意味がほにゃららと誰かが言い、クソカルトである不謹慎禁止教徒どもが、わめきちらす思想はすべての命を汚辱に浸している。倫理なんか水伝と一緒の癖に。人なんかみんな死ねばいいんだ。つらいのが嫌なだけで、そういった思想の持ち主は生きていてはいけないのだ。俺はただ動物のように生きたいと言うが動物にしては恵まれすぎている、といって、俺から言語を使うな、火を使うな、道具を使うな、公共を使うな、恥じ入っても生きろ、などといえたものか。動物が有利を捨てたりするものか。あらゆる責任を放棄して、迷惑をかけて、死、ん。うんざりだな。死にたくない。今の生きている状態を回避していたい。つまり死にたいのだが。死んでいたい。最初から死んでいたい。それはできない相談だ。死ぬのが怖い。それだけでなく、実は死ぬ先も怖い。びびっている。地獄なんてないのが嫌なんだよ。俺は。地獄なんてないと人は言うのだ。まともな神経の人間はそう言う。地獄なんてないとまともな神経の人間は人は言うのだが、そんなはずはない。僕に地獄が与えられないはずが無い。平等に与えるべきだ。子犬に、子リスに、養鶏に、俺に。平等に。あらゆる生き物の命は平等である。それは正しい。あらゆる命が平等に無価値だ。正しい。たしかに! そうして価値は常に"社会的"にのみ宿るのであった。ウケル。俺は絶対に働かないと言ってやる。そうすれば少なくとも俺から奴隷的価値はなくなるかもしれない、扱いにくいとして少しは減ぜられるかもしれない。もしかしたらだけど。いいから早く死ね。そうして、俺は不健康だし、やせ細って、いる。だが僕には価値がある。マッドサイエンティストの実験用人間としての価値。人間を粉にして作る薬の原料としての価値。まずい人肉としての価値が、俺にはあるぞ。僕が何かの人質になると人道的なんとかと言って誰も俺を望まなくても俺には人質として価値が付与されるのだ。俺は社会的な生き物なのだ。じゃあ鯨も社会的だ。鯨食いてえ。蟻は社会的だ。ライオンは社会的だ。カブトムシは社会的だ。カカオは社会的だ。人間なんてくそだ。って鯨が言ってましたよ。どうなんですか。人間。鯨の命はチキンのより価値があるのだろう。ばい菌やビーフやエチゼンクラゲや保健所の犬とかわいがられてる犬と投げ捨てられる子猫と野良猫と血統書とかペットとか金持ちの子と貧乏人の子。すべての価値を認めたくない。地獄なんてなかったね。行ってきたけど、ありゃあ地獄なんて呼べるようなとこじゃねえ。よって結論はあの世に地獄なし、ということでね、知ってるわ、じゃねえ。しらねえよ。お前。地獄なんて信じないくせに。いや、あるかもしれないし、死んでみないことには、などと、阿呆らし、論壇きどちゃって? はは、こうしたこまっしゃくれた奴らは駄目さ。なんでもメタに構えちゃってね。俺がメタのメタに立って優越感ゲームになっていますね、って、そのレッテル貼りが既に優越感ゲーム、ゆゆゆゆゆって、ですか、阿呆らし、やめよ、どちらにせよ論理的云々などといってはまた保留だよ、永遠に保留し続けますか。まあ、だからと言って地獄の存在を鵜呑みにする連中ってのもどうかと思いますけどね、端的に言って宗教者はきもい。宗教は駄目だ。というのは俺が信じれないからだけど。俺に純真がないからなあ。奇跡がない。啓示が。俺に与えられない。これからも与えられはしないだろう。何かを与えられる事を望んではいけない。どのような状況においても。それは甘えなのだ。つらい事をやめてはいけない。それは怠けなのだ。ナマケー。いいからやれ、と、結局はそれへ収斂するよね。あらゆることがそうなのだよ。俺は仮定で、空想上の人物で、空論以外に、何かを実行することが、不可能なのにな。残念だ。あるひとは俺を指して、言語に支配されてきもい、と言ったのだ。たしかに。だった。そういうしかねえよ。本当正しいぶっていますね。俺なんて、いいから死ね、といわれればそれまでである。死ぬしかない。いいからやればー。うるせーばか(ここで絶命しました)。