はてなキーワード: 学校教育とは
「ゲーセン系」の議論は一通り出たと思うけど、同時に引っかかった点がある。
ゲーセン系の話に噛みついた人はあくまでも「泣ける」と安易に感動した人に向けられたものである。
それを「感動しちゃ悪いんですか!?」って逆ギレしていた感じ。
確かに個々の感じ方は様々でいいけど、安易に「面白い」「つまらない」を言いすぎる風潮があるかもしれない。
「ここの〇〇が面白かった」「あそこはよかったけれども、この点がよくない」とか
一人一人が根拠を持っていればあそこまで大きくなることもなかったとは思う。
要は「全肯定」か「全否定」かしかないから溝は埋まることはないってわけ。
ただ、物語の読解力や全体を見る力は全体的に低下しているのかもしれない。
圧倒的に「自分が理解できない=つまらない」だと思っている人が多い。
それはあくまでも「個人」が理解できないものなのに、「全体」が理解できないと思って
感想レビューに「最悪。見る価値(読む価値)なし」とか平気で書き捨てるのはどうなんだろうと思う。
それも「全肯定」か「全否定」しかできないから起こる現象なんだろうか。
その流れでよく言われるのが「起承転結がなってないから最悪」という言葉。
確かに物語の基本は起承転結かもしれないけど、必ず起承転結があるとは限らない。
それをまるで鬼の首をとったかのように言い張るのはどうかと思う。
作文も起承転結、小説も映画も全部起承転結じゃないと理解できない頭になってるんじゃないだろうか。
頭に「結」を持ってくる論文が書けないという子も、「起承転結」に囚われてるんじゃないだろうか。
それもこれも「全肯定」か「全否定」かしかできないのと関係があるんじゃないだろうか。
そこまで真剣に考えている人が少ないなら少ないなりに何らかの傾向が見えたらと思ったけれども
下記の文章を送信しました。
----------
本来、大阪市に住むものではないので、大阪市の税金の使い道にあれこれ言うのは筋違いかもしれませんが、
送信させていただきます。
必要になってきてしまうのではないでしょうか。
さらに、それらは買っておしまいではないのです。
常にメンテナンスが必要で、その維持費もバカにならないというところです。
大阪市音楽団は、東京で営利団体化し、商業吹奏楽団として変化するのであれば、
採算が合わず、解散ということになってしまう危険性をはらんでいると考えます。
これは、京阪神地区で吹奏楽の演奏活動を通じて子供の情操教育や、
楽器演奏への間口を閉ざしてしまう結果となりえると考えています。
まずは、「市民の対価への考え方を変える」こと。
このように私は考えております。
突然民営化するには大阪市音楽団をただ潰すということになってしまうことから、
そうならないように必要な環境の整備を同時に行いつつ、
段階的に民営化することは、
そして問題なのが、大阪市音楽団は全国でも数少ないプロの吹奏楽団である。
というところです。
これを潰すようなことになってしまうと、全国の音楽・吹奏楽愛好家に申し訳が立たないと同時に、
学校教育で吹奏楽で目標・指標となるものがひとつ消えてしまうことになります。
どうぞ、この点をお汲み取りいただけます様。
宜しくお願いいたします。
http://anond.hatelabo.jp/20110915205529
生徒たちが好奇心を勉強をもって勉強するのを理解しやすいんじゃないかな。
学校の先生でも、自分が教えてる授業の内容を自分自身が楽しんでる先生とかは
こっちが先先勉強してても嫌な顔しなかった。
でも、今の学校教育ってとにかくすぐ周りからケチつけられやすいから
「バカでもそれなりに授業ができる」って仕組みががちがちにできてるんだよね。
カリキュラムでがんじがらめにされてるし、
しかも授業計画書みたいなのを作成させられてその通りできないと上から嫌味言われるみたいな生活を長年続けてると
予定通りに授業を進めるのが精いっぱいで、「生徒たちの自主性」なんて尊重してる余裕ないんじゃないかな。
最近の日本人の傾向に、お前は所詮最悪な自己愛者だという真実を言ってもケロリとしていることがある。特に公
務員などは突き詰めると「はあ。で?」というふうに諦めており、自分が今までにどれだけの書物を読んだり書いた
りしてものを考えてきたかを忘れている。ヤクザなどはもともとクズなので、お前は自己愛者だと言っても、「じゃき
なんか、でやすぞ、お前」くらいしか言わないだろう。こいつらの思考自体、意味不明だ。これだけ学校教育や司法
行政等の発達しているはずの日本国家がなぜこのザマなのだろう。日頃自分が言ってることと、本音がなぜ真逆
なのか。矛盾どころの話ではない。むろん、分析してみれば事の真相は簡単だ。学問や行政司法は、所詮過去の
一部の日本人が性感のためにそれを欲し、他人に押し付けていた時期があったというにすぎない。その人が死ね
ば、もちろんそういう文化もなくなる。後はただ形骸が残っているだけというわけだ。したがって今の公務員は、正
義に合致したような言葉遣いをしながら悪事ばかり働いている。中身はないが形骸は守る必要があって、その中
で本音となっている悪事をするにはどうすればいいかを考えるのでこうなるわけだ。いやそもそも最初から素晴ら
しい人間などいなかったのだ。悪代官が千利休のような人を政治利用していただけのことだ。日本社会の本質は
全国的に中高生の自殺が相次いでいる。場合によっては小学校高学年の児童も自殺しており、ゆゆしき問題である。
ここ数十年で中高生の自殺が増えた理由について、1997年の経済破たんによる社会人の自殺者数増加が影響しているなどの見解があるが、
中高生は経済問題ではなく、学校生活に起因する諸問題により自殺を決意すると考えられるため、他に理由があると考えるべきである。
そこで理由の一つとして考えられるのは、インターネットの出現により、巧妙に一般人に成りすました暴力団員その他の反社会的勢力が、
その独自の資金力や行動力により、インターネットという無法地帯に勢力を拡大するという異常な現象が1999年頃から発生しており、
卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、
精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
この問題について、政府や警察は、概ね2006年頃から、学校等においてインターネットに関する指導を行ったり、保護者への指導推奨、
フィルタリングの設定といった対策を講じたりしているが、反社会的勢力が根城にしていると思われる「2ちゃんねる」という巨大掲示板は1999年頃から秒刻みで次々にスレッドが立てられ、ほぼ休みなく続いているなど、その勢力は強大であり、そこからアングラ掲示板や、
児童生徒が直接書き込む誹謗中傷に満ちた学校掲示板、各種の風俗サイトが派生しており、中高生がそれらを閲覧することに関し、
学校での指導やフィルタリングが何ら功を奏していないと推測される。すなわち、増加している中高生の自殺は、
インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮が
かなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、
人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これに対し、インターネットの掲示板等を規制すると表現の自由が奪われるという見解があるが、そもそも社会言論は公教育で設定している
公序良俗を損集することが前提とされているし、「2ちゃんねる」に書き込まれるような卑劣な門限は公共の福祉に反するものとして
表現の自由を享受するに値しない。また、これらの卑劣な文言が中高生の精神に及ぼしている悪影響も考えると、なおさら規制の必要は高く、
国会および文部科学省は、より早い時期に規制法案を作成すべきであった。係る不作為は文部科学省や国会としては致命的な不作為であり、
>卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
これと
>すなわち、増加している中高生の自殺は、インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮がかなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これ
前者はいわゆる出会い系サイトや売春を促進するサイトといった、性に関わる暴力の事を言ってるのか
また、後者は誹謗中傷を日常的に行い、歪んだ価値観に基づいた情報を発信がされているという事を言ってるのか
つまりは、具体的にどのような現象が中高生の精神に影響を与えているのかが伝わらなかった
また、その精神への影響がどうして自殺に繋がるのかがいまいち理解ができなかった
ところで、警察庁が公表した「平成22年中における自殺の概要資料」による結果は以下のようになっている
まず、19歳以下の自殺者数は543人であった
家庭問題が理由の自殺者は男女合わせて97人であった
学校問題が理由の自殺者のうち、「その他進路に関する悩み」が47人で、「学業不振」が43人であった
健康問題が理由の自殺者のうち、「病気の悩み・影響(うつ病)」が58人で、「病気の悩み・影響(統合失調症)」が28人、「病気の悩み・影響(その他の精神疾患)」が32人であった
家庭問題が理由の自殺者のうち、「親子関係の不和」が38人、「家族からのしつけ・叱責」が29人であった
健康問題のうち、統合失調症は脳の神経物質の分泌異常であるとされている
なので、インターネットなどの影響によって統合失調症になることはないと考える
うつ病に関してはインターネットなどから受ける影響によって発症する可能性もある
全国的に中高生の自殺が相次いでいる。場合によっては小学校高学年の児童も自殺しており、ゆゆしき問題である。
ここ数十年で中高生の自殺が増えた理由について、1997年の経済破たんによる社会人の自殺者数増加が影響しているなどの見解があるが、
中高生は経済問題ではなく、学校生活に起因する諸問題により自殺を決意すると考えられるため、他に理由があると考えるべきである。
そこで理由の一つとして考えられるのは、インターネットの出現により、巧妙に一般人に成りすました暴力団員その他の反社会的勢力が、
その独自の資金力や行動力により、インターネットという無法地帯に勢力を拡大するという異常な現象が1999年頃から発生しており、
卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、
精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
この問題について、政府や警察は、概ね2006年頃から、学校等においてインターネットに関する指導を行ったり、保護者への指導推奨、
フィルタリングの設定といった対策を講じたりしているが、反社会的勢力が根城にしていると思われる「2ちゃんねる」という巨大掲示板は1999年頃から秒刻みで次々にスレッドが立てられ、ほぼ休みなく続いているなど、その勢力は強大であり、そこからアングラ掲示板や、
児童生徒が直接書き込む誹謗中傷に満ちた学校掲示板、各種の風俗サイトが派生しており、中高生がそれらを閲覧することに関し、
学校での指導やフィルタリングが何ら功を奏していないと推測される。すなわち、増加している中高生の自殺は、
インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮が
かなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、
人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これに対し、インターネットの掲示板等を規制すると表現の自由が奪われるという見解があるが、そもそも社会言論は公教育で設定している
公序良俗を損集することが前提とされているし、「2ちゃんねる」に書き込まれるような卑劣な門限は公共の福祉に反するものとして
表現の自由を享受するに値しない。また、これらの卑劣な文言が中高生の精神に及ぼしている悪影響も考えると、なおさら規制の必要は高く、
国会および文部科学省は、より早い時期に規制法案を作成すべきであった。係る不作為は文部科学省や国会としては致命的な不作為であり、
5年前、携帯ゲームSNSサイトが既存ゲーム市場を激変させると誰が予想していたでしょうか?
そして5年後、同様の破壊的イノベーションが、教育の分野でも起こると予想(願望)しています。
1対マス(教師×生徒)型の教育から、マス対1(多種多様な教材×生徒)型の教育プラットフォームが主流になるでしょう。
http://www.codecademy.com たとえばこんな感じのサイト
有名大学や有名塾講師の講義内容を無料で映像配信するプラットフォーム
lang-8や、四択問題クイズサイトのような、ユーザーが教師であり、生徒でもあるようなSNS型プラットフォーム
多種多様な教育コンテンツを企業が提供するSNS型プラットフォーム。
お得意のデータマイニングで、学習者にとって最適な教材を提供。ただ、ゲームと違って、言語の壁を乗り越えるのが大変そう。
ここまで書いて、稚拙な文章と分析しかできなくて情けなくなったので、言いたいことをまとめると、
デジタルデバイスとネット接続環境があれば、誰でも無料で教育を受けられるプラットフォームが誕生
↓
従来の学校教育に馴染めなかった人も、多種多様な教材で楽しく勉強できるような設計。(細かい目標達成を感じられたり、ゲーム的要素だったり)
従来の学校教育の進度が遅い/早いためにフィットしなかった人にも最適な学習環境が得られる。
教育の生産性が向上し、18歳で大学教授並のパフォーマンスとか出せちゃう、教育界の石川遼クン的人材がたくさん出てくる。
良質なスクリーニングで、センター試験とか大学の二次試験も廃止でコスト低下
↓
新技術の台頭により、職を失ってしまった人も、新技術を学べ、再チャレンジ可能な社会へ
↓
既存の公教育は、ディベートや、コミュニケーション、発想、創造力、を鍛える教育へ
↓
みたいな妄想をしてた。
過当競争で毎年自殺者3万人出てるなんて戦争やってんじゃねーんだぞこらー!(全然関係ない)
以上、孤独と不安で頭がおかしくなったニートの戯れ言でした。誰かかまってください。
本の紹介忘れてた
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する: クレイトン・クリステンセン, マイケル・ホーン, カーティス・ジョンソン, 櫻井 祐子: 本
先日、とある方とゲームの話になった。その方は二児の母であられるのだが、お子さんがゲームばかりしている、という話からである。僕は小さい頃は親が厳しくてなかなか思う存分にゲームをさせてもらえなかった反動か、今でも年甲斐もなく貪るようにゲームばかりしていると笑いあった。
その時も話したのだか、ゲームに打ち込む姿勢は決して悪いものではないように思う。
コンピュータプログラムは決して裏切らない。ゲームの中でキャラクターが死んでしまったら、必ず自分の操作なり攻略法なりが(例え理不尽な理論でも)間違えているのだ。その間違いや経験不足をただし、反省し、攻略に向けて違うアプローチを探したり、腕を磨こうとする姿勢はとても善良で正しいと言えると思う。高校以下の学校教育の教科書から学ぶことでこの方法で解決できない問題はないように思う。
だが世の中に出てみれば、バグやチートで溢れていて、決してクリアできるゲームだけではないのも事実だ。
これについては今のゲームだけでは学べないと思う。
ところで、散々議論されていることだが、残虐性の強いゲームの教育における有害性であるが、これについては正直僕はわからない。どちらでもあると言える。
腕がもげる、血が飛び散る、女性が犯される、それらの表現の残虐性について理解していない子供に繰り返しそういう映像を見せることが精神に影響を及ばさないのかと言われたらそれはそうかもしれない。
せめてこれは悪い行為だ、これは残虐な行為だと理屈でいいからわかるようになってから遊んで欲しい。
勧善懲悪で帰結するストーリーならまだ救いはあるかもしれないが、そういうものばかりではない。
逆説になっていないが、だからといって、そういうフィクションを取り上げれば良い子に育つかというと当然そうではないし、実のところ僕はそういう映画やゲームが人間がもつ残虐性の受け皿になるという考え方には賛成だ。
僕は変わった少年で、ガンケシやキンケシと言われるゴムの人形の頭をもいだり、爪楊枝で串刺しにして並べているような子供だったらしい。らしいというのら本人は記憶に無いからだ。平たく言うと異常だった。
知人のA氏は、幼稚園の頃から好きな子をエレベーターに閉じ込めていて、こっぴどく怒られたことがあるらしい。笑い話であるが、笑い話ではない。
攻撃性、残虐性、独占欲、性欲。
スポーツで汗を流して忘れさせるか、ゲームや映画で一時的に発散するか、どちらが良いのかはわからないが、必ずそれは存在するところにはするし、一つ言えることは、無いことには出来ない。
教育というと、なにか良い光を当てることだけを連想するが、負の感情や悪の意味を教えることも立派な教育だと思う。
人が殺されるシーンや、女性が犯されることに興奮する人間はいたって平凡な悪人である。不思議でもなんでもない。残虐な行為に興奮できるのは、その人間が事の残虐性を理解しているからであると言える。
また、血や、死体に美を見出すような人物もまだ幾分かは理解できる。ただ美的感覚が一般人と違うだけである。
最も異常だと思うのは、最も恐ろしい人間は、なんの感情も持たない人間である。
食事をするように他人を殺し、髪をかき上げるように異性、同性を犯すことができる人間がいたら、それは異常だと思う。
理性でも、本能でも良い。そのどちらでも残虐性を理解していない人間がいたらそれは恐ろしい。
そして、そういう人物とゲームの関係性は、今のところ無いように見受けられる。
これに尽きると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110711193536
元増田ですが、増田だしと適当に書きなぐったら何だかすごく反響があってびっくりです。
そしてトラバ、ブコメ等見ていろんなことを考えさせられました。
「例えば」ということでここは実体験ではありません。
そして「子供たち」と適当にぼかしたのですが実際は中高生です。
流石に小学生の子供たちにそんなレベルの高いことは要求しません。
それが「花はきれいであるということの代名詞」だったというだけの話です。
それで「花がきれいだなんて思ったことがない」なんて言われた日にはお終いです。
そこで「花はなんか見た目好きじゃない」と思っているなら話が別ですが
「花? え? 自分関係ないし(笑)」みたいな感じなんですね。
花について思考すらしないので、感想も出ない。
だから「これって美しいってことじゃないかな」と話を進めるわけ。
それが「増田がしているのは価値観の押し付けだ」というのがありましたが
元から価値観がないところに情報を与えることが全部「押し付け」になるかなと考えました。
結局当たり障りのないところで面倒くさくなく議論を終わらせている気がします。
要はその場で考えるのが面倒なんだろうな、という印象です。
私が怖いと思ったのは、そんな風に感性が必要な部分でしか図れない共通理解を
そのうち全て学校教育に一律一存になってしまうというところです。
「花はきれいだと考えるのが一般的です」
結局会話なんてすべて「価値観の押し付け」になってしまうので成立しない。
「私は誰それが死んでも悲しいと思わないから、私の前で泣くのは押し付けだからやめて」
想像したらすごく怖い。もう誰とも意志の疎通すらできなくなる。
ただ咲いている花をみて「きれいだね」と言った瞬間
「君は花を美しいとみるんだね、僕はそう思わないよ」
「花をきれいだと思うのは日本の伝統に即する考え方ではないか」
「しかし花を美しいと思うのは自由だ」
なんてイチイチ言われてちゃきりがない。
結局個人の価値判断しかないということはもうその世界に「他人」は存在しないのかなとか
いろいろ考えたらやっぱり怖くなった。
「個人の価値観が大事」という「価値観」に囚われて「押し付け」をしていないか。
というか、すでにそんな世界なのかもしれない。
花をグロテスクだって思うのもいいと思う。私も蝶々が大嫌いだし。
でも蝶々が飛んでいてどうこうって言われたらやっぱり
テキストの裏側にあるのは私の価値観じゃなくて、ある共通の概念だから。
完全に同意する。
感性についての教育と意見を持ちそれを活用する、まぁ議論に関する能力がごっちゃになって、
そのへんでちょっとなぁ・・・って気分にさせられるのに、
正直「最近の子供たちは感性が乏しい」とか「社会がみんな同じ方向を強要している」みたいなことも混じってるし。
ただ、「感性の貧しさ」にしかスポットあてることできない人はそのこと嘆くべきだと思う。
こっから違う話。
「意見をきちんと持つこと」に関して言及。で、その言及すると、大人でもこんなもんじゃないの?って個人的には思う。
元増田が意見を言う舞台を用意する側だから「これは簡単なことだ」と思うだけで。
そんなフリースタイルで何かを言えなんて無理。
普通その「具体的に質問しなきゃならないレベル」に落とし込んで誘導して初めて意見言うよ。
そんなのを用意する側の立場になって考慮して言う能力とサービス精神持つ人なんてほんといない。
「教えて、はてサの人」
あの女性と別れてからだいぶ時間が経っているので、ネットにはもう書くことはないと思ってました。ところが、有村悠さん(id:y_arim)の書いたブログを読んで、ふとそのときのことを回顧してしまったんです。
何もおもしろい展開はなかったし、この話にオチはつきませんけど、ブクマしてくださった人が50以上もあったみたいだし、私なりにまとめてあの後の出来事を書きしるしておきます。
「明るいいじめの思い出」
http://lunaticprophet.org/archives/5266
いじめを受けていた女の子の話を持ち出した女子が、どういう文脈だったか、「中国人大嫌い。あいつら全員帰ってくれないかな」と言ったのである。原発事故を受けて帰国者が増えている、という話だったかもしれない。少なくともぼくはその文脈で、近所の中国人が経営している中華料理屋もしばらく臨時休業していたけれどもまた営業を再開した、あの店は美味い、という、反論ともつかない話題を振ってみたが、それがどうしたという顔をされただけだった。 もともと綺麗だったのがますます綺麗になっていた彼女は、「そういう人」に、なるべくしてなったのかもしれない。
もっとも、私とその女性とは、恋人として付き合ったわけじゃなかったです。休日にいつもよく会ったりするぐらいの間柄でした。ひどいネトウヨ癖をのぞけば、性格がダメすぎるってわけでもないし、私はけっして彼女のことを軽蔑しきっていたほどではなかったです。
ただ、そのネトウヨ癖というのがくせ者でした。私はそのために、ずっとイライラさせられてました。初めて会った日からひそかに「絶交したい」と思うようになったし、「孤独感をまぎらわすためにセックスしたいなあ」っていう目的のほかには、彼女と付き合いを続けていく理由が見つからなくなりました。
幸か不幸か、彼女は顔が平均レベルよりわるくてブサイクなほうだったし、セックスのためにわざわざ執着しようっていう気持ちも次第に失せていきました。それで結局、こちら側から別れを言い渡すことにしたんです。
伝達手段はメール。絶交を決めた本当の理由は、いっさい彼女に告げませんでした。それまでにも直接的には、「あなたのネトウヨ癖が気にくわない」という心境を伝えてこなかったんです。彼女とケンカして精神をすり減らすのも馬鹿馬鹿しいし、正しい方向に導いてやろうっていう意欲もありませんでした。
ですから、相手のことをわざわざ非難したりするのはやめて、短い文章に用件だけを書きつづって送りつけました。すると、相手もしつこく粘着はしてこず、ただちょっと数回かぎり、怒ったふうな呆れたふうなメールが来ただけでした。私は関係をこじらせたくなかったから、それらをひたすら無視していました。そのあとは音沙汰ありません。
そういえば、彼女もまた、会話のなかでナチュラルに、「中国が攻めてきたら~」みたいなことを言っていました。有村さんの日記を読んで、ふとそのことを彷彿としてしまったんです。あいにく私の目の前にいた女性は、まったく美人じゃなかったですけどw
有村さんが会ってきたという美人レイシストが、どういう人だったのかとても気になるところですが、こっちはと言うと、もうほんと中国への敵視がすごくて、さすがにウンザリしましたよ。
なにがひどいかって、彼女の場合、リアリティがまったく無いことなんです。
中国は経済・軍事のどちらにも大きな力をもっていて、日本との利害関係が衝突しやすいのは確かなんだし、双方のあいだに不安定な要素が山積みになっている。……っていうふうに、戦争になる危険がどういうものかを見極めているならまだ分かるんですが、彼女はそうじゃないんです。
「中国が攻めてくる!!」っていうのを、さも将来に必ず起こるべき現実であるかのように語るんです。しかもその解決策が、平和的な話し合いという戦争回避ではなくて、そういう努力にはいっさい触れないまま、とにもかくにも武力をもちいて防衛しようっていうことになっているんです。
彼女が話すのは、「武力を持つことで中国が攻めてこれないように抑止できる」とか、そんなマイルドで生易しいものじゃありませんでした。要は、自衛隊の人たちが命を張って、日本を攻めにやってきた中国軍と勇敢に戦い、国土と国民を守るっていうシナリオなんでしょうか。なにやら日本の民間人までが被害にさらされていて、自衛隊はそれを守るために戦闘にかり出されているとかいう、そういうシチュエーションの話ばっかりでした。
いくら最悪の事態を考えておくことが大切であるとはいえ、殺傷行為を伴うであろうそんな血なまぐさい話を、日常会話のなかでサラッと言われても…。('A`)
大体、こういう異様なほどの警戒心のなかには、むしろ逆に、彼女から中国人にむけた差別や偏見があるんじゃないかと疑いました。それゆえ、私はとても不愉快になりましたが、有村さんが会ってきた美人レイシストのようにわかりやすい形で、中国人そのものを蔑視して悪いふうに言うわけじゃありませんでした。彼女はあくまでその軍や政府を攻撃しているだけのようにも見えました。いずれにしてもそのさきは、どうせ知っても仕方ないことなので、私はあえて真意を探ろうとはしませんでした。わざわざ彼女を刺激して、めんどうに巻き込まれるのはゴメンだと感じていたんです。
すでに述べたように、彼女は軍オタっぽいところがあって、兵器とか飛行機とかのことをよく知っているようでした。そしてとりわけ、自衛隊のことは大好きらしくて、すごく憧れているようでした。会話のなかで「お腹すいたなあ」っていうのと同じぐらいナチュラルに、「もし中国が攻めてきても、いまの自分は何の力もないから、自衛隊に入って戦えるようになりたい!」っていうセリフが飛び出してくるほどでした。
これがネットの中だけで威勢良くやっているような、ひきこもりのネトウヨだったらいいんですけどね。自慢そうに話すのを聞くかぎり、実際にイベントがあるときは基地に行ったりとか、それ以外にも普段から交流を持つこともあるらしく、今はなんとかの免許を取るつもりだとか、まじめに取り組んでいる様子に見えました。(※でも、自衛官をめざすっていうような予定があるとは聞いてません)
そうそう。特に、田○神俊雄のことは崇拝しているらしかったです。もしもその理由が、あの顔がかっこいい、とか、あの声が好きなんだ、っていうことなら良かったんですけど、やっぱり案の定そうじゃなくて、「日本のことを真剣に考えているから」とのことらしいです。誇張なのか本気なのか知りませんが、「田○神さんの言っていることは全部正しい」とまで語っていましたね。
結局これについても詳しいことは聞いていません。私はべつに政治にも国防にも興味がないっていうのと、詮索しても仕方ないっていう気持ちがあったからです。彼女の機嫌をそこねないように、ひたすら受け流しておきました。
私だって所詮、高校の教科書にのっているぐらいの知識しかないですよ。しかし、彼女の知識は、それより遙かに劣っていると判断せざるを得ませんでした。たとえばちょっと話題をふってみただけなのですが、若槻礼次郎も高橋是清も、そういう名前を聞いたことがないという感じだったんです。「貴様はその程度の知識しかないのに、どうして自虐史観がどうだのと偉そうに語れるんだ?」……っていうイヤミの一つでも言ってやりたくなりました。むろん、私はそのへんも自重しましたが。
あっ、えーと。こういうと知能や精神に障害があるみたいに思われるでしょうが、彼女はいちじるしく知能が低いとは言えないだろうし、ふつうに友達もいるらしく、家族とは仲良く、過去には恋人ができたこともあり、ごくごく真っ当に社会生活をしているように見えました。難関とかじゃなくてむしろ偏差値は低めのところですが、大学は国立だっていうことです。つまり天才や秀才のレベルには及ばないにせよ、いままで勉強を頑張ってきたんだろうし、通常かそれ以上の知能は持ち合わせているんでしょう。実際、専門分野のほうでは、トンデモに走っているような気配はなかったんです。
どうしてこうなった、どうしてこうなった?(AA略) ←理系で進学を目指していたってことで、高校では歴史をとらなかったみたいだし、センター試験は地理でのりきったと言っていましたから、彼女が歴史にうといのは、そのせいだったのかもしれません。
ついでに補足しておくと、「歴史にうとい」というのには、少し語弊があるかもしれません。彼女は自分自身を「歴女じゃない」と言い張ってましたが、それにしては新撰組だとか、ごく一部のミーハーなテーマについては、メチャクチャ詳しかったんです。
それから彼女は、「ヘタリア」というのが好きみたいでした。私はタイトルを知っているぐらいでその作品を見たことがないから、どこをどうやってそれの影響を受けているのか分かりませんけど、日本史の場合とおなじく、世界史における彼女の興味は、完全に偏ったところにばかり集中していました。つまり、高校でやるレベルの基礎知識も持っていないわりに、細部のマニアックなところには豊富な雑学があるみたいだったんです。
そして、今までそういった雑学を組み合わせてきた結果なのか、彼女は国とか民族とかについて、何か決まりきったような、確固たるイメージをもっているようでした。(←ちょっと嫌な予感がしてきたから、私は怖くなってしまって、そこには探りを入れられませんでしたが。)
私は意見を述べたりすることなく、年上である彼女のプライドをおもんばかって、無関心&無知を装いつづけていました。けれど、あるとき魔が差してしまって、戦争をやっていたときの日本について、ちょっと否定的なことを言ってみたんです。するとすぐさま、「あなたは日本を嫌いになる教育を受けてきたんだ、それでそう思ってしまうんだ」と批判されてしまいました。
これにはさすがに腹が立ちましたね。私の頭のなかには、「日本が嫌いでいったい何が悪いっていうのか!?」という感想も浮かんできましたが、しかしそれ以上に、なにか、心にひっかかる不快なものがありました。
まず、私がどういう学校教育を受けてきたか何も知らないくせに、そして自身は歴史について高校生なみの知識ももってないくせに、「日本を嫌いになる教育~」だとかなんとか、そんなことを当てずっぽうで言われても困りますよ。
つぎに、もうひとつ。人さまの考えを勝手に決めつけて、軽々しく批評するのはやめてほしいなあと思いました。いや、私はまあ確かに愛国心が強いわけじゃないし、政治や国防のことなんて興味がない若者だし、日本が大好きで命をかけてでも守りたいって事もないけど、決してそんな反日とか薄情ばっかりってことはないのだよ。大体、あなたよりも日本の歴史については勉強してよく知っているつもりだし、あなたがさっぱり興味のないらしい日本の文学・美術っていう文化をすこしは楽しんできたんだ。それなのになんで「日本が嫌い」と断定されなきゃならんのだ?……という苛立ちがあったんです。
しかしまあ、あれでした。私はあまりうぬぼれたくないし、偉そうにふるまって他人のことを見下したくはないのです(←たとえそれが内心であろうと)。それに大体、彼女とケンカして争ってみても馬鹿馬鹿しいっていう理由で、このときもまた、苛立ちをなんとか抑えてお茶を濁しておいたのでした。
社会通念上、学校教育なんてとうの昔に崩壊していて、教育は事実上予備校任せと受験テクニックの横行、偏差値競争、社会は民主的でもなんでもなく阿鼻叫喚の権力、金銭競争の格差社会なんだが(現時点ではどうか知らんが少なくとも80年代以降の教育は明らかにそういう社会を目指していた)、この社会の水準でまだ法律の良識が通用すると思ってる霞ヶ関や司法ってのはただの馬鹿だよ。今の若者の生活環境考えると、健全な社会通念ってのはほぼ不可逆的に崩壊してる(20代以下が上から押し付けられてきた経験の核が戦争だから人権保障とか無理なのも仕方がない)。それでも官界や法曹界に行く奴はただの馬鹿か、嘘つきに成り下がったけど勢力的には絶対最強の国にすがりついて利益を漁ろうというヤクザ以上の犯罪者かのどっちか。まあともかく今の日本には国を仮装した絶対的ヤクザと、相対的ヤクザという普通のヤクザの小競り合いと共存共栄しかない。社会ってのは終わった年寄りよりも活発な若者が中心となって形成すべきものとすると、これが真の社会通念だよ。間違った社会通念で書類書いたりしてる行政や司法は考え方が間違ってるから訂正したほうがよい。とにかく80年代以降とりわけ90年以後の教育が終了してるから、手遅れ。テオクレティアヌス。これは休憩とかいうレベルではなくて、ただの崩壊。80年代以降の教育を受けた若者に今の民主国家を引き継ぐのは不可能。今後の日本はコンピュータグラフィックスみたいな空疎な虚構民主主義社会となっていくだろうし、実質的にはクズの競り合いと共栄しかないし、昔と違って年取ればとるほど不幸な国になるよ。勝ったか負けたか以外に生き甲斐がないんだから。まあとにかくすでに悪党支配の虚構民主主義社会だから正義もクソもないし、どんなひどいことでもやっていいんじゃないのという感じ。日本はあらゆる意味で終わっている。昭和世代の努力は水泡に帰した。
史上最低の就職内定率。一部の優秀な人間でない限り、もう、この国はあなたを必要としていない。
「あなたが生きていることには価値はない」と、小学校から高校・大学まで、学校教育はひたすらすり込んできたのだろうが、そんなのは、単に学校が学生に自殺されると後々面倒だから、「自殺しないでくださいね」ということを違う言葉で表現しただけのことだ。
この国は、もうあなたを必要としていない。あなたが生きていることに価値はない。あなたはもう大人だ。大人には自殺する権利もある。無能なあなたをこの先ずっと生かすことで社会が被る迷惑と、あなたが自殺することで社会が被る迷惑と、どちらが大きいかを考えて、その上で、社会にとって最も利益が最大になるように、大局を見極めて行動を決める権利が、あなたにはある。
よく考えて、行動を決めましょう。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51651588.html
で、その結果どうなったかを考えたら、この発言はあまりにも無責任ではないだろうか。
多分今日ホッテントリ入りするであろう小倉弁護士の差別用語の扱いと同じくらい議論のバランスが偏ってる。
口で言ったところで、わかってる人には通じても、わからない人には全く意味を成さないと思うんですよ。
これ多分学校で教えられることじゃないのでは?
教えられると考えていらっしゃるのであれば、どうやるかについて新しいエントリを希望。
学校教育なんて大学以外全部やめて最初からビジネスさせろ、サバイバルさせろ、くらいでないと難しいと思うんですが。
弾さんが言う
「リテラシーの何たるかさえわかってれば
必要な知識の仕入れは苦労しなくてもできるだろ、というかやるだろ。
必要なのにむしろ出来ないとかいうやつは死んどけ」って理屈はほんとうによくわかるのですが、
そのリテラシーをみんなが理解することができる、の部分がムリっぽいのでどうも納得行かない。
正直に言うと、読んでて「これだから無駄に情報処理能力高すぎる人間は・・・」と思ってしまったくらいです。
将来のデジタルネイティブの能力を信頼するのは大事だと思いますが、信じすぎてまるで保護なしになってしまうのはそれはそれで問題かと。
学校教育ってやたらと平等主義が強いから「全員が同じことができるのが条件」だったりするからだ。
(略)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1600853.html
これ中学生をバカにするのはかわいそうだと思う。
現実は大人の自己満足に付き合わされたところが大きいのじゃないかな。
正直言って、教師に「被災者のために何かできることを考えなさい」ってお題を出されたとき子供たちはこのくらいしか案を出すことができないだろう。
学校教育ってやたらと平等主義が強いから「全員が同じことができるのが条件」だったりするからだ。
多分学生は他にもイロイロ案を出したが教師の横槍で駄目になったのじゃないだろうか。
少なくとも親や教師から募金のような、貢献度に差が出る行為を否定的に表現されたであろうことは想像に難くない。
そう思うのも、ネットの無い時代、小学生だった私は広島に贈る千羽鶴折をやらされたことあるからだ。
私はその時点でつるをおることができなかったため
そのコンプレックスから、鶴を折ることが素晴らしいという気持ちになれなかった。
目の前のことを否定的に見ると、「これって本当に喜ばれるのかな」という疑問が当然わきあがり
「なんで鶴をおらなくちゃいけないんですか?他の方法ではいけませんか?行った後で感想文を贈るとかでもいいのでは」と
したら、「広島いくのに手土産のひとつも出さないでは格好悪いだろう」とか
「他の学校でもやってる。うちでも昔からやってる」と理由にならない理由を説明され、
「お前は自分が折れないからやりたくないだけだろう。わがままでみんなに迷惑をかけるな」と怒られた。
あまりに悔しかったので、自宅で練習して、人より多くの鶴を折った上で同じことを聞いた。
そしたら「もう折ったんだからそれでいいじゃないか」と言うだけだったのだ。
私の話をまともに聞かない奴が、私のことを理解して、私のためになることを教えてくれるはずがないと思った。
子供の頃は、なにかおかしいと思っても、どうおかしいと思うのかをうまく説明することができない。
その頃はネットもなかったから、私と疑問を共有する人を見つけることが困難だったし、
その疑問について、より適切な言葉で表現してくれる人を見つけることなど到底考えられなかった。今はいい時代になったと思う。
だから、本当なら大人や教師から子どもの言葉に耳を傾け、うまく言えないところは上手に引き出してあげることが必要なのだと思う。
うまく言えなかったせいで相手に言い負かされてしまうと、自分の感じ方自体が間違っていると勘違いしてしまい、萎縮することにもなりかねない。
しかし、生徒数多くて忙しいからしょうがないと今では思うけど、基本的に教師は
自分の考えを押し付けるだけで、生徒の疑問とかに答えようとしない。私にとって、折り鶴というのはそういう教師の押し付け的な態度の象徴である。
そういう私からすると、学校で死刑制度の議論をしたとか、折り鶴を折ることにしたとかいう話は
裏側にある教師の強烈な抑圧を感じてあまりいい気分がしない。
自分の体験。
いまは既に30過ぎたただのおす。
小さい頃から体は小さく痩せていた。そもそも食欲はあまりない方だった。
小学校1年~2年の頃までは、学校給食の時間が終わっても食べ終わらずにみんなが片付け終わった後でも食べ続ける苦痛の毎日を送っていた。
体が少しは大きくなったからできるようになったというのもあるけれど、おかげでみんなに食べ続ける状態にならずにすんで精神的に楽になった。
もちろん、「よくかんで食べましょう」という教育はされていた。でも、残さず時間内に食べるプレッシャーの方が強かった。
体質と「かまずにさっさと飲み込む」のおかげで、体重はろくに増えないまま成長期へ。
自宅で母親はやたらたくさん食べさせようとする。
まともに食べるともちろんたべきれない。体質とかあるから、量を食わせれば太るというものではない。
これを切り抜ける方法がやはり
ろくにかまずにさっさと飲み込む。水とかお茶とか汁物でかきこむ。
だった。
今から思えば馬鹿だったよ。別に今からさかのぼって虐待を自覚するほどのプレッシャーを受けていたわけではない。それでも、そういう成長過程を経た。これが体にしみついた今となってはそう簡単には直せない。
もちろん、今からでも死ぬ気で治す気になれば直せるだろうけど、普通の生活ではそんなに差し迫って感じられない。癖は簡単には治らない。
こんな癖は体になんもいいことない。オヤジ化してから生活習慣病が近づいた。
学校教育だと集団教育になるから個性の尊重もなんでもできるわけではないけれど、もうちょっとどうよ?。まぁ親からしてアレだったからだめか。
よくかんで食べないと成長してからどうなるか、は昔は今ほど問題視されてなかった気がする。昔の教育の常識が今の非常識だなんていろいろあるからどうしょうもなかったのか。