はてなキーワード: 大衆文化とは
「社会を上下に分けて上位/下位のグループが持つ文化」って自分で説明できてるじゃん。
クラシック音楽や純文学が「なんとなく高級な趣味」と思われてるのは事実だよね。
もちろん大昔ほど厳然と分かれているわけでもないけど。
「全部羅列しない限り定義として成立しない」
「アニメ、漫画、玩具、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル……」と列挙するだけでも「概ね」合意が取れるレベルにはなるでしょ。
それと「すべて列挙できるかどうか」と「列挙したものが妥当かどうか」は切り分けたほうがいいと思うよ。
分類学なんかは学問として厳密さを重視してるからきっちり学会をつくってやってるだけで、
結局は動物の定義だろうがオタクの定義だろうがSFの定義だろうが大枠のプロセスは同じだよね。
社会のあちこちでみんながやってる議論を通して「合意」が形成されていくんじゃん。
俺たちのこの議論もその合意形成にごくごくごくごくわずかに寄与しているぞ。よかったな。
何も代表してないぞ。「俺はこういう合意が形成されていると思う」と表明しているだけ。
その「合意」の傍証としてピクシブ百科事典の記述を提示しているだけ。
もちろん社会的に「いや高度な知識を持ってないとオタクじゃないよな」とか、
あるいは「オタクって気持ち悪い存在のことだよな」といった合意が支配的になれば、
俺の主張は無視されるだろうし、ピクシブ百科事典の記述も書き換えられるだろう。
それだけの話だよね。
アイドルは大衆文化。ラノベは大衆文化。鉄道趣味は大衆文化。→だからオタク趣味として扱われることが多い
クラシック音楽は高級文化。純文学は高級文化。→だからオタク趣味として扱われることが少ない
これで話がすっきり整理されてるのに、
なぜか「大衆文化=多くの人が親しんでる文化」という誤認にもとづいて
「鉄道趣味は大衆文化じゃない」とか言い出したのはおまえだよね。
この場で混乱してるのはおまえだけだよ。
併用したほうが精確になりはするが。
これはあらゆる定義に言えるのでどうということもないなあ。
おまえの大好きな内包的定義でも万人が納得する定義をするのは難しい。
現実的には「ある程度の曖昧さをもたせることで多くの人を納得させる」ということになる。
議論が決着してなくても概ね合意が取れていれば意味があるんだよなあ。
高級文化ってのは「社会を上下に分けて上位のグループが持つ文化」のことなの
元増田からの流れの大衆文化は「多くの人が親しんでる文化」であって社会を上下には分けてないんだよ
だから元増田からの流れに対して高級文化って使うのは日本語を理解できてなくて、高級文化の意味も知らずにつかってることがわかるわけw
ガイジで草
そもそも外延的定義ってのは内包的定義によって条件なんかを規定した上で行わないと意味ないんだぞ
外延的定義だけで物事を規定しようとするなら、それは定義ではなくて「例の羅列」でしかないんだよw
すべてを網羅することが出来ないのであればそれは「定義」ではないぞ
何万人何億人といる人と議論して、誰がその議論に決着つけるの?
馬鹿すぎ
実際にそう見なしている奴もいるからな(原義的にはそちらのほうが近いまである)。
あとはその「見なし」に妥当性があるかどうかだぞ。
鉄道オタクは高級文化でも大衆文化でもないし、この元増田からの流れで言われてる大衆文化は「高級文化」の対義語として使うのが不適切だって話だぞ
だから「不適切ではない」という話をしている。不適切というならどこが不適切なのか明言してくれ。
現実には「外延的定義」は通用するので、それを否定するなら「あなたの中ではそうなんですね」としか言いようがないなあ。
議論するんだろ。「映画はオタク趣味か?」のように。「カモノハシは鳥類か?」のように。
実際にそう見なしている奴もいるからな(原義的にはそちらのほうが近いまである)。
あとはその「見なし」に妥当性があるかどうかだぞ。
一般に「クラシック音楽」や「純文学」は高級文化だと思われてるから、
それらの愛好家は「オタク」とは見なされにくいという話をしてるんだろ。
鉄道オタクは高級文化でも大衆文化でもないし、この元増田からの流れで言われてる大衆文化は「高級文化」の対義語として使うのが不適切だって話だぞ
音楽がオタク文化かどうかとか、音楽のジャンルによってオタク文化かとカッて話しだすのはマジで枝葉に噛み付く馬鹿でしかないわ
だから、ジャンルを一つ一つ挙げてって定義するなんてのは人によって違うんだから「定まった意義」じゃないだろw
お前の定義と俺の定義が違う場合どうすんの? 人によって違うけど「定まった意義」として運用出来ると思ってるとしたら馬鹿すぎ
「スポーツ」を「プレー」「観戦」「分析」などに細分化して、それらを個別の「趣味」とみなせば、「趣味」でオタクは定義できる、という話をしてるんだよ。
音楽ならアイドルの愛好家はオタクとして扱われることが多いがクラシック音楽はオタクとして扱われることが少ない。
文学もライトノベルならオタクだが純文学はオタクとして扱われることが少ない。
というだけの話だよね。
鉄道オタクは大衆文化じゃないからって話からバカが高級文化とか言い出してるから、その高級文化の使い方が間違ってることを指摘してるんだが
なんで「アイドルはオタクだけどクラシックはオタクじゃない」みたいな話してんの?
本筋からズレた話して逃げ回るなんて恥ずかしいわ
ほら、また100%の話をしてる。
馬鹿がオタク文化オタク趣味を定義出来るって言い出すから、ジャンルによって定義するなら外延的に「オタク趣味」みたいな定義の仕方が成立しないって言ってるだけだろ
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03 | 29 | 1585 | 54.7 | 24 |
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この場合の大衆文化と高級文化は対義語じゃないんだが、アホすぎて草
大衆と高級を対義語として使う場合は、社会階層を高級と大衆の2つに分けた上で論じないと
高級文化である音楽や文学を大衆が楽しんでない古代から来たのか?w
「オタク文化」「オタク趣味」を外延的に定義することは出来るけど、「オタク文化」「オタク趣味」と「オタクの居る趣味」は必ずしも一緒ではないよね。
野球は明らかにオタク趣味とは言えないけど野球オタクはいるよね、それはどう処理するの?
「オタク文化」「オタク趣味」に限定するなら一般の大半がオタクとは言えなくなる可能性は高くなるし、そうじゃない定義の仕方をするのであればそれこそ外延的に定義することが出来なくなる。
オタクとして例に上がるであろう鉄道趣味は大衆文化じゃないだろ
つまりこの文章はそもそも「大衆文化に限定した話」ではなくて「様々な趣味」という程度でしか使っていないことがわかるんで、その理屈は通りませんねw
実際に「アニメ、漫画、玩具、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル」のファンだけでも合計して「一般人の大半」になるかどうか語ってみなよ。
お前の挙げたものを合計して一般人の大半になる可能性はあるが、それをカテゴライズする言葉がないんだから定義として成立しないだろ
定義ってのは「ある概念内容・語義や処理手続をはっきりと定めること」だぞw
様々な大衆文化って入ってるのがなんでか考えろよw
しかし大衆文化なら何でもいいというわけではないから、わざわざ「オタク的」と目される大衆文化が列挙されているんだろ。
「定義として成立しない」か「定義として成立させようとカテゴリを定義したら一般人の大半が当てはまらなくなる」かでどっちにしても成立しないってことよ
実際に「アニメ、漫画、玩具、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル」のファンだけでも合計して「一般人の大半」になるかどうか語ってみなよ。
前述の特定の趣味に限定するなら「アニメ、漫画、玩具、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル等の特定の文化」で文章と成立するんだから、「様々な大衆文化」って入れる必要が無いだろ
様々な大衆文化って入ってるのがなんでか考えろよw
「どうとでも取れすぎて定義として成立しない」と「一般人の大半が当てはまるような趣味カテゴリが存在しない」はまったく別の意味だが。
「定義として成立しない」か「定義として成立させようとカテゴリを定義したら一般人の大半が当てはまらなくなる」かでどっちにしても成立しないってことよ
「そのような特定の趣味」が指し示すのはその直前に例示されている「アニメ、漫画、玩具、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル……」だろ。文盲か。
「アニメ、漫画、玩具、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル……といった特定の大衆文化の愛好者」という趣旨だろ。
単一の趣味と入ってないだろ、「特定の趣味」に当てはまる分類が無いなら「特定の趣味を持つ人」なんてどうとでも取れすぎて定義として成立しないってのw
「どうとでも取れすぎて定義として成立しない」と「一般人の大半が当てはまるような趣味カテゴリが存在しない」はまったく別の意味だが。
「様々な大衆文化を広く愛好していなくても、大衆文化のうち1つでもファンであればオタク」って書き方なんだがわからんのか?w
単一の趣味と入ってないだろ、「特定の趣味」に当てはまる分類が無いなら「特定の趣味を持つ人」なんてどうとでも取れすぎて定義として成立しないってのw
「さまざまな大衆文化があるが、そのような特定の趣味の対象および分野の愛好者、ファンを指す語として使われる。」は様々な大衆文化ではなくて、大衆文化のうちの一部ってしないと成立しない
で、趣味を限定するのであれば、一般人の大半が当てはまるような趣味カテゴリが存在しないんだから、定義として成立しないか、一般人の大半がという説明が成立しない
古典芸術を含むかつての支配的な文化への対抗としてまずカウンターカルチャーがあって、テレビや映画や歌謡曲といった大衆文化がもろもろ生まれて、そこからマイナーなやつがサブカルチャーとひとくくりにされて、中でも漫画・アニメ・ゲームはオタクと呼ばれて日陰の存在であったが、誰でもコンピュータとインターネットを利用する時代になると、もともとその世界で幅を利かせてきたオタクが支配的な存在になっていって、かつてオタクを白眼視していたような人種もコスプレしたりアニソン歌ったり演奏したりでオタク文化に媚びるようになったという流れ。
古典なんかなんも知らない矢沢永吉とか浜田省吾とかBOØWYとか浜崎あゆみとか好きそうなヤンキーにオタク趣味を馬鹿にされて嫌な思いをしてきたオタクのほうがはるかに多いだろう。
映画だけ見て鬼滅をキャッキャ語れるような人間に生まれたかった。
当然原作も読まず、アニメでやっていた前段も見ず、ジャンプというドメジャー誌で連載していた作品に今さらになって参入しながら、うん万人にこすりつくされた誰でも気づくような凡庸な感想を嬉々として語って「私も大好き!大ファンです!」とか言える神経の持ち主に生まれたかった。
大衆文化に乗ってみたい。
「好きな漫画は鬼滅とワンピと進撃とキングダムです」とか言ってみたい。「最近は呪術廻戦って漫画が面白いんですよ。マイナーですけど!」とかドヤってみたい。アメトークで見たからって理由で漫画を買ってみたい。
欧米こそ至高 の はてなーに習い、オックスフォード辞典より、
otaku
(in Japan) a young person who is obsessed with computers or particular aspects of popular culture to the detriment of their social skills.
‘every other otaku can run on about their hobby endlessly’
えらいっこっちゃなぁ
では英語圏でオタクの意味のあるgeekやnerd はどうだろう?
geek
1 An unfashionable or socially inept person.
1.1 usually with modifier A knowledgeable and obsessive enthusiast.
‘a computer geek’
nerd
1 A foolish or contemptible person who lacks social skills or is boringly studious.
‘I was a serious nerd until I discovered girls and cars’
1.1 A single-minded expert in a particular technical field.
‘a computer nerd’
いちばん表現がマイルドではあるが社会性に欠けるガリ勉だそうな
しかし、いちばんマイルドっぽいnerdは日常では単なる悪口らしい
読み切りの時点では多分読んでいなかったと思う。だけど連載第一話は読んだ。ジャンプではウケないだろうけれど、自分は好きだなと思った。
毎週毎週引き込まれていった。絵柄は上手いとは言えないし、看板になるような作風ではないから長続きはしないかもしれないが、うまい料理屋の隠れた名品のようになってくれればと思っていた。
気がついたら、小料理屋の看板メニューになり、さらに気がつけばチェーン展開されてくファストフード並みに世の中に広がっていっていた。
鬼滅の刃を初期から好きな人間は、少なからずそのアングラサブカル臭を嗅ぎ取って気に入っていたのだと思う。自分は界隈に詳しくないので、こういうところが〇〇っぽいなどは言えないのだが、多くの人が気がついていない魅力を楽しんでいることを楽しんでいた。
それが今や大衆文化となり、日常でとても目にするものになってしまった。漫画やアニメを好んでいない父でさえテレビでやっているのを見て「これは鬼滅とかいうやつか?」と興味を示していた。最悪だ。
自分が望んでいたのはこんな状況ではなかった。自分の望み通りになるとは思っていなかったけれど、ここまで世の中が動かされるとも思っていなかった。自分の好きだった作品は、大衆に奪われ、大量生産され、消費されていっている。
もとよりアイネクライネをはじめとしてLOSER、ピースサインなど若者を中心に認知はされていたけれども、Lemonがこんなにも幅広い年代に聴かれる曲になるとは思っていなかった。音楽といえば昭和歌謡で止まっている私の母でさえもCDで何度も聴きライブDVDを繰り返し観た。その母よりもさらに流行りに疎い父でも、とりあえずは「米津玄師」の名を知っているというほど、Lemonは彼の存在を世に知らしめた。
そして8月5日、米津玄師の3年ぶりとなるアルバム『Stray Sheep』がリリースされた。Lemon、flamingo、馬と鹿など数多の人気曲を引っさげた「最高傑作」と評価されたアルバムだ。
当然私も買った。そして全曲聴き終わった後、脱力してしまった。「みんなのものになってしまった」と、ほんの少しの絶望と寂しさを感じたのだ。
私は彼の大古参ファンという訳ではないが、それでもハチ時代の曲はそれなりに聴いてきたし、米津玄師の名でメジャーデビューしてからはずっと彼を追いかけていた。ボカロPとしては伝説級の人物で、ボカロ全盛期と言われたあの時代を生きた人間にしかこの感覚は分からないと思う。多分この感情を持っている時点で、これからの米津玄師についていける人間のふるい落としにかけられていた。
「ハチ(ボカロ)の曲をバカにしていた友人が米津玄師の曲を褒めているのを見るとムカつく」というのはLemon以前、もっと言えば一回目の転機になったであろうアイネクライネ以前から応援しているファンの中でのテンプレ感情である。「応援してたインディーズバンドがメジャーデビューしてちょっと寂しい現象」と似たものなんだと思う。かくいう私もLemonが大ヒットを飛ばしている最中、自分の事のように誇らしい気持ちの裏にどこかそれと同じ感情を抱いていた。それを拗らせに拗らせた結果がこのブログだ。(そのようなテンプレ感情を患わせた古参米津オタクのみんなにはなるべく新規ファンに優しくしてくれることを祈る)
ただ、それはある種仕方の無いことだ。ハチから米津玄師初期、アルバムでいうとdioramaやYANKEEあたりの曲と、BOOTLEGやStray Sheepの曲の雰囲気はまったく異なるから。新海誠で例えると『秒速5センチメートル』と『君の名は。』くらい違う。
それでも私はあからさまに変わった彼の音楽に対して感じる寂しさを拭えきれなかった。
音楽の専門的なことはよく分からないので「この曲のこの音が〜」などと詳しい話はできないが、単純に昔の彼の音楽が大好きだった。好みの別れそうなおどろおどろしいサウンドや、少し毒々しい歌詞、名前も付けられないような感情を代弁してくれたような優しい歌詞も。米津玄師は私にとって、教室の片隅にちょこんといる人間を、誰も知らないアミューズメントパークにこっそりと連れ出してくれる魔法使いみたいな存在だった。そこで集まったみんなは似たもの同士だった。一種の選民思想的なものさえ感じていた。
だけど今では「好きなアーティストは米津玄師です」と言うのがはばかられる程の人気者になった。好きであろうと嫌いであろうと、とにかく新曲の情報が入ってくる。そんなポップアーティストとなった。
「米津玄師」の名のついたものはなんでも売れる。それくらい、彼は彼自身のブランドを築き上げた。もう小学生が適当に作った曲でも、米津玄師が製作と銘を打てば売れるんじゃないかって、そんな意地悪なことも考えたりするほど。
そして彼を好きであることはアイデンティティでもなんでもなくなった。
みんなが彼の曲を聴くから。彼の音楽が大衆文化として消費されるようになったから。純粋に彼の心地よい魔法にかかっていたのが一変、彼の噂を聞きつけた野蛮な人間に土足で村を踏み入られたように感じられて、なんだか居心地が悪くなった。
米津玄師は度々インタビューで「普遍的なものを作りたかった」と語っていた。そしてそれがLemonであった、と。
その言葉を聞いたときに、「みんなの歌」じゃなくて「私たちの歌」を作ってよ、と叫びたくなった。しかしそれと同時に勘違いしていたことに気づいた。私は勝手に自分のエゴを押し付けていたのだ。彼を自分の代弁者だ、「こっち側」だ、と祭り上げていた。彼が見ている世界は、そんな小さなものではなかったのに。だけど、どうしてもそれが、置いていかれたみたいで嫌だった。
よくよく落ち着いてみると、こうして純粋に彼の曲を楽しめなくなってしまったのは、私が本当に好きだったのが「あの頃の米津玄師」ではなく「あの頃の米津玄師を好きな私」だったからかもしれない。それはそれでかまわない。
どれだけ私が寂しがったところで、彼はこれからも素敵な曲を書きもっともっと愛されるアーティストになっていくだろう。コンサートで「誰一人この船から落としたくない」と語ったように、これからも米津玄師という船は正しく真っ直ぐ平等に、より多くの人を救うような、より多くの人が楽しめる方へと舵を切っていくのだ。
彼の素晴らしい旅路に祝福を。無惨にもその船から零れ落ちて溺れ死んだ人間から、ささやかな反逆心を持って言葉を送らせてもらう。
90年代オタクはクリエイターを通して間接的に昭和50~63年の影響を受けてるんだよ
例えば小室哲哉や布袋は80年代の活動が90年代のスタイルに大きく影響しているしビーイングや浅倉大介も彼らの影響下にあるやろ
J-popという様式を形作った奴らに影響を与えたものはだいたい昭和末期にあるんだよ
またエヴァナデシコCCさくらウテナ云々の、俗にいう世紀末感漂うオカルト趣味や、7,80年代のロボアニメや少女漫画のオマージュに溢れたアニメの雰囲気は
90年代って80年代ごろに日陰に追いやられていたものが徐々に表に浸透しだした時代じゃねえの?
それから松田聖子とかおにゃん子みたいなフリフリぶりぶりアイドルは俺がいっているような80年代のアングラとは真逆の大量消費社会の権化のような大衆文化やろ
S-Fマガジンの創刊が1959年、第1回日本SF大会の開催が1962年だからそのくらいなんだろうな。
その当時はアメリカでも「Sci-Fi」表記は定着していなかったんじゃないか。
フォレスト J. アッカーマンは、1954年に初めて「sci-fi」(当時流行していた「hi-fi」に類似)という言葉を使ったとされています。Science Fictionが大衆文化の中に入ってくると、この分野で活躍する作家やファンは、「sci-fi」という用語から低予算でローテクな「B級映画」や質の低いScience Fictionを連想するようになりました。1970年代になると、デイモン・ナイトやテリー・カーなど、この分野の批評家たちは「sci fi」という言葉を使って、ハック・ワークとシリアスなScience Fictionを区別するようになりました。ピーター・ニコルズは、「SF」(または「sf」)は「SF作家と読者のコミュニティ内で好まれる略語である」と書いています。