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在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ
「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代のおっさんの自分語り。
地方私立大学の理系に入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学の文系学部に転学し、言語学を学んだ。
良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学の就職は壊滅的に悪かった。同じ学部の卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。
これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部の新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区のマスコミの二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業からの内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区の企業を受けるという発想が無かったり、都市部の学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。
就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。
閑話休題。大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学の大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。
そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス『資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。
別の教員からは「国立大学の学生は私立大学の学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値があなたの研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。
ある日、大学院の師から「研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。
大学院時代の就職活動の結果、インフラ関係の会社からと、その旧帝大の事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料は月並みでも図書館等の設備があって都市部にアクセスしやすい後者を選んだ。学部時代の経験で、地方より都市部の方が学問しやすそうな気がしていた。
アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベルの大学に教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学で語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育や研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運だからだ。私には、そこまでの熱意はなかった。
大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論、経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義や社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。
仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。
ここ数年どの上司との1on1でも大体上司の語りの時間になってるなー、と感じている。
個人的に人の主義主張自分語り大好きなので時間いっぱい聞いてしまってそれはそれで楽しいんだけど、多分本来吸い上げるべきこっちの意見や相談や苦情みたいなものは伝わらずに終わってるなぁと思う。
1on1難しい。
……と、思っていたんだけど、最近のことを思い返すに「その要望は分かる。自分もそうなるのが理想(※長時間語り)だと思っているが、こういう事情(※長時間語り)でできない」を言われてるだけなんじゃないかと今増田書いてて薄々気づいてきた。
つまり『できない理由』を並べて「だから黙ってろ」と言われているだけなのでは、という。
なので意見も相談も苦情も基本的には全却下(上司的には丁寧な説明による説得)されてて、いつだって伝わってないなぁと感じるのは実際そうな気がしてきた。
問題は私側に説得された認識が全くなくて(やりたくなかろうとも理想に向かおうとしてはいると思ってた)、ちょくちょく蒸し返すから、上司としては「こんだけ説明したのにまだ言う???」みたいになってそうなことだろうか。
(越えられない壁)
(毒と空気の境目)
結局、国民の生活がよくはならなくても、少子高齢化で衰退していくのを放置しても、
今現在の生活を破壊する、劇的な変革をしない自民党が政権与党について、
時の政権の主義主張政策全部どうでもいいと思ってる立憲共産がポジショントークでやいやい言ってるくらいが、
苦しくはあっても、安寧に暮らせるんだよなぁー。
それが緩やかな破滅に繋がってるとしても…。
死ぬまで食いついて自分たちの主義主張のために国家権力と戦う気があるなら自主規制なしでも大いに結構だし、法廷闘争大いに結構どんとこいやってマジモンの闘士が多数いる左翼界隈で「表現の自由」っていえば確かにそういうものなんだけど、ネット民とか表現の自由戦士言われる人たちはそういう反政府的姿勢をパヨクだのなんだのいって嫌うじゃん。
そうなると落とし所は
か
「権力に従う」
意外ないんだわ。それが表現の自由なんか?って言われれば違うが、そもそもその手の人達が考える表現の自由ってエッチな絵でおちんちんしこしこできる権利でしかねぇから、エッチな絵のために戦うなんて割に合わないことやるわけないよねって言う
反『レールキャノン主義』的意見の根拠がただ一般論的なものに過ぎない(要は、極端な立場「レールキャノン主義」に対する反発、というだけ)ならば、
反『レールキャノン主義』を特徴づける方法があり得ない(なぜなら反『レールキャノン主義』には理論的基盤を持たない)から、
それは主義主張というより「レールキャノン主義に反発する人たち」という、誰でもその枠に含めることができるような、比較的自由な、一種のレッテルとして機能する言葉に過ぎない(し、おそらくそのように使われる)ように思う。
そんな、ただのレッテルとしてしか機能しなさそうなもの(反『レールキャノン主義』もしくは『レールキャノン主義反対主義』)は、主義主張なのか?
※ここでは、「レールキャノン主義」または「『反レールキャノン』主義」には、なんらかの理論的基盤があることを前提としている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240228083918
本文は読む価値ないどうでもいいことだと思う
けれどこういった増田ってブクマカの憎悪や劣情を煽るのか、変化に乏しい正論が真っ先に上がるんだよね
えっとね、ぶっちゃけこんな増田に何を言おうが思おうが勝手なんだが、発言すればするほど素人感がでちゃんだよ
街中でアンケートに協力してくださいって言われても何も言わずに立ち去るでしょ?
ブクマカのやってることってそういうあんちゃんに食ってかかって主義主張を述べているようなもんだよ
まあいいけどさ
こんな程度で喜ぶ人達なんだろうね
なろう系小説好きそうだし
今、話題のこれです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240220/k10014364711000.html
このような話題になるときに、たいてい酷いやつがピックアップされるけど、よい人に焦点を当てられないかと思うのです。
賛成した議員は百名程度、反対が三百程度。そうであれば、その百名に未来をつなげたくない?
その百名は、否定した三百名にバカにされる界隈の中で生きてるけど、顧みず賛成したと想像できる(大切なのは私の想像の範囲、妄想ということ)。
だとしたら、賛成した常識をもった政治家をピックアップできないかと。
裏金議員のサイトは有効だと思うけど、「ズルしたやつに投票しない」のではなく「真っ当な主義主張をしている人に投票しよう」という意味で、今回賛成にまわった議員に投票したい。
賛成した議員。反対した議員をSNSでピックアップし、次の選挙で参考にしたいのですが、私にはその技術がないから誰かやってほしい。
今、話題のこれです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240220/k10014364711000.html
このような話題になるときに、たいてい酷いやつがピックアップされるけど、よい人に焦点を当てられないかと思うのです。
賛成した議員は百名程度、反対が三百程度。そうであれば、その百名に未来をつなげたくない?
その百名は、否定した三百名にバカにされる界隈の中で生きてるけど、顧みず賛成したと想像できる(大切なのは私の想像の範囲、妄想ということ)。
だとしたら、賛成した常識をもった政治家をピックアップできないかと。
裏金議員のサイトは有効だと思うけど、「ズルしたやつに投票しない」のではなく「真っ当な主義主張をしている人に投票しよう」という意味で、今回賛成にまわった議員に投票したい。
京都市長選の前に、Xのハッシュタグ「#福山和人さんを京都市長に」がトレンドに出てきた。
別に俺は京都市に住んでるわけでも住んでたわけでもないけど、まあトレンドに出てきたら興味が湧く。
で、そのハッシュタグ覗いてみるじゃないですか。
見た瞬間、正直俺はドン引きしたよ。
そりゃ落ちて当たり前だよな、と。
一般人があのハッシュタグで当たった検索が罵詈雑言なんだもん。
罵詈雑言を浴びせる人たちが支援する人なんてロクな奴じゃないだろ。
別に野党共闘って言ったって、主義主張が違うんだからへーこら付き従うわけじゃねえよ。
思い上がんのもいい加減にしろ。
この前、代表変わったけど、あれも全党員の選挙で決まった人間じゃないだろ。