はてなキーワード: ADHdとは
それこそお前らいわゆる「健常者」どもの思い上がりだ。
「健常者」どもによる健常者視点絶対主義のせいでオレらが苦しんでいるのが障害なだけだ。つまり障害の原因はお前ら「健常者」どもによる健常者視点絶対主義。
考えてもみろよ。目を見て話してないと相手を信用できないって論理的じゃないだろ。目より言葉を評価しろよ。それとも猿だから言葉でなく目でしか評価できないのか?
オレから見たら「健常者」どもが目を見て話したがるのは、ハシビロコウが「たまごに水をかけずにはいられない!」とか、ヤブイヌが「逆立ちしておしっこせずにはいられない」と同じにしか見えない。
参考: https://www.kosodate.co.jp/news/backnum/200608a.html
お前ら「健常者」どもが「たまごを見たら水を掛けろ!掛けわすれたら謝れ!」って言われたらどうする?どう思う?一週間でいいからそういう強要をされた日常を生きてみろ!
ADHDって人によって発達の度合いが違うんだろ?
そんなアドリブみたいに変化するルールに合わせるのは不可能なんだよ
「合わせられない」でも「合わせない」でもなくて、「不可能」なんだよ
なんでそうなる。
おれは出来るだけ自分にとって負担のない人と一緒に過ごすに決まってるだろ。
元増田が嫌な気分をしてまでADHD彼女と一緒にいたいならそうすればいい。嫌なら別れればいい。誰もADHD彼女の世話をする義務なんてない。
ADHDがミスをしても謝らないという話で、目を見て話すかどうかなんて話をされても意味不明なんだが?
オレの ADHD 視点から見たらなにもメーワクなど掛けていないことがほとんどだ。
例えば目を見て話したり挨拶したりするなんてのは何の意味もない健常者どものただの動物的習性だろ。
目を見なかろうが挨拶しなかろうが ADHD 視点から見たら何の問題もない。むしろ ADHD 視点から見たら、無意味な動物的習性から自由になった進化した人間になれていないのが健常者どもだ。
「適度に謝る」ってすごい価値観だな
ADHDだろうがなんだろうが、自分がされていやなことをされたら謝るのはオレオレルールじゃねーよ
おまえだってされていやなことされたら怒るだろうが
それを常に謝れ!ってのはもう対等な人間関係を築けないじゃん。
常に相手に謝らなきゃいけないということは、つまり奴隷になれってことじゃん。
謝っても責めずに対等な態度を取ってくれるなら謝ってもいいけど、謝ったらマウントしてきやがるから謝りたくないんだよ。
そもそも謝るって言ってもお前ら健常者のオレオレルールじゃん。
なんでわざわざお前らのルールに則って謝って奴隷扱いされなきゃいけないんだよ?
それともお前は ADHD の人間を常に下に見て奴隷にしたいのか?
まあ実際には対等に接してくれるフェアな精神がある相手にならば適度に謝ることもあるけど、対等な人間関係を崩してくるような奴が相手ならオレは絶対に謝らない。
これは健常者視点絶対主義によって苦しめられている ADHD 障害者からの世直しだ。
ブコメにも ADHD の子供に謝罪を強要して育ててる毒親がいるけど、そんなことがふつうになったら自己肯定感なんてだだ下がりで、そのうち自分で命を絶つ日がくるぞ。
考えてもみろよ。ふつうに生きてるだけで、しかもどうやっても対処不能なことに対して毎日ことあるごとに謝罪しなきゃいけない生活をまずお前らがやってみろよ。
オレは ADHD である自分を大切にしていて自尊心を持っているし、健常者視点絶対主義を批判的に見ているので、自己破壊につながる謝罪なんて絶対にしない。
他の ADHD の人たちもこいつら健常者に従う必要なんかないぞ。
健常者視点絶対主義のせいでオレらが謝罪を強要されてるだけだ。オレらが謝罪する必要なんて無い。
つまり上記に書いたとおり、謝罪しても対等な人間関係を保ってくれると保証した環境で、健常者特有の根拠の無いこだわりがあるけどそれをやってくれるだけで彼氏君は喜ぶから協力してほしいというようなお願いをすれば、ADHD 者であっても協力することにやぶさかではないわけよ。
少なくともお互いに好いて付き合う程度なのであれば、理由は分からんけどそれで彼氏君が喜ぶならやってやるか、くらいは考えてやれる。
ADHD"っぽい"
100回(100人じゃなくて揉めやすいカップルの回数分カウント)
話にならんわ…
その決めつけ癖と剥き出しの敵意をやめとけって言ってんねん
自分の周りは、ASDだけとかADHDだけって人はいないけどな
そんなにはっきりしてる?
どっちかというと、というのはあるけど、暗黙の了解とか相手の気持ちを察するとかは大体できない
ASDもADHDも、その場で言ってはいけないことを悪気なく言って気づいてない事件が多すぎ
どっちも同じ障害なんだなと実感する
うちの母親(ASD、ADHD傾向あり)みたい。思ったことをそのまま言うし言い方もまあまあ失礼だから家庭内でも職場でもそこそこやらかしているww(職場のやらかしは私が社会人になって以降たまに相談されるようになったので一部把握している)
でも母は人から指摘されたことに開き直ることは絶対にしない。ちゃんと謝ってこちらの話を聞いてくれる。それでも全然直らなくて同じような失言を繰り返すんだけどさ。(頭は凄くいいんだけど人間の感情が絶望的にわからない人)
他の人も書いているけど発達であることと謝れないことは別問題。定型発達でも謝れない人はいる。失言・失敗が常人より多いのに謝れない人との共同生活はしんどいと思うからそこが問題かなと感じる。私はどれだけ失言をされようが母のことは好きだけどもし母が謝れない人だったら結構嫌いになっていたかも。
数多の相談を友人からもちかけられて、100回以上(5人友達の彼氏がいたとして×10~30回ずつ揉めたり喧嘩したり別れの危機になる)応じて、復縁なり良い未来なり親身になった上で言ってる。
理解ある彼氏/彼女、に「そうなんだよ」を言われた回数お前の100倍あるわ。
「◯◯はできるのに、◯◯になるとこうでああで」がことごとく一致するんだよね。
だから強く言える。決めつける必要なく、当事者+逆側の意見を大量に見聞きした知見がある。
医者やカウンセラーではないが匿名井戸端会議には十分な経験値だし
だいたいある程度の共通点があるから同じ障害名にいきつくんだろ
お前のその薄っぺらい説教のほうがよっぽど何にでも当てはまる毒にも薬にもならないただの一般論だよ。
こういうの、どっちが正しいも悪いでもないんだよ、目的は意思疎通と幸せな生活なんだよ。そのためには片方選んで味方して、対立煽りに乗ってヤイヤイ言うんじゃなくて、通訳がいるんだよ。それをしてる。
自分がADHDだからって同じADHDに何かを強要する権利があるわけじゃないぞ
それにADHDにも症状の差があるから君のやり方でどうにかなるなんて勘違いも甚だしいぞ
ADHDで出来てないやつ見るたびに自分はできてるのに相手は努力不足なんだって決めつけてないか?
そういうのやめた方がいいぞ
それは性格の問題やね。ワイADHDだが(診断済み)パートナーに貰ったものは無くさないようにとっても気をつけているし、なくしたらとても申し訳なく思うやろな。あと言っておきたいが、ワイみたいに教養と知性のあるADHDは普通の凡人が10年考えても到達できない領域に一瞬でアクセスして問題解決を行う能力を持ってる。年収も上位0.1%(日本の)に入ってる。とっても有能やで。
発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分の欠点を、自分の意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから。
意志と責任はセットの概念で、自分の意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会のルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子がエネルギーポテンシャルの坂道を転がった結果でしかない。とはいえ、人間は意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人が意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。
しかし、能力不足だったり人格の形が社会の多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志と責任の物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。
問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分の能力の範囲内では、意志と責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間と齟齬が生まれるからだ。この増田が良い例である。増田の彼女はゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女は自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象と人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田は自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである。
だからこれから増田がしなければならないことは、彼女を人間に戻すこと、つまり可能な範囲でゲームに参加させること、ということになる。私は自由な意志によってあなたと関係したいと思っている、だからあなたも意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女と結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独に人生を送ることになるだろう。
追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章が想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要な論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田が自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたしは別に「人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係も存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。