はてなキーワード: 勝利宣言とは
検定不合格教科書とかいうトンデモ本が野放し状態でベストセラーとかなっちゃうこの国で、穏健派のごく普通の編集者が「よくわからんけどやめろって言うならやめるわ。どうでもいいし」と言っただけのことでなぜそこまで勝利宣言できるのかはわからない。
まあ、娯楽じゃなくて知育だと言うからにはどういう意図があってのことか説明責任はあるよね、とは思う。何も説明することなくただ取り下げただけなのが余計にアレなんじゃないの。
結局知育なんて建前で、娯楽なんでしょ?と。出版社もそれでいいじゃん。堂々とそう言おうよ。娯楽としてなら全力で守りたいよ俺も。「娯楽こそが子供の知的好奇心を育むのだ」って、はっきり言おうよ。娯楽がまず先にあって、知育は後から自然についてくるんだって言おうよ。
どこに入れようか、悪い意味で迷う選択肢だったじゃないか……。
野党共闘は「対 与党」としては効果的だったように思えるけれど、野党としても勝ったとは言えないイメージ。
特に共産党は微妙な感じ。いつだったかの選挙で、共産党が伸びたのは、「与党ねーな野党ねーな共産党にしとくか」票があったはずなのだ。今回はそれが、N党とれいわに流れた感じがする。
立憲だって別に支持されて選ばれたわけじゃなくて、野党の中ならまだマシなのかなぁ……という印象。勝利! とも言えない辛勝って感じ。
個人的には、自民は悪いとは思わないけど、安倍さんを支持できない。彼自身は面白い人物だと思うけれど、彼の政治の手法にはちょっと共感できない。
正直なところ予想としては、自民が少々議席を減らしても、結局2/3議席になって、改憲を支持されました!ドヤァするんだろうな と思ってたから安心した。
改憲自体は別にいいのだけど、むしろ、するべき時に来ているとは思っているけど、安倍政権下ではちょっと…… って思っている。増税も、8%まで来たんだからいつかはすんだろうなと思うが……。
それでも、若い人が自民に入れたという気持ちはわからなくもない。民主政権時代のことを、なぜか有権者がめっちゃ叩かれたんだよね…… これがお前らの選択だ、と。その後も、めっちゃ言われまくる。躊躇するよね、と。これで、政権交代したら、ほらー 若い奴、政治なんて何もわかってないじゃーんって言われるー って怖いだろうなって思うの。
今でもドキドキしながら投票してるけどね。自分なりに調べて、選んで投票しているつもりだ。個人的には、投票した責任はもちろんあると思うけど、支持されなかった方には責任なかったんか! ってくらい言い返したっていいと思うけどね。
それにしても、N党、れいわが議席取るとは……。まさに、上で述べた通り、野党共闘のたなぼたなイメージ。
障害を持ってる人が議員になることは悪いとは思わないけど、むしろ、彼らが参加することで、得たものは大きくて、「当事者ならどう考える」とか「どうやったら参加できるだろうか」とかを考えるチャンスとなった感じがするが、ただ、きちんと政治の世界に参加し、きちんと彼らの考えや意見が通るかが、心配なイメージ。性差ですらまだまだな部分が大きいから……。
まあまあ妥当な、しかも、与党も野党も堂々と勝利宣言できる状態じゃないから、吉本に話題もってかれるよね……。しかも、ジャニーズの分のヘイトも集まっちゃって、そういうのも全部含めて、岡本社長はちょっと可哀想……。
太田や伊集院がある種の人たち(自分も含む)から愛されているのは、バックボーンにある弱者体験を忘れずにそして大切にしているところだと思う。
このブコメ読んでわかった。
全然太田や伊集院に同調出来ない(面白くない、膝を打てたことがない、神経が丸太ン棒のように太く粗雑にしか感じられない)ので、
この2人が「ある種の人たち」の鬼瓦のような扱いを受けていることに反発を感じるのだ。
これは自業自得の所もあるというか、
はっきり言えば太田光や伊集院光やその信奉者達を見下してるのだ。
こいつらセンスも頭もすっごい悪いなと思ってる。
でもこれはどうしてもそう思うので、そこに嘘をつくことは出来ない。
「ある種の人たち」のマスもセンスが雑で頭が悪い人達なので、そこには入れない。
自分は社会的に追い詰められてないので別にその輪に入れなくても痛痒ないけれども、
太田や伊集院に頷ける程度のマス「ある種」はその輪の外の「ある種」のことなんかもちろん考えないし。
いろんな人からやたらにイタい奴認定で嘲笑されるZeebraが
「中二病」という言葉が垂れ流す害毒について提唱者である伊集院に本気で怒ってた時も
移住員の取り巻きたちがみんなでZeebraに嘲笑石を投げてて、話としてどっちに理があるかなんて展開にすらならず。
「元号で時代をくくるのはナンセンス」という批判は受け止めた上で、自分なりに平成という時代を総括すると、
「昭和の社会を動かしてきたシステムが次々と破綻を来たし、あちこちで『昭和』の矛盾や問題点が噴出し、それをどうにか解決して新しいものを生み出そうと、多くの人々がもがき試行錯誤し、それなりの成果を上げたりもしたが、彼らの力が弱すぎたのか『昭和』の力が強すぎたのか、ついに『昭和』の圧倒的な力の前に敗れ去った、『昭和』の壁を越えることができなかった」
…そんな時代だったと思っている。
「令和」という言葉を初めて聞いた時「まるで『昭和』のパチモンのようだ」と感じたが、思えばあれは「我々は『平成』を鎮圧した」という『昭和』による勝利宣言だったのかも知れない。
平成最後の夜に、そんなことを考えている。