はてなキーワード: ベルリンの壁とは
http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded
1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。
1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発
1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用
1916年2月16日~1916年12月20日 ベルダンの戦い
1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点
1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞
1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニのローマ進軍
1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行
1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)
1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日」
1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップ(ウルグアイにて)
1932年 ワイマール共和国崩壊
1934年10月27日 毛沢東の長征
1939年9月1日 第二次世界大戦勃発
1942年9月13日~1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い
1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)決行
1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判
1951年 朝鮮の人口?
1954年6月4日 西ドイツがワールドカップで西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」
1956年10月29日~1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争)
1959年1月1日 キューバ革命の勝利
1961年10月27日 チェックポイント・チャーリーでの対峙(ベルリン危機)
1964年8月2~4日 ベトナムでアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)
1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争)
1970年4月 カンボジア侵攻
1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件
1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)
1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)
1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発
1985年3月11日 ミハエル・ゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任
1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)
1990年8月2日~1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争)
1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸
2000年1月1日 ミレニアム
2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件)
2005年8月29日 ハリケーン・カトリーナ ニューオリンズを破壊
2008年10月 金融危機
2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故
2012 ?
10分どころか、6時間くらいかかったorz
それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。
(調べてみたら、どちらもM7クラス)
たまに聞かれるんだが、いつ頃からかアホらしくて答える気にもならなくなった。それでもまだ聞いてくるヤツがいるから呆れる。私と同じ立場だったとして、理性があれば本当にそんなことを考えるだろうか?それとも、単純に相手が私の立場を見えていないだけだろうか?
確かに、同世代で結婚している人間もいるし、子供がいるヤツもいる。友人の中にもいる。でも私にとっては、そっちのほうが特殊に見える。それが彼らの当たり前なのかもしれないが、少なくとも私にとっては特殊だ。だったら単に私のことが見えていないだけなんだろうな。私は特殊なんだろうか。果たして。そうは思えない。とても。
27歳。団塊ジュニアより5年ほど下か、ゆとりより5年ほど上か。
我々と大体同世代になるのは、サカキバラの東くん、バスジャックのネオ麦くん、芸能人はよく知らないけど、最年少で芥川賞だった人とか、思いつくのはそれぐらい。
我々の世代の流行といえば、イジメ、キレる十代、円光、バタフライナイフ、オウム真理教、あとなんだろう、時事としてはそんなもんか。
ソ連も一応は知っている。ベルリンの壁も知っている。教科書でも習った。ソフホーズとかコルホーズとか、五カ年計画とか、過去としてではなく。
私は映画が好きだったから、子供の頃はベトナム戦争の映画ばかり見て育った。洋画と言えば、ハリウッド映画と言えば、どこもかしこもベトナム戦争だった。
バブルも崩壊直前直後だけを知っている。平成米騒動とかもあったっけ。覚えてないけど。
小学生の途中で土曜日は完全に休日になった。確か卒業間際だったと思う。
小学校は4クラスあった。中学は6クラスだった。我々以降はどんどんクラスの数も減っていっていたと思う。少子化の走り。
失われた20数年とかリーマンショックとか重なっているけれど、もう物心ついたときにはそういうのは当たり前。
日本が経済世界一だったことがあるってのも幼い頃の記憶であるかないか程度で、実感としては残っていない。
だから、老人が言っていることは何一つ信用できないし、そもそも老害としか思っていないし、老人が作った会社も信用していない。そしてその老人が作り上げ、老人にて成り立っているこの社会も信用していない。参加したいとも思わない。早く逃げ出したいというのが本音だ。
老人は我々を食い物としか思ってないだろう。我々を奴隷としか思っていないだろう。彼らは自分の息子に対してでも、まともに人扱いしているのか疑問に思う。私から見れば、彼らは自分にへつらうか、同調するか、そういう人間以外は取り合わない。取り合ったところで果たして人間扱いしているのか、上手く使おうとしているだけにも見える。そして、私はそれだけは絶対に出来ない。吐き気がする。
今思えば、そういう反発、反発ではないな。脱却、逸脱、それはずっとあったのかもしれない。子供の頃から、学生の頃から。大人になっても。
老人と若者の世代間闘争とか、感覚のズレとか、大昔からある話だと言うけれど、今と昔が違うのは、その数の割合であって、社会が成熟した今は老人が圧倒的に多い。若者の反発などは、存在したとしても見向きもされないほど無力だ。そのことが老人には理解できるだろうか。丁度今中国と日本が戦争するようなもので、力も数もジジイたちが握っている。我々は既に諦めている。
私は外国のニュースを見るたびに思う。40代の首相がいる国だったり。26歳のCEOが老人たちの会社を、一瞬で、理解も出来ないようなサービスで、追い抜いたり。老人たちはその自らが作り上げた狭き共同体の中で、どう考えているのだろうか。狭い中で権力を奮ってはいるものの、それが井の中の蛙であるということに対して、そしてその井戸は、自らの無能によって自ら侵食や崩壊を招いていると言う事実に対して。老人帝国は無視されて終わるか、食いつぶされて終わるだろう。このままだと。私は別にどっちでもいい。同国人として多少なりとも憂う気持ちはあるけど、関係ない。どうしようもない。
一芸がある人、世渡り上手な人、金のある人、上手くいってる人は同世代にだっていくらでもいるだろうから、彼らはただ好きにがんばってください、としか言いようがない。ただ、それらを何一つ持ち合わせていない私のような人間は、ただただ毎日を成り行きに任せて過ごすしかない。普通の人が普通に暮らし、普通に過ごせて普通の人生を歩み、普通の生涯を終える、そういう絵に描いた普通は、今の私にとっては理想でしかない。理想、理想ですらない。私はそういう普通を望むことすらしなくなった。どうでもいい。
これ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162
ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。
ホメオパシーは電波な医者が編み出した電波な理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。
今のように、ベルリンの壁を分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室や会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者の浄霊などに効果があります。)
症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈。
何かに似ていると思いませんか?
非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。
エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。
一方ホメオパシーの始祖であるドイツの医師、サミュエル・ハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。
はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。
ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療を勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。
ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素や水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。
ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。
ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパスが元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。
同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。
ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。
のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!
おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。
かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。
1830年からのコレラ大流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシーの最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリの社交界に招かれさえもして、幸せな晩年を送ります。
しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナーな代替療法の一種に零落していったのでしょう。
ですが、第一次世界大戦終戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。
フォロワーが2万人を超えた。
去年の9月上旬に3000人で、1万人を超えたのが11月上旬だから、
tヶ月後 | 年月 | フォロワー数 | 類似の数字 | 主な出来事 |
---|---|---|---|---|
-4 | 2009年9月 | 3,000 | 東大の合格者数 | シルバーウィーク厨の出現 |
-2 | 2009年11月 | 10,000 | 失敗したポスドク計画目標値 | ベルリンの壁崩壊から20年。 @ikedanob のバカの壁が崩壊し、ネット世界を侵食 |
±0 | 2010年1月 | 20,000 | ソフトバンクグループ全社員数 | @ikedanob が日本の成長産業になる。以後2ヶ月ごとにフォロワー数が倍増 |
+2 | 2010年3月 | 40,000 | 札幌ドーム座席数 | 1stシングル「ノブオハウス」発売。 @ikedanob 全国ドームツアー開始。失神者続出 |
+4 | 2010年5月 | 80,000 | 沖縄宜野湾市の人口 | @ikedanob 普天間基地問題を解決。沖縄に熱狂的に受け入れられる |
+6 | 2010年7月 | 160,000 | 2010年3月段階で就職が決まらなかった大卒者数 | 成長産業 @ikedanob がフォロワーを雇用。一気に日産自動車グループの社員数を抜く |
… | … | … | … | … |
+12 | 2011年1月 | 1,280,000 | 沖縄県人口 | 「ゴッドランドノブオ」として日本から独立。専制政治で成長路線をとる |
+24 | 2012年1月 | 81,920,000 | 日本のネット人口 | 「ゴッドランドノブオ」が日本を合併吸収。アジア地域随一の成長産業として、BRICsを牽制 |
+36 | 2013年1月 | 5,242,880,000 | 世界人口 | 超時空要塞が小笠原諸島近海に落下。統一地球政府初代大統領の @ikedanob 、次の目標を銀河系制圧に設定 |
+48 | 2014年1月 | 335,544,320,000 | 銀河系の恒星の数 | @ikedanob が銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴になってキラッ☆ |
写真って、瞬間を写し出すにも関わらず時間を記録するんだよね。
言い換えるなら、点を照射して線を保存するような感じ。
時間を閉じ込める技術が生み出されてから、今日までに様々な記録が保存され続けてきた。
広島の原爆や、パールハーバーでの攻撃、ベルリンの壁が崩壊して、月には人が降り立った。
どの場面も、瞬間を記録しているのにそこに時間が封刻されている。だから、カメラって不思議だなって思う。
ここから話がちょっと飛躍する。
もし写真というものが刹那を被写体に時流を刻むものだとするならば、それはありとあらゆる写真にも応用されるわけで、
例えば家族写真、例えば修学旅行での集合写真に写ってしまうと、そこに私がいる(いた)ことが記録されてしまうわけなんだよね。
なんなんだろうな、それがちょっと嫌なのだ。
前々から写真やビデオに写るのは嫌いだったけれど、形あるものとして残りたくないのかもしれないなあって思ったりする。
気味が悪いような気がするんだ。
どうして人はカメラを向けるんだろう。どうして人は映像に残そうとするんだろう。
その人がいたこと、その出来事が在ったことは、己の記憶の中に仕舞っておくだけで十分じゃないのかな。
残すということと、存在を照明すること。
所詮は私こそが認識世界の中心なのに、他者に存在をアピールしてどうするんだろう。
私は誰かの記憶には残りたいけれど、だからと言って記録にはなりたくない。
ここまで書いたけれど、もしかしたら、記憶に残りたいからこそ記録を残すのかもしれないなあって思い至った次第。
終了。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081106/1225972453
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51135541.html
http://anond.hatelabo.jp/20081107234548
のはなし。
人の感じ方はそれぞれかな。しかし、文脈ってのもあるし、一部を取り出してもな、とも思う。対比ってのもある。ほのめかしってのもある。裏読みってのもある。ってわけで超々訳してみた。
こんばんは。
皆さんの答えに答えて諸問題に取り組みます。
<謝辞>
これは皆さんの、民主主義の、221年の勝利です。
これからは、すべてにおいて一丸となって戦いましょう。
この100年間、私たちは諸問題を乗り越え変化してきました。
これから100年、私たちは諸問題を乗り越え変化します。
私たちは出来ます。
こんばんは。
不安や疑問に答えが出ました。
沢山の人が長い時間をかけて、あらゆる世代が、思想が、民族が、個人が、州が、私たちがアメリカ合州国であり、歴史を手にし、歴史を作ると答えました。
アメリカは変わります。
マケイン上院議員、ジョー・バイデン、家族、スタッフに感謝したい。しかし、この勝利は、あなたの、みなさんのものです。
私は草の根活動をしてきました。皆さんの家庭が、募金が、ボランティアが、2世紀たとうとも、この地球から民主主義は途絶えないと証明しました。
皆さんは勝利しました。私は承知しています。二つの戦争、環境問題、金融危機に、全身全霊をかけて取り組まなければならないと。
イラク、アフガニスタン、養育費に眠れない親、新エネルギー、仕事、教育、脅威、同盟。
私は皆さんと対話します。221年一つ一つ皆さんの手で行なってきたように、国家再建を行ないます。
この勝利は変化へのきっかけに過ぎません。皆さんと共に変化しなければなりません。
金融危機から教訓を得ました。この国は一丸となるべきです。悪政と戦いましょう。
共和党の価値観は民主党も共有しています。溝を修復しましょう。リンカーンは敵ではなく味方だと言いました。
私に投票しなかったあなた方の協力が必要です。あなた方の大統領になりたいのです。
世界の皆さん、私たちは運命共同体です。悪をくじき、平和と安全を支援します。民主、自由、機会、不屈の希望、それがアメリカです。アメリカは変わります。
アン・ニクソン・クーパーさんは106歳です。奴隷制が終ってから一世代後に生まれ、彼女はアメリカを見てきました。Yes we can。
女性参政権、ニューディール政策、太平洋戦争、公民権運動、アポロ計画、ベルリンの壁崩壊、インターネット。Yes we can。
106年間アメリカを見てきた彼女は知っています。変われる事を。Yes we can。
100年後の子供たちは何を見るのでしょう。それは、私たちの行ないです。行ないましょう。出来ないという人には、こう答えましょう。Yes we can。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51134807.html
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20081105-05.html
When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world, she was there to witness a generation rise to greatness and a democracy was saved. Yes we can.
この部分の流れは時系列で、第二次大戦/太平洋戦争である事に間違いはない。
アメリカ視点としては、直接参戦のきっかけが真珠湾攻撃で、民主主義の国アメリカが民主主義を救った戦争となる。
[追記:実際の所は単なる表現の問題でしかない]
「democracy」が正義ってのは、
that the true strength of our nation comes not ... but from the enduring power of our ideals: democracy, liberty, opportunity, and unyielding hope.
わが国の力の源が、...ではなく、尽きることのない理想にあるのだということを。民主、自由、可能性、そして確固たる希望にあるのだということを。
からも分かるし、「the Democratic Party」だし。そしてそれを救ったと。
そういう、「戦争はアメリカの正義の現れの一つ」っていうのが嫌って意見。
「the Pearl Harbor」という固有名詞を用いずに「our harbor」と、ぼかしてくれた。
アメリカが日本との関係を重視している証拠。今もこれからも、日本とアメリカの関係は良好だよ、って意見。
[追記:以下ミスリード]
前半では「二つの戦争」「イラク」「アフガニスタン」が挙げられている。
かつて、日本は(アメリカにより?民主主義により?)復興した。
米国は「毒のモーゲージ(住宅担保債権)」を世界中にばらまいてしまった。
サブプライム住宅ローンの証券化による不良債権のことだ。そのせいで世界が危機に陥り、苦しんでいる。
1929年に始まる大恐慌の時は、危機が主に貿易関係を通じて世界に広がったが、今回は金融市場を通じてグローバルな危機を招いた。責任はまず、金融界やモーゲージ業者、そして私が「共犯者」と呼ぶ格付け会社にある。背景にあるのが、自由な市場経済を口実にしたブッシュ政権の規制緩和と企業優遇策だ。
問題は経済思想だけではない。イラク戦争とアフガン戦争、富裕層向け減税は、米国経済を弱体化させ、財政面でも金融面でも政策への重圧になった。それが連邦準備制度理事会(FRB)にしまりのない金融政策をとらせたとも言える。FRBにも不良債権の毒を爆発的に広げた重大な責任があるが、とりわけ非難されるべきはブッシュ政権の政策だ。
我々は歴史的経験を通じて、危機を大恐慌に転化させないための知識や政策手段を持っている。米国経済のサービス産業化や労働者のパート化も、かつてのように失業率が高まるのを阻んでいる。それでも恐慌の再現を防げるかどうかは、政府の行動いかんだ。
苦い教訓として思い出さなければならないのは、97年から98年にかけて起こったアジアなどの金融危機だ。米国も国際通貨基金(IMF)も正しい方策を採らなかったために、インドネシアなどで金融システムの崩壊や深刻な不況を招いてしまった。知識や政策手段があっても、正しく行使しなくては役に立たないのだ。
今回の危機に対し、ブッシュ政権は、巨額の金を金融界につぎ込めば他の人々もいくらかは助かるだろうという「トリクルダウン」(金持ちや企業が富めば、そこからしたたり落ちた富で全体が潤うという考え方)の手法を取っている。企業を助けるだけで、働く人々を助けようとはしていない。何もしないよりはましかもしれないが、まずいやり方だ。
ウォール街の特殊利益を優先する「企業温情主義」の発想が、正しい政策を阻んでいる。ポールソン財務長官やバーナンキFRB議長は、もはや市場の信頼も米国民の信頼も失っている。
米国政府がまずなすべきは、ローン返済に行き詰まった人が、担保の住宅を失うのを防いだり、失業者を支援したりする事だ。景気を刺激して、経済を回復に導かなければならない。予定されている減税は速く実施すべきだし、インフラ整備も必要だ。高速道路の建設も有効だが、長期的な視野に立って地球温暖化対策に力を入れ、「グリーンなアメリカ」をつくるべきだ。
民主党はそういう政策を掲げている。しかし、(11月の大統領選で民主党のオバマ候補が当選しても)新しい大統領が政策を打ち出す来年1月の就任式まで、まだ3ヶ月もある。この期間中、共和党内の支持すらも失ったブッシュ氏が大統領の座にあることが、対策を遅らせる要因になっている。
この危機をきっかけに新自由主義は終わりを迎えなければならないと思う。規制緩和と自由化が経済的効率をもたらすという見解は行き詰まった。
ベルリンの壁の崩壊で、共産主義が欠陥のある思想であると誰もが理解したように、新自由主義と市場原理主義は欠陥のある思想である事を、ほとんどの人々が理解した。私の研究はすでにそれを説明してきたが、今回は経験によって示された事になる。
基軸通貨としてのドルと、米国の役割も、やがて終わっていく事は明らかだ。
ただ私がすでに著書「世界に格差をばら撒いたグローバリズムを正す」(原題はMaking Globalization Work)に書いたように、各国が保有する準備通貨がドルから二つや三つに分散すれば、より不安定なシステムになってしまう。
もし、ドルとユーロの二つになれば、米国に問題がおきたときは、みんながユーロ買いに殺到する、逆に欧州に問題が起きれば、ドルに殺到するだろう。それでは不安定きわまりない。
結局のところ、特定の通貨に依存しない多角的でグローバルな準備通貨システム、すなわち「グローバル紙幣」が必要とされているのだ。それは各国通貨のバスケット方式であり、IMFのSDR(特別引き出し権)を恒久化したようなものだ。ケインズが44年のブレトンウッズ会議でドルやポンドの代わりに主張した国際通貨「バンコール」の現代版でもある。
同時にIMFに代わる国際機関を創設する事も必要だろう。新たなブレトンウッズ会議を開催すべき時なのだ。その意味では、今月半ばにワシントンで開かれる「G20サミット」は、今後のグローバルな金融制度について議論を始める場として意義がある。
しかしそのG20を、もはや誰もが尊敬しなくなっている大統領が主導するのは問題だ。危機を克服するには素早く行動しなければならないのに、それが出来ないという困った状況に我々は直面している。
日本はバブル崩壊後の不況を克服するのに長い時間を費やした。今回の危機を長期化させてはならない。
これまで米国は最大の消費国として世界経済を引っ張ってきたが、現在の世界危機と不況を克服する上で、「経済成長のエンジンの多様化」も必要だ。特に日本の役割は重要であり、できる限り力強い経済成長を実現する事が求められる。