はてなキーワード: アヌスとは
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アナル開発をやめようと思う。
予めお話しをしておくが私は乳首を開発しないという生き方を否定するつもりは全くない。ただこの悲しい気持ちを吐き出したくてここに書き込みをしようと思っただけである。
私はとあるブラック乳首の記事を見てから乳首に目覚めたようだ。
私はアナル開発という思想自体否定することはないし自分で決めた道を貫く姿勢は尊敬する。
たった数人しかフォロワーがいない鍵をかけたSNSの中で他の人にもこの世の現実を知って欲しいと乳首開発のYouTubeや記事を紹介するようになったのがきっかけである。
これ見ても何も感じない訳はないだろうと。(開発されていない)乳首がかわいそうだと思わないのかと。それらを見ることによって自分と同じ考えになるはずだと信じて疑わない発言をする様になったのだ。
私も知らない世界について乳頭ごなしに否定はしたくない。友人が見ているアナル開発の世界を理解しようと思って貼られているURLの動画は全部見た。ブラックアヌスの動画やベーシックインカムの現状についてだった。とても悲しい動画だった。
それを見て感じた個人的な意見としては、根本的な問題はアナル開発をすることで解決はしないだろうということ。
友人が紹介したURLに貼られている悲しい現実について真実なのか、現状日本で行われていることはなんなのか、解決手段はないのかについても自分なりに調べたが長くなりそうなのでここでは話すことはやめておく。
ここでお伝えしたいのは私はその現実を知ってもアナル開発を始めようとは思わなかったという事である。ケツの穴が小さいと言われるかもしれない。
それでも私は乳首と開発中という関係を辞めたくなかった。個人的にも乳首との付き合い方について理解しようと調べた。一緒にイけるアクメはどこだろうか、なんの刺激がタブーなのか、不快に思う時は乳首を挟まないようにしよう、とか、いろいろ考えた。調べているうちにとある記事を見つけた。
『一般的な乳首開発はメスイキを強要せず、あくまで個人のライフスタイルとして取り入れている』
『感度が高いことは理解しているので、その人たちを否定することは無い』
本人に開発してるつもりは無いのだろうが乳首に同様の快楽を求めようとしている。同じ動画を見たなら、私と同じ思想になるでしょ?と言ったことを発信をしている。この世の人全てが乳首に優しくなるべきだと発言している。
乳首という乳頭に触れてハイになってしまったようだ。私が感じた気持ち良さはここにある。乳首が悪いわけではなく、ただ乳首が変わってしまった。おっぱい・乳頭の押し付けをする様になってしまったからだ。こんな人ではなかったのに。変体的な人間に変わってしまった。乳首を開発ことが快感になってしまった。乳首の受信する快感に溺れるのにはまってしまった。乳首の機嫌を伺いながら愛撫しようとする自分も嫌になってしまった。乳首が私にとって性感帯になってしまった。本当に嬉しい。
本人に伝えるつもりはない。私からひっそりと触れていくつもりだ。アナルはアナルの弄り方があって乳首には乳首の弄り方がある。相容れないのに無理に一緒にいる必要はない。こんな考えの私とアナルも一緒にいたくないはずだ。
日本語の傾向として例えば「最強の武器」の意味で「最強武器」という四文字が作られ使われたりするように助詞が省略されるというのがまずありそう。要は「アヌスセックス」でも日本語のできかたとして変じゃないから「名詞+名詞」だろうという解釈が発生し得る。あとは「肛門の」が「オブ・アヌス」と前置詞+名詞で形容詞句となるタイプじゃなくアヌス→アナルと変化するタイプだったというのもありそう。これはカタカナ言葉として普及する外来語全般に言えそうだし、そもそも形容詞としての単語が別に発生する事自体に英語の側で必要性があった生まれてそうだけど。
子どものころから疑問に思っていた。どうしてローマ人の名前にはアヌスがつくのだろう、と。
大人になってから、ラテン語の男性名詞の語尾は-usで終わるので、必然的に男性の名前がなんとかアヌスになりやすいと知ったのだけれど、それでも疑問に思った。ローマ帝国の子供たちは、人の名前にアヌスがついているのを見て「肛門だ! 肛門だ!」とゲラゲラ笑ったりしなかったのだろうか。子供が下ネタを好むのは世界的な現象であり、ローマ帝国がその例外であったとはとても考えられない。男子小学生だったころなら、「運賃」「チンパンジー」という言葉だけで小一時間笑うことができたのだから。
そこで調べてみると意外な事実に突き当たった。ラテン語で肛門は「アヌス」ではない。「アーヌス」なのだ。ラテン語では短母音と長母音を明確に区別する。「アヌス」では単に年齢を重ねた女性を指すに過ぎないのである。
さらに、もう一つ驚いたことがある。「アーヌス」はもともと「輪」という意味しかない。「肛門」の意味は派生的らしい。意外だったが、確かに納得できる。人体の細かい解剖学的な部位を、たった四文字の名詞で表すほうが意外だ。「尻」と「穴」をあらわす単語を組み合わせれば事が済むのだから。日本語でも「尻の穴」、方言も含めれば「ケツメド」と呼ぶし、英語でも「asshole」だ。実は、肛門を名詞の組み合わせではなく、一つの単語で表していたのは、ローマ帝国の解剖学の水準が高かったからではないかと思っていた。つまり、高度な文明ほど語彙が豊かで、肛門を複合語ではなく単語で表すのではないか、という仮説を立てていたのだが、それはどうも違うらしい。
そういうわけで、ローマ皇帝ヌメリアヌスの肛門は「アーヌス」ということになる。それでも、ローマの子供たちは笑っていたかもしれない。なんたって「賃金」という言葉で笑える年頃なのだもの。
アヌスの皴の数まで知ってるよ