はてなキーワード: 衆愚政治とは
国歌起立条例案の時と同じように、無理目の提案をドカンと出して、自民と公明にチキンゲームを競わせて、適当な妥協点で可決ってとこでしょ。家庭教育支援条例。
大阪W選挙の時は「維新の会vs自治労日教組財界関電自民民主共産公務員マスコミ連合」だったけど、次の衆院選でもほとんど構図は同じでしょ。
流石に国政選挙で自民民主共産連合はないだろうけど、自民民主連合くらいはやるぜきっと。
討論に出れば負けるし。出なきゃ言われっぱなしだし。
経済学は苦手っぽいけど、短期決戦なら池信をフルボッコするんだぜ。
誰が勝てるの?
マスゴミが暴言失言を拾おうにも、主戦場をツイッターに移しつつあるしさ。
ツイッターでの暴言失言を拾ったところでさ、さんざん炎上ビジネスで喰ってきた小林よしのりや池田信夫がそれになにか言ったって
「お前が言うな」
じゃん。
http://www.higuchi.com/item/663
その「デマであろうと、いい話だからシェアする。おまえらも感動しろ」派のみなさんにぜひお勧めしたいのが、今月号の文藝春秋に載っている「日本の自殺」という論文です。
この論文、1975年に文藝春秋に掲載されたものの再掲。最初に掲載された当時も相当話題になって、土光敏夫さんが抜き刷りを作って財界人に配って読ませたりしたらしいのですが、当時は福岡の幼い中学生だったので知らない。
ところが、これが最近、文藝春秋の宿敵である朝日新聞の主筆のコラムでも取り上げられたりして、あちこちで注目されているので、異例の再掲になったらしいです。
「日本の自殺」というタイトルから、「国内の自殺率が増えてるとか、そんな話かな」と思ったら大間違い。
豊かな時代を過ごしているうちに、国民の思考力や判断力が衰弱して衆愚化し(「パンとサーカス」ね)、最後には文明が滅びてしまった過去の多くの例から、日本という文明も自ら滅びる道を進んでいるということを警告した論文なんですが、この中で「予言」されている内容が、まさに今の日本の状況そのものに見えるのがポイント。読んでいて、かなりぞくぞくします。
この論文の中で、人々が衆愚になっていく大きな原因の一つとして指摘されているのが「情報の洪水」あるいは「情報汚染」。
マス・メディアを通じて膨大な情報が垂れ流されることで、直接経験によらない間接経験の情報の比率が増え、情報に対する判断や批判が行われなくなり、浅薄な好奇心をあおりやすい一時性の情報ばかりを簡単に消費するようになり、やがて情報を無批判に受け容れるようになる、というプロセス。
”情報をシェアする”とか断片的に何か”共感”ってのは、ある種、汚染されてきてる証拠なんだろう。
気軽に何かをしている、能動的に考えているような気分になるが、実は何も考えていないという現実。
キーボードに打ち込む数が減り、クリックするだけでパブリッシュ(リツイート、コピペ)できてしまうという現実、実はすごい罠に陥っているのかもしれない。
http://news.livedoor.com/article/detail/5857112/
鉢呂に暴言を浴びせた記者も、私憤が義憤に摩り替わったのが原因なのかなぁ。ぶっちゃけそこまで騒ぐ問題でもないと思うんだけど。放射能を擦りつけられて、えんがちょされたのがマスコミの人間だったのが運の尽きかもね。「人が死んでんねんで!」(元ネタ失念)みたいに、マスコミの人は、私憤と義憤を取り違える環境にあるのは否めないけど。ただ、それを奇貨として、意図的に取り違えてるのがマスコミと言えるのかもしれないけど。「(特定)アジアの人が苦しんでるのに」的な御注進を奉ってた新聞社とか。
もちろん、ささいな失言・言い間違いについて揚げ足を取る形で、大臣を辞めさせたり、任命責任として総理大臣に追及してたのは、当の民主党の議員であるわけだから、まぁどうでもいいんだけど。絆創膏の説明責任とかもあるし。
そういえば、このまえうっかり、TVタックルの番宣をみたら、すっかり民主党バッシングに染まってて笑った。太田光の総理大臣云々の番組はもう終わったんだっけ。TVタックルと太田光の総理大臣の番組は、衆愚政治の象徴だと思う。2年前の民主党マンセーとかを出演者に見せたい。たけしとか太田光はご意見番みたいな位置に座ってるらしいけどなんて言うのかね。
最近になってようやくわかったこと。
言葉というのは、もうそれだけで力があって、書こうと思えばなんだって書けるんだということ。
ある物事を事実と認めたければ「・・・という事実がある」って書けばいいし、ある事実を否定したければ「・・・という事実はない」と書けばいい。
ここでそれが事実なのかどうかなんてことは関係ない。ただ、それを事実としたいかしたくないか、それだけの違い。
ほとんどのことはあらゆる側面から見ることで、肯定も出来れば否定もできる。
肯定する理由、否定する理由を並べてもっともらしく書けば書くほど信ぴょう性は上がるものの、ほんとのところはその文章を読んだだけではわからないし、実際に一時ソースにあたったところで、自分がそれをどう捉えるかで肯定も否定もできる。
ネットは今でも文章中心の文化だから、毎日大量に情報が投下されている。その中にはある事象に肯定的な人と否定的な人がいることはすぐに分かる。
たとえば原発の問題。
推進派と反対派が今でもそれぞれに意見を表明している。
その論拠も次々と出てくる。場合によっては相互に矛盾していることすらある。
ここで思うのは、何が正しいとか、間違っているとかじゃないんだってこと。ただ両者とも、まずは原発推進ありき、原発廃止ありきで論を進めている。
いわば、「推進したい」「廃止したい」という気持ちを、難しく最もらしく表現しているに過ぎない。
そして、気持ちが先行していることを文章表現で隠しているだけだから、相手方についてはまともに取り合わないし、お互いに見下した論調になっている。
ネットで建設的な意見を形成することは、今のところ難しい。なぜなら、書き手が言いっぱなしでも問題ないから。
無責任が横行している。名だたる人の文章すら、ネットのものは無責任で結論ありきの感情論ばかり。もしくは、「中立性が売り」
だからと言って、では専門家に任せておけばいい。ネットはバカと暇人のものと割りきっていいのかというと、それは違うと思う。
日本を変えて行けなければならない、日本のエネルギー政策を考えなければならない。被災地支援と復興を、将来のグランドデザインを、雇用対策を、教育を、政治を、社会を
あらゆる技術要素はすでにここにある。
あとは、情報を建設的に、多数の人の意見を、誰にでも見えるように、意見対立を見えるように、そしてわかりやすい形で意見表明できるようにする。
その意見への責任を持ち、対立意見に対する真摯な態度を表明する必要があるような仕組み、ロジックを整えることさえあれば、
1年以内に福島第一の5号機と6号機を今後どうするか決めなくてはいけないと思う。
両機の損傷は軽微で綿密な点検を行えば運転再開は可能だと思われる。
チェルノブイリでも事故をおこした炉の隣にある3つの原子炉の運転は継続された。当時のソ連・ウクライナの政権が狂ってたゆえの判断ではなく、これはこれで現実的な判断であった。すでに近隣地域から住民避難済みであり、万一事故が発生することを想定するとむしろ他地域の原発よりリスクが低かったのである。
福島第一の5号機と6号機についても同様のことが言える。もはや20km圏内の民間人はほぼ避難が完了しているため、事故リスクは国内の他地域の原子力発電所と比較してかなり低い。5号機と6号機を運転することで、地理的リスクや老朽化リスクが高い浜岡や敦賀の廃炉を前倒しできるのであれば、ぜひとも運転を再開すべきであろう。発電事業収入が得られることから、福島第一だけ切り離して清算会社とする構想の実現可能性も高まる。
だが、問題がある。日本は衆愚政治の面を持つ感情的な民主制であるため、チェルノブイリ当時のソ連のような冷静な判断は無理だと考えられる。福島第一の無傷の炉の運転再開をするなんて、間違いなく国民感情的に受容不可能だ。結局うやむやに廃炉にされ、より危険な旧式炉の運転が続行されるのではないだろうか?
最近の(でなくてもそうだけど)政治を見てると、ホント「将来の事を考えてないなぁ」と思う。
世代間闘争を煽るつもりはないけれど、やっぱり数が多い世代の声は大きいし、
ただでさえ数で負けてる若者が選挙に行かない(=自分たちのための候補を選ばない)ことで
ますます日本の将来は残念なことになるような気がしてる。
若者が選挙に行かないのは「どうせ投票しても変わらない」という思いがあるから。
だったら若者のため(=将来のため)だけを考えて行動する政党があってもいいんじゃないかな。
その場合、個人的には党の政策はWikiのようなものでまとめていくのが今時でいいんじゃないかと思う。
衆愚政治となる可能性を孕んでいるとしても、理想とそこに至るまでのステップを
可視化することが若者に希望を与えることになるんじゃないかな。
(当然、異論も大事だけど)
ネット上でいろんな議論が交わされてるのを見るだけでも、
かなり練りこまれていくような気がしてる。
いろんな事を知ってる人がいるしね。
嘘や誘導もあるにせよ、これは活用しないと損だと思う。
彼らは政治家になってくれそうにないんだから。
ともかく、今の若者には政治に興味を持つための動機が欠けてる。
それは味方がいないから。
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100117/plc1001171802007-n1.htm
新進党、自由党…。小沢氏が政党を解党するたびに闇に消えていく政党資金、次々に浮かぶゼネコンからのヤミ献金。そんな疑惑には一切答えず、「検察ファッショVS民主主義」にすり替えてしまう小沢氏の弁舌は見事である。郵政民営化の是非を「それでも地球は回る」とガリレオ・ガリレイの「地動説」にすり替えてしまった小泉純一郎元首相もびっくりの論理の飛躍ではないか。小沢氏の「鬼の目の涙」にすっかり騙され、「民主主義のために戦う」と息巻く議員が多数いたという。「民主主義と衆愚政治は紙一重」というのはホントですな。
主催者でもあり、デモの実質的な指揮官でもあられた桜井さんの演説が印象に残つた。
「もはや外国人参政権がどれほど危険かなんて今さら説明する必要ない」とし、「このデモはもはや我々のためのデモであり、民主党政権になつたからには、このまま座して死を待つのか、或いは民主主義を放棄してでも国を守るかの二者択一しかない」と断言された。
更に日本人はおとなしいから舐められるとする常日頃の教訓から、「こちらからは手を出さないが、やられたらやり返せ!徹底的に取り囲んでボコボコせよ」と厳命された。
これに則り、私は不貞支那人・朝鮮人、もしくはサヨクだか分らぬ男が「排外主義です」がごときプラカードを掲げた後、デモ隊を襲わんとした際、乱闘に参加し、歩行補助用に持つてゐた元陸軍中尉の祖父が使つてゐた杖で体を二発叩き、更には頭を上から二発撃ちつけた。私の祖父は存命中であるが、何やら祖父による抗議も代行してゐるような錯覚に陥つた。
この殊勲は永遠に私の記憶の中に留めておく。YouTubeでも、一部杖で叩く私が杖のみで放映された。
他の人もその男を殴つてゐたが、私のダメージはかなり効果大と思はれる。
その後分かつたことだが、この男は哀れにも警官に保護された後、逃走したらしい。
さて、このデモは大きな転換点であつた。
それは、一般人に訴へかけるのではなく、我々愛国者たちによる真摯なる怒りを表すためのデモにシフトした。
マスゴミが報道しないのはもはや周知の通りだ。これだけの規模のデモを取材しないのだ。
いや、仮に取り上げたとして、どんなデモ内容をすれば外国人参政権反対デモをマスゴミが好意的に扱ふといふのだ。あらゆる印象操作をして貶めてくるのが関の山だ。
ならば、もはやこちらとしては徹底的に戦闘的になるのが最善である。
いまだに味方の中にも事なかれ主義的な連中が存在するが、気持ちは非常にわかる。だが、今はもはや戦闘的が最善であり、徹底的に抗議すること、手段を選ぶような時期ではないこと、今から一般人を取り込んでも時間がないことを考へねばならない。
この、行動する保守運動で感じたこと、それは私が前々から感じてたことが確信へと変はつた時でもあつた。
私は以前より、民主党支持に凝り固まる人間や、話を聞かずに調べもせず自分が正しいと思ひこみ民主党政権を望む連中を「愚民」と断じてきた。
本当に毎回言ふが、少し考へれば、民主党政権などあり得ないことなどすぐにわかる話だ。
それすらできずに民主党になんとなくで投票する。そしてデモで持つてもまるで事なかれ主義だ。
誰かは「このような状況下では選民意識が生まれても全く不思議ではない」と。
いや、もはや今は私は敢へて断言して言ふ。もはや御託は一切いらない。
「我々は選民である」と。衆愚政治に堕ち、あまつさへ国歌を破滅させんとする政党が政権を取るがごとき茶番劇を愛国者の誰が容認するのだ?
私の偉大なる同志である村田さんは民団新聞にて、民団が民主党政権になつた途端反狂乱状態で喜んださうだ。こんなことを指を銜へて待てとでも言ふつもりか。
桜井さんは演説中、「将来、外国人参政権法案が可決された時、我々は決戦の行動を呼びかける。そしてその時に動けるか動けないかであなた方の実績に影響する。駆け付けられるかどうかにかゝつてゐる」とも仰つた。
つまり、例へその日、嵐が来ようと槍が降らうと、会社を左右する会議があろうと、新型インフルエンザに感染しようと、家族の葬儀があらうとも駆けつけねばならないといふことを意味するのかもしれない。私も大学の講義を休むわけにはいかないが、この日だけは無理にでも予定を開けなければならないかもしれない。
つまり、議事堂前に集合し、議事堂内の乱入も含む実力行使が必要であるといふことだ。
所詮悪意でしか報道しないのだから、思いつきり暴れるべきだ。
一般人へのイメージではなく、それだけ怒つてゐる人間がゐるといふことを見せつけなければならない。
元増田ですが、例の日の丸+日の丸=ミンスマーク事件の時に、麻生さんが「夕陽(上半分)と、それが水面に映ってる(下半分)様子」と言っていたのを聞いて、「あぁ、それで下半分は波の揺れで歪んでる様子を表しているのか」と最近納得したんですけど、
ち、ちがうのかー(AAry
2つの円は、「民の力」の結合の象徴を表している。また、下側の円の輪郭線ががたがたになっているのは、円がみなぎる力で動いたり、育ったりして、生命体のように成長しつつ、融合して新しい形を生み出す様子を表している。
でも、「民の力」なら、横に2つ並べるだけでいいのに、なんで縦に2つなんだろう。
以下、http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-426.htmlのコメント欄より転載。
2009/01/26(月) 21:00:14 恩義(Oblige347)
よく、日本の現体制を否定し、日本人の卑屈な性格を批評し、日本社会の劣悪感を訴えれば、二言目には「北朝鮮へ帰れ!」という御仁が多いですね。 そこで、このブログではっきりと公言しておきます。 朝鮮民主主義人民共和国は中華人民共和国と同等のレベルにて日本よりは尊敬に値します! この意味が解らない人にはどうぞ言ってかまいません「だったら北朝鮮へ移民しろ」とでもなんとでも。 少なくとも、朝鮮人民共和国を北朝鮮というあだ名であざけ笑う人間に聞く耳持ちたくありません! 本来ならば、日本と同等に哀れな愚民化への道を踏んでしまった大韓民国と統一を実現し、朝鮮半島がひとつの人民共和国になるべきなのですから…。
朝鮮民主主義は地理的な状況で苦しんでいます。 革命により衆愚政治を打倒し、一時的に共産主義という名の開発独裁政策を盛り込みました。 そして、外交において有利に動く甲斐性が得られる核武装の断行を行いました。 これぞ、フランス第五共和国初代大統領シャルル・ド・ゴール将軍の思想を旨く心得ているかのごとく達者です。 また、地理的そして国際政治的に不利な立場を克服するために、人民統制を敷く為に凝固な独裁体制に依存しなければならない国なのです。
もし、朝鮮民主主義共和国と大韓民国とがともに統合を果たし、朝鮮民主主義共和国が釜山などの国際貿易上有利な港を手に入れれば、朝鮮半島にも繁栄がもたらされるでしょう。 しかし、政治体制はむろん朝鮮民主主義人民共和国の独裁体制をそのまま温存するべきですね。 今、経済情勢も社会情勢も揺らいでいる大韓民国の制度を朝鮮民主主義共和国において導入すれば、人民の間でのいち早いコンセンサスが定められず、南北朝鮮半島における経済格差を埋め、長年の暗い政治的対立の波長を弱めるだけの効果が得られないからです。 その真の南北統一において必要不可欠な政策は、更なる開発独裁の断行です!
そういえば、シンガポール共和国が明るい北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)とあだ名されていることを思い出しましょう。 シンガポール共和国が、コモンウェルスという英国連邦の一員として残るが、主権をグレートブリテン(UK)から奪還し、リー・クアン・ユー上級相の思案を基に、開発独裁を行使して、独立後の混乱および多民族国家として人民静定、そしてある程度経済発展が起動にのるまでは計画経済を導入しつつも、国際自由市場におけるイニシアティブを序所に上げて、今現在は国民一人当たりの平均GDPを経済大国として胡坐をかいていた日本を追い抜かしたのです! そして、独裁国家といえども東南アジア諸国の中では経済成長だけでなく、多民族国家としての品格として社会不安定に陥れない価値観であれば許容し、そして売春合法化など人間の性格を世俗合理的に判断し、政治的に抑圧をしけども自由主義的な社会政策を導入するという異彩を誇る新興国優等生に躍り出たのです。
朝鮮民主儀人民共和国が地の利を得れば、シンガポール共和国とまでは行かないものの、日本を脅かす新興国に躍り出る可能性はあるでしょうね…。
そして、日本政府は朝鮮人民共和国を赤貧にあえぐ悪役国家としての印象を強く日本人に押し付け、あたかも日本が朝鮮人民民主主義共和国にて生を受けるよりましであるという錯覚をあたえるのです。 むろん、それは日本が高度経済成長期の真っ只中で、人民の精神がまだ旺盛かつ将来に対して希望を持てる時代であればいえたことでしょう。 しかし、バブル経済から日本は本当に衆愚化してしまった…。 社会の上に立つべき存在(責任制のあるべきエリート)が似非エリートとして上り詰めた愚民等により制御される社会になってしまったのです。 マクロ経済マネージメントを怠り国債所有率をGDPレベル100%以上にまで吊り上げ、将来人民への負担をかせました。 本来、あそこまで国内市場だけでなく、同盟国であるアメリカ合衆国にまで嫌がらせの如く市場拡大を行い、バブルの破裂した際の撤収費用(サンクコスト)を多く被るヘマをする土人である日本人…。 そして、現在にいたれば、経済大国を自任しながらも、その他アジア諸国に次々に追い抜かされ、外交上においてろくに自分の意見も貫き通せず、ただひたすら諸外国に貢ぐことばかりで、その負担を本来世の中を動かすべき人民へと押し付けているのです。 そればかりでなく、経済大国を自負しながらも、ここまで雇用体制が杜撰であり、将来へ希望を無くし既に餓死する可能性のあるレベルまで赤貧に追い込まれた個人が数多に続出しました。
おそらく、日本にて赤貧に成り果てた人口と明日への希望を見出せず真っ当に社会生活を送れない人口の合計は、朝鮮民主主義共和国の赤貧に面している農奴の人口と同じといって過言ではないでしょう。 むろん、下層階級に貶められた日本人の方がまだ物質面では恵まれた文化生活を送ることができるが、幸福度という面では朝鮮民主主義共和国の赤貧人口より2倍は下でありましょう。 そして、まだ朝鮮民主主義共和国の人民の明日への希望、そして自分自身を信じて今日と明日を生きる気力は日本愚民および下層階級よりも数段上です!
そして、政治面でも、あれだけ窮地に立ち、日本と違い不幸にもミクロ経済マネージメントにおける利点を得られなかったにも関わらず、国際外交においては屑日本を譲歩させるだけの力量を秘めております! つまり、日本の政治家や官僚よりも朝鮮人民民主主義共和国の方が格段に力量が上であるのです!
また、日本政府は未だ拉致問題という本当に朝鮮民主主義共和国の主導により行われたか疑わしい疑惑を明示しながら、御国を犯罪国家と罵る醜態であります。 これは、日本人拉致疑惑を完全に否定しているのではなく、日本政府がその拉致疑惑の正当性を主張しながら、実際になにもできない醜態であるからやけに疑わしいのです。 本来、拉致疑惑の有無を議論するよりも、もし拉致被害者が出れば特殊部隊を送るなり、外交上の圧力を積極的にかけるはずです。 そういうことをしない現日本政府の対応を見ているとまるで、日本人拉致被害が無かったかのようにみえてなりません! どうでしょうね? すくなくとも、○○協○のような現日本政府体制の腰ぎんちゃくであるカルト組織が熱烈に拉致被害を誇示している背景からしても、ますます怪しく見えますね…。
よく、「最も優れた政治体制は、賢明な絶対者による専制政治である」とか言われるのと同じだよな。
もちろん、「賢明な」というところが問題で、
という問題がある。そういう意味において、様々な立場の人間による、多様な価値観に基づいたチェック機能が働く民主主義は優れた制度であると言える。ここでも、「チェック機能が働く」という部分は「衆愚政治にならない」という条件がつくわけだが。
いや、俺の案だと現状に比べて確実にバカの力は弱まるよ。むしろバカの力を弱めるための案なわけで。現状衆愚政治に陥ってるわけだし。一掃ってのは難しいからねえ。理想を言えば一掃がいいんだろうけど。どこかで安全弁を設けておかないとというのはあるからさ。ほとんど使われることはないと思うが。
エリートたちに任せるとけっきょくエリートったって人間だから自分たちの利益のことしか考えない。
一方、馬鹿の権利が拡大しすぎると衆愚政治に陥る。理想的なのは滅私奉公できるエリートなんだが、そんな奴はいない。いても限りなくゼロに近い割合だ。
そこでだ、なんとかして馬鹿が一定の強さを持ちつつ、しかし全体として頭いい奴が引っ張っていける仕組みはないか?
それが俺の提唱する「試験によって票数が増える制度、しかし最低でも1票は誰にも保証される」という仕組みだ。
政治経済軍事倫理科学の試験を受けることができ(もしくは義務教育中などに強制的に1回は受けさせられるが、さらに毎年受験可能)、
その結果次第で最大5票まで票が増える。
こうすることで、頭いい奴の権利を拡大しつつ(しかも試験に科学を導入することで宗教勢力を防げる)、しかし頭いいやつらが自分たちの利益確保に走った場合に
大勢の馬鹿たちの結束で引っくり返すことができる。