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はてなキーワード: 衆愚政治とは

2007-12-08

自由市場は巨大なインサイダー取引の場であり、勝者は初めから決まっている出来レース

最高支配層は、少数の並外れて優れた者が世界を支配するべきだという信条を持っている。アメリカが押付けている民主主義とは単なる衆愚政治に他ならない。民主主義とは、国民に自由という幻想を与え、少数のパワーエリートによる支配を容易にするための隠れ蓑となる道具にすぎない。

現在の自由市場は巨大なインサイダー取引の場であり、勝者は初めから決まっている出来レースである。自由競争などは幻想に過ぎない。経済の好不況も、実態は私的民間銀行であり、ペーパーマネーを好きなように刷っている「中央銀行」の意向によって左右されている。

デモクラシーも民間主導なんてのも幻想だからな

アメリカが押付けている民主主義とは単なる衆愚政治に他ならない。民主主義とは、国民に自由という幻想を与え、少数のパワーエリートによる支配を容易にするための隠れ蓑となる道具にすぎない。

これが全て

2007-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20071008225221

衆愚政治になることが目に見えていても、それでも直接民主政治をやってみたらいいのに、と思うことがある。

「たとえ自滅するとしても、自分たちのことは自分たちで決める」みたいな。

http://anond.hatelabo.jp/20071008230444

ちょっと話が変わるんだが、インフラ的にはかなり直接民主制をとりうる世の中って気もする。

法案を携帯からポチッとってのもできなくは無いわけで(セキュリティとかは知らん!)

けど、少なくともすべての法案を国民に説明するのも難しいからなぁ……。

そういう動きが出てもよさそうなのに出てこないってのは、

結局衆愚政治が危惧されてるのかしらん。

2007-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20070922212148

国民感情によって存置しているということと、民主主義的に決まったということは違う。

でも民主主義体制下では国民感情に従わずして決めるのは無理だよね。

ちなみに、日本においては、というより世界的に死刑制度は民主主義より先に存在した。

民主主義より先に存在してたことと民主主義的に決まってないというのも違うよね。

国民感情に振り回されて判決が変わるようなら、衆愚政治の第一歩だよ。

でも判決を決める基準となる法律国民感情によってきまってるわけでしょ。国民審査の可否だって民意と無関係ではないし、法律を変えれば判決も変わる。しかもこれからは司法を専門としてない一般国民衆愚?)も裁判に参加させることが民主的な手続きによって決められたんだから、ますます国民感情が反映されやすくなるんでないの。

http://anond.hatelabo.jp/20070922130113

それが民主主義ってもんじゃないの?

国民感情によって存置しているということと、民主主義的に決まったということは違う。

国民の多くがそれを望み、それを民主主義的な手続きによって決定すれば、社会学的にどうかはわからないが、法的には十分に正当なものとなる。

ちなみに、日本においては、というより世界的に死刑制度は民主主義より先に存在した。

殺人強姦強盗を禁止する根拠も突き詰めれば感情論

そして、国民の感情で決まることと(どんなふうに?って話だが、)、民主主義的に決まることは違う。

国民の大多数が思っているから」とかいう理由で物事を決めるのは、日本民主主義ではない。

最近光市の事件について「国民死刑を望んでいる」ってのを根拠にする輩が出てきたが、もちろん間違い。

国民感情に振り回されて判決が変わるようなら、衆愚政治の第一歩だよ。

2007-08-31

最後はまあいいとして

http://anond.hatelabo.jp/20070831115324

国家公務員資格のどこが知性と論理性を証明出来る資格なのか教えて欲しいものだ。I種ですら誰でもとれるレベル(とまでは言わないにしても基準が緩過ぎる)だろう。

知性ではなく勇気だ…まあいいとしても、知性は借りることが出来るとかいうが、その借りる先がそもそも政治に関わっている人間でしかなくて現場で最先端の知識を持っている人間じゃないのが1つの問題(一応各界の有資格者・有識者と言われる人間が出ているが、政治に入ると同時に現場から離れた時代遅れがほとんど、しかも年齢的に十分に熟達する前に政治の世界に入ってしまっている為知識自体が未熟)と、最終的な判断を政治家(無知人間)が行っているのが問題。この前の社会科教育に関する委員会も酷かった(参考:http://anond.hatelabo.jp/20070829163541)。知性を本当に借りられたならば、ゆとり教育などなぜ施行されたと言うのだ。結局はマスゴミと民衆の、レベルの低い世論に押されただけ。衆愚政治

現状が充分地方分権に成っていると思えるのはなぜだ。あの大統領独裁制のようなアメリカよりもずっと中央集権じゃないか。最終的に重要な国策(国全体の政策)は、多数決原理に従うべきじゃない、という話。かといって独裁はマズいので、有能者達の寡裁的にすべきというか。

勇気を試す場がないというのだけは同意。

デスノートがあったら

http://anond.hatelabo.jp/20070829185135

大変なことになるよ。夜神月くらいの知性と論理性があればともかく、その辺の一般人がデスノートを手にしたら、夜神月の真似して正義を気取っておきながら、実はマスコミ情報を鵜呑みにして一方的に弱者擁護的な判断基準で殺して行くと思う。あなたがデスノートを手にしても同じ。詳しい事情も知らずにニュースで出た報道だけでどんどんと加害者に見える人間を殺して行くだろう。魅上照が(彼は頭がいい設定だったからまだマシだったけど)若干それに近いことをやって夜神月を焦らせた(修正が必要と思わせた)でしょ。弥海砂完璧に否定されてたしね。

んで、現実世界には常に一貫した基準で私情を交えずに判断し続けられる人間存在しないから、絶対的権力を1人の人間が持つのは危険で、そういう仕組みは排除されて来た(民主主義)。でも民主主義は上記のようなまともな思考の出来ない人達が集まって方針を決める政治なので、衆愚政治になると言われている。

じゃあどうすりゃいいのよ、って言われると難しいけど、やはり身近なことならそこそこ判断出来る人も多いと思うので、中央集権を排除して地方、それも市町村単位の小規模に権利を移譲して、中央(国策)は全国民投票に依って決める現在の方式じゃなく、一定以上の知性と論理性を持っていることを証明する資格を設けて、その有資格者数人で(1人の絶対権力はまずいので)やってくってすれば少しはマシになるかもね。

2007-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20070702001643

「自分のことは自分で決めたい、たとえそれが愚かな選択であったとしても」

この思想民主主義なのだと思っている。

なので、衆愚政治民主政治ということで、個人的には納得している。

多数決衆愚

最近思うのだけれど、多数決民主政治に属するものではなくて、衆愚政治に属するものなのではなかろうか。

愚かな多数者と、それを支配する少数者――多くの人は、不安定な自由よりは拘束された安定を望むから――が数の暴力で、或いは感情に身を委ねて権力を振るう状況は、衆愚政治ではなかろうか。

民主主義は個々人が理性的思考が出来ることと、それによる議論を前提として成立するものではなかろうか。従って、真の民主主義のためには、各々の構成員について、それに相応しい資格、理性を保有することを確かめる必要があるのではなかろうか。感情によって非理性的判断を下した構成員、理性的な議論を拒む構成員には積極的な警告、及び一時的な権利剥奪を含んだ処分を下してこそ、民主主義は成立するのではなかろうか。少なくとも、民主主義の担い手には、その権利――多くは投票という形式となろう――に対して積極的な責任を負う義務があるのではなかろうか。

故に、真の民主主義とは、いわば知性による貴族政治に他ならないのではなかろうか。知性の貴族でなくして民主主義を担うことは出来ないのではなかろうか。

2007-06-02

民主主義衆愚はつきものってことで、別に衆愚政治もいいと思うんだぼかぁ。

衆愚が嫌なら民主主義やめればいいよ。

民主主義は「自分のことは自分で決める」という点において究極的だけど、

しかし「自分で決めたことが最高の結果を生む」とは限らないんだわなぁ。

最高の結果が欲しい人は、民主主義に縋るのをやめたほうがいいんじゃねぇかなぁ。

2007-05-05

民主主義というのは、より良い結果を求める制度ではない。なるべく多くの民衆に責任を持たせることを重視した制度である。民主主義を採用したのなら、衆愚政治に陥ろうとそれは仕方がない。

2006-11-07

[][] 衆愚政治

(ochlocracy)多数の愚民による政治の意で、民主政治蔑称。もと、古代ギリシアアテナイでの民主政治堕落形態を指した。(広辞苑第五版)

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