はてなキーワード: 異端児とは
「60歳を過ぎたら社長は辞めた方がいい。あの年代のおじさんたちが、どんなに頑張っても僕らが欲しい家電なんて思いつくとは思いませんよ」
たしかにスティーブ・ジョブズは56歳だったが・・・ジョブズが60歳超えたからといって能力が劣化するとは思えない。
たしかに、大多数の60代は新しい家電なんて思いつけないだろうが、それは20代の大多数だって同じだろう。
年齢は関係ない、能力と経験の問題だ。それに大多数がそうだからといって、リーダーがそうだとは限らいないし、リーダーは常に少数派だ。
時代を引っ張っていくリーダーは常に少数派なので、集団の論理や世代の論理は通用しない。リーダーは常に異端児だ。 リーダーを語るときに集団で語るなんてアホくさい。
ADHDである私はアスペルガー2人と喧嘩別れしたことがあり、この記事を読んで深く納得するものがあった。
発達障害者のオフ会に参加したのは排斥される者同士の連帯・互助を信じていたからだが、彼我の相違を感じることが多々あった。
そこで仲良くなったアスペルガー2人について。
1人は男。プログラマーとして様々なフリーソフトを開発したその世界の有名人(彼を仮にAとする)。
1人は女。独学で5〜6ヶ国語を話せる才媛。
ADHDとアスペルガーは議論好きな人が多い。お互い論理的なものが好きだからだが、その立場は随分異なっていた。色々な議論をしたが、上記2人とは必ず意見が衝突した。
たとえば、スティーブジョブズについてこんな会話をしたことがある。
「ジョブズはギル・アメリオをAppleから追放したのはやりすぎだろ。彼はジョブズを引き入れた人間だ。ジョブズを追い出した人間じゃない」
という私に対して、Aは、
「Appleの改革のために必要じゃないか。結果を見れば一目瞭然なのにバカじゃないの。何故なら……」
といくつも立板に水のようにそれがなぜ必要だったかを述べる。それに逐一反論するうちに、最後はAが癇癪を起こして終わった。
アスペルガーは突然癇癪を起こすが、ADHDも自説に固執する癖がある。
それが何度が続き、やがて2人からは、メールブロック、着信拒否されて交際は終わった。
今思い返せば、原因は価値観の相違だったのだ。
ADHDの私が弱者の論理を主張し、真面目なものが幸せになる社会であるべきだと述べるのに対し、アスペルガーは強者、非凡な人間、強圧的な人間の側に立った主張が多かった。
アスペルガーは、確かに人並み外れた才能に恵まれた人間が多かった。がゆえに、自分が絶対的に正しいと思い、独自ルールを周りに強制するうちに嫌われていく。
ADHDは独特の発想をする人が多い。だから芸術家にADHDが多いのだろうが、脈絡のない落ち着かない思考は、他人とのコミュニケーションを阻害し、疎外される要因となる。その苦痛が弱者への共感を生み出すのだが、共感を求めた弱者にかえって愚鈍だとバカにされる羽目に陥るのだ。
就職後、何かに集中すると他のことが目に入らない、整理して説明ができない、一度聞いただけでは話を飲み込めない、時間を(守ろうとしても)決して守れないことなどで「高学歴なのに使えない」と言われバカにされ執拗なイジメを会社で受けるようになり、一時期自殺を考え、ADHDというものを知り、原因を知りホッとした身としては、同じような異端児同士、仲良く連帯をしたかったが。お互いの間には埋められない溝があるのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20121204195754
お付き合いありがとうございました。
はてぶついていて驚いた。とりあえず竜の字は修正します。
最後に読んだの文庫最新刊の時だから忘れていた。クランプ絵変わりすぎで笑た。
左翼描写平気ならとても面白いのでみんなも創竜伝読んでください。みっちゃんかわいいよみっちゃん。
全然関係ないけど普通なら主人公は間違いなく十三塚かミッキーだよなー
研究者畑の家系に産まれた武闘派の異端児「レンジ・ゼロ」(魔法の無効化可能)
Studygiftの騒動で、家入氏について思うのは、彼はあんまネットみてないんじゃないかな、ということだ。そのくらい、ネットの空気感に対して鈍感になっているのを感じた。
まず最初に坂口を起用した点。「はあちゅう」的存在感全開の坂口を看板に建てるあたり、完全にネットの空気に対して鈍感になりはじめているとしか思えない。昔の家入氏ならその坂口的存在感をこそ笑っていたし、そういうネットゴロに対する健全なアンチ精神があったと思う(例えば夕日ばっかり投稿するサービスを作って、実は顔のアイコンだけで人気が決まるランキングを作るとか)。それと特に昔から面白くない(けど小中学生に人気があるから人気がある人に見えてしまう)ヨシナガ氏をプロデューサーにするとか、ほんと周りに人材いないんちゃうんかと思ってしまう。
こういう、実は「実は特に人気もないんだけど、フォロワー数や話題性で人気者風に見える人」をピークから遅れて起用するのはたいてい「数字しか見ていない業界人」の仕事(名前も聞いた事ないアフェリエイトの達人みたいなのが、さも有名人のごとくテレビに出ているときに感じるアレ。業界の中にいない人が業界を描こうとするときに生まれるあの周回遅れ感)そのもので、家入氏のアンテナの感度の低さを顕著に感じる。
(百歩ゆずってもし今回、坂口に寄付金を集めるのが本当の目的だったとすれば、先に適当な学生を何人か建てて、寄付を集めて、その後で坂口を登場させるべきだろう。)
いや、むしろ彼がそういう日本的なウェブ空間、業界のしがらみからあえて鈍感であろうとしているのも分かる。そういう異端児キャラを彼は自分のアイデンティティにしようとしているから。
ただそれならば、せめてその「あえて」感をこそ出すべきで、このやり方ではバカは騙せても、ネットの中枢にいるギーク層、論客層、はてな層、2chらーなど、「ラウドマイノリティ(少数だが影響力の強い人々)」にたたかれるのは、必然であったと思う。そこら辺を納得させる/牽制する要素が、サービスの中に何もなかったことに正直驚いた。(その辺り、ひろゆきなんかは周到に、馬鹿相手に話しつつも、常にその後ろ側にいる玄人ユーザーへの目配せを忘れていないし、はてなは逆にそこから抜け出せないんだが)
昔の家入氏はバカを装いつつもコアな部分でネット好きというのがよく伝わってきたからこそバカからもギークからも愛されていたと思う。そういう空気にきちんとリーチしたものが、ペパボ以降の彼からはまるで感じられなくなってしまった。
父の死後母親はスラム街を離れ、シングルマザーとして働きながら子育て。
その頃から人並み外れた商才を周囲に感じさせる異端児であった。
やがて母はよき男性と再婚。継父は氏に対し実の息子のように遇し、名門大学に進学する。
在学中に事業を興し失敗。
事業を精算せざるを得ない状況になったときに、法の力の絶大さに触れ、弁護士を目指す。
弁護士としての彼は人の三倍の仕事をこなし、テレビタレントを副業とするまでの有名人となる。
そして、大政党からの推薦を得て、州知事候補として立候補するまでとなる。
生まれ持った商才、弁護士時代に培った法律の知識と交渉術、それらを駆使し破綻寸前の州を建て直そうと奮闘する。
次第に、扇動の才も発揮していく。
しかし、それらを持ってしても彼の行く手を阻むのは、組織そのものを解体しなければならない構造的な問題、それを守る既得権益層。
この冬、州知事を辞任し、市長選挙立候補という前代未聞の奇策に打って出る。
独裁者と罵られ、ヒットラーとさえ言われながらも、圧倒的な支持を得て当選。
彼の戦いの第二章が今始まる!!
世の中には、分析屋タイプの人と、プレイヤータイプの人がいる。もうひとつ、わけのわからないエネルギーを周囲に発散しまくる種類の人間もいるが、そういう人はやはり例外だろう。
分析屋タイプの人は、今まではそれなりに評価されてきた。こういう人は規範意識も高くて言うことに説得力があるので、中間管理職レベルのマネジメントには結構向いているように思う。いわゆる才能みたいなものがなくても自己研鑽によってこのタイプにはなれるので、一般人が目指すにはもってこいだ。ただ、最近は社会全体の底上げが進んだせいか、このタイプがあまり評価されなくなってきている。言葉を換えれば市場に溢れているとも言える。ネットなんかで見かけるのもこのタイプが多いかもしれない。
反対に評価されているのが、プレイヤータイプの人だ。このタイプの人の特徴はなんといっても当事者意識。社会を変革しようとか、既存の枠組みを躊躇なくぶっ壊すことに興味を持ち、実行しようとする。実行フェーズにおいても、自分で陣頭指揮を執りたがるし、現場に出たがる。また受け身になることに我慢ができず、つい自分から動いてしまう。言ってることはよくわからなくても、行動で裏付けて周囲を黙らせる。ただこのタイプは少ない上に敵を作りやすい。異端児扱いされたり、自己中心的に思われることも多い。しかし本人は割り切って考えることも多い。
プレイヤータイプは近年急に求められるようになったが、その原因はおそらく日本社会全体が行き詰まっていることにある。この閉塞感を打開してくれる「誰か」をみんなが求めているのだ。しかしそんな人間はそうそう見つかるものではない。多くの場合見つかるのは「自称」プレイヤータイプで、過度な期待と自己評価によって結局潰れてしまう。だが社会が必要としているのならば、プレイヤータイプにならない手はない。ではどうすればなれるのか。断言はできないが、プレイヤータイプになるための第一歩は、欲望に対して素直になることだろう。プレイヤータイプの人を観察してみると、規範意識よりも欲望に対しての執着が強い傾向があることがわかる。そもそも日本人は規範意識が強すぎる。正確に言うと、他人の規範意識に対しての監視が強すぎるのだが。そしてこの傾向が変わりゆく社会にフィットする人材を輩出できない大きな原因であることはおそらく間違いない。そうと決まれば、六畳一間の幸せとか言うのはやめて街へ出よう。そしてガンガン稼いでガンガン美味いものを食べて、良い酒を飲もう。もはやそういう人の方が評価される時代なのだから。
正直、自分くらいの学歴と大学で培ったコミュニケーション力があれば入るのは容易かった。
ただ、今の状況がまんま楽園かと言われるとそうでもない。
なぜなら、会社にも、同期の中にもヒエラルキーが存在していて僕はけっこうカーストの中の下位(というか異端児)にカテゴライズされてしまった。
ちょっとやり方を間違えた。
極論すると俺は「キモい」、「余裕がない」、「めんどくさい」
これでは人からリスペクトされない。人を動かせない。人の上に立てない。
ファッション、性愛経験、文化(映画、音楽、漫画)に詳しいこと、トーク、ノリのよさ、そういった要素がないといくら学歴があっても、モチベーションがあってもダメ。
しばらくは、ビジネスのスキルアップよりもそっちの方が優先順位は高いな。
自虐を辞める。めんど臭い感じをやめる。承認欲求丸出しを辞める。
総じて、「余裕を持つ」
同期の○西や臼○、○上、○子なんかを関係性で攻略するための手段を考える。
「こいつには絶対叶わないな」と思わせること。
600 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 02:53:26
知らないか、擁護するかのどちらかしか見ない
601 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 02:57:12
ネットの良心だと勝手に思ってるはてなブックマークのコメントでも根性論じみた意見が多い
お前らサビ残叩いて、新卒主義叩いて、社畜叩いて、なんで日銀叩かないんだよ!って思う
602 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 02:58:22
党派性がかかったスレだと日銀が民主=悪の反対の立場に居るので
603 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 03:01:50
左右に別れて意見する場合は盛り上がるけど、それ以外はだんまり
604 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 03:24:04
改行してみた(横
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とあるチャットで仲良くなりある時期は頻繁にスカイプをするようにまでなったネット友達がいた。
まだ相手のことを何も知らないうちは相手のスペック、相手の歴史の断片を相手から聞き、面白かったのだが、
何度もスカイプをするうちに僕は相手に興味がなり、相手に嫌悪感を抱くにいたった。
まずはじめに相手のことを語ろう。
彼女は俺たちに会ったときからブログを始め、私をはじめ、いろいろなそこのチャットの仲間にも、
さらに自身が勤めるバイト先の人にもそのブログを教えて、その人たちへ見られていることを念頭にそのブログを書いている。
そのバイトに受かったというのも私たちが彼女のことを知って後である。
彼女は小説家になりたいらしく、過去にもいくつか作品を書いたことがあるそうだ。
前に私に話したことを何べんも私に聞かせてき、私は辟易する。それに、毎回発言する言葉がほとんど同じである。
山田ボイスのように20種類くらい彼女の発言を録音してボタンにしてそれを使った相手と私がスカイプしたとしてもおそらく気付かないだろう。
それくらい毎回言うことが同じなのである。
「何か面白いことないかな。」「もう終わるの?」「えー」「ふん・・・」彼女は言語障害を抱えているようだった。
彼女は自分を過大評価しており、彼女の作品や彼女自身を認めてくれる人がいい人で、
批判したり、褒めてくれない人は取るに足らないどうでもいい人という二項対立が彼女の脳の中にある。
また、彼女のブログを読めばわかることだが何か彼女におもわしくない出来事が起きたとしても原因は彼女自身にはあるとはつゆにも思わず、
周りの環境のせいであると思っている。
彼女は過去の犯罪に近いような経験も、いい経験、いい思い出だったとして決して反省しようとせず、非を認めない。
スカイプでの話だが、彼女はホームセンターの外に展示されていた商品の机を家まで堂々と持って帰ったことがあるらしい。
僕が今までにほかに万引きとか何か犯罪を犯したことがあるかと問うたら答えたことだ。
ほかにと書いたのは、その時に彼女は過去にシンナーをある時期ずっと吸って酩酊状態を享楽していたこと、
彼女は机を持って帰っていったのだが、彼女は悪いとは思っていないらしい。
罪の意識が無いのだ。彼女に罪の意識が無いと知ったとき私はこの人は本当に病気なんだと思った。
彼女は禁煙をすると私に言った。わたしはどうせまた吸うことになるだろうよと云った。
彼女は絶対に吸わないよといった。しかし案の定彼女は一週間もたたずに禁煙生活をやめてしまった。
彼女はブログに禁煙のメリットはどんどんニコチンの含有量の少ないタバコに変えていくことができることだねと言って自分の禁煙の失敗から目をそらし、今の現状を肯定している。
全てにおいて彼女はこのような態度なのだ。本当に見ていてイライラさせられる。
彼女は普段話す人がいないために私をリハビリとして利用しているというようなことを言っていた。
○○(私の名前)もそうでしょと彼女は言った。そんなわけはない。
彼女は自分の感じていることが他人も同じように感じていると思っている。
彼女が知っているものは他人が知っていると思い込んでいる。彼女の好きなものは他人も好きだと思い込んでいる。
彼女の知っている本が多くあった私の本の書評ブログを見て趣味がいいねといった。
彼女が知っている本が趣味のいい本なのだ。だから彼女は自分と異なる習慣をもつ人が信じられないのだろう。
風呂入るから切るねと言ったら、「きれい好きだね」といった。
私は「普通だ。」と言ったら「うそー?」と信じられないような、あたかも私が異端児化のように言う。
で彼女は概ね個人的なことをみんなにオープンにする性格であるのだが、
その性質は万人に共通するものだと思い込んでいるらしい。
彼女は「今日は何したの。」とか「生きてて何がおもしろい?」と聞いてきたので「言わない。」というと「秘密主義だね。」といった。
このような私の私生活に関する質問をよく彼女はするのだが私は言いたくないと言って彼女には言わないでいると、
何故言わないのか、隠すことではない、普通オープンにするよ私みたいにといった具合に、
彼女は自分の思ってることが万人に共通していると本能的に思っているのだ。
スカイプでも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。まあ私がバイトでの出来事を聞けば話すのだが
それが終わると彼女は無言になる。おいと言うといまボーっとしていたと言う。
会話をしたことがないと分からないと思うが愚鈍の匂いの立ちこめた空気がこちらまで漂ってくるかのようである。
端的に言うと彼女は馬鹿である。バイトでも店長から「お前は皆に嫌われている。」とか言われるようなことを言っていた。
バイト先での愚痴をいろいろと聞かされた。まあその愚痴の出来事の原因の大部分はおそらく彼女自身にあるのであろうが。
彼女はバイト先で先輩の人の股間を蹴ったり、店長が後ろを向いたら中指をつきだしたりしていたそうだ。
前者はその副店長が後にその日はクリスマスでケーキを上げようと思って通せんぼしていたのだが
彼女はなにかその場の雰囲気に我慢ならなかったらしくそのような行動を取ったということだ。
後者は忘れた。取るに足らない理由だ。被害妄想が甚だしい。それに自身が思っていることは絶対そうだと言って疑わない。
彼女が何かデジカメとPCをつなぐ線が無くなったと言ったときに、
携帯でデジカメ並みの大きさの写真をブログに掲載はどうしてるのと聞いたときに一枚一枚メールに添付していると言った。
私は、ちょうど線がないんならカードリーダーを買えばよいとアドバイスをした。
しかし彼女は「買わない。」と言った。彼女は他人のアドバイスを絶対に聞かない。
そのほかにも私が彼女に対して苛立ちを感じる理由はもっとあるはずなのだが、ここにかけない。
言葉では言い表せないような自分でもよくわからない憎悪を彼女に感じる。
とあるチャットで仲良くなりある時期は頻繁にスカイプをするようにまでなったネット友達がいた。まだ相手のことを何も知らないうちは相手のスペック、相手の歴史の断片を相手から聞き、面白かったのだが、何度もスカイプをするうちに僕は相手に興味がなり、相手に嫌悪感を抱くにいたった。まずはじめに相手のことを語ろう。彼女は鬱病の女だ。彼女は俺たちに会ったときからブログを始め、私をはじめ、いろいろなそこのチャットの仲間にも、さらに自身が勤めるバイト先の人にもそのブログを教えて、その人たちへ見られていることを念頭にそのブログを書いている。そのバイトに受かったというのも私たちが彼女のことを知って後である。彼女は小説家になりたいらしく、過去にもいくつか作品を書いたことがあるそうだ。彼女はスカイプで私にバイトでの出来事を語る。彼女は記憶力が相当悪い。前に私に話したことを何べんも私に聞かせてき、私は辟易する。それに、毎回発言する言葉がほとんど同じである。山田ボイスのように20種類くらい彼女の発言を録音してボタンにしてそれを使った相手と私がスカイプしたとしてもおそらく気付かないだろう。それくらい毎回言うことが同じなのである。「何か面白いことないかな。」「もう終わるの?」「えー」「ふん・・・」彼女は言語障害を抱えているようだった。彼女は自分を過大評価しており、彼女の作品や彼女自身を認めてくれる人がいい人で、批判したり、褒めてくれない人は取るに足らないどうでもいい人という二項対立が彼女の脳の中にある。また、彼女のブログを読めばわかることだが何か彼女におもわしくない出来事が起きたとしても原因は彼女自身にはあるとはつゆにも思わず、周りの環境のせいであると思っている。彼女は過去の犯罪に近いような経験も、いい経験、いい思い出だったとして決して反省しようとせず、非を認めない。スカイプでの話だが、彼女はホームセンターの外に展示されていた商品の机を家まで堂々と持って帰ったことがあるらしい。僕が今までにほかに万引きとか何か犯罪を犯したことがあるかと問うたら答えたことだ。ほかにと書いたのは、その時に彼女は過去にシンナーをある時期ずっと吸って酩酊状態を享楽していたこと、また大麻を吸った経験があるという話を聞いていたからだ。彼女は机を持って帰っていったのだが、彼女は悪いとは思っていないらしい。罪の意識が無いのだ。彼女に罪の意識が無いと知ったとき私はこの人は本当に病気なんだと思った。彼女は禁煙をすると私に言った。わたしはどうせまた吸うことになるだろうよと云った。彼女は絶対に吸わないよといった。しかし案の定彼女は一週間もたたずに禁煙生活をやめてしまった。彼女はブログに禁煙のメリットはどんどんニコチンの含有量の少ないタバコに変えていくことができることだねと言って自分の禁煙の失敗から目をそらし、今の現状を肯定している。全てにおいて彼女はこのような態度なのだ。本当に見ていてイライラさせられる。スカイプも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。彼女は普段話す人がいないために私をリハビリとして利用しているというようなことを言っていた。○○(私の名前)もそうでしょと彼女は言った。そんなわけはない。彼女は自分の感じていることが他人も同じように感じていると思っている。彼女が知っているものは他人が知っていると思い込んでいる。彼女の好きなものは他人も好きだと思い込んでいる。彼女の知っている本が多くあった私の本の書評ブログを見て趣味がいいねといった。彼女が知っている本が趣味のいい本なのだ。だから彼女は自分と異なる習慣をもつ人が信じられないのだろう。風呂入るから切るねと言ったら、「きれい好きだね」といった。私は「普通だ。」と言ったら「うそー?」と信じられないような、あたかも私が異端児化のように言う。で彼女は概ね個人的なことをみんなにオープンにする性格であるのだが、その性質は万人に共通するものだと思い込んでいるらしい。彼女は「今日は何したの。」とか「生きてて何がおもしろい?」と聞いてきたので「言わない。」というと「秘密主義だね。」といった。このような私の私生活に関する質問をよく彼女はするのだが私は言いたくないと言って彼女には言わないでいると、何故言わないのか、隠すことではない、普通オープンにするよ私みたいにといった具合に、彼女は自分の思ってることが万人に共通していると本能的に思っているのだ。スカイプでも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。まあ私がバイトでの出来事を聞けば話すのだがそれが終わると彼女は無言になる。おいと言うといまボーっとしていたと言う。会話をしたことがないと分からないと思うが愚鈍の匂いの立ちこめた空気がこちらまで漂ってくるかのようである。端的に言うと彼女は馬鹿である。バイトでも店長から「お前は皆に嫌われている。」とか言われるようなことを言っていた。バイト先での愚痴をいろいろと聞かされた。まあその愚痴の出来事の原因の大部分はおそらく彼女自身にあるのであろうが。彼女はバイト先で先輩の人の股間を蹴ったり、店長が後ろを向いたら中指をつきだしたりしていたそうだ。前者はその副店長が後にその日はクリスマスでケーキを上げようと思って通せんぼしていたのだが彼女はなにかその場の雰囲気に我慢ならなかったらしくそのような行動を取ったということだ。後者は忘れた。取るに足らない理由だ。被害妄想が甚だしい。それに自身が思っていることは絶対そうだと言って疑わない。彼女が何かデジカメとPCをつなぐ線が無くなったと言ったときに、携帯でデジカメ並みの大きさの写真をブログに掲載はどうしてるのと聞いたときに一枚一枚メールに添付していると言った。私は、ちょうど線がないんならカードリーダーを買えばよいとアドバイスをした。しかし彼女は「買わない。」と言った。彼女は他人のアドバイスを絶対に聞かない。そのほかにも私が彼女に対して苛立ちを感じる理由はもっとあるはずなのだが、ここにかけない。言葉では言い表せないような自分でもよくわからない憎悪を彼女に感じる。何か物珍しい動物を見るまなざしを彼女に向け続けていくのだろうと私は思う。こんなに憎悪していても何故か彼女の行く末が気になるのだ。
今の日本が直面している本質的な問題は、絶対的貧困でも所得格差でもなく、戦後ずっと維持されてきた日本的中間集団の安定性が崩壊する一方、それを受け止めて変化を調整するシステムができていないことだと思う。それが企業社会では非正社員の問題として出ているのだが、学校では「いじめ」という形で現れていると思う。
日本の学校は単に勉強する場ではなく、地域の生活や家庭の関係などもすべて反映する共同体になっているため、それに適応できない異端児は、いじめによって全人格的に排除される。いったん排除される対象が決まると、正のフィードバックが生じて他の子供がいじめに「群生」し、ときには自殺のような悲劇的な結果をまねくまで止まらない。
他方、学校もこうした行動にあまり介入せず、子供たちを学校のルールを守って「仲よくさせる」ことで解決しようとする。しかし学校の秩序に子供を組み入れても、問題は解決しない。なぜなら、地域の公共空間から隔離され「閉鎖空間でベタベタすることを強制する学校制度」の構造こそがいじめを生み出しているからだ。
著者はこれを中間集団全体主義とよぶ。日本は戦後、個人を企業や学校などの中間集団に同化させることによって秩序を安定させ、発展をとげてきた。政府は中間集団に介入して保護することには積極的だったが、中間集団内の権力から個人を守ることにはまったく注意を払わなかった。このため個人に過剰な同調圧力がかかり、心理的なストレスを生んできた。そのひずみが今、いじめや非正社員といった形で顕在化しているのだ。
戦後の日本で、よくも悪くも社会のコアになっていた企業や学校などの小集団の求心力が低下した今、中根千枝氏なども指摘するように、もともと日本社会には小集団をコーディネートする構造が存在しないので、混乱を収拾することはきわめてむずかしい。いま永田町で起きている「麻生いじめ」も、こうした日本社会の調整メカニズムの欠如を象徴していると思われる。
お返事どうも。
本当ですか?「早稲田は非モテだが慶応はモテだろう」というような話ですね。ブランドイメージの話をしているのではないのです。
いや、ある程度相関はありますよ。俺は非モテ男子校出身ですが、モテ男子校出身のやつは俺の基準ではあり得ないような遊びをしてる人がたくさんいます。底辺は似たようなものかもしれないですが、モテの頂点の高さの桁が違う。語弊のある言い方ですが、向こうは平均も高いし分散も大きい印象です。
なりません。俺が身をもって保証します。もうすぐ魔法使いです。
おそらく大半の、そうでもない女性から見たら、「あの人ってさすが(某有名進学校)出身よねー」って理由で
女性に対する鈍感さや、性格の特異さの理由付けがなされてしまうのではないか、ということです。
それこそブランドイメージの話だと思いますが、それはあると思いますね。俺は基本的に他人に対する警戒心が強くて、それで初対面の人にはだいたい無愛想だと思われるんですが、「高学歴だからプライド高い」って陰口たたかれてたことが何度かあるみたいで。
違うんだってば。言葉を交わしたことがない相手は誰であっても怖いんだってのに。で、なんで怖いかというと「キモい」と言われるからだってのに。ただ正直、よく知らない相手を「ダサい」「キモい」などと露骨に罵倒しない「政治的な正しさ」については高学歴の人の方が身につけている人が多いような気はするけどね。別に学歴主義って言うんじゃなくて、自分が異端児である人間は、異端である他人を理解しやすいというだけのことだと思いますが。
http://anond.hatelabo.jp/20070329104021
よく考えてみると股間のモノに対するコンプレックスって全然無いな、と思った。
題名の通り、小学校に入る前にバイ菌が入ったか何かでチンコを手術したついでに皮を取ってしまったせいだと思う。
まあ理由は親父の家系に包茎の人間が多いから、ついでだし、この機会に取っちゃっていいんじゃない?という親の配慮からだった。
当然のごとく、小学校時代はそれを理由にイジられ続けた。
小学生ってのは基本的にバカだから、小便してる最中に人のモノを見るという遊びが一時的に流行り、そこからバレたりしたんだが、そのときのコメントがひどい。
「うわ気持ち悪ッ!!」
「なんだこいつのチンコ!!グロい!!!」
自分から見といて『グロい』ってなんだよ、とか思った。
幸いにもイジメにまでは発展しなかったが、あまりにも周りがそれをネタに異端児扱いし続けるため、こっちがブチ切れて殴りあいのケンカに発展したことがあり、さらにはそのせいで学級会まで開かれ、
全員(女の子ももちろん含む)の前で「チンコが皮を被ってるのはどういうことか」を赤面しつつ説明する羽目になり、なんて俺は救われないんだと、自分の運命を呪ったこともあった。
当時は、
「お前らも大人になったら、俺みたいになるんだからな!!!!」
って反論してたが、周りの奴らは
「ならねーよ!!バーカ!!!!」
と、話にならなかったが、本当にならなかったんだろうか。
(ならなかったらならなかったで悲劇かもしれんが)
まあ、今は親に感謝です。
彼女が日本人は、なぜ個々の意見を認め合わないのだろうと言ってきた。
携帯電話キャリアについてである。
携帯電話キャリア(会社)がどこが良いというのならまだしも、ドコモ信者やらau信者、Sofbank批判という言葉がネットでも目立つねと話していた。
別に誰がどのキャリアを使おうがどうだっていい事なのにとため息をつきながら話していた。
彼女は海外生活が長かったせいか何故、日本人がこんなにも携帯電話会社の選択だけで相手を否定するのかと不思議がっていた。
「ドコモが一番、ソフトバンクは糞」とかそういう短絡的で他人の意見を認めないのか・・と。
僕は黙って聞いていた。
日本人は優越感をどこかで持ちたがっているのではないだろうか?それと、他人と違う異端児である事は恥ずかしいという考えが根底ある限り治らないのだろうか。
「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」なんて言葉もあったように・・新しいモノや流行を持つことで他人より気持ち的に優位に立てるという事に風潮に慣れきってしまっているような気がする。
自分も今までテレメッセージ時代から全携帯電話・PHSを使い切ってきたが、今は自分の好きな端末があるキャリアと使っている。
他人がどれを選択するのかは勝手だが、どれを使ってるからといってそれを否定するというのはどうなんだろうか。