彼女が日本人は、なぜ個々の意見を認め合わないのだろうと言ってきた。
携帯電話キャリアについてである。
携帯電話キャリア(会社)がどこが良いというのならまだしも、ドコモ信者やらau信者、Sofbank批判という言葉がネットでも目立つねと話していた。
別に誰がどのキャリアを使おうがどうだっていい事なのにとため息をつきながら話していた。
彼女は海外生活が長かったせいか何故、日本人がこんなにも携帯電話会社の選択だけで相手を否定するのかと不思議がっていた。
「ドコモが一番、ソフトバンクは糞」とかそういう短絡的で他人の意見を認めないのか・・と。
僕は黙って聞いていた。
日本人は優越感をどこかで持ちたがっているのではないだろうか?それと、他人と違う異端児である事は恥ずかしいという考えが根底ある限り治らないのだろうか。
「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」なんて言葉もあったように・・新しいモノや流行を持つことで他人より気持ち的に優位に立てるという事に風潮に慣れきってしまっているような気がする。
自分も今までテレメッセージ時代から全携帯電話・PHSを使い切ってきたが、今は自分の好きな端末があるキャリアと使っている。
他人がどれを選択するのかは勝手だが、どれを使ってるからといってそれを否定するというのはどうなんだろうか。