はてなキーワード: 情強とは
打ててる人が皆情強なんじゃなくて単に住んでる所や勤め先がよかったり打つこと最優先で平気で県またいだりもしてるでしょ
大体他のSNSじゃ政治問題はタブー視されてるようなもんだし。
数年前はITに興味のある所謂情強みたいな人達が、ユーモアも交えて政治絡みの話もしていた
そこには和やかな雰囲気もあった
ただアメリカがSNSを使う様子を見て政治利用するユーザも増えたように思う。
いかに高密度で正確でキャッチーな情報を提供出来るかがフォロワー獲得の最短の近道だったが
フェミニズム、LGBT多種多様な問題を取り上げ「炎上」させる事で政治的問題解決の手段とする人が増えた。
趣味垢があるように愚痴垢もあれば割り切って投稿する事も可能だが、昨今の政局は国民の生活にもろに影響してるから無理だろう。
だいたひかるって女芸人は、30後半から不妊治療を始めて、あまりうまく行かず、
しかも途中で乳がんがわかって中断したりして、結局40代になり、最後の不妊治療を行った。
そしたら、一応妊娠できたらしい。
一応と言ったのは、妊娠初期なんて普通の妊婦でも流産の確率が高いから。
普通はそんな時期に妊娠の報告はしないが、最後の不妊治療を受けるとファンに言ってしまった手前、報告したようだ。
以後、検査を受けるたびにブログで報告があり、それを女性誌系メディアがまとめて報道しているという感じ。
今の所順調にいっているようだが....
正直なところ、流産、死産の可能性は高いし、産まれてきても夭逝したり障害があったり、という可能性も高い。
今後の不幸が容易に想像できてしまい、本当に痛い、見ていられない。
じゃあ見なくていいじゃんか、と思うんだが、ヤフートップを眺めていると、目に入っちゃうんだよね。
5Gと繋がれば情強になれるゾ
「昔、昔、浦島は〜」
浦島!浦島太郎じゃない!
そういうシステムになっているんだ。
これら「なんとか太郎」の集まりに、いけしゃあしゃあとと紛れ込んでるわけだ。
やつは、ただの太郎だ。
インターネットの自称事情通たちは、我が物顔でインターネットを闊歩している。
いや!インターネットだけじゃなくて、リアルでも間違いなくそうだろう。
「オレ様は情強大魔神だ!」くらいの勢いで街中を我が物顔で闊歩しているに違いない。
そして道行く人々を勝手に情弱と断定し、見下し、悦に入っているのだろう。
自称事情通たちは常日頃から自慢の情弱センサーで情弱度を邪推しながら道を歩いているんだ。
哀れなピエロだよ。まったく。
まぁ、それはいい。
それは本題ではない。
注目すべきは、ここだ。
「助けた亀に乗せられて〜」
乗せられて!
かといって、毅然とした態度でお礼を断るのでもなく!
ようするに「お礼をいただけるのであればやぶさかではない」みたくこの歌詞では言っているわけだ。
一見どうということない「乗せられて」だが、実は日本の縮図といって過言でない。
こうした振る舞いは日本という島国の津々浦々で見られることだ。
勝ち組はなんら要求することなく相手が察して勝手に「乗せて」くれる。
別に自発的にお礼など要求することはないし、それは恥知らずなことなんだ。
負け組はいつか「乗せられる」であろうことを夢見て頑張るが、生涯「乗せられる」ことはない。
繰り返す。負け組は、生涯「乗せられる」ことはない。
「いいことをすれば見返りがありますよ」という。
児童らは「乗せられて」「乗せられて」と数百〜数千回繰り返し聞くうちにその「仕組み」を理解するであろう。
負け組にとってそれは欺瞞である一方で、勝ち組にとっては真実なのだ。
「いいことをすれば乗せられるはずだから、乗せれられていないということはいいことをしていないのだろう」
そうした逆説的な論法を耳にした例は一度や二度ではないはずだ。
なお余談だが、亀の立場で考えてみると浦島はお礼をいただける立場にない。
そもそも、イジメて来たのは人間族の子供であって、それを別の人間族が静止したまでのこと。
亀の立場から考えてみれば、これはマッチポンプ以外の何物でもない。
どうして浦島太郎がお礼をいただけるのか?
このようにして日本人は浦島太郎を反面教師にして様々な学びを得ることができるはずなのだ。
時間の流れが違う「ネタ」を見るたびに「ウラシマ効果!ウラシマ効果!」などと叫んで喜ぶのが関の山だろう。
「○○の起源は、日本の浦島太郎」などとハナタカしてるわけだ。
作品の本質ではなくSF的な小道具・ガジェットにばかり目を向けたがる。