はてなキーワード: 乳腺炎とは
地獄への道は善意で舗装されているとか言うが母乳への道も似たようなものだ。WHOの指針なのか誰かの信仰なのか知らんが母乳の悪口は医療関係者及び育児雑誌には現れず初産婦はぼんやりとした「母乳の方がいいのか…?」という意識を植え付けられ気がつけば赤子の口に乳首を咥えさせられている。
赤子には3時間おきの授乳が必要であり、3時間といえども授乳開始からカウントが始まり3時間の休憩時間がある訳では無いということは少し真面目に調べれば分かる。そうすると養育者の睡眠や休憩時間の確保が問題となり、多くの場合対応策として夫の育休や里帰りが選択されると思う。しかし母乳育児の場合、特に所謂母乳が「軌道に乗り始める」までの間は頻回授乳となり、母体の休める時間はほぼ皆無である。これは母乳の場合、母体が授乳を行う必要があるから、と言うだけではない。仮にこれだけが理由であれば搾乳しほかの養育者に母乳を預け、母体は休むということができる。問題なのは母乳育児は開始とともにノンストップで母乳が生成されるため、胸の張りや不快感、ひいては乳腺炎の回避のために母乳を何らかの方法で排出しなければならないという問題である。胸に時限爆弾がセットされた状態ですやすやと眠り気分転換に出かけられる人間がいるだろうか?
私の夫は育休を1ヶ月取得したが、結局のところ夜間の授乳はほぼ私一人で行っていた。オムツ替え含め授乳に関連する赤子の世話はそれ自体は大人二人がかりでやるような難易度では無い。1人がオムツを替え、その後母体が授乳をし…とやる方が手間である。
私が理想としていた夫との育児は、例えば夜間は交代で授乳を行いもう片方は睡眠を取ったり、休日は交代で取り一人の時間を…というものであった。大変ではあるが、初めての育児、夫と協力し二人三脚頑張っていこう…
が、母乳育児の場合これはほぼ不可能であった。乳腺炎に脅えながら眠り、固く熱を持って痛む胸を抱えながら気晴らしに…何も楽しくなかった。そして母乳を与えている間夫は何もやることがないので手持ち無沙汰である。そうこうしているうちに夫の育休は終わり、彼は仕事に戻って行った。貴重で大事な1ヶ月はあっという間に終わってしまった。決して夫が育児をしなかったという訳ではない。泣き止まない赤子を2人で歌いながらあやしたのは、かけがえのない思い出だ。ただ、もっともっと理想に近づけたのでは?という後悔しかない。
それなら母乳育児からミルクに切り替えればいいのでは?と思われるかもしれない。しかし上述のように一度スタートしてしまった母乳育児はノンストップである。母乳をやめる、というのも一大事であり、動いている車を急ブレーキで止めたら乗員が怪我をするのと同じくいきなりはやめられない。ひやひやしながら少しずつミルクに置き換え、母乳の回数を減らし、少しずつ少しずつ母乳の生産を抑えていき、それでやっと解放されてくものである。(私は勘違いしていたのだが、母乳を止める薬というのはかなり早い段階でしか効果がないらしい)
私は現在母乳育児を完全にやめミルク育児をしているが、とても理想に近い育児ができている。夫や他の家族が授乳をすることができ、その場合に全く私にはダメージはない。睡眠時間も休憩時間も思い通りに過ごすことができる。赤子が欲する分だけミルクを与え、飲まないことによるストレスはかなり小さい。
私はもし次また出産することがあれば、絶対に最初からミルクにすると決めている。ただこの選択肢は、かなり意識的に調べないと出てこない。これはあのときの私に向けて書いている。知ってさえいれば今の時代いくらでも調べられるからだ。
妊娠、つわり。ホルモンバランスが乱れ、吐き気が止まらず、常に体調が悪い状態。
胎児が奇形になったり先天性の病気にならないよう、食べてはいけないものや飲んではいけない薬があるため、
食事に気を遣い、病気にも感染しないようにしなければならない。
しかし共働き化が進んでおり、病原菌がウヨウヨした環境である通勤や労働はしなくてはならない。
陣痛、出産。何十時間も苦しんだり、脳出血を起こしたり、多量出血で生死の境を彷徨ったり。
会陰をハサミで切断する痛みもよくわからないくらいの陣痛の激痛。
産後、0歳児保育。夫は外で労働するので家事育児は育休取得した妻のワンオペ。
授乳で乳首に裂傷ができ、夜泣きで眠れず、精神状態や思考力はボロボロに。
赤子が泣きわめくのでトイレにも行けず、自分の食事もとれず、寝ていなくて憔悴した状態でいると、
夫から「仕事して疲れて帰ってきたのだから、家では癒されたいのに、部屋が散らかっているし、飯ができていないし、
子供がうるさいし、全く癒されない。俺が稼いできた金で食ってる専業主婦のくせに、一日中家にいるくせに、なんだそのざまは」と文句を言われる。
体質的に母乳が出ない、乳腺炎を起こした、乳首の傷が悪化して痛みが酷すぎて授乳できない、
などの理由でミルクを使うと「完全母乳でないと母親失格」と難癖をつけられる。
復職。運よく保育園に受かることができて復職できても、子供が頻繁に発熱して、
そのたびに迎えにこいと言われて、同僚から白い目で見られながら早退しなければならない。
保育園のお迎え時間のために時短勤務して、早退が多いことで子無し時代よりも大幅に待遇は下がり、
そのせいでフルタイム勤務で稼げている夫からはきつく当たられ、労働・育児・家事・厳しい周囲の目で身体も精神も疲弊しきった状態が数年続く。
そうやってお前は育てられましたよって言われても、母親に感謝しようっていう気持ちが起こらない。
じゃあ、産むなよ。育児が大変なことなんか、事前情報でわかりきってることじゃねえかよ。
つわりも出産も保育も死ぬほどキツくて、しかも近年は夫の賃金ダウンや教育費の高騰により
共働きしなければいけなくなっているから、専業主婦で良かった90年代までと比べて母親のキツさはマシマシになっていて、
そんな情報いくらでも転がっている当たり前のことじゃねえかよ。
「私はお前のために、私の手首を切ってあげました。私は首を吊ってあげました。感謝してください。」って言われても、
頼んでねーよ、有難くねーよ、ただただ怖えよってなるだろ。
産んでくれって頼んでないし、そんな死ぬほどの苦労されるなら産まれたくもねえよ。
いや避妊しとけよ。ふざけんなよ。そうして母親が死ぬほど苦労して育てた子供が育っていっても、高校生になったら死ぬほど勉強しなきゃいけないし、
大学生になったら死ぬほど就活しなきゃいけないし、採用されたらされたで地獄みたいに労働納税し続けないといけない人生が待ってるだけなんだよ。
最近はてな見てなくて話題に遅れちゃったんだけど授乳室いらないんじゃねみたいな記事を読んだ。
赤ちゃんにはミルクあげときゃいいみたいな話とかあったんだけど、おっぱいってさー赤ちゃんに定期的に授乳してる人のは一定時間上げないとめちゃくちゃに張ってツライ。
張って張ってつらいおっぱいを授乳することによって解消したい。外出中に授乳室がないとその辺でおっぱい出して授乳するわけにいかないから詰む。(花見のときは場所がなくてやったことがある…)
トイレでやりたくもないし。
赤ちゃんがいないにしても搾乳しないとおっぱいが張って張ってツライ。最悪乳腺炎にもなるし。子ども預けて外出してるとき授乳室でよく搾乳してたな…
もう子どもは大きくなったからおっぱいについて悩まなくなったけど母乳派の人たちにとってどうしても外出しなきゃならないときの授乳室は希望の光。
私からは以上です。
道の駅の授乳室設置問題が盛り上がってるけど、実際授乳の緊急性ってどれくらいなの?
不妊治療さんざんやった末諦めた組で、どれくらい差し迫って授乳しなくちゃいけないかがわからない。
当該の道の駅「秋鹿なぎさ公園」では、以前、女子更衣室に設置されてたのに、匂いが無理だから撤去されたという。
その経緯を聞くと、そこまで緊急性の高い行為ではないのかなと思ってしまう。
哺乳瓶用意しておけば多くの子は大丈夫じゃないの?哺乳瓶がダメな子は厳しいかな。
溜まりすぎると乳腺炎になるとかってのは、道の駅のみに頼って授乳する人はいないからこの場合は当たらないと思う。
道の駅の授乳室設置って、国のトップの方で現場感無しに全国1200の道の駅の50%にベビーコーナー設置!って目標進めてるもの。
道の駅設置主体の市町村が自ら進めてる事業ではないから、あんまり要件が厳しいと結局未達でしたで終わっちゃうだけになるんじゃないかと危惧するけどね。
育休中のスキルアップが話題になってたので、自分の育休時代の失敗を思い出してここに書くことにした。
そこそこの地方都市(人口50~100万人程度)で暮らし、そこそこの大学(地方国公立)を卒業して
そこそこの企業(地元で有名な中小企業)で長らく勤めたのち育休を取得した。
話題になってる人のような素晴らしい学歴もない、経営者でもない、そこそこ普通の共働き夫婦。
実家はどちらも遠方で頼れる人はなく、夫は育休1週間のみ、勤務中は会社なので時間の融通はきかない。
強いて言うなら、地方なので戸建て住居と車を所有しているのはアドバンテージだった。
出産といえど、初めて丸1年休めることに当時はわくわくしていた。
そこで、数百時間程度の勉強を要するある資格を取得しようと考えてた。
合格すると会社から祝い金が進呈される。生後三ヶ月には育児書に首がすわって楽になるとあったので
ところが、自分の育児に対する認識が甘く、少しづつ生活に綻びが出てきた。
まず、身体の調子が戻らなかった。目がかすみ文字が読みにくい。乳腺炎でガチガチに固まった胸に保冷剤を詰めて震えて寝た。
不調がじわじわ続き、活動的だった出産前の自分とのギャップに戸惑った。
新生児の頃は寝てる時間の方が多かった子供も、活動時間が増え、夜泣きが出てどんどん生活がグチャグチャになっていった。
車で外回りをする夫を夜中に起こすわけにいかず、夜は勉強時間どころか眠れない日も増えていった。
機嫌の良い時や昼寝してる時を利用して勉強するも、もともとの睡眠が足りず、当初の計画から大幅な遅延。
赤ちゃんとの生活は常に細切れの時間ばかりで、集中してなにかに取り組むのが難しい。離乳食も始まってやることだけがどんどん増えてく。
うまくいかない、イライラすることも増えた。子の泣き声が聞こえるたびに大きなため息をついてたと思う。
試験一週間前にとうとう爆発して大泣きした、眠りたい、予定通りいかなかった、何もできなかった
子供に対してイライラしてしまう、自分を邪魔する存在に見えてくる、もうダメだった
夫に「休んだほうがいい、仕事だってやめてもいい、ちょっと落ち着こう」と諭されて、ようやく私は本末転倒だったことに気づいた。
試験はもちろん落ちた。
その後は憑き物が落ちたかのように穏やかだった。勉強のエネルギーを運動に変え、子を抱っこして毎日のように散歩した。
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会社に復帰したあとは、仕事と育児と家事で慌ただしい日々が続いていたが、子が成長するにつれて少しづつ楽になった。
保育園で身体を動かすので、3歳にもなると夜9時から朝7時までぐっすり眠るようになり、時間を確保することができた
そして、あの落ちた試験から2年後、ようやく資格合格を手にすることができた。
私の経験だけど、本人が「勉強したい、リスキングしたい」と強く思っていても、子供の個性や自分の体調も見通しが立つものではない。
やりたいと思ってても、メンタルもフィジカルも環境も追いつかない中で焦って、
せっかくの育休なのに子と向き合うことすら疎かになってたこともあった。
(私は最終的に取り返したが、産後うつなどの問題もあり、こういうプレッシャーがきっかけで身を崩す可能性もあるだろう)
職場に搾乳室ができた。
8畳ほどの鍵付きの部屋に、ソファとテーブル、あと冷蔵庫がある。
そこで各自持参した搾乳機を使って母乳を出し、冷蔵庫で保管する。
そして退勤時にそれを持って帰り、赤ちゃんに飲ませるという流れだ。
ただ赤ちゃんに飲ませるという目的というよりかは、母乳を出さないことによる乳腺炎を防ぐためらしい。
搾乳室がなかった時は、女性社員はトイレで搾乳していたようだ。
なんとも気の毒な話だ。
👩「そうそう!私もそれやってた」
妻が乱入してきた。
👩「人がこなさそうな遠いトイレを探して篭ってた。電動はうるさいから手動タイプの搾乳機で」
ああ、そんなこと言ってたね。
👩「母乳は冷凍庫に保管して、保冷バッグに入れて持って帰ってた。それをあとで保育園に持って行くの」
👩「とにかく胸が張って大変だったし、搾乳室があるとみんな喜ぶと思うよ」
今日はここまで。それじゃまた。
乳首の表面に傷ができて流血している。
我が子は口が小さいらしく、どの体勢で飲ませても傷を吸うので激痛で泣きそうになる。
乳頭保護器も役にたたない。
幸い血液入り母乳は嫌がらず飲んでくれるけど、吐き戻した母乳がほぼ鮮血でビビる。
だからといって吸わせないとおっぱいがパンパンに張って痛さで寝返りすらうてなくなる。
搾乳や自己マッサージは100%乳腺炎になり、母乳外来でマッサージを受けるまで
熱と全身の痛みでまるで老人のようにノロノロとしか動けなくなる。ので諦めた。
ありがたいのかなんなのか、飲ませていれば乳腺炎にはならないので、薬を使うまでには至らない。
夜泣きやグズりは誰かに助けを求める事ができるけど、こればかりはどうにもならない。
陣痛よりはまだましと痛みに息を止めながら飲ませている。
いざ出かけたら「眠くてキーキーしてる、辛い」なんてLINEが来た。
こんなの早く帰るしかないじゃん
早く帰らなくていいんだよ!!!
状況報告と思って、
「つらいよね、私もいつもしんどいよ
とても頼りになって感謝してる」
とでも返信して、
用事を済ませて
食べ過ぎは乳腺炎だっけ?
草餅3個くらいゆっくり食べて、
服3着、どら焼き6個、おそうざい でも
買って帰ればいいんだよ!!
帰ったら
「ありがとう!!!!!
すごく助かった!!!!!!
こんなに頼りになる人で良かった!!!!!!!
どら焼き(おそうざい)一緒に食べよう!!!!!!!!」
って過剰なくらい褒め倒して褒め殺して
次回の下地を作ろう
留守番中に駄目だった所は
ぐっとこらえて優しくそっと
「これありがとう、
次はこうしてくれると嬉しいな」
程度にお願いしてみる、とか
疲れ切ってるんだから、どこかで休まないと
睡眠不足で
交通事故、火事、風呂場で溺死、虐待、家庭不和、とかなったら目も当てられないよ!
ちょっとくらい図々しくなっても
バチは当たらないよ
疲れて死ぬよりいいよ
生き延びて!!!
祖父母同居か近距離別居でもない限り、子育てと仕事を両立出来ない田舎在住なので、妊娠前に失業しちゃってからの流れのまま、第一子が小学校に入学するまで、無職で子供達と過ごす日々を送っていた。
特に第一子が赤ちゃんだった頃は、日中は母一人子一人暮らしで誰も文句を言う人がいなかったので、楽しく暮らしていた。お布団の上に寝かせた赤ちゃんを、畳に腹這いになって眺める暮らしだ。家事は適当にサボりつつやった。
赤ちゃんを見て気づいたことがある。それは赤ちゃんはMAXでギャン泣きする前に段階的に意思表示をするということだ。意思表示の初期段階で対応すれば、赤ちゃんも私もにっこり。ギャン泣きさせてしまう時は、私がトイレに行ってたとか洗濯物を干していたとか、そういう時だった。それ以外は、いつも観察していた甲斐あって、赤ちゃんをMAX泣かすことはあまりなかった。
それでもどうしても手に負えなかったのが黄昏泣きだったが、その頃丁度乳腺炎になって母乳の出が悪くなっていたので、気付いて乳腺炎を治すかミルクをあげていればあんなに苦労することもなかったのかもと思う。
37.7度。普段35.8度くらいなのでまぁまぁ高熱。
悪寒と倦怠感。あと、左胸の先も痛いので乳腺炎の疑惑もあるけど、熱があるから、かかりつけの母乳外来にいけない(熱があると入れない)。詰んだ…。
倦怠感すごいから横になって休みたいけど、離乳食と哺乳瓶拒否の乳児の面倒をだれがみるんだ…。60代の義母召喚という手も、もし新型コロナだったら悲劇を生みかねない。詰んだ…。
あと私は死んでもいいので、子にうつりませんように。
⬛︎追加(2020/12/21 18:08p.m.)
ありがとう。胸の痛みは授乳したら落ち着いたんでヤバめ。大阪なんで保健所は当てにならない気がする…。このくらいで頼っていいのかもわからない。緊急事態宣言下で新生児を育児し、初孫を見せに帰省もせず、友達にも会わず、支援センターにも行かず、買い物も週1でしか行かず、それ以外の散歩も週2,3だけだったのにな…。もはや運だな
「夫婦愛に関する調査」(2016年・アンファー調べ)によると、じつに30代で47.0%、40代で59.0%、50代では71.3%がセックスレス夫婦。
らしい。
しかしながら我が家はそれとは無縁で、夫の性欲は40を越えた今も衰えず常にスキンシップを求められる。セックスしないと不機嫌になる、
おんなの性欲は30こえてから、みたいなのを男性週刊誌でみかけたこともあるけど、まっっっったくといっていいほど性欲は湧かず衰えていく一方だ。
今は鬱陶しいと思う夫の性欲だが妊活の時はかなり助かった。「もうすぐ排卵日だから2日に1回くらいセックスするよ」と言うと、いとも簡単に実践してくれ子宝にもすんなりと恵まれた。
友達の話を聞くと、お互いのやりたいタイミング出来るタイミングで折り合いがつかずなかなか子どもができないという話も聞くため、情緒のない誘い方でも簡単に射精できる種馬である夫をもったことを誇らしく思った時期もあった。
わたしも独身時代はセックス嫌いではなかった。むしろ好きで、セックスなしの交際などありえない派だったし不特定多数と行為をすることはなかったが、その時付き合っていた彼氏とは様々なプレイを模索し探究する好奇心旺盛なタイプだった。
だが産後の頻回授乳、乳腺炎、夜泣き対応、会陰切開、疣痔、仕事復帰etcで完全に女として枯れてしまいわたしの性欲は今はまさにタクラマカン砂漠。
だが夫は違うらしい。
女として妻は魅力的で性的でまだまだやりたい対象らしい。理解できない。とりあえず統計上日本のスタンダードから外れているようだ。
したくないセックスは苦行だ。でも夫婦生活を円満にするために必要な儀式だ。断ると不機嫌になる。儀式だ。義務だ。浮気はされると面倒で困るからある程度応じないといけないのだろうか。わたしは夫以外の相手であれば性欲はわくのだろうか。世の中の大半はセックスレスで、それに起因する不妊で悩んでる人もたくさんいて、産後も女として見られることは光栄なのかもしれなくて。でも苦痛だ。性的にみないでくれ。夫が枯れるのを待つしかないのだろうか。それはいつだろう。
ああ、セックスレスが羨ましい。