はてなキーワード: リア充とは
雪が降ってた日には、雪玉の中に石も混ぜて投げたが、当たり所が悪かったせいか血を流してたな。
ぶつけた場所のどこが点が高いかとかルール決めてやってて股間も高得点にしようとか
懐かしくて草
最近今どうしてるんだろう?って思ってたんだけど、LINEから連絡が来て、今あいつナマポ生活らしいw 寄生虫w
当時もっとあいつからふんだくれば良かったな。家族ごと二度と日本に立ち入れないようにしとけばよかったw
ネットがつまらない理由は個人の主観の問題ではなく、実際につまらなくなってるから
面白い人はリア充化してるし、つまらない人がネットに入り浸って釣りだの煽りだのやってる
反応を最大化しようとして極端なことや言葉遣いを使う連中だらけ
ネットの中に面白いコンテンツがあるとすると、それは10年以上前に書かれた文章だったりすることが多く、それはアフィカスやバズり目的に支配される前だったと言える
あるいはarxivのような論文サイトであれば少しは楽しめるが、コミュニティサイトという感じはない
コミュニティサイトで唯一関心があるのはstack exchangeだ。X、reddit、Quora等、人格破綻者のパヨクが多い。
はっきり言おう。ネットがつまらないのはパヨクやリベラルのせいだ。ハフポスト見てるか?お前らパヨクがネットを破壊してるんだよ。
といっても大ハマりのものが一つあり、あとはまあまあ、くらいなんだけど
でもまあ、重いので楽しめると思った
思ったんだけど…
ブランド創設者のキリアンヘネシーの陽キャ・リア充セレブっぷりのネット記事読んだら、香水の良し悪しとは別にキリアンで金を落とすことが嫌になった
香水界の貴公子ともてはやされ、ファッションのこだわりについてインタビューされ答えるキリアンヘネシー
胸元開いた白いシャツに黒のパンツによく分からんけど高そうな靴と、いけすかない感は以前から感じてた
ドクロや蛇のモチーフも、なんだかなと思うところはあった
ゴージャス感ある妻とのデートショット、子供たちとのセレブ家族幸せショット、陽気な仲間たちとの海辺でのパーティショット、等々、等々
香水に罪はないけど
親が認知症の傾向が現れてきたので、実家に戻って同居をはじめた
最初は家でぼけーっとして料理も洗濯も出来ない状態だったのだが、私が戻ってきてとりあえず介護認定受けさせ、デイサービスに通わせながら掃除!風呂!飯!ゴミだし!買い物!と
こき使い、5分に一回は同じ事聞いてくるのにも根気よく答え、「あなたは役に立ってるよ自慢のママだよ、だいじょうぶだよ、迷惑じゃないよ」ということを根気強く教えていたら今はとりあえず
料理も洗濯も全部出来るようになった。デイサービスの力もでかい。家だとうだうだ言ってやらない運動をデイサービスはやらせるしご飯も食べさせてくれるし風呂も入れてくれる
隣町に親戚が住んでいるが、子供は男二人女一人、県外に出ており定年しているが戻ってこない。妻も旦那も子供もいるしまああちらにも生活があるんだろうから仕方がない
仕方がないが、結局親戚はすごい勢いでぼけた
母が認知はじまったときには元気だったが、変な電話をかけてくるようになり何度か見に行ったら明らかにこれは認知だおかしいだろってなった
当然子供達には電話して何度か見に来たが、遠距離のため普段から見ているわけではない
親戚は子供に迷惑をかけたくないのでそもそも連絡をしていない、うちに電話してくる
親戚が家で倒れたときも入院したときもなにしたときもあれしたときも全部全部世話をしたのは我が家である
子供達に連絡しても「すみませんすぐ行きたいんですが週末まで動けなくて」
そりゃそーだろーよ、理屈はわかるよ
でもてめーらでどうにかしてくれよお前の親だろ?????
いくらこっちでなんとかしようにも親戚だと出来ないことも多いんだよ
なんでこっちが徘徊した親戚を探して夜通し探さなきゃいけないんだよ、東京から帰りたいけど時間がとかうだうだうだうだうだうだうだうだうだ
そしてたまに帰ってきて一日親戚の世話をしてやりきった!とばかりに帰っていく
と、怒りをつい零したがまあしょうがない
親戚の子供達はふつーに就職し結婚し子供が出来、家を建て、というリア充である
私のように結婚も子供もできずに年取っただけのババアとは違うんだろう
でも実際親が年取った時一番身軽に動けるのって独身の子供なんだよな、散々若い頃馬鹿にされてきたけど
うちの親が私と同居してみるみる回復していくのと裏腹にうちの母より元気だったのに、あっというまに認知が進みまくり徘徊してしまった親戚を見ているとやっぱり大きな違いは見守っている家族がいるかどうかに限ると思う
認知症は自分でも不安なので家族にあれこれ質問したりするがその相手がいないと不安がそのままになるので認知は進む
認知症の人は「自分は役に立っていないかもしれない」という不安をいつも抱えているので自己肯定感がどん底、それを「大丈夫だよできてるよすごいよ」っていう声が近くにないと認知は進む
結局親戚はどー考えてもこれ老人ホームだろうなっておもうレベルまで悪化しているけど、子供一人でも実家で同居するか引き取れば違ったんだろうな、多分今も元気だっただろうなって思うと切ない物がある
実際会社でも、妻と別居して母や父と同居してる定年間際のおじさんけっこういるんだよね。死ぬまでは一緒に住むらしい。そういう家はいい感じに年をとって看取ってる
結婚して子供を作って、家を出て親を捨てていくのはまあ人間の姿として正しいんだろうが、私らはあっという間に衰えて認知が進む親戚しかみてないのでどうもかわいそう感がぬぐえない
親戚は子供達がたまにきて孫の顔見せてくれたらそれでいいんだろうけど、近所の親戚に介護丸投げして、「自分たちの生活があるから」とかいって親を見捨てるのを当たり前の様な風潮、誰か被ってる奴らがいると知って欲しいわ
いつになるのやら
俺は暗いとか理屈っぽいとか顔がキモいみたいな意味で、オタクと呼ばれてた世代である。
オタクって言葉にはなにかに精通した人という原義もあった。たとえ込められた意味としては「キモイ奴」だったとしても、「オタク」にはオタクなりの矜持があったし、そこに守られていた部分もある。
ところがアニメやゲームといった趣味はますます一般的なものになり、オタクの意味は拡大されていき、人類総オタク時代になった。「マジで!私も超オタクだよ!ワンピ読んでるし!」というリア充キモい、みたいなのが最初に流行ったのは、もう10年ぐらい前だろうか?アプリで無料の漫画を読み、スキマ時間にソシャゲを消化し、、小学生が深夜アニメの鬼滅や推しの子を見る時代である。いまではすっかり、ジャンプを読んでる程度の奴も立派に「オタク」になってしまった。
で、オタクの座を乗っ取りにきたやつら、自分達がオタクになっちゃったもんだから、キモイ奴の呼び方を失ってしまった。バカだよな。
で、奴らが発明した言葉が「陰キャ」だ。この言葉には直球で「暗い奴」という意味しかない。こんな言葉を使われる最近の若者にはマジで同情する。これはマジで悪口だと思うよ。
陰キャという言葉の発明によりオタクはオタクの座を追われ陰キャになった。ところが陰キャという言葉、セルフハンディキャップに使うにはぴったりすぎらしく、空気の読める陽キャはなぜか陰キャを名乗る。。「私超陰キャなんですよー!」という女の子を見たことがある。嘘をつくな。陰キャは他人と一瞬で仲良くなって雑談したりはしない。まだ陽キャを名乗ってくれたほうがいいってもんだ。
そうなると、遠からず、人類総陰キャ時代がやってくる。キモい奴らを呼ぶ言葉を失った彼らはまた、キモイ奴だけを指す言葉を発明するはずだ。なんだろうね?「チー牛」はかなりそれに近いが、チーズ牛丼に失礼すぎるから流行らないだろう。食い物に罪はない。
掃除機えらぼうにもさ俺みたいな独身だとどうしてもオーバースペックなものがおおいんだよ
そんで今使ってるのはシャークのハンディークリーナーEVOPOWERってやつ
https://www.shark.co.jp/handycleaner/evopower/
おかしいと思うんだよ。
そういうのももちろんあるんだろうけど、こういうハンディでイケてるのもあるんだよな
掃除機だけじゃないんだけどさ
とにかく日本の家電メーカーってめちゃくちゃリア充で平均的よりちょい上の家庭を想定して家電作ってるよね
いちおう所得で言うと平均よりはもらってるから貧乏ではないんだけど
独り身で1Rに住んでるような人間にぴったりな家電作ってくれてるのは、中国メーカーが圧倒的に多い
食洗器とかそもそも日本メーカー作ってるのは全部がビルドインか工事必須なんだけど
中国メーカーは工事不要で水を桶みたいなので入れて稼働させる方式
こういうのでいいんだよ感
こういう脇にそれた俺みたいな存在にぴったり合った家電を作ってくれるのはもう日本企業じゃないんだよな
田舎じゃ無理だろあんな物々しい水素ステーションとかいう金食い虫
ガソリンスタンドですら維持が難しいとかいって閉鎖しまくってる時代に
家に電気通ってるEVのほうが俺みたいなイケてない人にはありがたいんだけどね
QRコード決済がでたときは都会のやつらは笑った「ぶほwwwなんだこれsuicaでいいじゃん」
suicaでいいじゃんっていうけど、田舎には交通電子マネーないんだよ。そもそも自動改札機がないんだが?って感じだったな
俺たちって相手にされてない感じだよな
https://blog.tinect.jp/?p=80847
この作品集の登場人物たちには「東京をやっていこうとしている」という言葉がよく似合う。彼らには「東京」への過剰適応、いや、「東京」への依存というべき性質がみてとれる。それで自分自身を救おうと頑張っているのに、実際には足元をすくわれている。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230307/1678181885
そうしたわけで『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』には、自分の物語を生きている主人公がいないようにもみえる。主人公たちは、他人のことをよく見ていて、他人を見上げたり見下したりしている。自分自身のことも冷ややかに見ている……ようにみえるが、実際のところ、この登場人物たちは自分自身が本当に欲しいものがなんなのか、目星がつけられていないようにもみえる。「東京」をやっていく能力や背景が足りなかったのが表向きの躓きにみえて、実のところ、自分の物語、自分の執着についてこの人たちは把握できていないのではないだろうか。その結果として、東京という物語に人生を乗っ取られたマリオネットのように欲しがり、行動してしまう。
https://amamako.hateblo.jp/entry/2022/01/28/195109
そしてそうであるがゆえに、「正しさ」を求めてフォロワー数という神を信じる行為が、むしろその神に振り回され、「自分がどうあればいいのかわからない」という不安を生み出し、そしてその不安を解消するためにさらにフォロワー数という神にすがるという、負のスパイラルが生まれるのです。つまり、構造的に「フォロワー数」というバイオモドキ神は、その神にすがる限り、メンタルを悪化させ、「メンヘラ化」を促進してしまうわけです。
https://note.com/sizes/n/n3a481a971253
我々が求めていたものは一体なんだったのか?と考える。作業窓だったはずのDiscordで陰口を叩き合うこと?「#絵師進化録2022」をミュートワードに設定しながらいそいそとクロッキーを始めること?切磋琢磨していたはずの相互の絵描きが抜け駆けして、いつの間にかリムーブされること?とてもそんなふうには思えない。人生は有限で、他者に捧げれば縮減する。どれだけの人間が、あなたの人生を略奪していったのか?
東京、配信者、絵描き、題材は違うが、似たものを論じている記事を読んだ。
何かしらの成功に憧れた結果、心身をすり減らしてしまう。そんな人たちに向けた警句でもあり、救いの手でもあるのだろう。
自分も、ツイッターでそういった人をしばしば見るし、(紹介した記事ほど上手く言語化はできないけど)似たようなことを考える。それで、老婆心からつい声をかけたいなあと思う。基本ROM専で特に接点もないからしないけど。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190222/1550830348
それでも、人間の行動・発達・人生には多かれ少なかれの寄り道があってもおかしくないはずですし、症例として事例化すべき人と、症例未満のものとして目をつむるべき人の境目はつねに曖昧であるはずではないか、と私は考えています。
ただ、上の記事が言うように、多くの人間はある程度そういう所があるんだとも思う。
例えば、昔は陽キャ&リア充って感じのサッカー少年、そして今は自立した立派なサラリーマンをやっている順風満帆そうな人を想像してみてほしい。
そんな彼だって、東京でSAPIXがどうとか言って受験戦争をする者の如く強いサッカークラブに憧れたり、フォロワー数を伸ばすために色んなことをする超てんちゃんの如く練習法を変えたり、さいとうなおきやディープブリザードの言葉を聞く絵描きの如く有名選手のインタビューを見たりしていたのかもしれない。また、社会人になっても、周りの社員にサッカー少年時代のようなコンプレックスを感じるときはあるかもしれない。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190217/1550390275
その一方で、実際にバカッター案件となるような炎上を起こしている学生は非常に少ない。たとえ年間10人やそこらの若者がバカッター案件をやらかしたとしても、それは1000万人のなかの10人程度のことである。交通事故のリスクに比べると、バカッター当事者になるリスクはずっと低い。
多分、僕たちが思ってるよりインターネットで身を崩す人はずっと少なくて、みんな適量用法を守って嫉妬や渇望に付き合っていると思う。
でも、そうじゃない人のためにこういう記事があるべきとも思う。