はてなキーワード: 第9地区とは
•waybackmachineにある最古のページは2011年6月だったけどそれにはブログ開始の挨拶とかなかったから、実際はもっとあったのかもしれない
↑写真とかも載ってるから興味ある人はちゃんとこっちから読んだ方ががいいです。
或いはこの増田のツリーよりはarchiveの方がPC版とサイズ同じなので読みやすいかもです https://archive.md/or39k
・「ダラス・バイヤーズクラブ」
・「オンリーゴッド」
・姉から鍋つかみをもらった
・顔出し
・「タイピスト」
・集英社で初連載
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・「月刊フラワーズ」メッセージイラスト(水城せとな先生の20周年)
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・講談社漫画賞授賞式祝賀会(水城せとな先生の失恋ショコラティエ)、迷って日比谷シャンテ周辺をグルグルグル。
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・パンの話が描きたい
なにで貰ったのか忘れたが、マイクロソフトアカウントに2500円ほどの残高があり、その期限が22日に来るそうだ。
「「Windows 11 バージョン 22H2」以降ならタダ ~iPhoneのHEIC写真をWindowsで扱う方法 - やじうまの杜 - 窓の杜」を読んでとりあえず120円使った。
あとをどう使うか決めかねている。
自分に合う有料アプリを探すのは大変だし、ゲームは遊ぶ時間がない。
とすると映画か。映画館で見られなかった「ジョーカー」とか「ミッドサマー」あたりを見ようかな。レンタルなら500円程度で見られる。
「ミッドサマー」はディレクターズカットもある。こっちの方がいいのかな。
「グランツーリスモ」は監督が「第9地区」のニール・ブロムカンプだからちょっと気になる。
▼ 公開直前「ライオンキング」! MayaとUnityで作られたリアルさとは!?
▼ ゲームエンジンをアニメ制作に活用するスタジオが増加
https://ss-agent.jp/column/game/g14-unity-anime/
Unreal Engineと Unityを活用してアニメを制作する動きが出てきました。 その理由として、いずれのゲームエンジンも 無料で利用でき、3DCGのリアルタイムレンダリングが可能で、映像表現に必須のライティング機能も充実 したことが挙げられるでしょう。
アニメ制作にゲームエンジンを取り入れた例としては、映画「第9地区」「チャッピー」などで知られるニール・ブロムカンプ監督率いるOats StudiosがUnityで制作した「ADAM」シリーズ。 同じく、Unityで制作され、実写と見まがうばかりの動物やサバンナを描いて世界的な大ヒットとなったフルCG映画「ライオンキング」などが知られています。
黒澤や小津、今村など世界的に評価されてる映画人が活躍していた時代、映画業界は大卒しか入れなかった。しかもその当時は今のようにボンクラでも大学生になるような時代でなく、大学に行けるのは本当のエリートだった。
「社会に警鐘を鳴らし、見た後も議論が湧き、この社会に生きる者としてカタルシスを感じさせる体験こそが映画の醍醐味」と多くの人はいう。そういった、観る側も「考える行為」を必要とし、議論を交わす行為自体が一種の娯楽として捉えられる文化レベルの人間を満足させるものがより価値の高い映画ということになる。
観る側に一定の素養を必要とさせるような社会的意義を持った作品作りができるのは、「マズローの欲求5段階説」の精神的欲求を満たそうとする生活レベルに達したエリート層。「貧すれば鈍する」のことわざ通り貧乏人は即物的な欲求に走り、ジェットコースターのような低レベルな表現で満足し、議論を湧き起こすような表現を理解できない。
「スター・ウォーズ」も「第9地区」も「ダークナイト」もSF世界を描きたいだけの即物的な映画ならヒットはしなかった。SFの姿を借りつつ根底には「田舎の若者の葛藤と希望」、「格差社会」、「悪とは、人間とは何か」というテーマがあり、だからこそ観客はカタルシスを感じ、感動する。
社会的意義のカケラもない商業主義に染まりきった意識の低い連中が、カネ儲けのために過去のヒット作のカッコよさ、スピード感、キャラの表面的なエッセンスのみをかすめ取ってストーリーを後付けするような本末転倒な映画制作をして感動する作品が出来上がる訳がない。
昨日、絶対見るべきだ、という話だったので、遅まきながら映画「第9地区」を見てきた。
思ったより悲惨な話じゃなかったし、近年見た映画の中でも大変面白かったのだが、映画前半で感じたコミュニケーション不全に対する無力感は、そもそものコミュニケーションが成立していない鳩山首相を思い出させた。(もっとも、この世界がそういう物である、というならばそうだろうが)
この映画は、小人物のなけなしの善意による義務感……、友愛が泣かせ所だった。
一瞬だが、他者と心の通じた場面があった訳だ。
主人公が他者を受け入れて、相互に理解しあえた。
おそらく、鳩山首相の中では、日本国民は他者ではなく、自分と一体化(自分の意志=日本の意志という認識)してしまっており、国民は自分の(すばらしい)案を受け入れるだけの存在だと見なしているのではないか?
彼の中では、受け入れるべき他者とは東アジアの人民なのであり、米国は「他者ですらない、装置(システム)のようなもの」と見なしている気がする。
では、小沢氏は何かというと、彼の深層意識に近い存在であって、ほとんど無意識に受け入れており、見えていない気がする。
鳩山首相も、「まともな他者」が出現すれば、彼の友愛したいという欲望も報われるだろうが、果たしてどうなんだろう、永遠の一方的な片思いじゃないかなとも思える。
……というか、こえーよ。引くだろうな、現実的に引いているように見えるし(とてもまともな心理状態とは見なされないだろうから)。
単なる妄想を書いただけである。