はてなキーワード: 死ねとは
逆張りでも何でもなく、状況を客観的に見ればフワちゃんは何も悪いことしてないんだよ
結論から言うと、フワちゃんはやす子に向けてじゃなくて普段自分に向けて誹謗中傷してるやつらに対して言ってるんだよ
そもそもとして
なぜお前らは“フワちゃん”が“やす子”に対して死んでくださーいって言ってると思ってるの?
これに答えられるやつはいないんだよ
けど、状況を考慮すればお前って言うのは、フワちゃんに誹謗中傷を書き込むアンチだってのはすぐ分かる
やす子に死んでくださいって言うなら、リプをつければいいわけであって、全員に向けてポストする必要なんてないだろ
つまりフワちゃんは“普段自分に向けて誹謗中傷してくるアンチ”に対して
お前は偉くないから死んでくれください、予選敗退でーすとやす子のバズってるポストをオマージュして引用ポストしたわけ
こんな簡単なことなんだけど、世間はお前の主語が誰かも理解出来ないぐらいに頭悪過ぎるから炎上してしまった
一度勘違いされると、違うと説明しても言い訳するなと言われて余計炎上するから、説明も出来なくなってる
母親に「そんなんじゃチー牛になっちゃうよ!」とか言われても「は?死ねよ」としか思わんだろうし
中学生ぐらいからずっと抑うつ症で死にたくて、社会人になってやっと精神科行って精神安定剤もらって心が楽になった。
「あー麦茶おいしいなあ〜昼寝しようかな〜そういえばどんな死に方なら楽に死ねるかな〜」みたいな変化。結局心安らかに死に向かおうとしているのには変わりない。
「もーヤダー(ハート)」って口で言ってても
「既婚なら誤解される真似すんな(死ね)」って内心で思ってんじゃない?
ブコメでも書いてる人いっぱいいるじゃん
既婚にコナかけられた独身女性の大多数は腹立ててるよ
誠実な交際するつもりが全く無い浮気相手に内定とか馬鹿にしてる
本心で嫌じゃなかったら単に尻も脳ミソも軽い奴
プラットフォーム企業は単に自分とこがリスク避けたい・コストかけたくないだけなんだけどな。
これ、読んでて思ったんだが、
youtubeとかで字幕で「死」って出すとBANされるんだよな
だから、字幕では「○ね」ってかいておいて、音声では死ねって言ってるんだよ
もしかして、youtubeばっか見てる奴は、「死」って文字を相手に送りつけることそのものがタブーになってるのはあるかもな
それはそれとして、Xでも「死ね」ってレスされてたら、通報したら凍結されるので
Xの中でもタブーかもしれない
フワの死んでくださーいにやたら敏感に反応してる奴が多くて笑う。お前ら普段のコミュニケーションの中で死ねとか死ねよとかも言わないゆるふわコミュニケーションしてるわけ?笑
「死ね」なんて、こんにちはごきげんよう程度に使う言葉じゃん。心の底から死んでほしいとか思ってるわけないじゃん。他人と表面的な会話しかしてないようなひ弱な奴らが真人間とはこういうもんだ、みたいなスタンスでドヤらないでくださーい。笑
"死ね"と言ってきた奴が謝ってきたら許すしかなくなるムーブ許せない。そんなのずるい。
↓
じゃあどうすればいいの?
↓
「人の恋愛なんて個人間でやってくれ、記事にするな、法に触れてないし大したことじゃない」
とか言うのなんなの?
だとしたら、今回のやす子さんへのフワ氏死ね発言だって個人間の出来事でしかないし記事にするまでもないよね?って話になるの?ならんやろ
いじめ(誹謗中傷)も不倫も、罪ではないし訴訟できるのは本人たちでしかないような個人間の出来事だけど
芸能人ていう、イメージや人柄を商売にお金を得ている職業の人間なんだから記事になって当たり前でしょ。
社内や取引先の人間が不倫とかしてたら当たり前に問題になるでしょ、それと同じ
職場を荒らしたり、職業倫理に違反したら秩序を乱すな、真っ当な社会や倫理観を壊すなと糾弾される当たり前のこと
自分はこれからもこうやって社会が不倫やいじめ、法に触れない個人間の悪事にどんどんNOを突きつける社会であってほしいと願ってるわ
フワちゃんの件って要はミッチーサッチー事変だよな。昔だったらエンタメに出来たのに
知り合いを街中で急にぶん殴ったようなもんだし、それを見た周りが騒ぐのはしょうがない
私たちは三人で出かけたりご飯を食べたりすることも多く、仲が良かった。
しかし、Bは若くして亡くなった。
でもAは全く泣いていなかった。
悲しくないはずはないのに。私はAとBが仲良しであるのを知っているし、仲睦まじい姿を何度も、何度も何度も本当に見てきたのだから。
そんなBがお葬式では最後まで、涙ひとつ見せることはなかった。
だから彼女はきっと、悲しみに強い人間なんだと、そう思っていた。
少し前に、Aの家に遊びに行ったことがあった。
大ヒット作品なだけあり、私もAも一度は見たことがある作品だ。
Aがまた見たくなったからと私を誘い、こうして二人での上映会が始まった。
見たのは多少前とはいえ結構覚えていて、それでも迫力のある戦闘シーンなんかは今に見ても抜群に面白い!
あーやっぱりすごい映画だなぁーって思って見ていたら横から鼻をすするような音が目立ち始めて、え?なに?とAのことを見ると彼女は泣いていた。
鼻水も出ていて、それをティッシュで包み込もうとしていたところだった。それからティッシュを追加して目元に持って行くと開いた口から声を上げてわぁーんわぁーんと泣き声を上げ始めた。
いい大人がアニメ見て慟哭みたいに泣くとか…とそれを見て思わず、正直ちょっと引いてた。
煉獄さんが死にそうになりながらもぐっと堪えて戦うところとか、乗客の安否をずっと気にしているところとか、あと炭治郎たちのことずっと気にかけてくれていて、そういったところがもう全部すべてエモくて感動するから
とAは八矢継ぎ早に語り、最後の煉獄さんが尽きるシーンに対してはボロボロと涙を流しながらそのシーンをじっと見つめていた。
その時、Aは何を考えていたのだろうかと私は思う。私は今でも覚えている。
なのにAはBのお葬式では涙を一滴も垂らさず、鬼滅の無限列車編の映画では何度も何度も涙を流した。
というか、これだけじゃないかった。
別の日でも、今日発売の週刊〇〇読んだら推しのキャラが死んだ…といって横に座るとすぐに泣き出してしまうこともあった。
そうして私はAの涙を何度も見かけることはあった。でも涙の理由は漫画やアニメのキャラクターが死んだり、別れたりとか、そういうことでだった。
片や彼女は現実の友達の死には涙を見せない。取り乱したりもしないのだ。
はっきりいって、私は怖くなった。現実の友達には涙を流さないのに、アニメや漫画の存在しない、虚構に過ぎないキャラクターたちの生死には一喜一憂し、死ねば涙まで流して本気で悲しむ。
おかしいと思った。現実をおざなりにさせて、アニメや漫画の中のことでリアルに悲しんだり喜んだりするのって、どう考えたっておかしい。健全じゃないのは確かだ。
気持ち悪いって、本心ではそう思ってしまった。Aのあのような態度を見ていると、私は漫画を読みたいとは思えず、アニメも見たいと思えない。
でもたぶん、今の現実社会ではAのような子がたくさいん居てしまうんじゃないかと思ってしまう。
別にアニメやゲームで感動するなっていう話じゃない。でもそうした感情や慈しみは、少しでも現実の社会に向けてくれると嬉しい。