はてなキーワード: 思想統制とは
「図書館の貸出履歴をカルチュア・コンビニエンス・クラブに提供し、TカードのIDとヒモ付て管理することは、プライバシー上問題がないか」
とうことですねよ。これに関して、セキュリティの専門家、高木浩光さんと、武雄市長が論争を繰り広げています。
ただ、法律の専門用語が多かったりして難しいので、偏差値3でもわかるように、要約・解説してみました。
お二人の議論を整理すると、
武雄市長「図書館の貸出履歴は、現行法の「個人情報」に該当しない。したがって、問題がない」
高木浩光氏「現行の「個人情報」の定義が遅れている。不備がある。現行の解釈では個人情報が守れない」
という議論をしています。もう少し詳細に見ていきましょう。
武雄市市長の主張は、以下のようなものです。(元リンク http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/)
・現行の個人情報の定義は「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」
・したがって、貸出履歴は個人情報に該当しない。なぜなら、容易に個人を特定できないから。
・よって、高木はファック。俺は国Ⅰ。
という論理です。文章は自意識がひりでて読みにくいのですが、役人的論理としては、しっかり筋を通しているあたりは流石ですね。要するに、法律論でのかっこつきの「個人情報」に害というしなので問題ねぇぜ!というお話です。
一方、高木さんの主張は以下のようになります。(元リンク http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html)
・現行の個人情報の定義に不備がある。たとえば、スマホアプリの端末IDに紐付いた行動履歴等は現行法では個人情報ではないが、個人のプライバシーに関わる重要な情報である。
・アメリカでも、スマホ端末IDに紐付いた行動履歴をプライバシーとして定義するようになっている。
・IDに紐付いた貸出履歴は、上の定義でいえば、個人情報に該当する。
・加えて、営利企業であるCCCに貸出履歴を提供することは、図書館の自由に関する宣言に反する。
という論争であって、要するに、論点は以下の3つになります。
・CCCの管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
・図書館の自由を守るべきか否か問題
の3つになります。では、具体的に諸論点をみていきましょう。
武雄市長の主張は確かに筋が通っています。つまり、現状ではTカードに紐付いた貸出履歴・行動履歴は「個人情報」に該当しないと述べることができます。
この解釈の上では、みなさんが使っているスマホの端末IDに基づいた利用情報も「個人情報」ではありません。
でも、IDと複数の情報が結びつくことで、個人を特定できる場合がありますよね。だから、米国の消費者権利章典では、IDに紐付く利用履歴・行動履歴は、パーソナルデータとして定義されています。
また、日本でも提言レベルでは、同種の配慮をするべきだとの主張がされています。
流出したら嫌な個人情報というのは、生年月日・氏名だけではないですよね。
たとえば、僕が「淫乱娘Aチーム」というのをTSUTAYAで借りている。さらに、僕がある珍しい難病にかかっていて、その関連書を図書館であさり読んでいるとします。
これが流出したら、IDという形で匿名化されていても、僕を知っている人は、僕個人を容易に特定できます。さらに、下手に氏名が流出するより、社会的なダメージが大きいですよね。
IDに紐付いて様々な行動情報が収集されるようになりました。詳細な点と点を結びつければ、該当の個人へと繋がる線をつくるのは難しいことではない。
だから、「IDに紐付く行動履歴」も個人情報として考えようよ、というのが最近の潮流になっています。
ただ、武雄市長が述べているように、「現行法では問題ない」のも、また事実です。
このグレーな部分をどう解釈するか、という問題になるでしょう。
現行では問題がないと解釈することが出来るのは、先に触れたとおりです。
ただ、経済産業省の「総務省:行動ターゲティング広告の経済効果と利用者保護に関する調査研究 報告書」を見ると、
我が国では ID 化する等して個人識別情報(氏名等)を匿名化した場合であっても、その他の情報で個人が推知される場合は個人情報となりうる場合があると解釈されている
ということで、提言レベルでは「ID化しても他の情報との関連で個人がバレるのはマズイよ」という風に問題を認識しているわけですね。
今回の件は、「IDに紐付いて貸出履歴を管理」します。では、「IDに紐付いた貸出履歴」というので、個人を特定できるのか。
結論をいえば、特定できます。
たとえば、マイナーな病気にかかっていて、図書館で自分の関連書を借りているような人の貸出履歴が流出したら、その人が誰かを特定される恐れがありますよね。
上記の報告書でも「特に、書籍の購買履歴や疾病に関する検索履歴などを通じ、思想・信条や身体に関する機微情報が明らかになる懸念)」が指摘されています。
さらに、TSUTAYAの貸出情報とあわさるなんてことがあれば「お前、団地妻と三銃士〜隠された王女の首飾り〜借りとるやん!」なんてのがわかってしまう。
貸出履歴でも、個人を特定することは不可能ではありません。
ということで、「」つきではない、個人情報に貸出履歴が該当する可能性が高いと考えるのが妥当です。
セキュリティの議論から離れて、図書館が利用者の貸出履歴を行政に差し出すのは、図書館の自由に関する宣言に反するという問題もあります。
図書館というのは、戦前は思想善導機関として機能していた歴史があります。思想善導機関として、「あるべき思想」を押し込むために、国民の知る自由を妨げてきてしまった。
その反省の上に、「図書館の自由」が宣言されました。図書館は、思想統制の歴史を繰り返さないために、
1. 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
のように宣言。他にも検閲への反対は有名ですね。
要するに「図書館というのは、民主主義の根本である『知る』を支える機関だから、それを守るために利用者の貸出履歴も守る。」ということですね。
「共産主義の本をかりている奴らがいました。奴らはアカです」なんて報告されたら、思想の統制なんて簡単ですから。
もちろん、宣言ですから法的な拘束力はないです。図書館法には貸出履歴の提出を禁じるという部分があるわけでもない。
でもな、違うんだよ!!!
これを認めちまったら、図書館の自殺と同じだよ。「何を読むか」が弾圧につながった時代を経験してきたからこそ生まれた「利用者の秘密を守る」とか検閲への反対がある。それこそが「知恵の保護者」たる今の図書館のアイデンティティなんだよ。
それだけは知恵の機関たる図書館が絶対に、絶対にゆずちゃいけないところだ。
で、もちろん、今回の件は、図書館の自由に反します。TSUTAYAも武雄市も外部ですから。
この点武雄市長は「単なる部族社会の宣言」と述べて、退けています。
おい、どれだけの歴史があって、苦心があって、図書館の自由に関する宣言が生み出されていると思ってんだ。てめぇの薄っぺらい頭髪の何兆倍の厚みがあると理解してんだ?Ah?
はい、ということで議論をまとめると、
・現行の解釈下での「個人情報」には、TSUTAYAに提供する貸出履歴は該当しないということができる。
・しかし、アメリカ、経産省の提言レベルでは「IDに紐付いた行動履歴」はプライバシー、個人情報と考えられるようになってきた
・なぜなら、難病患者などは、貸出履歴でも個人を特定できてしまうから。
・今回の貸出履歴の問題は、「IDに紐付いた行動履歴」なので、法律上問題ないにしても、流出すればプライバシーを大きく侵害するおそれがある
・さらに、利用履歴を提供するのは、図書館の自由に関する宣言に反する(これ、大事)
となります。
以上を踏まえた上で、みなさんはどう考えますか?
参考URL
・http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/
大阪で、君が代斉唱時に起立しなかった教員をクビにする条例がもうすぐできるらしい。
例によってはてブでは公教育への介入だ、思想統制だ、という話になってるらしいが。
問題は、公立学校の教職員が式典に出席した上で君が代斉唱を拒否していて、
その後の校長・教育長の指導や業務命令にも従わない、ということだ。
それを思想・表現の自由としているのなら、彼ら個人の思想の表現のためにやっている、と考えられる。
これは「公務員が勤務時間中に、自らの政治的主張のために業務をサボタージュして示威行為している」、
「判断能力が未熟な児童・生徒に、教員の立場を利用して自らの政治的主張を宣伝している」ということになる。
つまり問題は日の丸・君が代だけではなく、「公務員が思想を理由に業務をサボタージュするのは認められるか」、
「教員が児童・生徒に自身の政治的主張を宣伝するのは認められるか」ということだろう。
これらを認めてしまえば、極論すれば「教員が教えたくないこと・教えるべきでないと思うことは(指導要領に載っていても)教えなくて良い」
「教員が教えたいこと・教えるべきだと思うことは(指導要領に載っていなくても)教えて良い」ということになりかねない。
公民の教科書を放り出して毛沢東語録を教えても教員の自由、歴史の教科書を放り出して歴代天皇の諡号を暗唱させるのも教員の自由、
生物の教科書よりも旧約聖書の創世記を読ませたい、国語の教科書の代わりに団鬼六を読ませよう、という教員が出てきたらどうするのか。
児童・生徒がどんな内容の教育を受けるかは、その時に出会った先生次第で構わない、と思う人がどれだけいるんだろうか。
教科書の内容も式典の式次第も、文化祭や体育祭などの学校行事も、社会が期待する一定の水準に達するために教育委員会が指導してるんであって、
その内容は法律に則っていたり文部省の指導要領に則っていなければいけないのは当たり前のことだ。
>「児童ポルノが手に入れられなくなるのが嫌だから反対」と大っぴらに言えないしそんな事を言っても相手にされないのがわかっているから
これこそ、規制強化賛成派の作りだしたフィクションだと思うなぁ。
規制反対派だって、3次ロリも認めろとか言ってるのはほとんどいないよ。
児童ポルノを歓迎できるのは、
・子供が居ない人、もしくは居ても大切じゃない人
と認識されていると思う。
そもそもそんな人って居るの?
規制強化に反対してる人は大勢いるけど、彼らの大半はぶっちゃけ児童ポルノ自体は主体ではなくて、検閲や思想統制へ繋がる事への危惧が根っこにある場合が多い。要するに規制する側である権力者をそれほど信用してない人達。
なので児童ポルノが根絶される事自体は全然反対してないと思う。権力者を批判する自由が一緒くたになって規制される危惧さえ取り除かれれば、だけど。
あと個人的に言わせれば、児童ポルノ媒体のメッカは今も昔も中国だよ。特に近年は、豊かになったあの国のにわか成金達が国内外の売春産業をあちこち食い荒らしてる。
国内の観光地や商業地なんかで中国人を呼び込もうと必死になってる話を最近よく聞くでしょ。売春が実質的な闇産業になってる国や地域も似たような様相を呈してるわけ。
外れてる人間やマイノリティーからもボロクソに叩かれてるよ。そういう所を元増田が見ようとしていないだけで。
2chの書き込みみたいな文言を一般化しても意味無いと思うけど。あの手の書き込みは、道理の通じない(児童ポルノ根絶があらゆる全てに優先する正義だと勘違いしてる)人達への嫌悪感から出てくる罵詈雑言だし。
ところで、元増田みたいな考えの持ち主って、AVやエロ漫画が皆無だった戦後の方が性犯罪(児童に対するものも含む)が遥かに多かった点をどう考えてるんだろ。
たたき台としては、まずまずじゃないかと。
区別されてるよ。
「児童ポルノ」は一般的禁止で、「非実在青少年」は「不健全図書」に含めて、「青少年」に対する販売規制であって、一般的禁止ではない。
素人でもそう読めるように、解釈規定を分かり易くするということならいいと思う。
こうすると、むしろ規制対象が広がるような。
「みだりに性的対象として肯定的に描写」しているかどうかは、内容を見ないことには判断できない。
戦争の悲惨さを協調するには、敢えて残酷な描写をしないといけない。
レイプの暴力性を訴えるには、そういう描写も必要な場合もある。
これは、運用状況を監視していくしかないと思う。
あるいは、野放しにするか。
「都民の責務」にまでするのは、確かに行き過ぎなんだよなぁ。
目的規定で十分だろうし。
ただ、それを法文でもって宣言したいということも理解できるんだよなぁ。
まぁ、この規定が残ることで廃案になるくらいなら、削除でいいって流れには持ち込めるかと。
http://anond.hatelabo.jp/20090508184632
これ書いた増田です。
id:yuubokuの記事は分かりやすいね。
http://d.hatena.ne.jp/yuuboku/20090508/1241809239
極論ならばさ、
こんなのもフィクションならOK?
もうさ、現実の犯罪との関係性が立証されない限り云々って理屈は限界だと思うよ。
どこで線を引くか?
その根拠は何か?
その線引きが他の表現規制に繋がることはないのか?
そうならないための方法は?
早めにこの辺を考えといたほうが良いんじゃない?
「それでも表現の自由は絶対不可侵」と主張するのはアリだと思うけど
自明なものとしてではなく、そろそろ根拠が求められるんじゃないかな?
なんて言われても
そんな国は沢山あるわけだし
それだけじゃ説得力無いってw
元増田ですが、ビジネスマナー自体を否定しているわけではありません。
ビジネスマナーができなければ人間として屑だ、必ず解雇されて路頭に迷う、いずれはホームレス生活になるぞと脅されそれを信じてしまうような空気が新興宗教か自己啓発セミナーみたいなもんだなーと思っただけで、ある程度の型は必ず必要だし、型どおりやってます元気だけが取り柄です、でも失敗たくさんしますってのは新人のうちじゃなきゃできないですからね。むしろ自分の頭で何も考えなくてよいという方向にさえ行きかねないあの空気はさすがに微妙だった。言われたことをやってさえいればいいんだ何でも質問(という名のお伺い)しろ質問しないやつは屑だ!お前の考えは必要としてない!わかったか!ウジ虫どもが!的な。
つうことを書いたはずなんだが、読みにくいのかねー。初めっから「ビジネスマナーいらんとか言ってるバカな新人」という視点で読まれてる気がする。まぁそういう馬鹿なというか自分は違うこと言ってるぜ感を出したいバカはいるんだけれども。
で、「ザ・シークレット」が平積みされてて、立ち読みした感想。
ザ・シークレットってようは引き寄せの法則。
「自分に起きた出来事は、すべて自分の意思や思考が原因で引き寄せたものだ」という法則のこと。
引き寄せの法則は、物事の捉え方、あるいは考え方のひとつの方法に過ぎないが、理にかなっていると思う。
ただし、さすがに「すべて」ではなく「ほとんど」であると思うが(例えば、人の死は思考でなく寿命、運命が原因でしょ)
もっとも、引き寄せの法則を語る連中は、法則をさらにスピリチュアルに発展させ、「ただ強く願う(言う、紙に書く)だけで、現実化する」というが、これは甘い期待だ。
やりたかったり、やらなきゃいけないとずっと思っていても、「けじめ」や「規律」が欠けているため、できないときがある。
実業家とかで、願ったら叶ったという人は確かにいるが、それは周囲がお膳立てしてくれる金持ちのボンボンやエスタブリッシュメントがあるからに過ぎない。
引き寄せの法則関連によく出てくる、「一部のエリートのみが」云々は、引き寄せの法則が秘密だったからではなく、願っただけで叶う温室育ちの環境は一部の上流階級でしかありえないからじゃないか。
また、思考は現実化するため、ネガティブなことは決して考えてはならないとも書かれている。
精神衛生とか、メンタル的にはネガティブなことをくよくよ考えるべきではないし、ポジティブで明るいことを想像すると、安定した心理状態を得られるのは事実だ。
しかしだからといって、否定的なこと、起きて欲しくないリスクについて考えを巡らすこと自体を禁止してしまうのは、飛躍し過ぎだし、恐ろしい思想統制だ。
メンタル、あるいはメンタル状態が大きくパフォーマンスを左右するスポーツの競技中は、ネガティブな感情は消しさるべきだ。
しかし、将来に向けてロードマップを計画しようとするとき、あるいはビジネスの世界では、常にリスクを意識し、対処することが不可欠だ。
最後に、やや話は脱線するが、光があれば影があるように、ネガティブな思考を完全に除去することはできない。だからあえて目をそらさずに、その存在を認めた考え方のほうが、より現実を表しているのではないか。
応じて求められる外見、身だしなみがある?ほう、じゃあそれはどこでどう規定されているわけ?それは単なる差別主義者の脳内にある「マイルール」に過ぎない。勝手に「みんなが認めてる」と言わんばかりに一般化しないように。そんなもの本来は「無い」。
あのう、無数の「マイルール」の集積が「社会通念」っつう奴だと思うんですが、いかがでしょうか。
その「社会通念」は道徳的に正しい・正しくないは別として、残念ながら「存在する」の。
まあ「社会通念」ってのがなんとでもいえるある種便利なバケモノみたいな存在なのは認めるが、
わかりやすくいえば、60過ぎたババァがミニスカート履くのも個性だが、「うわ、キメェwww」と思う奴に対して、
軽率で主観的で感情的な判断を下す人間の方がおかしいんであって、そいつらが認識を改める、差別心をなくそうと勤めるのが本来の筋だろう。
って言えるのか?
こちらの書き方が悪かったので、整理しよう。
キメェと思うのも思う側の自由だ。俺は、そうう奴がいたらキモイと思う。
キメェと相手に対して言うのは、俺も当然NGだと思う。
だから増田は暴走してるが、
という部分は当然当てはまらない。
ただ、増田がキメェと思ってる俺に対して、「あなたが婆さんに対してキモイ、と軽率で主観的で感情的な判断を下すのはおかしい、そういた認識を改めろ」とご忠告いただくのは、ご遠慮したい、というのが俺の立場だ。
また、ミニスカートはn歳以上の人は履いちゃいけない、なんて「規定」はされてない。どっかに書かれてるもんじゃない。
が、「社会通念」として、例に挙げたような60歳のババァはミニスカ履くもんじゃないってのは、あるんじゃないかな。
それをいちいち、
「そんなものはどこにも書かれてない!60歳の人がミニスカ履いたっていいだろう!それに対してキモイなんて思うのは失礼だ!」
なんて目くじらたてるなら、俺は「ああ、個性主義者、フェミニストのねじ曲がったのがいるなあ」とスルーするしかな。
上の例でいえば、ミニスカ婆さんにキモイというのは差別だろうが、キモイと思うのはマイナス感情で、
まあそれこそ「マイルール」かもしれないが、差別って「思う」ことじゃなくて具体的な行動じゃないの?
個人的には黒髪が好きなので、茶髪、金髪はあまり好きではない。
金髪だったら多少面食らうが。
そういう俺に対して、それは金髪に対する差別だ、なんていうなら、
増田の論旨としては、
「どんなファッションをしていようと、それに対して否定的な意見を持つことは差別であり、その差別はなくされるべきだ」
ってことかと思うんだが、俺はそれはただの思想統制、思想統制って言葉が堅ければ、「好みの押しつけ」だと思う。
具体的に金髪であれば、金髪をかっこいいと思う人もいれば、不快に思う人もいる。
不快に思う人が、金髪の人に対してなんらかの危害を加えるのはもちろん差別的だと思うが、
不快に思うことや、金髪はいかがなものかと意見を表明する自体は、保証されてしかるべきものだろう。
(意見を表明するのも危害を加えることだ、なんていったら言論の自由って何よ、って話になる。議論が成り立たない)
応じて求められる外見、身だしなみがある?
社会人やってりゃ当然だろ。
えーっと、服装って、TPOにあわせるっていいません?
それこそマナーに関する本とか読んでら書いてあると思うんだけど。
とある人が「こういう人のこういうところが嫌だ」とネットで公言すると、まあ発言の内容にもよるが。
「心が狭い」「小さい人間」「器が小さい」という、それを許せない人間が屑という流れになることもある。
まあ、誰が嫌いなんて言葉は他人に聞かせることでもないし、他人の悪意なんて気色の悪い物。
でも、それを心が狭いとか人間として小さいと言うのも他者の悪意として感じてしまう。
まあ、そうやって心が狭いなどと言うのは、自分がしていることだからこそ、認められるべきだろうと言う意図で相手を陥れているのかも知れない。
ただしかし人間だもの。
誰かに聞かせるのは宜しくないが、何かを嫌だと思うことぐらいは自由なんじゃないのか。
心が狭いとかいってもなあ、思想統制じゃないんだから、心が広がる物でもないし。
かつて女子東大生がインドで食べかけのドリアンを施そうとして拒否されて乞食のくせにと宣ったんだったけか。
口に出したらだめだよな。
思うに留めとけばよかったのに。
患者の前では笑顔の医者だって心の底では、ドロドロの黒ヘドロの塊のような悪意を抱えているかも知れない。
でも、そう言うこともあるだろうし、あっていいし、周りの人間も、まあ少しは覚悟しておけ。
行動には起こしちゃいけないけど、思う分には自由だ。
思う分には自由だけど、行動にはするもんじゃあない。
思ってることまで下品だ狭量だと変えるのも宜しくない。
そう言えば、実際に児童に性被害を与えているわけでもないのに、思想すらも弾圧しようとする、児童ポルノ法改正に対する運動が盛んになっている事実も多少気になるところだが。
無意味に規制されてしまう可能性がある時期にだから性質が悪い・・・
ありきたりだろうけど考えを整理するためにもつらつらと書いてみる。
なぜこういうときにゲームが問題にされるかというと
「事件の発想の元になったから」と
「欲望を刺激したから」の二つが思いつくわけだけど、
殺傷の場面はいくらでもあるわけだから、
ただ単に選んだ発想が多くの人を傷つけるものであっただけで
その発想自体に非を問うことはできない、というのが順当な考えに思える。
例えば性表現でも「寝た子を起こさない」という言葉が用いられることがあるが
発想を規制することは大人に対しては想像など内面の自由の侵害でしかなくなる。
仮に発想そのものを人類から規制し消滅させるSF的な仕組みがあったとしたら
次に「欲望を刺激したから」について考えると
人は誰しも程度に違いがあれ欲望を抱くもので
重要なのはそれを実行に移すかどうかということになる。
コストもリスクもほぼ無いといってよく社会的にもポジティブな要求と評価される。
行動はそれらリスクの認識よりも欲望が強くなったときに行われるわけだが、
ゲーム単体にそこまでの欲望の強化作用があるとは考えにくい。
むしろそれができるならゲームにまた違った可能性が開けるといってもよさそうだ。
(シリアスゲームで米兵の初陣で戦える率が向上したという話はあるが
それは慣れであり、欲望の強化ではない )
つまり、この事件で本来一番最初に考えるべきは
自暴自棄になることで欲望より認知したリスクが低い状態になっていたことと思える。
希望がない、死んでもよいという状態であれば
あらゆるリスクが0に近くなりゲームの模倣に限らず犯罪を起こしうる可能性は飛躍的にあがる。
ゲームを規制するよりもそういう状況にある人を減らすほうがよほど効果は大きいはずだ。
それを踏まえずにスケープゴートとしてゲームやゲームを遊ぶ人を叩くのは
同じような状況にある人をさらに追い詰め、逆効果であるとすら考えられる。
事件の背景として日本がいまだ年3万人の自殺大国であることも忘れるべきではない。
規制はそもそも下策であり、初めに考えられるべき上策は
上記の自棄になってる人に生きる希望を与える、ということも含めて
なぜ人を殺してはいけないかなどの感性の強化や
欲望を自分自身で制御する考え方の伝達、
欲望を抱くこと自体を理解・許容しての事前のカウンセリングの普及などで追い詰めない、
といったことだと思えるんだけれどなぁ。
おれの結論としては、結局「音が良い」からだと思ってるよ。
最先端、とは言わないけど十二分に Up to date な四つ打ちで、可愛い女の子たちが歌い踊る。これ以上に機能的な音楽はないよ。
で、もう一つが「抑圧されてない」っていうのがある。
音源は加工されまくりwだけど、トークでの天然暴走ぶりは、常識的に考えてあり得ないレベル。だって「しょせん私らなんて作っていただいたものを歌ってるだけですから」とか言っちゃうんだぜ。その卑屈を通り越してある意味「アイドル現象」そのものを批評してしまうかのような……っていう話は長くなるからやめる。まぁモー娘。みたいに「交際発覚で脱退!」とかの思想統制の影を感じさせないアイドル。そのへんが最近の本音ベースの世相ともあってるのかなぁ、と。
(っていうかhype | 『マブ論』とPerfumeにまとめられてるように、宇多さんが言ってることが全て、という感じなんだが)
最後に、「語りやすいアイドル」「言及欲求を刺激する事象」っていう面もある気が。
反応。
1つめのお返事
うん、なんか、テクノポップというのがキーワードなのかな?と思った。
確かにファンの存在を認めてくれて一緒に楽しんでくれるアイドルって希有だよね。
モーニング娘。に例えたのは、ある種の「●●は俺が育てた」的な視点を
持ってるファンがたくさん居そうとか、ファン層がかぶりそうだなーって思ったとこ。
なんで「テクノポップ」が「育成」につながるんだ?
まぁモー娘の縮小再生産ぶりに絶望したファンの一部が流れてきてるのは確か。
2つめ
やってましたねー。恥ずかしげも屈折もない感じの。
で、おもしろいのが Perfume の成長と機を同じくして、ヤスタカもまた成長してる、ってこと。Perfume のプロデュースを始めたくらいから cupsel の音はどんどんフロア重視になって、それなりのオリジナリティを獲得しつつある。たぶん今年も大きく方針を変えると思うんだが(おそらく黒めのダウンビート方面)。
3つめ
確かに、声をあんなに変えたら誰でも一緒になっちゃうかもしれないね。
アイドルの本体はダンスなりトークなり、というかパフォーマンス全体にあるのであって、音楽に声の記名性ばかり求めるのは愚かだと思う。
幕張カウントダウンで「あんなのカラオケじゃん」とか言ってた馬鹿は、いちど3時間ぶっ通しで踊って喋ってみてもらいたい。
そういえば文春の「Perfumeファンは彼女たちに刹那的なものを見いだしていて、
彼女たち自身もそれ(数年後はいなくなってる、少なくともあのキャラでは)を
わかってて、その刹那さがいい」という評論はちょっとなるほどと思った。
(ただ、それをお茶の間の一般大衆にもわかるようなものでくくってしまえば、
一気に知名度上がるなぁと思った)
さっき言った「卑屈を通り越して批評的」ってやつ。ただそれがお茶の間に届くか、というと疑問だ。それは非常にアイドルとか芸能になれた人のだけが楽しめる見方だから。卑屈&暴走キャラを「低姿勢で親しみやすい天然キャラ」としていくのが良いのかも。わからん。お茶の間に受け容れられるのか、お茶の間に受け容れられる必要があるのか。
あとポイントで上げてた「テクノポップで懐かしい」「アキバ系」ってのが実感として違うような気がするんだけど、やっぱり一般的な認識としてはそうなのかなぁ。だって音的にはテクノポップでもテクノでもなくてど真ん中ハウスだし、「アキバ系」も本人たちはバリ広島弁でオタクでもなんでもない田舎のハイティーンだし、DJモモ〜イとの一件が黒歴史になってることからわかるように事務所も望んでないような気がするし。でもなんかそういうイメージはある気がする。
最後に絶望的な話をひとつ。
正月に、とある地方都市(20万人くらい)の親戚の家に行きました。
20代のいとこ3人と「いま何がおすすめ?」という話題になったので、
「もちろん Perfume に決まってんじゃん!」とツッコミ待ちの半笑いで答えたら
本気で「誰それ?」と言われました。そんなもんです。盛り上がってるのは一部です。