2008-05-20

心の狭さに対する心の狭さ

とある人が「こういう人のこういうところが嫌だ」とネットで公言すると、まあ発言の内容にもよるが。

「心が狭い」「小さい人間」「器が小さい」という、それを許せない人間が屑という流れになることもある。

まあ、誰が嫌いなんて言葉は他人に聞かせることでもないし、他人の悪意なんて気色の悪い物。

でも、それを心が狭いとか人間として小さいと言うのも他者の悪意として感じてしまう。

まあ、そうやって心が狭いなどと言うのは、自分がしていることだからこそ、認められるべきだろうと言う意図で相手を陥れているのかも知れない。

ただしかし人間だもの

誰かに聞かせるのは宜しくないが、何かを嫌だと思うことぐらいは自由なんじゃないのか。

心が狭いとかいってもなあ、思想統制じゃないんだから、心が広がる物でもないし。

かつて女子東大生がインドで食べかけのドリアンを施そうとして拒否されて乞食のくせにと宣ったんだったけか。

口に出したらだめだよな。

思うに留めとけばよかったのに。

患者の前では笑顔医者だって心の底では、ドロドロの黒ヘドロの塊のような悪意を抱えているかも知れない。

でも、そう言うこともあるだろうし、あっていいし、周りの人間も、まあ少しは覚悟しておけ。

行動には起こしちゃいけないけど、思う分には自由だ。

思う分には自由だけど、行動にはするもんじゃあない。

思ってることまで下品だ狭量だと変えるのも宜しくない。

そう言えば、実際に児童に性被害を与えているわけでもないのに、思想すらも弾圧しようとする、児童ポルノ法改正に対する運動が盛んになっている事実も多少気になるところだが。

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