はてなキーワード: ドリアンとは
・キャラクターの特徴して主役級のキャラはほとんどが男で女性のキャラは脇役が多い。
(例えば性格で言えば、男キャラは優しいキャラから〜やんちゃガサツ、知的なキャラ、不細工なキャラまで色々ある)
→ロールパンナとかおくらちゃんとかドクダミふじんとかバリエーション多いじゃん
・また男キャラはおっさんキャラやジジイのキャラもいるが女性キャラは魔女以外は若いキャラがほとんどだった(※エイジズム丸出しw)
→ドリアンおうじょとかちゅらおばあとかてんどんさあさんとかいるじゃん
・あと母親と息子の関係性は結構出てくるが、なぜか母親と娘の関係性はあまり出てこない。(記載するまでもないが、子供の面倒を見ている父親キャラはほとんど登場しない)
→まあそれはね。時代性はあるでしょ。
・たまに思い出したかのように、マイノリティっぽい設定のキャラが出てくるけど、たいてい単話のみの登場でレギュラーキャラとして登場せず、設定ポルノやノルマとして消費されるだけの存在でしかなかった
お前はアンパンマン大図鑑買って俺みたいに1000話以上見てから物を言え!
ていうか釣られたわ!
ドリアンもイケそうですっと…
どういうことかというと、走って障害物を乗り越える感じがジャズと似てる。やったことないけど。
(どうでもいいがパルクールは能動的でジャズは受動的な記述になってる。多分まだ初心者だから、コードが向こうから流れてくるという感覚を覚えるのだろう)
つまりパフォーミング競技の楽しさはジャズに通ずるところがある、と思う。
ジャズギターを初めて、まぁリックとか、コピーとか、アヴェイラブルノートスケールとか、IIm7はドリアンで〜とか、よくある感じでやってたんだけど、全然おもしろくなかった。
楽しくなってきたのは、コードを処理する感覚、コードとコードをうまくつなげたり転調に対応したりする感覚が掴めるようになってきてからだ。
コードとコードを滑らかに繋ぐためには、現在のコードと次のコードの両方を認識できていなければならない。
(納浩一氏は「ベーシストは2拍目で既に次の小節に進んでる」みたいなことを言っていて、気づきのきっかけになった)
コードのトライアドをひたすら色んなポジションで弾くという練習をやってたらいつの間にかこの感覚が掴めるようになってた。
で、コードのトライアドを弾くために、まずルート(指板の音名を覚える)、次に五度、次に三度とスモールステップで指板を認識できるようにしていった。
(ちなみにこの過程で、ポジションプレイ、5フレット以内でルートと5度を弾いてたらCAGEDが出てきて感動した、そしてCAGEDが繋がっている感覚も掴めた)
で、ここまできて冒頭の練習が自分の中で意味をもつようになってきた。
自分は無軌道にスケールを垂れ流すのはつまらんかったし、コードが変わる瞬間に頑張ってスケールを切り替えるのは全然違ってた。そしてつまらんかった。
と、こんな感じでようやく楽しくなってきたけど、ここがスタートラインなんだと思う。
随分、激辛が肯定的に捉えられているように思う。チャレンジ対象にされる時点で。
だって激すっぱ料理激しょっぱ料理激苦料理なんてものはあえてそれを銘打って出してる料理店なんておそらく皆無でしょ(これも流石に観測範囲問題だとでも?)。
なぜそうなのかというとこれらの苦痛な味覚を催す料理はただの味付け失敗と捉えられているからだと思う。
激辛も苦痛な味覚、痛覚であるはずなのに味付け失敗と見做されないのは不思議なことだ。
実際正統な料理では勝負できない人の隠れ蓑として激辛は利用されているのだろうから皮肉だ。
もちろん北極ラーメンを企画した蒙古タンメンのように激辛じゃないメニューの味も十二分な店もあるけどさ。
ちなみに激臭料理なんてのもブームとしては未だないのも気になる。
時々くさやドリアン(料理というか素材)が話題にのぼったり、シュールストレミングがユーチューバーのネタとしてブームになってるというのはあるが、それは激臭料理ブームというよりシュールストレミングブームであって、新たな激臭料理が作られて挑戦されるというサイクルの形でのブームというのは未だ無いことに変わりは無い