はてなキーワード: 出生前診断とは
そもそも出生前診断への批判をしたって何の問題もないのは分かってるよね?おかしいことが前提のように話してるけど
出生前診断するかどうかを選択できるのは子供を作った夫婦であって、それは出産や子育てをするのが当人たちだから今は出産する側の権利が優先されてるってだけに過ぎないよね
例えば全く責任を負ってない出生前診断を行う医療機関や国に対して障害者団体が意見を言うのは何の支障もないし、当然の権利なんですよ
当事者団体の言うことが金科玉条なのか!って、松尾スズキとかいうアホやお前みたいなアホの信者のカスよりはよほど優先されるべきなのは当たり前でしょう
それを権利関係が複雑な問題を出して反論に使えるな!と判断する辺り本当に頭が悪いんだろうね
まぁ「対象を選ばず全員を笑い物にする」のが正しくて素敵って思ってるアホに何言っても無駄だろうけど
他人を笑い物にするのがまずおかしいし、全員に同じ扱いをすること自体公平からは程遠い行いだって少し考えれば分かる話だからね
手放せば?
増田みたいなゴミカスクズは最初から子ども作らないのが一番だけどそれは優生思想になるから
○ 育てられない子供を引き取るNPO法人が感じている「ある変化」
この特別養子縁組に出される赤ん坊に占めるダウン症の子の率が年々増えてきているという。Babyぽけっとの代表・岡田卓子は言う。
「当団体を立ち上げた当初は、今ほど障害児の割合は高くありませんでした。けど、特別養子縁組を行う団体の認知が広がったことで少しずつ増えてくるようになり、最近では出生前診断で異常がわかったあとでうちに問い合わせをしてきて、『産んでも育てられないので、そっちで引き取ってくれないか』なんて言ってくる人も出てきました。赤ちゃんの顔を見る前から特別養子に出そうとするのです」
「夫婦がダウン症の子の育児を負担だと思うのは自由です。でも、何カ月か育ててみてダメだという結論に至って特別養子に出そうというのならわかるんですが……出生前診断の結果だけで判断したり、保育器越しに何回か見ただけで育てられないというのはちょっとちがう気がする。出産直後に目に見える障害だけで判断しないでほしいというのが本音です」
障害は、生まれてすぐに判明するケースだけにかぎらない。知的障害にせよ、発達障害にせよ、二歳くらいになってようやくわかることも珍しくない。
また、五歳、六歳になって先天的な病気が見つかったり、難病になったりすることだってある。
多くの夫婦は、障害や病気が後からわかっても子供をかわいがるし、育てていこうとする。こうしたことを考えれば、なぜ出生前診断の結果だけで簡単に手放してしまうのかと岡田が感じるのも当然だろう。
○裁判で認められなかった例
その夫婦はそれなりの仕事についていて高給をもらっていて、一軒家を構えて暮らしていた。長男が一人おり、その下に生まれてきた長女がダウン症だった。
母親はダウン症の長女を授かったことに動揺を隠せなかった。幼い頃にきょうだいが事故に遭って障害を抱え、苦労した体験があったのだ。この子を引き取れば、家庭が崩壊してしまう……とまで思ったという。
母親は夫を説得してから、Babyぽけっとに連絡をした。そしてこう頼んだ。
「長女がダウン症なんです。とても育てられないので特別養子に出したいと思うので、お願いいたします」
岡田は親が育てないと言っている以上やむをえないと判断し、その子を引き取って不妊症の夫婦に託した。その後、家庭裁判所に申し立てをしたが、調査官が実親のもとを訪れて調査をした。家が経済的に豊かであり、長男を育てていること。それに長男が「妹に会いたい」と言っていることなどを突き止めた。そして、特別養子を認めるまでの理由にはならなず、実親が責任をもって育てるべきではないかと指摘された。
いや、そういう話(俺がそう思えるかどうかという話)ではないだろう。そうではなくて、日本の社会(主に法律)ではそう扱われるかという話だろ。
で、現実問題として、今の日本では法律的には「胎児は命じゃないから殺人じゃない」という扱いになっている。
なお、これは、胎児がダウン症かどうかとは関係ない。胎児がダウン症だろうがなかろうが、この点に関しては同じ扱い。
ついでに付け加えると、日本ではダウン症などの先天的障害の無い胎児に対しても毎年何十万件かの人工妊娠中絶が行われている。これは出生前診断が一般化する以前からそうだった。(というか、むしろ以前の方が多かった)
出生前診断はそこまで正確じゃない
私は「たのしみだね。」と妻に言いながらも、素直に喜べない感情が心の隅っこに引っかかっていた。
街で見かけた障害のある子供と手を繋ぐお母さんの姿に自分の妻を重ねて、自分の人生の大半が子供の介護になってしまう事が不安だった。今まで頑張ってきた仕事が無駄になることがイヤだった。今までしてきた徹夜の日々が無駄だと思いたくなかった。
障害児が生まれる確率を調べ、出生前診断をし、結果について夫婦で話し合いもした。
「子供の健康意外、他に何もいらない」心から強く強くそう思った。
妻は二重だが私は一重なので、子供には二重になって欲しくなった。
さらに、子供が少し歩き始めるくらいになると才能が心配になった。
運動神経が良くなってほしいとか、アートの感性を身につけて欲しいとか。
その時に気がついた。自分はなんて愚かなんだと。
あの時のあの思いはどこにいったのかと。
もし神様がいて「あなたの子供、障害もって生まれてくるけどどうする?」
みたいな会話があって、私が
「すみません、それだけはやめてください。他には何もいらないんで。」
もうやめよう、何も望まないようにしよう。
よく母や祖母が言っていた「健康が一番大事!」という言葉が胸に刺さる。