はてなキーワード: アングラ用語とは
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
なんかもう、普通に「自炊」って言葉使われ始めてるよね。iPadの登場でにわかに顕著になった印象もあるけど。
そこに俺は大いに違和感を覚えるわけだ。
一応断っておくと、俺自身は「自炊」行為自体の是非そのものについてあれこれ言う気は無いし、書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶべきではないと他人に指図する気は無い。
なので、以下はあくまでも「トリビア」的なものだと思って欲しい。その上で、書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶかどうかは各自の判断に任せる。ただ俺は(少なくとも当分は)使わず、代わりに「スキャン」などと呼ぶだろう。
「自炊」が「自吸い」に由来する事は、その言葉を使っている人なら知っていると思う。しかし、紙媒体をスキャン、画像化する行為と「吸う」という行為は今ひとつ馴染まないと思う人も多いんじゃないだろうか。
その疑問は当然である。そもそもこの言葉は、紙媒体の電子化とは殆ど無関係な分野のアングラ用語だったのだから。
では本来の分野は一体何だったのか。ずばり、アーケードゲームである。
二十代後半よりも上の世代であれば、「MAME」と呼ばれるアーケードゲームエミュレータプログラムと、それで動作するアーケードゲームのROMデータ、及びそれらをやりとりするアングラコミュニティの存在は、聞いた事くらいはあるはず。
このROMデータを特殊な機械で基盤からPCへ吸い出す行為こそが「吸う」の原点と言える。イメージ的にはマジコンに近い。
なので本来の意味での「自炊」とは、アーケードゲームの基盤およびそれらを吸い出す機材、吸い出すノウハウを全て揃えた人のみが可能な行為で、およそ一般人が手軽に出来る事ではなかったのだ。
その後、家庭用ゲーム機などもその対象となり、ROMカセットからCD-ROM、DVD-ROMなどへと媒体が変化していった事や、それと同時期のブロードバンドの普及に合わせるかのように登場したP2Pファイル共有ソフトによって、ゲームのROMデータの共有と拡散は急激に進み、やがてはそれ以外の分野のコンテンツの電子化(ここではPC上で扱える状態にする事)にまで「自炊」という名前が付くようになっていった。
つまり、音楽CDをMP3化したり、アプリケーションCD-ROM、DVD-ROM、DVD映像ソフトをISOイメージファイル化、もしくは動画ファイル化する行為なども、一時期は十把一絡げに「自炊」と呼ばれていたわけだ。おそらく今でもそう呼んでる人はそれなりにいると思う。ディスク媒体のファイル化の方が、より「吸う」行為にイメージ的に近いだろうしね。
それを踏まえた上で、書籍のスキャン「だけ」を「自炊」と呼ぶ事に違和感を覚える人がそれなりにいるという事を、最近「自炊」という言葉を使い始めた人達には出来れば理解して欲しい。10年以上ネットで遊んでる俺みたいな人間には「自炊」なんてのは「マジコン」とか「ダウソ」とか「割れ厨」とか「ピーコ」とか「ぶっこ抜き」とかと同じレベルの言葉なわけ。
なんか由来が違うという物言いがついてるけど、モバイル板でそんな呼称が定着していたなんて話は聞いたことがないし、それがエミュ用語と全く無関係に発祥したという話も聞いたことがない。
まず、2002年時点でゲームのROMデータを吸い出す事を「自炊」と呼ぶ事が既に定着していた点は、2chの以下の書き込みからも分かる。●持ちにしか見えないけど、とりあえず再度転載。
エミュレーターどんなことでもどうぞ(12)
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1030352903/898
エミュレーターどんなことでもどうぞ(10)
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1028990206/281
コメント: MAME for OSASK - スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=124343&threshold=0&commentsort=4&mode=flat
Re:中古PC再利用の推進力として (スコア:2, 参考になる)
krackmania (7864) : 2003年10月04日 23時26分 (#408801) 日記
http://www.starroms.com/
ゲフンゲフンでないロムもあるぜよ。
http://games.slashdot.org/article.pl?sid=03/10/01/2210251&mode=thread&tid=127&tid=186&tid=202
次に、ほぼ同時期には書籍(漫画)のスキャンを「自炊」と呼ぶ事が既に定着していた傍証を挙げてみる。
上記の3、4ヶ月後だ。
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1038755208/
1 名前:ナナシサソ[] 投稿日:02/12/02(月) 00:06 ID:8+2otKOI
このスレはコミックや雑誌等のスキャン方法や画像加工技術を語り合うスレです
例)モアレが酷いんだけどなにか良い方法ない?
例)スキャナの機種なに?
なお「~くれ、」 「~の続きまだ?」とかは
↓のスレをご利用ください
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1038626487/l50
このスレッドは今現在もほぼ同じ名称でPart35まで続いており、「自炊」という名称に異論を差し挟む者が殆どいない事を補強してくれる。
で、2002年後半と言うと、WindowsXP発売からおよそ1年後という時期である。この頃発売されたZAURUSとなると、SL-5500あたりか。
画面解像度はこの程度の大きさである(画像はSL-5500の実機画面画像)で、全画面表示でもQVGA(320x240)程度だ。書籍を閲覧するには小さすぎる気がするのだが、これに表示させるためのスキャン行為が「炊く方の自炊」として、エミュ関連の「吸う方の自炊」とは一切無関係な所で発祥したのだろうか。
ともあれ、反論者の根拠の提示を待ちたい。