はてなキーワード: アイヌとは
ゴールデンカムイが全話無料だったので読んだけど、めちゃくちゃ面白いと同時に読んでて「狂気を計算で演じててネットの評価をハックするのに最適化されてる〜!」と感じた漫画でもあった(実際には一般人気もあることは前提として、あくまで作風の話)
「一見トンチキだけど実は真面目に読んでも面白いんです!」みたいな、「不良がたまに犬助けるとめっちゃ褒められる」理論を本来優等生をやれるスペックのある奴が再現して人気を最大化しようとする手付きを感じた
例えば作中屈指の異常者である宇佐美の異常性は主に「例え親友であっても腹が立ったら躊躇なく殺す殺人への抵抗感の無さ」と「精子探偵や門倉のケツを叩きたがる性的倒錯」の2つがあるんだけど、前者は鶴見の殺人理論の確立や尾形との対比の説明として重要なのに対して後者は作劇上必然性が全く無いんだよね
「作劇的な意図に関係なく作者の狂気が勝手に漏れ出てきたのでは?」という可能性もなくはないけど、少なくとも描写的にはウケ狙いに見えるというか作者が射精する男性にフェチを感じている可能性は低い
でも「アイヌの金塊を巡る真面目に面白い群像劇」みたいな紹介より「アイヌの金塊を巡る、精子の飛ばし合いで犯罪者と戦う奴が出てくるけど真面目に面白い群像劇」の方が注目を集めるのみならず真面目な部分の面白さも引き立つわけだ
このやり方って特にインターネット受けを重視する上ではめちゃくちゃ効果的で、ギャップによる魅力の上昇を狙えるだけじゃなくて「自分この作品好きじゃないわ」みたいな評価に対しても「まあ精子飛ばすような作品だし人選ぶよなw」で作品の本質的な欠点から批判をそらしてダメージ軽減することも出来るのよ
インターネットや評論家に受けやすいのは本質的な欠点が目立たない漫画なんだけど、「本質的な欠点が少ない漫画を愚直に作る」という選択肢の他に「表面的な『人を選ぶ要素』を散りばめてそっちに批判を誘導+真面目な面白さのギャップのためのトリガーとしても利用する」というクレバーな別解もある(そしてゴールデンカムイはかなりの精度で後者を成功させている)
だから作者は相当真面目で読者とネットの評価に目配せしまくってんな〜って印象だったんだが破天荒な作家扱いされてるのが結構不思議だった
別の漫画だとハイパーインフレーションもそういうハックをするタイプの作品に見えたし(そしてこちらも癪なことに面白い)、こういうあえて突っ込みどころを作ってギャップで評価の最大化+批判の誘導を狙う作風は今後一つのジャンルになるかも知れないな
ペナンペはいつも、僕と結婚してくれる女の子がいたらいいなあ、と思っていた。
そんな彼の様子を見ていた男友達のパナンペは、ある時ちょっとからかってやろうと思って、
そして、ペナンペが仕事をしている留守に家に入って、掃除、洗濯なんでもこなし、美味しいお料理を作って待っていた。
ペナンペは感激して、美少女と食事をし、彼女を布団に連れ込んだ。
すると美少女は笑って、手を叩きながら家の外に飛び出し、男の正体を現した。
しばらくしたある日、パナンペが家に帰ると誰もいないはずの自分のうちから煙が出ている。
そっと窓からのぞくと、美少女に化けたペナンペが掃除を済ませ、食事の支度をして、自分を待っている。
パナンペは内心で笑いながら、気付かぬ振りでペナンペと食事をした。
そしてペナンペを布団に連れ込むと、やはりペナンペは笑いながら逃げ出した。
が、その時ペナンペよりも強力な術者であるパナンペが、ペナンペに術をかけた。
すると、ペナンペは身も心も女となって、へたへたと居間の床に座り込んだ。
ペナンペは本物の美少女として、パナンペの妻になり、夫婦として末永く暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
例えば
「黒人の犯罪率が高いのは単なる事実なので、黒人を警戒するのは善良な市民の権利。私はマイケル・ジャクソンやマイケル・ジョーダンのファンなのに、黒人差別者なわけがないだろう」
などだ。
ここではわかりやすく黒人を挙げたので「そうだそうだ」と思う人もおるだろうが、おそらく貴方もまた同じような論法で何かを差別している。
ジャップオスとか、アップデートされてない田舎の高齢者とか、キモオタとか、AV女優とか、日本人とか。
杉田水脈だって「アイヌを自称していつまでも公金チューチューしようとしているコスプレおばさんを批判しただけ。普通のアイヌのことはなんとも思っていないので差別ではない」と本気で思っているだろう。
アイヌが北海道・樺太・千島・東北北部などに住んでいたというのは、
そのあたりに拠点が散らばっていただけで領土だったわけじゃない。
「私こそはアイヌの代表であるからアイヌと交易がしたいなら私と交渉しろ」
という人物がいたらそいつが「アイヌの王」だと見なされていただろうし、
「北海道はアイヌの土地であるから松前藩などは侵略とみなし武力で排除する」
ということになったら「アイヌは領域国家である」と見なされていただろうが、
現実にはそんなことはなかった。
近代国家よりは当然後世の研究者が国家と認めるうえでの要件が緩いはずなんだが。
・すくなからず大和朝廷や武家政権から対外的に独立してる時期はあった。
・一定の土地に一定の民族意識を持った人々が世代交代を繰り返していた(ある意味で領土人民が存在してる)
琉球王国は我々は琉球王国だと名乗ってる文献でもあったんだろうけど、別に現代のイスラミックステートがそうであるように名乗ってることは国家の要件じゃないからねえ。
自称がないのならば教科書等でどうアイヌ人の国家を指し示すかというのは議論の余地があるが、国家があったかどうかはまた別の問題なんよね。
指導者がいないから国家じゃないってところだろうか?でも直接民主主義ならそういうの不要だしなあ。
各々が家族規模で狩り等やっててその隣接する集団間で多少なりとも民族意識的な紐帯が存在してたなら国家ジャネーノと思う。
それならその紐帯を介して最小単位を親族関係等として可変的に集団の規模を変えることがありえる。地理的に隣接する集団、その集団にさらに隣接する集団と一時的な編成が繰り返されれば、一時的だとしても最大でアイヌの民族意識を持った人間全員の集団が成立しうる。イオマンテとかもそれなりに大規模な地縁で行われたんじゃないのか。災害等もっと重大な事態に際してはアイヌ人全体が連帯しえたのではないか。それは国家ではないのか。
dorawiiより
日本ハム、球団広告を撤去 「開拓者の大地」にアイヌ協会の指摘受け
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1511/09/news097.html
アイヌとか知らんがな
お前がどんな政治思想を持ってるか知らんが沖縄出身でも沖縄の住民でもないのに沖縄や琉球を政治抗争の道具にすんなよ