はてなキーワード: 神様とは
キリスト教圏ホラーでセックスしたら死ぬのは宗教観の関係らしいけど、キリスト教の神様は人間に産めよ増やせよ地に満ちよ言ってるのに何でセックスが悪なんや。
ホラー視聴者が非リア陰キャだからってのはあるかもだけど、日本のホラーは呪われた家に住んでしまったとか、リア充無関係に遅い来るやん。
あえて日本ホラーの傾向を言うなら被害者女が多めかなぁくらいで。
そういやドラキュラくらいの時代は、洋物ホラーもパリピとか関係なく、被害者女が多かったなぁ。
何かしらの時代の流れで、何処からか知らないけどリア充が被害に合うようになったんだろうか。
そう言えば最近は日本ホラーもユーチューバーが被害に合う率がとても上がってる、彼等は無意味にホラースポットに近づいてくれるから使い勝手がいいのもあろうが、日本ホラーもやがては被害者ほぼパリピになるんだろうか。
心配事が重なると、ゲームをやるより何か読む方が捗るらしい。ここ数年で一番本を読んでいる気がする。
短編連作集。主人公の「私」は亡き姉の夫である義兄と三年ばかり一つ屋根の下で同居している。とはいえ住まいは二世帯住宅のようなものなので、「私」と義兄にはそんなにまめな交流があるわけではない。
義兄は育ちのよいイケメンだが、他人の人間関係について古臭くてチープなドラマみたいなゲスの勘繰りをするのが好きという、変人な一面がある。そんな義兄を「私」は密かに好いているのだった。
「私」はというと、亡父の縁故で就職した大企業で、表向きには倉庫番のようないかにも縁故入社にお誂え向きなポジションにいる。が、裏では会社の重役達のおおっぴらには出来ないような類いの雑用を一手に引き受けている。たとえるなら映画『プラダを着た悪魔』の主人公みたいな感じ。
『レモンタルト』は、そんな「私」が日々の仕事に追われながら、たまに義兄にときめいたり助けられたりする物語。ちなみにエロはない。
私の中の長野まゆみブームは一体いつ終わるのか。まあ終わらなくても別にいいけれども。長野作品の中でも青年同士のBLの作品はだいたいそうだと思うのだが、主人公の好きな相手のいい男ぶり描写が、とても細かい。そんな描写で特に気に入ったのは、普段は冷たそうに見えるイケメンの義兄だが、眼鏡をかけると途端に人のよさが前面に出て、頼もしいお父さんみたいになる、というもの。それなんてファザコン殺し。
基本的にちょっと変わった日常系なのだが、ほのぼのって感じではないかも。入れ子状になった謎やスリルの場面が面白かった。嘘に嘘を重ねて華麗に「私」の足もとを掬うエイプリルフールとか、現代の常識では完全アウトなセクハラ面接の場面はすごいなと思う。『左近の桜』シリーズの何度目覚めても脱せられない悪夢(しかも、本当に目覚めた時は身ぐるみ剥がされた状態で叢に放置されていがち)に通ずるものがある。
「私」を陥れる罠はいつも巧妙なのに、「私」が義兄に思いがけずお近づきになれる展開になるところは、なぜか(あ、BLだからか。)乱暴なまでに強引なとこが笑えるw
星とか生き物とか科学が大好きな喬織人(たかい しきと)は、恵まれた家庭に生まれ育った、優等生。好きな言葉は「穏便」の彼は、学校では目立たないように気を付けている。
そんな喬とは真逆の陽キャ・西央凛々斗(にしお りりと)。喬はひっそりと西央に思いを寄せるのみだったが、ふとしたはずみに彼と接近し、不思議な匂いを嗅ぎとったのだった。
そして体育の授業中、不調を訴えた西央を喬は保健室に連れて行こうとするも、体育館倉庫に連れていって欲しいと西央は懇願する。様子のおかしい西央から発せられる匂いの奔流に呑まれた喬は、わけもわからぬまま西央とまぐわってしまい……。これは人類初のαとΩの誕生から七日間の物語(前編)
レーベルがビーボーイコミックスデラックスで、しかもBL情報サイトで腐女子のお姐様がたが素晴らしいと絶賛している辺りでもうだいぶ怪しいのだが、ページをめくってみればやっぱり……盛り沢山すぎるエロシーン。うえっぷ、お腹一杯です、もう勘弁してください……って感じだが、敢えて「オメガバース」作品を手にとったらこうなるのは当たり前だと思って諦めるしかないw
胸焼けするほどのエロはおいといて、ストーリー全体に生命の不思議に触れる喜びが満ちていて、けっこう好きだと思った。人類初のαとなってしまった喬が、戸惑いながらも自分や西央の身に起きたことを知ろうとし、西央の内面に触れ理解し助けようと奮闘するさまがいじらしい。
お小遣い運用の都合で下巻はまだ買えていないのだけど、これはエロ過ぎること以外は名作だと思う、たぶん。
【追記】
私が固定増田なら、出ていけとかTwitterでやれとかいう増田もいつもくっついて来るから固定増田なんだよなぁ。
私は毎回定時に投稿してる訳でもないのに、毎度よう見つけるよなって思う。
夫の浮気とか度重なる借金や浪費からくる根本的な信頼のできなさに二年ほど耐え続け、つい三日ほど前に離婚を決意したわけなんだけど、実の親に反対される。
私としてはもう十分に我慢してきて限界にきたわけで、色んなリスクも承知した上での決断だったつもり。
でも、そもそもこの結婚がデキ婚だったわけで、そんな悪い判断を下した私の、今回離婚の決断は正しいの?と否定的なわけ。
私は失意のなかなんとか自分の人生を立て直そうとやっと前向きになったところだったのだけど、娘のデキ婚で不名誉をこうむった親に対して申し訳ない気持ちはもちろんあるし、「あんたの味方だよ」と言ってくれる親が私の判断能力を疑問視してくるとあれば、やっぱり私の努力や我慢が足りなかったのかな、だとしたらどこまで頑張ればいいんだろう、とまた全てがふりだしに戻ってしまう。
親は宗教者で(カルトとかではない)、自分たちの考えは未信者である私の考えよりも神のお考えに近い、と考えてる部分がある。幼少期からその洗脳をされている私は、やっぱり結局は親が正しいのかな…と自分を信じきれない。ひとたび失敗したら、やっぱり親が正しかったんじゃ…と自己肯定すらできない。こんなことを書いてなんとか自分を肯定しようとがむしゃらになってるんだけど、もう頭の中はぐちゃぐちゃ…離婚したらまた親が言うとおり悪いことが起きるのかな…親の言うとおり神様を信じない私が悪いのかな…
アラサーにもなって、子供もいて、なんでもっと自己を確立できないんだろう。自己を確立しようとして結婚したけどやっぱだめだったしさ。失敗体験が増えただけだった。