はてなキーワード: 火星人とは
未読の方向けにストーリーを簡単に説明すると、いじめや虐待などの被害にあっている少女の元に、「ドラえもん」的なひみつ道具を持つ謎の宇宙人「タコピー」がやってきて、少女の境遇を変えようと奮闘する──というもの。
ただしこの作品、ひとつだけ欠点があります。それは作中で描写される「宇宙人」の描写に全くリアリティがないことです。
なんというか、「そこそこ」はリアルなんですよ。ネットニュース等で報じられる宇宙人目撃情報のキーワードはしっかり勉強しているというか。
しかし全体的な整合性が致命的に欠けており、ある程度実情に詳しい人が読めば首を傾げたくなるシーンが3ページに1回くらいの頻度で出てきます。これを「タコピー鬼つええ!」と評していた方がいましたが、秀逸な表現だと思います。なまじっかリアリティを重視した結果、かえって違和感が膨らんでしまっている。
"よねんせい"という種類の"にんげん"しずかちゃんと遭遇し運命が大きく変わってしまった不遇なる宇宙人ことタコピー。本作の主人公であり、最も悲惨な境遇にあるハッピー星人です。
…などなど。タコピーは第四話のラストで"にんげん"をハッピーするわけですが、まぁそうなっても仕方ないよねと思わせるようなラインナップです。
ただ、残念ながら「ありがち」な要素を詰め込んだ結果として、全体の整合性が全く取れなくなっちゃってるんですよね。ハッピー星は(遠い星系にあるハッピー星までひとっ飛びの)ハッピー船の描写もありますから、決して技術水準が低いとは思われません。"にんげん"ごときが捕獲するのは不可能でしょう。作中にはハッピーカメラもあり、危害など加えようものなら即座にハッピーされそうです。
さらにスペースシャトルが大気圏突入するときの底面部分の温度は1000℃程度ですが、機首先端部の最高温度は1600℃以上にはなると言われています。まりなちゃんの平手打ちにすら痛みと恐怖を感じるのにタコピーが生身で大気圏突入するのはかなり不自然な描写と言わざるを得ません。(三枚とは言え)大気圏内まで降りてこないハッピー船に翼がついているのも違和感しかない。
宇宙人描写もかなり不自然で、タコピーは全身足だらけ、目が点にタコ口で丸くてコロコロ…という悲惨なビジュアルなのですが、今どきこんな「わかりやすい」宇宙人描写ってあり得ないんですよね。
宇宙人の怖さ・悲惨さというのは技術から隔絶された未開星が秘密裏に支配され続けることにあるわけで、星系間航行が可能な技術レベルともなればこんな「わかりやすい」形で現れる宇宙人は存在しません。
なんというか、タコピーの苦境のほとんどは「わかりやすい」宇宙人や未来技術やタコ型火星人の記号のパッチワークで作られているんですよね。その結果それぞれの要素が他の要素と相互矛盾を起こし、ほとんどあり得ない境遇が生まれてしまっています。
以下は購読者に向けた余談として、筆者が「この宇宙人描写はすごいな」と圧倒的リアリティを感じたいくつかの作品のお話をさせて頂こうと思います。
正直増田だとかネット上に何かしら書き込んだときの「お前がブスだからだろ?」「ブスなんだろうなあ」コメントがあまりにも無駄すぎてウザい。
まあ図星なことを言われるよりは傷つかないんだけど、図星な指摘の方がある意味勉強になっていいなとも思うんだよね。なんかに悩んでたりなんかが起きたりしたことを書き込んで、「そうなった原因はお前がブスなことにあるんだろ?」って言われたときの気持ちの無味乾燥さはヤバい。「どうせお前火星人なんだろ?」って言われてるくらい的外れ。
しかもなんか相手は「お前の現実を俺が暴いてやる」ってちょっとドヤってるのが字面から分かるじゃん。それが嫌だ。なんでてめえが見下ろす側だと思ってんの?
いや、書いてる途中で気づいたんだけどコメント主自身の容姿の醜さが人生におけるさまざまな出来事の敗因だったからこそ彼らは何かとブスブス言うのかな。その感覚が自分になかったから気づかなかった。つまりブスって言うやつはブスって小学生のセリフはある意味真理なのか。なんか入力しながら一人で納得しちゃった意味分からんよねごめん
あのね、論理ってのは現実にあてはめなくても成り立つからこそ論理なの
A君のりんご100個とB君のりんご100個を合わせたらいくつか?は頭の中だけで答を出せるんだから「A君が本当にりんごを100個持ってるかどうかはどうやって確かめるんですか?」とか考えなくていいの
で、自己言及っていう言葉だけで通じないのは単に君に学がないだけなんだけど、もうちょっと説明すると
「クレタ人が『すべてのクレタ人は嘘つきである』と主張したら、その「嘘つきである」という主張を言った人も嘘つきであることになっちゃってわけわからなくなる」
「でもクレタ人じゃない人が『すべてのクレタ人は嘘つきである』と主張するぶんには他人事なので矛盾しない」
っていうのが自己言及の例
(念のためだが論理の話なので、現実のクレタ人がどうであるかは全く関係ない。日本人でも火星人でもなんでもかまわない)
元増田が言ってることを要約すれば「(すべての)A(男)はxである。なお私はxではない」になるけれど
このとき元増田が非A(女)であるならば、元増田は非Aについては何も語っていないので、論理的には矛盾はない
(念のためだが元増田が本当に女かどうかはどうでもいいし、本当にすべての男がxかどうかも今は気にする必要はない。単に仮説として問題ないという話)
ところが元増田がA(男)だとすると、そのまま適用したら「Aはxである」という命題がいきなり誤りになってしまうから
それを解消するために「なお私はAでありながら非xという例外である」という主張を付け加えなきゃいけなくなって、すると「では例外とは何なのか」という未決定事項が生まれてしまって、もはや単体では命題として成立しなくなってしまうわけ
「例外とは私ただ一人である」くらいにはっきり言うつもりならとりあえず論理的には成立するけど、まさか本気でそんなこと言うつもりもないだろうしね
で、「わかったわかった、要するに君が本当に言いたかったことは『すべての男は』じゃなくて『多くの男は』なんだよね」
「でも多いか少ないかは論理じゃなくて感覚の話になるね。1000人に1人を多いと感じる人もいるし、過半数じゃないと多いとは言えないと感じる人もいるし」
「でも100億人に1人だったら最大で地球に1人しかいないわけだから、さすがにそれは全然多くないよね。つまりソースによっても変わってくるね」
って話になって、ここではじめて論理を離れて現実の話に降りてくるわけ
でもこんな遠回りをしなきゃいけない時点で「そもそも元の疑問の立て方がまずかったよね」ってことになるわけ
わかったかな
昔高校時代にクラスのレクリエーションかなんかで絵クイズをやった。
絵クイズっていうのは一人がお題を引いてそれを黒板に描く、チームの人が何描かれているか当てる。一定数のお題を先に消化したチームが優勝っていうルールだった。
で、みんなからお題が事前に回収されたんだが、自分はちょっと捻ったお題にしたかったので「火星人」と「水上置換法」にした。
火星人は意外と難しいんじゃないかと、水上置換法は化学でやるからみんな知ってるけど絵クイズで出てくると思わないからうけるのでないかという予想で提出した。
で実際それはだいたい予想通りで、クラスの苦手な人が火星人で苦戦しててふふふと思っていた。
水上置換法はそこそこうけていて、クラスでいつも一緒にいたやつが騒いでいたからこっそり自分が出したと教えたら嬉しそうに皆んなに言いふらしていた。
タイトルの絵クイズやりたいに戻るんだが、今また絵クイズやるならどんなお題を出そうかな。
今日仕事中「色即是空」っていう言葉がふと思い浮かび、それと同時にこれは絵クイズでだしたらどうなるんだろうって、ぼーっと思ってた。
ただ色即是空だと言葉の意味が分からないとか言って逃げられるかもしれないから、絶対に意味は分かるけど絵で表現してしかも当てさせるのはそれなりに難しい「火星人」というのは良いお題だったのかもと思う夏の夕方。
以下思いついたお題を書き足していく
某夫人が「私は火星人なので(罹らない)」的なことを言っていたけど夫もそうだった。
夫は年明け早々、感染爆発している都内から近県へ20人という大所帯でバスを借りて温泉に泊まりに行った。
夫からは直前に泊まりに行く報告があり、多少の罪悪感は感じていたのかもしれないが、私にぐちぐち言われるのを最小限に抑えようとする魂胆も感じた。
そして緊急事態宣言が発令される日も決まり、昨日今日と最後の悪あがきと言わんばかりにいつものメンバーで飲みに行った。類は友を呼ぶ。
警告をしている周りの人の言葉は彼らには全く届かない。そして不思議とまわりでは感染者が出ていない。