はてなキーワード: 低学歴とは
こういうのって上位10%や下位10%くらいの企業はあんまり変わってなくて、うちみたいな業界でも準大手くらいのとこが顕著なのかも。
10年前くらいに下がって、最近さらに下がったといえばいいのか。
自分は人事じゃないけど、若い頃は出身の研究室まわってリクルート活動するくらいには修士以上の採用に積極的だった。
そのかいあってか近い世代だと地方国立の理系の修士以上ばかりだった。
それが今年は修士は一人、出身大学も地方国立の理系が2人いるくらいで偏差値も低め。
その一人の修士が名工大で、それでもここ数年では快挙と言われているくらい採用できていない。
高専生を青田刈りする方が良いのでは?みたいなことを思うくらいにキツイ。
系列の大学や高専持ってる企業は先見の明があったよね、最低限の質を担保できる。
更に言うと、そういう新入社員と賃金差が縮まってるのもキツイ。
長年勤めても報われないから新入社員の採用にも苦労してるとまで言うと我田引水が過ぎるかもしれないけど、
私大の学部卒は低学歴に入る感じだ。修士が普通、高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)
頑張って博士号を取って良かったと思う。
(何を言ってるかわからんと思うが)
5年前に結婚。子無し。
増田は35歳、妻は26歳だった。
増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立。大学と院は奨学金で行った。
結婚するまで自分は普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収や資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。
結婚のときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。
妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。
増田の実家は結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援は特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。
妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。
すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。
私大の学部卒は低学歴に入る感じだ。修士が普通、高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)
頑張って博士号を取って良かったと思う。
妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。
妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子に抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。