はてなキーワード: マウンティングとは
MADMAX、君の名は、シン・ゴジラとかに限らず、同じ映画を何度も見て、その回数を自慢してファン度をアピールする奴がいる
そういう人に『興味あるんだけど、どこが面白いの?』とか聞くと、たいがい薄っぺらい感想しか来ない。語彙力も低く、やたらと最高!ヤバい!とか言うし
後日、その映画を見ると1回なのにその薄っぺらい感想以上の思いが自分の中に出てきて、改めてその人は何回、何十回観て何を感じているんだろう?と思う
もちろんネタバレ無しでは伝えにくい部分もあるのかもしれないが、1~2回ならともかく、それ以上の回数を見ているのなら万人受けするショボイ感想じゃなく、その人自身の熱い感想くらい出るだろう。
それこそ「ストーリーも音楽も、演出も糞だけど、××が出ててそこだけは良いから何度も見てる」とかの方が回数重ねている熱意を感じる。
結局、大多数の映画を何回も観る人は、入換性である事から回数=金額で他のファンに対してマウンティング取りたいだけでしょ。本当に好きで、細部まで観まくる人はほんの一握りだろう。
劇場版コナンっつうかコナンを初めてまともに観たんだが、ひたすら説明ゼリフと固有名詞だけがダラダラと続くだけで、キャラクターのちょっとした仕草に作画的な高度なテクニックも見られず、それどころかテレビ放映と変わらないクオリティで、おおよそ「演出」と呼べるようなものも見当たらないもので唖然とした。会話がメインの割に会話劇が頭脳戦やプライドの駆け引きでもなくマウンティング合戦というあたりもオタクじみてて本当気持ち悪い。最後の、あの連絡先を記した紙を渡す手をはたいた後のセリフが最たる例。あんなもん、手はたいて睨んだ顔のアップで終わりでいいのに、全部セリフで言わせる。こんなん映画観る必要すらない。
この「全部セリフで言わせる」みたいな姿勢こそ、ツイッターとかで美大出たんだかなんだかしんねーオタク達がギャーギャー騒ぐ洋画や邦画のクソポスターと全く同じものじゃん。つまり、セリフで説明する方がかえってややこしいことすら、大して上手くもない言い回しと何も面白くもないユーモアでダラダラ説明しようとするところ。こんなんが一位だからクソ広告もなくなんねーよ。クソ広告嫌いならコナンが一位とってる状況込みでdisれよ。わかったツラしてんじゃねーよ。
あとアニメで力入れてるはずのアクションシーンの芝居も下手くそすぎ。最後の爆破シーンはコナンもアムロも一体どこからどこに飛び移ったんだよ。何で銃乱射したんだよ。重力的にとか物理的に無理とかそういう何の芸もないツッコミ以前の問題。どっからどこにたどり着いたかもわからないのに最後生きてるだけでハッピーエンドとかバカじゃねーのか。
誰に向けてるのかもハッキリしてないんだよな。だからクソ広告と本当一緒。「日本」とか「この国」みたいなのが字面として躍ってればいいっていうのもそれもそのままそう。ひたすらコナンに集約されてる。
あぶなくない?
[追記]
[追記]
あとこれも単純な疑問なんだけど、「今日は飲んで帰りたいなあ」って時はどうしてるの?
[追記]
今現在山手線で10分通勤はいいとして、これまでの人生で電車通学とかしたことないのかしら。おれは学生時代の浅草橋~上野簡のJR通学5年でもう電車通勤はしたくなくなったよ
Pokopon 田舎では、公共交通は中高生の通学か高齢者の通院用。生徒証か診療券がないと乗せて貰えんから、しようがないんだよ。追記:あんたも外国のパスポートがなくバスに乗せてもらえず、百万遍まで自転車で通っただろ。
パスポート?バスに乗せてもらえない?ちょっと分からないですね…
どれだけ顔と名前を隠せても本性までは隠しきれないという事実と
匿名だからという安心感からくる警戒心の薄れ、それによる挑発的な自己顕示欲の加速
そこに企業・管理者のやらかしやハッキングという想定外が重なることにより、ネット上のお前の本性は周知される
はてながしっかりとした企業だからどうした?お前の情報が漏れないとでも?
ボートも豪華客船も底が抜ければ沈む 沈む速度と沈む原因への耐性に際があるだけ
いつかお前たちは増田じゃいられなくなる 現実の自分と汚い本性にまみれた言葉を紐付けられた「◯◯在住の△△さん」になる
それでもなお品性を疑うことを書き、差別的なこと述べ、マウンティングをし続けられるなら お前らは命知らずのチキンレーサーだよ
今まで人を嘲笑って生きてきた。
自分が生きてきたコミュニティはリアルでもネットでもそうするのが普通だった。
父も母も親戚もやってTRYが大好きで毎週欠かさず見ているような人種で、学校の先生もクラスメートも出来ない人間を笑い者にしてばかりいた。
気づけばインターネットもそういう社会になっていたし、自分が最初に入った会社の雰囲気もそうだった。
人の揚げ足を取ったりマウンティングをしてニヤニヤ笑いたがるような人間はほとんどいない。
そういう空間で生きていると、今まで事ある毎に他人を許そうとしなかった自分の考え方も変わりつつある。
そして、他人が許せるようになると今度は自分が許せるようになり始めた。
今までずっと付きまとっていた正体不明のなにかに追い立てられているような感覚もいつしか消えかけていた。
だが、今でも時折ちょっとしたことで「ふざけるな」「死ね」と心の中で唱えてしまうし、自分に対しても「生きてる価値ないぞ」「やる気ねーな」と心の中で毒づいてしまう。
あまりにも長い時間、ネガティブな言葉を全方位にぶつけて生きすぎたんだ。
自分を苦しめていたものの正体が、狭量な自分の価値観だと分かった所で、簡単に染み付いた思考の癖は拭えなかった。
きっと自分はツケを払っているんだ。
人をバカにすることに躍起になって生きてきた今までの人生のツケを。
全て払い終われば今度こそ、生きやすい人間になり、他人にとっても付き合いやすい人間になれるのだろうか。
とりあえず私が言いたいのは。
やってTRY!のような番組があるのは人類にとってマイナスの影響を及ぼすリスクが高すぎるので、そろそろ誰かが放送休止に追い込んだほうがいいということだ。