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はてなキーワード: ハードカバーとは

2013-02-17

コミュ力よりも、なければ生きていけないのはリテラシー能力だと思う

つのからか、文章が書けなくなった。

まともな構成の、まともな分量の、まともな文章が、書けなくなった。

苦労して書いた文章は、意味なく長いか意味を生み出せないほど短いかどちらかだった。

構成はないし、公正でもなかった。

同じように、読むこともできなくなった。

筆者が何を云ってるのかよく解らなかった。分かった振りをするので精一杯だった。

これは比喩でもなんでもないし、何も暗示はしていない。

ただ、能力が衰えた、それだけのことだった。

あるいは、然るべき成長をとげなかった、それだけのことだった。

そして、それでも問題がない環境にいたということだった。

いや、本当は問題があったのかもしれないけれど、それに目を瞑っていたのだった。

もっと正直に云えば、怠けていたのだ。書くことを、読むことを。考えることを。生きることを。

でも今私は、ちゃんと生きたいと思う。そう思うようになった。

理由は別に云う必要はないし、たいしたことじゃない。

ただ、そう強く思った。

から考えることを、読むことを、書くことを、もう一度。初めから始めなきゃ。

というわけで、先日から日記を書き出した。

ブログとかそういうんじゃなくて、紙に。

ハードカバーの人文系専門書で、落丁・乱丁本というのかな、全てのページが真っ白なのがあって、

売れないしどうしようもないしあげるよ、ということで以前頂いたそれを日記として使って。

私は四捨五入したら30で、もう若くはないけれど、やはり現代人、キーボードに慣れすぎたのかな。

ペンで文章を書くのは困難だ。漢字がスッとでてこない。腕が疲れる。

字に自我が現れて、自分のものなのに気持ちが悪い。

ペンで書くことに拘りがあるわけじゃない。ただ、辛いほうが頑張ってるような気分になれるからってだけで。

そういうのってどうなの?って自分でも思うんだけれど。まぁ、いいか

とにかく、文章を書くことは難しい。

まるでどこにも辿りつけそうもない。

こんなことして何になるんだという気がする。

でも、だからこそ、意味がある行為のような気もする。

書くとは、読むとは、そういうことなのではないか、と。

執筆とは、読書とは、闘いなのだ、と。

考えること、生きることとはそういうことなのではないかと。

ああ、ならばその辛苦と歓喜を私にも。

とかなんとかいって、別に私は、執筆とは、読書とは、何ぞやなどと云いたいわけではないし、

その苦しみだとか、楽しみだとか、知らないよ、そんなこと。

何で私はこうまでしなきゃまともに読み書きすらできないんだろう、って。

何でみんなそんなにすらすらと文章が書けて、読めるんだろう、って。

ただただそれが不思議なんだ。

2011-11-01

電子出版を巡る出版社立場(続お金編)

http://anond.hatelabo.jp/20111029232710

の続きね。結構気になっている人が多いのだなと思ったので、さらに追加解説を。

最初に書いておくと、Amazonアコギだけど、ユーザーには(短期的に)歓迎される可能性が高い。

それ故に対応を間違えると、日本電子書店太刀打ちできずに壊滅するだろう、

それはAmazon世界最大級の小売りで十分利益を上げているからだ、という話。

出版社に同情的なコメントが少ないなと思ったので、

(あくまでも友人が出版社につとめていてその話を聞いた中から)さらに説明しようと思う。

迷惑かからないようにぼかして書いてあるし、版面権や絶版DRM市ヶ谷方面の話題は煩雑すぎるので割愛している。

一ツ橋出版社の全てみたいな話をするな!とか気になる人も居ると思うけれども、大枠で読んで欲しい。

(それに、これがググらずに判る人は、たぶん説明は不要で十分判ってると思うので)

最初に「経費圧縮による分は、安く出来るはずだ」というところから

取り分は、作者(10%)→出版社(60%)→取次(8%)→書店(22%)→読者

例えば講談社がOnline書店を新たに作ったとして、取り扱いの本が講談社だけなら、取次8%分は削れる。

なぜなら、取次とは「多数の出版社と多数の書店を繋ぐ役割」だから

ここで「多数の出版社と、講談社Onlineを繋ぐ役割」だと、0%ではできない。

利益ゼロにしても経費がかかるから

そして、経費が削れても、利益を上乗せする方向にいっちゃいけないって事はない。

ネットでの課金徴収、データ管理バックアップサーバ管理で、コレぐらいの値付けはしても使ってもらえるだろう」

という見込みがあってやってしまっても悪くはない。

それは「そこは消費者還元しろよ」という感情はわかるけれども、商売としては別。

元々「電子出版なら安くなるはず」と圧力のある状況で売っても、一冊あたりの利益は薄い。

倍売っても紙の出版と儲けが同じなら、敢えてやる意味が無い。

すると、その面倒なところ(他の出版社への声かけ、販売対応サーバ管理等々)を、既存出版の割合でやってくれるなら、ギリギリなくはないかな、

といくつかの出版社は考えてもおかしくない、というのが前回のお話

まずは、お金の流れの一般論として再販制度の仕組みについて触れておこう。

(矢印がお金の流れ、その逆向きが本の流れ)

判り難いので、具体例で列挙すると以下のような感じになる。

ある本を、1000円で1万部出版し、5千部売れたとする。

  1. 出版社が、作者に 1000円x10%x1万部=100万円 支払う。
  2. 取次が、出版社1000円x1万部x70%=700万円 支払う。
  3. 取次が、本屋群に 1万部 を卸す。
  4. 読者群が、すぐに 5千冊 買う。(読者群が、本屋群に 1000円x5千部=500万 支払う)
  5. 本屋群が、取次に 1000円x5千部x78%=390万円 支払う。+5千部返本する。
  6. 取次が、出版社に 5千部 返本する。
  7. 出版社が、取次に 1000円x5千部x70%=350万円 支払う。

出版の70%は作者の10%含み。本屋群の78%は、本屋の取り分の22%を引いたもの

これに月末締めの翌月払い、条件返本相殺締日とかが絡むけども、胃が痛くなるので割愛した。

……ついてきているだろうか?

差し引きで見てみよう。

  • 作者:+100万円
  • 出版:ー100万円+700万円ー350万円 = 250万円
  • 取次:ー700万円+390万円+350万円 = 40万円
  • 本屋:+500万円ー390万円 = 110万円

ほぼノーリスクで作者は100万円を手にするのに対して、本屋は頑張って110万、出版社も250万。

クリエイターに対する印税10%が低すぎると思っている人は、少しだけで良い。お金の流れを追って欲しい。

(ただ、返本率は、実際には4割程度だろう)

また、取次の集金機能にも着目して欲しい。

配本流通集金と、色々やってるのが取り次ぎだ。

さあ、管理煩雑、処理も大変、もはや本が札束に見えてくると言う悲惨な状況下の中、Amazonが提示したのが55%という数字だ。

さて、例のリーク記事のAmazonが提示した契約書とされている部分、実はあの式にはちょっとしたポイントがある。

Amazonは当月中の各本件電子書籍顧客による購入の完了につき、希望小売価格から以下に定める金額を差し引いた正味価格出版社に対して支払うものとする。

推奨フォーマット提供された本件電子書籍については、希望小売価格に[55%](100%-正味)を乗じた金額

先ほどの金額の流れを見た後だと、気がつくことがないだろうか?

そう、これは「出版社に対してAmazonが支払う金額」についての式なのだ。

具体的に見てみよう。

1500円のハードカバーを、出版社が「電子版だから、じゃあ1000円にするよ」と希望小売価格を決めたとする。

Amazon.com でのKindle版の価格から鑑みるに、おそらく、500円で売るだろう。つまり50%OFFだ。

すると、希望小売価格 1000円x55%=550円差し引いた金額、450円Amazon出版社に支払う事になる。

希望小売価格出版社が決められるが、紙の本より高くは出来ない。

そして、Amazon希望小売価格から55%を引いた額を出版社に払えば良い。

50%OFFで売れば、Amazonの儲けは、一冊あたり5%になる。

どういうことになるか、火を見るよりも明らかだろう。

Kindleが8000円、Kindle Touchが1万円ぐらいで発売されてしまったら、どうなるだろうか。

紙の本には手に取れる書き込みできる、そして所有する喜びがある。

しかし、紙の本 1500円 vs kindle本 500円 ならどちらを選ぶだろうか。

10冊買えば本体代の元がとれると思った時に、Kindleデバイスを買わない自信があるだろうか。

なぜAmazonがそんな赤字まっしぐら路線をとるのか?

Kindleデバイスを売る為だとか、ロングテールで値下げせずとも良い本から利益を回収する為だとか、色んな理由があるだろう。

でもきっとAmazonは、市場で無視できないサイズとなって十分利益が回収できるようになるまで、じっくりゆっくり粘り強く低調に成長を続けるだろう。

なぜなら、オンライン小売の巨人は、他で利益を出せば良いからだ。

そんな真似が、日本のどの出版社なら出来るだろうか。

もちろん出版社は、1500円の本を、他の電子書店には1000円で卸して、Amazonには1500円で卸すことだって出来る。

Amazonは50% OFFの750円で売るわけだ。

忘れてならないのは、Amazonは1500円x45%=675円を出版社に払うことだ。

他の電子書店は、1000円で卸された本から20%だけとって800円払うこともできる。売れればだが。

そして、Amazon対抗のためだけに他の電子書店に750円で卸したとして、電子書店側も決意の10%として675円を出版社に払っても良い。

1万冊売って75万円利益電子書店しかも様々なフォーマットデバイスも様々で、本当に継続できるだろうか。

読者が安い本を買うことは止められない。非難も当然出来ない。

安いKindle版を出さずに独自の電子書籍を出す出版社に、文句を言わないだけの理性があるだろうか。

そして、(アメリカペーパーバックがでかくて重いという理由があるにせよ)電子版が紙の本を売り上げを上回る世界で、

Amazonを無視して自己流を貫く事での機会損失を、オーナー株主は許容できるだろうか。

流石にアマゾン、(アメリカ市場からの推測でしかないが)相当にえげつないことをする。

出版社は、既存電子書店に卸してもAmazonに卸してもそう代わりはないが、消費者は安い方から買う。

そして、Amazon限界まで値引きをして売るだろう。ダンピングにならないように5%程度の利益を抑えた上で。

黒船Amazonが、日本電子書店と違う点は、既に成功したネット上の小売業である点だ。

赤字ものともせず待ち続けられるのは、アメリカ市場証明済みだ。

商売なんだからきちんと儲けてくれよ、金なら払うから経費圧縮分は利益にしてくれよ、

そう消費者が言ってくれないことは判ってる。

でも、電子書籍は安くて当たり前、デジタルなんだから薄利多売で消費者還元してくれ、

そういう意見一辺倒だと、現状ではAmazonは無視できる存在ではない。

そしてこれは、Amazonの用意したハードルを乗り越えて契約できる出版社が増えれば増えるほど、

残りの出版社には世間圧力が重くのしかかってくる。

既存制度が良いとは決して思わないが、Amazonの50%OFFは夢物語ではなくて既に見えている脅威だ。

それが現在出版社立場で、太平の眠りを覚ます蒸気船は、もうそこまで来ている。

2011-10-24

伝記「スティーブ・ジョブズ日本だけ上下分割3990円

伝記「スティーブ・ジョブズ」の主要国での価格設定

米国 電子書籍 11.99ドル=912円 ハードカバー 17.88ドル=1359円

ドイツ電子書籍 19.99ユーロ=2099円 ハードカバー 24.99ユーロ=2624

日本 電子書籍 ハードカバーとほぼ同額 ハードカバー 3990円

高いな-、ハードカバー嫌いだから電子書籍買おうと思ったのに紙と同額とかひどい。

日本って電子書籍後進国なんだと改めて認識した。

DVD国内の値付けとか見てもそうだけど、海外との差がありすぎてビビる

なんでなん?

2011-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20110728145323

そういえば、自分高卒なんだと言ったらすごくびっくりされたな。

「私が知らないような言葉をよく知ってるし、いつもなんか難しそうな本を読んでるし、大卒かと思ってた。」と、大卒の人から

やっぱりそういう偏見はあるのかね。

その「難しそうな本」と言われたのはナントカ学の入門的なハードカバー本(素人にも分かりやすく書いてる、和訳のもの)とかなので、全然難しくないと思うんだけどね。

こういう本を難しそうだと言う大卒の人に出会うと(割といる)、結構がっかりする。

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208180742

つの間に「1500円の電子書籍リーチしてる人」の話になったんだ?

「1500円のハードカバーリーチしてる人」の話でしょ。すり替えよくない。

2010-10-30

電子書籍についてグダグダと書き綴る

テレビ電子書籍について報道していたので、またいろいろグダグダと書いちゃうぞ~。

という軽いノリで。酒飲みながら。

つか本当に『電子』としての『書籍』という意味では、

今まで散々それに該当する商品は世に出ていたと思う。

弟切草』から始まるサウンドノベルだって、

分岐はあるけど文字であり小説でありエレクトロである点を考えると

立派な電子書籍だ。エロゲだって、フリーソフト

アドベンチャーソフトだって、その類だろう。

小説PDFにしてダウンロード販売していたサイトだってある。ボイルドエッグとか。滝本竜彦は元気かな。

でも、そういう一連の流れは無視されて、

キンドルipadと連動する書籍のみが、『電子書籍』として認知され、

黒船』として恐れられている。

その違いは一体何なのか。

いろいろ考えたけど、最終的にはやっぱり『形』かな、と。

考えてみれば、『本』は非常に優れた形状と質量を持っている。

どこへでも持ち運びできるし、いろんな体勢で文字を読むことが出来る。

寝転がりながら。椅子に座りながら。飯を食いながらでも読める。右手に箸。左手に本。

ハードカバーでは多少きついけど。

これまでの『電子』な『書籍』は、その点を考慮していなかった。

ゲーム機パソコンなどといった端末で再生され、可搬性や可読性については議論さえされていなかった。

それがキンドルの登場で変わったのだ。端末自体が変わったのだ。

そしてipad。そして、さまざまなメーカipadを真似し始めている。

これは凄いことになりますよ。出版社さんは覚悟したほうがいいですよ。

ネット上の動画展開はまだまだ先のこと」と思っていたらYouTubeの登場で慌てふためいた

テレビ局さんのようになりますよ。いやマジで

こういうパラダイムシフトは、マジで予期しなかった時期にいっきに来ますよ。

音楽業界は、もはや目も当てられない。もっとも~、これはこれで面白いけ・ど・ね!(ファッキュー!)

まぁでも、パラダイムシフト自体が悪いことではないですからね。

むしろ、新しい文学の可能性も否定できないわけですよ。

文学の可能性というか、文字の可能性ですね。

『文字の可能性』と聞いて思い出すのは、やっぱり2001年に起きたテキストサイトブームですかね。

あれは面白かったわけですよ!あれだって一種の電子書籍なわけですよ!(酔いが回ってきた)

文字ポイントを拡大して、オチが放たれる。文字の色を変える!

いやー、面白かったな。『侍魂』とか、当時は特に面白かった。

空白でページをスクロールさせて中身を稼ぐという手法は、有名人ブログで定着しましたけどね、

ありゃあひどいもんですよ。辻ちゃんテレビ番組で『スペースをあけてページに

内容があるように見せかける』というのをやっていましたけどね、ありゃあひどい。

やっぱりある程度の文章の量は必要なわけですよ!

やっぱり精度の高い文章を読むと興奮するわけですよ!

でもま、電子書籍なら電子書籍ならではの、『演出』というのも欲しいわけですよ!

たとえば、音楽が流れるとか。挿絵が美麗なアニメーションで表示されるとか。

何か、村上龍が作った電子書籍は、著名な方の音楽が流れるらしいですよ?

でも、音楽アニメーションも、出来れば文学的な演出がいいですな。

心に染みるようなやつをね、僕は望んでいるわけなんですよ。

私小説』は、『エンターテインメント小説』とは違って、やっぱり心の中で反響するような文字列であって欲しいわけなんですよ。

だったら、その電子的な演出にも、私小説性、心の中で反響するような演出が宿っていて欲しいわけなんですよ。

エンターテインメント映画と違って。

文学性というのはバズワードだと思うけど、でも、それでも、僕は『文学性』を求む!

エンターテインメント』という言葉自体に『マジョリティを拒絶する』という意味が宿っているような気がしてつらい。

そろそろ終わろうか。グダグダと書き綴っちゃって、ごめんね。ごめんね。

酔っ払っていてごめんね。

2010-10-29

電子書籍化で小説家が危機感を持ちづらいたった一つの理由

台風が来るのでわくわくしてしまったので飲みながらだらだら書くことにする。

最初に断っておくと、単なる業界の底辺ラノベ作家シナリオ書いたり書かなかったりだから、詳しい人にはあんまり目新しいことはないよ。

漫画家さんが危機感を持って色々動くのにはもちろんいろんな理由があるけれども、

小説家が危機感を持たない理由は簡単だ。

良くあることだから。

漫画家の人は、判型が変わったからと言ってコマを割り直したり書き直したりすることは滅多にない。

単に拡大縮小するだけ。(書き直したりはするけど、それはサイズ変更にあわせた書き直しじゃない)

でも、小説ハードカバーから文庫本になるときに、大きく変わる。

一行の文字数も変わればページに入る行数も違う。

これは読みやすさに影響するけど、気にする人は滅多にいない。

(行にこだわる事で有名な京極夏彦先生電子書籍化に意欲的なのは、なんか象徴的ではある)

だから発行される媒体が変わることを気にする人ってほとんどいない。

たんに紙で読むかネットで読むかiPadで読むかの違いでしかないし。

電子書籍という形で小説を読んだことがある人は判るだろうけど、文字サイズも一行の文字数も変えられるよね?

あれを凄く嫌がる小説家ってたぶんあんまりいない。

でも、漫画家さんで勝手にコマ割変えられたりしたらたぶんイヤなんじゃないかな。

流しこみゃなんとかなるだろうって言われたらその通りだし、フォントまで指定して活字組に意見がある小説家もほとんどいない。

自分の本だって意識漫画家さんより薄いってのはある。だって原稿のままじゃ絶対に本にならないもの)

良く言えば柔軟性があるし、悪く言えば人任せが多いから、だからこそ危機感を持ちづらい。

それが、電子書籍ブームを前に小説家が危機感を持ちづらい、たった一つの理由。

2010-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20100909021801

砂糖菓子の件は、文庫版とハードカバー版の部数を比べれば単価の差など問題にならないくらい前者の方が上で、印税も前者の方が上。

ハードカバー版はコアなファンのコレクションアイテムって位置づけだから当たり前。

イラストレーター作家印税折半というのも違う。

まあこっちは事実誤認だらけだからいいや。

ラノベ作家に「若い感性」が必要って話の方ね。

これはある意味当たってるけどある意味違う。

案外、読者は同じ作家の本を買い続けるものなんだよ。

具体的に言うと、思春期~二十歳前後に読んだ作家の本をずっと買い続ける人ってのが多いわけ。

そして大体の場合は、5歳~15歳年上の人が書いた本を読む。

これがびっくりするほど変わらない。

今15歳の人は、20~30歳の人が書いた本を読むし、今50歳の人は55歳~65歳の人が書いた本を読む。

もちろん全員がそうとは言わないが、ボリュームゾーンはこうなってる。

で。

だんだんラノベを読まなくなってくる年齢ってのがあるわけだ。読者側に。

そうなると、その年代ターゲットとしていた作家ラノベが売れなくなってくる。

作家と読者は同時に年を取る。

読者が30歳になったら作家は30歳向けの本を書くようになる。

読者が50歳になったら作家は50歳向けの本を書くようになる。

もうラノベじゃないのは明らかだよね。

年を取るにつれて年相応のものを書くように転進できた作家は生き残り、ラノベしか書けなかった作家は消える。

(もしくは一山当てた人なんかは作家なんてやめて悠々自適の生活を送る)

考えてもみてくれ。

親の世代に正論を言われると反発したくなるし、

年代・年下に正論を言われると生意気だと思うだろう?

だから5歳~15歳年上が書いた本ってのが一番するっと納得できるわけだ。

(これは実年齢ってよりは精神年齢かもね)

谷川流も今年40歳。

読者のボリュームゾーンが25-35歳と考えると、そろそろラノベ卒業するのも多くなってくる。

本人ってより、読者がラノベを去るんだよ。

ラノベから一般文芸への転向の理由

http://togetter.com/li/48558

以下、チラ裏

ラノベ作家が次々と一般文芸転向する理由

1.儲からない

結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベイラストレータ印税が折半になるので1冊当り25円の印税ハードカバーなら10%で140円の印税ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。

中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。

さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞吉川英治文学新人賞山本周五郎賞推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞芥川賞ラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメ直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。

さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビ福田和也が批判している、大作家福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。

2.長い間書けない

角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。

資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説技術を身につけた作家転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。

以上、思いつく限り。

2010-08-04

本を大事に!

ネット書評めぐりをしていたら、とあるブログにたどり着いた。

そのブログでは、表紙と背表紙と裏表紙が全部見えるように真ん中から開いて広げてテーブルに置いて撮った写真を載せていた。

その本は表紙のイラストに惹かれて、図書館で借りてきたというようなことが書いてあったが、ハードカバー単行本で、かなり力を入れて広げないと手を放した状態で平たく置くことはできない。

ハードカバーの本(特に厚めの本なんか)は開きすぎるとのりがとれてページが落ちる原因になったり、背表紙が折れ曲がってしまったりすることもある。

私が本好きで、本を汚したりしないように人一倍気を遣う性格だからかな。

自分で買った本なら誰も文句を言わないかもしれないけど、雑誌じゃないんだし、しかも図書館から借りた本を、ブログ写真を載せるためとはいえそういう風に雑に扱ってほしくないなあ、と思った。

2010-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20100722181915

本棚なんて1畳分スペースあればハードカバー数百冊は収納できると思うけど、

本は重いから1畳ではハードカバー200冊くらいで限界。そして本読みにとって200冊は1年で埋まる最低ライン・・・

文庫にすれば、収納はだいぶましになるが、文庫はごく一部なのがヘビーな本読みの実態・・・

小飼氏のように2万5千冊の収納スペースを用意する、とかすればいいんですが一般家庭ではまじ厳しいです。

http://anond.hatelabo.jp/20100722180706

  • 専門書読まないんですか?
  • 本棚なんて1畳分スペースあればハードカバー数百冊は収納できると思うけど、子供いるとそのスペースすら確保困難ですか?

自己流の「効率的・知のインプット/アウトプット方法」

小飼弾氏が「本を読むなら新書に限る」と主張している。

http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1007/21/news010.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/bizmakoto.jp/bizid/articles/1007/21/news010.html

「知の効率的インプット、効率的アウトプット生成のためには新書ベスト

ということのようだが、

「本を読む時間も、本を置くスペースもない」自分場合

「知の効率的インプット、効率的アウトプット生成」の方法を

ここでおさらいしておこう。

※因みに、最近テレビすらマトモに見ていない・・・

 「時間がない」というより「チャンネル権が幼児にある」

 (幼児番組幼児DVD再生専用機に成り下がっている)情けない状態です。

【何のため?】

★「面白い内容は自分ブログに載せる(=アウトプット)」という目的意識

  知を採取(=インプット)する。

  目的意識がないと、知の採取が「のんべんだらり」となる。

★そのため、いつでもメモ帳鉛筆は肌身離さない。

 メモ帳忘れた場合ケータイメモ機能活用。

【何を?】

日経新聞をとにかく隅々まで読む。

 結構日経新聞ネタの宝庫なんだが、

 意外と日経記事をサカナにしたブログエントリは少ない。

 自分ネタにするのは「日経夕刊」「日経地域面」「経済教室」「書評」「大機小機」あたり。

 「日経夕刊」は、生活面が結構面白かったりする。

会社においてある「日経産業新聞」なんかもネタの宝庫なので、

 これも自宅に持ち帰って、電車内で読む。

  

小飼弾氏は「新書をオトナ買いしろ」と言っているが、

 新書書店立ち読みで充分。

 1分立ち読みすれば、なんとなく「どういうジャンルの本なのか」がわかる。  

図書館を活用しまくる。

 都区内なら、他館蔵書の取り寄せサービスがある。

 場合によっては、他区の蔵書も取り寄せてくれる。

 こうすれば自宅内書棚はゼロでいい。

 家族4人で、1人10冊借りることができる。掛け算して40冊だ。

 新書は確かに効率がいいが、逆に言えば「ポピュラーになる(であろう)知」しか載っていない。

 発行部数が少ない、「マイナー」なハードカバーは、

 「ポピュラーになっていない知」が存在している可能性がある訳であり、

 価値を生むのはむしろ

 「ポピュラーになっていない知」の方ではないか?

 図書館の本は、2000年代の本ばかりじゃなく、1990年代とか1980年代の本とか結構あるのだが、

 「1980年代には、こういう見方があったのか!」と新たな発見があるのが面白い

 たまに1970年代なんかの「お宝」もあります。

 

 地球温暖化を叫ばれていますが、1970年代なんか、「地球寒冷化」が叫ばれていたりする。

 そういうことも図書館にいかなきゃ判らない。

図書館にある「新聞縮刷版」はもっと面白い

 例えば「食品の偽装」なんて問題が、最近の話題と思い込んでいたら、

 1970年代にも似たような話題が出てきているのです。

 要は30年間、なーんも社会進歩していないのですね。

ネットではやはり「はてなブックマーク」が効率良い。

 自分は「新着ブックマーク」を常にチェックしているほか、

 「お気に入り」に5人登録しており、その人のブックマークナナメ読みすることで

 相当程度効率よく情報収集できる。

 言ってみれば「他人の褌」である。

 (お気に入りを10人以上にしてしまうと、シッチャカメッチャカで混乱してしまう。

  やはり5人程度に抑える方がいいのでは?)

  「Aさんは社会系でいいブックマークをしてくれる」

  「Bさんは科学系でいいブックマークをしてくれる」

  「Cさんは自分趣味の分野でいいブックマークをしてくれる」

  「Dさんは自分仕事の方面でいいブックマークをしてくれる」・・・のように、

  分野毎に「キーパーソン」を見つければ、非常に効率的。

ビジネス誌は車内中吊り広告だけでも「なんとなく」内容はわかる。

 (東洋経済ダイヤモンド日経ビジネスウェッジ・・・)

 というか、各社ともウェブにほぼ同内容載せているし。

地方出張した場合は、必ず地方紙を買う。

 場合によっては「地域経済誌」も買う。

 そうして「東京常識に慣れきった頭」に刺激を与える。

 地方紙場合広告ですら情報になりうる。

 (不動産東京の半額以下なんだなあ・・・とか)

 

【いつ?どこで?】

★晴れている日には新聞を歩きながら読み、

 雨の日には携帯で「はてなブックマーク」をサクサク読む。

★また、寝床内でケータイで「はてなブックマーク」を見る。

休日子供の付き添いで公園おもちゃ売り場とかに遊びに行くときなど、

 暇つぶし日経を持っていく。

 その場で捨てられるから。

地下鉄では電波が駅でしか拾えないので、駅到着時に

 「一気にデータダウンロード」して、駅間ではダウンロードデータを閲覧する。

http://anond.hatelabo.jp/20100722171408

出せませんw

ラノベが嫌で、一所懸命売り込んで、一般小説転向された方もいますが、結局それは実力が出版社に認められたからです。

ラノベ作家としての資質には、当然、他ジャンル小説でも通用する部分/しない部分があることとは出版社側もよく分かっていますから、

必ずしもラノベ作家としての成功と関わりなく執筆を依頼するか判断しています。

そこで、一般ライトノベル読者から見ると「なんであの人がハードカバーを(出せるの?/出してないの?)」ということになっているのだと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20100722171122

森田季節のことか。

有川や壁井みたいにラノベである程度の数字を出した人が一般に行くのはともかく

最近ラノベで駄目だった奴がハードカバー起死回生を狙うこともあるようだな。

http://anond.hatelabo.jp/20100722170832

ラノベで売れなかった作家が、活路を求めてハードカバー出したり、ひっそりとハヤカワあたりで書いてたりすることもあるけど。

2010-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20100721153554

少なくともこの時期に裁断機やADFを導入してまで手持ちの本を電子化したいという人は、書物に関しては普通の人よりも一歩踏み込んだ価値観を持っているはず。

それはどうだろ。

俺も結構昔から漫画単行本スキャン趣味でやってるけど、電子化してしまうとハードカバーだろうが文庫本だろうが大判だろうが違いが分からなくなってしまうんだよね。

以前、同じ趣味の奴から「面白かったから読んでみろ」と彼の自家製PDFファイルが送られてきた事があって、確かに面白かったんでオリジナルを手元に置きたいと思って本屋に足を運んだら、そこで初めてその本がA4サイズ大判だった事を知って愕然とした事があった。画面上で読み尽くし、その本の全てを知ったつもりになっていたけど、最も基本的な「物理的な大きさ」を全く知らなかったわけだ。

電子化に走る人達というのは、逆に言えばそういった部分にかなり鈍感な人達でもあると言えると思う。それを「一歩踏み込んだ価値観」と言えるかどうかは、俺には何とも言えない。

2010-07-19

・水が飲みたいと、戸口を叩いていた女は言った。もう随分と何も飲食していないのだという。こちらと人里離れた山小屋住まいだから、人に分け与えるほどの食料など持ち合わせていない。女が水だけを要求してくれてありがたかった。真夜中の真っ暗闇の森のど真ん中で、ごくごくと喉を鳴らした女はにっこり微笑み礼を言うと、そのまま闇の中に溶けていった。夏虫が鳴いている。べったりと背筋に汗をかいてしまっていた。

・犬を殺してしまったんだそうだ。泣きじゃくる歳の離れた弟は、どれだけあやそうとも泣き止む気配を見せなかった。埒が明かない。疲れてきたので背伸びをした。一体何があったんだ。何度も答えが返ってこなかった問いをもう一度口にしていた。眦を二三度拭ってから、しゃっくりと一度、それからようやく弟はもごもごと何かを言い始めた。溜息が出る。面倒くさいと空を見上げたら快晴だった。

・生え育った手のひらの上で、少女は胡坐をかいていた。しばらく経つと親指と人差し指の間から足を投げ出してぷらぷらさせ、またしばらく経つと今度はやわらかく曲がった中指に背を預けて瞼を閉じた。荒涼とした周囲には、乾いた風鳴りばかりが響いている。手羽のように尖った枝先を細々と伸ばす枯れ木が、もぞもぞと幹を揺らしていた。少女は本を読んでいる。ハードカバーの、分厚い本だった。背表紙には解読不明な文字が並んでいる。無論、それは中身にしても同じで、少女意味のわからない記号の羅列を熱心に、ときには嬉々として読み続けていた。やがてひとつの章を読み終えた。重たい本を閉じ、胸の上に置く。再び目を閉じた。てのひらがぐしゃりと少女を潰した。

・その日、少年は無闇に声が大きかった。話している相手が顔をしかめてしまうほど大音量で、叫ぶようにして会話をしていた。また、少年はどうやらこちらの言葉が理解できていないようでもあった。どれだけ文章を変えてどうなったのかと訊ねてみても、ずっと同じ事ばかりを、昨日変な夢を見たんだ、としか口にしなかった。やがて、ある医者少年に適切な診断を下した。いわく、今少年の耳には大量の音食い虫が潜んでいて、そのせいで耳が聞こえなくなってしまっているのだと。ためしに小型カメラ少年の耳の穴をのぞいてみれば、モニタリングしているテレビに黒光りする無数の蠢きを確認することができた。音食い虫を殺すためには、完全なる静寂を用意しなければならない。医者に言われると、少年を気の毒に思っていた人々は一様に口をつぐんだ。物音ひとつ立てないように、彫像のように固まった。車も動かさない。電気を使うものは全て電源を落としてしまった。少年は石の世界でひとりぼっちになった。

タバコが好きで好きでたまらなくて、とうとう調理して食べるようになった。目玉焼きに降りかけてみたり、炊きたてのご飯に混ぜ込んでみた。どれもこれもそれなりにうまかったのだが、一番気に入ったのが煮出しタバコであった。お茶のように、珈琲のように、タバコの葉に熱湯を注いで飲むのである。これがなかなかに効いた。苦味で舌は麻痺し、喉は痺れ、胃は爛れていくかのようだった。鼻腔に強烈なにおいが通り抜け、あやうく気を失いかけた。最高に気持ちが良かった。よく臨死体験をしたなどという者がいるが、そう言った人たちもこの快楽を味わっていたのではないだろうかと思った。そしてそうなのだとすれば、彼らはあまりにも意地汚い人間であるように思えた。このような快楽経験しておきながら、それをわが身ひとつだけの実体験に留めておこうなどという考えが理解できない。どうして周囲に広めようとしないのだろうか。共有してこその財ではないか。憤然とした気持ちでタバコをばらし、粉末を茶漉しにあけた。熱湯を注ぐ。芳醇な香りをいっぱいに吸い込んでから、一息に飲み込んだ。

・割れたコップに男が映った。散り散りになった破片のひとつひとつに、そいつはにやにや顔で写りこんでいた。君も変なヤツだね。そいつが話しかけてくる。わざわざガラスのコップを七つも割ってさ。一体何がしたかったんだい。思いっきり叩きつける訳でもなく、あくまで自然に割れたように見せかけるのには随分と苦労したんじゃないのかい。そのとおりだ。全てのガラスを同じ場所で、誰が見ても不自然と映らないように割り続けてきたのだ。投げつける訳でもなく、高いところから落とすのでもなく、持ち寄ったガラスをことごとくその場で割り続けたのだった。わからないね。君はいったい何がしたかったんだい。そうにやにや顔が言うので、お前には関係ないと答えてやった。だからさっさと消えやがれ。魂が消えるように、ぽつりぽつりとにやにや顔は消えていった。ガラスの破片の中に溶けていった。本当に君も変なヤツだね。そう言って最後までにやにやしていたそいつは消滅した。逆剥けた大地に囲まれて、素足のまま歩き出す。

・びっくりした。そしたら、右目と舌べらが落っこちてしまった。とんでもない痛みを感じながら、真っ赤に染まっていく地面に晒された右目と舌ベラを見下ろす。さっきまで、右手で押さえている窪みにはまっていたはずの球体はぼんやりと視線を上げてきていて、指の間から、そしてぽかんと開けた口から鮮血を滴らせているわたしを観察しているようだった。観察。そうだ、わたしは観察をしていたのだった。その最中に悲しくなって、怒りっぽくなって、しばらく気分が落ち込んで、最後にびっくりしてしまった。びっくりしてしまったから、右目と舌ベラを落っことしてしまった。参った。全部わたしの問題だ。とにかくいまは右目を拾ってはめよう。そして舌も口に含んでいよう。思い左手を伸ばそうとしたらばしゃんと音がした。左手も落ちてしまった。肩からどんちゃんと。ぶしゅうっと壮大な音を立てて血が噴き出し始める。どうにかしなくちゃ。あせればあせるほど頭は混乱していく。もうあたりは一面に血の海だった。血の池地獄って、一体誰の血の中を泳いでいるんだろう。白血球とか赤血球とか、そういったものにとっては毎日が血の池地獄なんじゃないだろうか。考えていたら、膝から下が潰れてしまった。血に倒れこむ。頬を強打して顔をしかめてから、右目が私を観察していることに気がついた。

2010-04-01

書籍電子化雑感

scan snap買って本をスキャンするという内容のサイトがいま注目を集めています。

なので、これまでに触れられてない切り口で書いてみようと思います。


私もPK-513とscan snapを買ってスキャンを始めました。

最初に同人誌から始めました。これは失敗でした。

何が失敗かというと作業時間に対する捻出体積が少なく

モチベーションが落ちてしまったのです。

いくらやっても空間が増えない。


それもそうだ。同人誌なんて10-30ページぐらいの薄い本が多いし、

そのたびに裁断しフォルダ作成し誌名とサークル名を入力するのは非情に手間でした。

サークル名も分かりづらいから確認するのに時間がかかるし。


そういったことがあって方針を変えました。

とにかく作業時間に対する捻出体積が高いものをやり始めたのです。


独断と偏見によるランクをつけてみた。

成年コミック漫画雑誌漫画単行本四コマ単行本>その他雑誌>その他書籍小説ハードカバー書籍同人誌


成年コミックは厚い紙を使ってるのでページ数の割に異様に分厚い。

ハードカバー書籍が低いのはバードカバースキャンが面倒だから。

ハードであるフラットベッドでスキャンするのは面倒。


■その他思ったこと

自炊技術のページにはファイル名とページ数を合わせろ(10ページ目なら010.jpg)と書いてあるけど

無視して大丈夫。重送されたかを確認するときは役に立つけど、scan snap s1500の重送検知はほぼ完璧だから必要ない。


縦線が入るのも無視。自分が見るだけなので気にしない。

気がついたら掃除するし、よっぽどお気に入りの本なら再スキャンするけど基本は気にしない。


サイズを縮小するのも無視。でかくていいじゃん。ハードディスクが今いくらか知ってる?

ファイルアプリケーションドラッグドロップするだけ?

行程がひとつ増えるだけでも大変なのに、スキャン予定の本が1000冊なら工程がx1000になるんだよ?


重要なこと

アドバイスや方法論に盲目的に従うのではなく自分なりの方法でやりましょう。

じゃないとあなたの本はいつまでも減りません。

細かいことが気になる方はやらない方がいいでしょう。

私の場合ブックオフに売るよりマシというスタンスなので適当にやってます。


good scan life!

2010-01-21

ttp://umashi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/bookweb-4b5f.html

送料無料になってから初めて紀伊國屋書店Webストアを利用した。

ハードカバー単行本を2冊、アマゾンならば確実に佐川宅配便になるところを、ヤマト運輸の「速達メール便」で送付してくれた。

時間帯がデタラメで、当日再配達申し込み時限が早い佐川に比べて、メール便ということもあってポストに放り込んでくれた上に速達便だから発送翌日には届く(注文→翌日埼玉発送→翌日都内)サービスは昼間仕事に出ている身にとってはとても使い易くありがたい。

本についてはアマゾンで購入してもポイント対象にはならないしプライム契約するつもりも無いので、在庫状況次第にはなるが、今後本をオンラインで購入する際には紀伊國屋書店を中心に購入していくことにする。

2009-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20091027181046

同感。

一次や二次を通過しただけで喜んでいる輩のなんと多いことか。

本当の戦いは、ラノベ作家になったあとでハードカバーを出せるかどうかにかかっているというのに、そこが分かっていない。

ラノベ作家はたくさんいるけど、まともな文章が書けているのはほんの一握りだよ。

その一握りにあっさりと負けているんだから、一次通過で喜べる奴の気が知れない。

日本語になっていない文章を書くラノベ作家が多いのに、その人たちに下読みをしてもらおうだなんて愚の骨頂。

ラノベに応募する人たちは、「てにをは」が狂った本を読んでいることに気づかないのかね。

ハードカバーがすぐに出せるジャンルに来ればいいのにね。

「本をたくさん読め」と言われてラノベを読んでどうするんだろう。

だいたい、小説自体が斜陽産業だというのに、質の低いラノベが増える一方なのは解せない。

"hello world" が出力できるなら、プログラマになった方がよほどいいというのもそのとおり。

この業界に来る前に一度道を踏み外しなさい。

2009-10-09

二段組で読みやすかった本の四方の余白と行数と文字数を教えてくれ

二段組の本ってあんまり見ないからサンプルが少なくてこまる。

もし読みやすい本に覚えがあったらぜひ教えて下さい。

追記

明日までに何とかしなければならないので、藁にもすがる思いだったんだが、トラバがついていてありがたかった。

  • 二段組の本なんかいっぱいある

「あんまり見ない」の「あんまり見ない」は私が見ないだけで、世間に少ないと言いたかったわけではないです。

誤解を生んでしまったようで申し訳ない。

読書量が絶対的に少ない上に、書棚にあるのはなぜか文庫本や一段組のハードカバーばかりです。

まったくその通りなんだが、助けてください。

デザインについては門外漢のため(この整形もワードでやってるレベル)、少しでも教えてもらえればありがたいです。

趣味でもないんだが、本来は自分仕事の範疇でもないんです。

2009-08-06

書籍から見るゼロ年代

今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.

一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本経済社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.

経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店平積みされていた.お金のことは銀行専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.

また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年

また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.

2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.

ゼロ年代を象徴する批評家東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.

また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.

2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.

格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会空気を表す本としてピックアップすることができる.

不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.

9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディアコントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.

2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社新書に力を入れ始める.

仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代サクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.

新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代キーワードを体現した.

また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本ナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.

相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長ベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.

また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipedia大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.

品格ブームを引きずって『女性品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.

データ重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.

その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田オプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.

また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.

どういう流れからか,『×型 自分説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分グーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本書店平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.

批評界では東にケンカを売る形で宇野ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャ生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.

ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.

##せっかくISBN記法したのに,増田だと使えないのね.

文字ばっかりでごめんなさい.

2009-05-31

物事の相似形を探すのは面白い.

聖書やお経など,宗教に絡む抽象的な文章は

身近な具体的な出来事と絡めて,トレースができるほど

それの文章は汎用的だと言えるのではないだろうか.

屍鬼という小説の作中,静信というお坊さんが書く小説が面白い.キリスト教7つの大罪の一つ.憤怒を象徴する,カインとアベルお話ベースになっているのだが,彼自身,自分身の回りの村や寺,そしてその中にいる住職としての自分や父,村人との関係性となぞらえて,小説を書き出している.

彼には何故,と考え続けていることがある.

私にもなぜ,と考え続けていることがある.

そこに私もトレースしてしまうのだろう.

このところ,このテーマとなってる話ばかり見ている気がする.

・ザ クイズショウ:番組司会者とそのプロデューサー関係物語のキーとなっているのだが,そこにあるのが「憤怒」だった.これを見て私は,怒りすぎるのも考え物だと思った.

・ストレイストーリー:主人公は,危篤の兄の知らせを受け,トラクターに乗って兄に会いに行くのだが,道中立ち寄った教会で,カインとアベルの話に自分と兄の関係をなぞらえていた.きっと,カインがアベルに抱いた怒りに近いものを持ってしまった(怒りすぎるのも考え物だ)という罪として主人公にひっかかりがあったのではないかと思う.最後は兄と和解したようだった.

そう,それでカインとアベル関係について調べていくと,ヤフー知恵袋屍鬼についても触れられていたため,あの分厚いハードカバー2段組み 2冊を読むことにした.もともと屍鬼自体はジャンプで連載されている漫画を友人から借りて4巻まで読んだことがあったため,ひぐらしバトロワなどの村での惨劇物語として認識していた.ブログでの評価を読むと,カインとアベルについての新解釈だと書いてあるものもあった.

さて,静信の書く小説と静信自身については本を読んでもらうとして,私自身に起きたごく個人的なことについて話を進める.

ありきたりな人間関係についての話だ.

自分に好意をもった男性がいて,それに絡まれた私はどうしようもなく絶望的な気持ちになり追い返してしまった.その後それを仕組んだ友人からなぜ断ったのか責めるような目で見られ,とても悲しい気持ちになった.もう5年も前の話だ.

なぜ,私は絶望的な気持ちになったのか.

なぜ,悲しい気持ちになったのか.

この出来事の直後,私は精神体力ともに虚脱してしまい,このような状況整理も問題把握もできずに,ぐるぐると悩んでは泣き悩んでは泣き悩みすぎたことにまた悩んでいた.

あとから考えると抽象的で荒唐無稽な話ほど,自分の周りの具体的な事象に重ね合わせてしまいやすのかもしれない.

結局私は彼をねたんでたんだと思う.

仕組んだ友達は私に対して親切というわけではなかったけれど,

彼に対しては親切にしていた.

それを私はねたんでたんだと思う.

今思い出すと,彼に対してしたことは後悔している.

つきあう付き合わないは別にして,私の話も聞いてもらえばよかった.

話した後はそれでお開きになっても,その後会えば何かしら話すこともあったかもしれない.

ねたんでしまってごめんなさい.

それにしても自分を好きだと言ってくれる人を妬んで嫌がらせするなんてどうかしてる。

調べたらそういう病気もあった…自己愛性人格障害

悪化させないようにしなきゃ…。

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