はてなキーワード: ハードカバーとは
東京行ったときの話。
西麻布のカフェで眼鏡をかけて、春物の格好いいジャケット着て、チャンドラーのハードカバー読んでた人がいたんだよ。
サイン貰おうと思って声かけたら、気さくに応じてくれた。
「blogと印象違いますね」って言ったら、「演出なんですよ・・・。僕は嫌なんですけど、スポンサーの関係で断れなくて・・・。世間の人にイヤな思いさせて、本当に申し訳なく思ってます」だって。
その後お礼言って、しばらくお茶飲んでたんだけど、帰ろうとしたら店の人に「お代は頂いてますから」って言われた。
オレの分だけじゃなくて店にいた人全員分払ってくれたみたい。
youtubeであの姿を見ている人には、信じられないと思うけど、全部作り話
「小説を読んでいると頭よさそうに見えるけど、漫画を読んでる姿はそう見えない。」
もちろんこれはバカな話で、これに当てはまらない例なんてたくさんあるし、大体「頭がよさそう」と言うのがあほらしい。
ただ、失礼な話ではあるけど、それぞれの姿を見るとなんとなくこんな印象を受ける。何でだろうか。
どっちも内容はピンキリなのに、小説と漫画という、内容に関係ない分類でそういった差が生まれるのがどうもしっくりこない。
それで、最初に考えたのがページをめくる時間間隔。これは小説の方が漫画より長い。
この静止してる時間の長さと言うのが、頭がよさそうに見えるかどうかに大きく関わっているのではないか。
確かにペラペラめくってるよりは、じっと本に見入ってる姿の方が賢そうに見える。
次に、本の大きさや紙質も関係してるよなと思った。
これは根拠無いんだけど、文庫本サイズって、なんか「頭良く見えるサイズ」な気がする。
これが少し大きくなって新書や漫画の単行本サイズになると、それほどでもない。
さらに大きくなって雑誌とかハードカバーとかになっても、しっくりこない。
かといって豆本とか小事典みたいに小さければいいかというと、それも違う。
文庫本のサイズってのは、情報が丁度いい具合に詰め込まれているように見えるんだろうか。
あと、全体として小説の方が漫画より紙質いい気がする。これはあんまり関係ないか。見えないし。
カバーの有無もあるかな。カバーしてあると何の本か分からないし。難しい顔して読んでたらそりゃあ賢そうにも見えるか。
何でこんなこと考えたのか。自分が本を読む側だったらこんなのどうでもいいんだけど、自分が本を読んでいる人を見る側だったら、絵になる人を見るとほわーっとするので、それは何でだろうなあ、って感じだろうか。
ライトノベル・ブームなどと一部では言われているものの、実際には現在、まともな関心に値するライトノベルはほとんどない。そもそもここ数年間(〇四年以降)で、一部マニアの関心を超えて認知するに足るラノベ作家は、有川浩、冲方丁、それに桜庭一樹の三人くらいしかいなかった。しかも皮肉なことに、その彼らの作品の質は、むしろラノベ的なもの(ここではあえて漠然とした表現を使っておくが)から距離をとることで維持されてきたように思われる。
どういうことか。例えば有川。『空の中』『海の底』の二作で決定された彼女のメジャー路線・一般文芸路線は、それ以前の作品、例えば『塩の街』が豊富に持っていたセカイ系的想像力の抑圧の上に成立した。ハードカバー版『塩の街』を読むと、有川がその切断を意図的に行ったことが確認できる。また冲方の『マルドゥック・スクランブル』は、ラノベ特有のキャラクター小説とは対極にある自然主義的リアリズム、およびのちに獲得した日本SF大賞という名声からして、ライトノベルの状況からある程度独立し制作された作品だと考えてよい。つまりSFであるがライトノベルではない。三人の中では最もゼロ年代ラノベに深く関わっていた桜庭でさえ、メタフィクション的な志向の強い『桜色ハミングディスタンス』を発表した後はミステリ作品や一般文芸作品を精力的に執筆するようになり、結局『赤朽葉家の伝説』で「ライトノベル」「キャラクター小説」と完全に決別してしまう。ゼロ年代後半以降、ラノベ作家たちのほとんどは一方で低品質な異能バトルを、他方で、急速に整備されたネット環境をフルに生かした一部マニア向けの、ただ萌えキャラが登場するだけの作品を無批判に生産する閉塞した状況に陥っていた。上記三人がかろうじて良質の作家たりえていたのは、彼女らがともかくは、そのようなラノベ特有の作り手と受け手が一体となった閉塞した空間(ラノベサイト、このラノ、ニュースサイト、2ちゃんねる)に荷担することを拒否しえていたからにほかならない。つまりライトノベルは、ジャンル全体として、ここ数年圧倒的に―――その市場の巨大さと比較すれば信じがたいほどに―――不毛だったのである。
ライトノベルという表現ジャンルは、上遠野浩平以後、急速に量的拡大と質的細分化を遂げた。あらゆるジャンルと同じように、ライトノベルにもまた「ラノベ的」としか言いようのない物語や文体が存在する(例えばそこには、SF冬の時代の数少ない遺産がある)。にもかかわらず私たちはここ数年、ライトノベルジャンル特有の諸規則を生かした、つまりいかにもラノベ的でかつ高水準の作品というものを何一つ手にしていない。これは驚くべきことだ。ラノベはジャンルとして死んでいる。
おそらくこの問題を、いままで最も真摯に受け止めてきた作家は桜庭である。彼女の出世作『赤朽葉家の伝説』は、その意味で徴候的な作品だった。物語から「萌え」的要素を排除し、オリエンタルなマジックリアリズム・イメージと社会科学系タームを大量に投入して作られたこの作品は、評論家受け・一般文芸受けの戦略に満ちたかなり空虚な作品だ。にもかかわらずそれは、桜庭のかつての傑作『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』やライトノベルミステリの最高峰『GOSICK』などよりも評価されてしまう。桜庭はそのことをよく分かっている。彼女は、ライトノベルというだけでは、誰も作品をまともに見ない。逆を言えばちょっと文体を変えエサをばらまけばすぐに文学的・一般文芸的(「もはやラノベではない」)とされるその現状を、アイロニカルに追認して『赤朽葉』を書いたわけだ。その所作は悲劇を通り越して、滑稽というほかない。僕はそんな桜庭を見ながら、ますますライトノベルの終わりを痛感している。
「自分にとって読むべき(読みたい)章だけを、本からちぎって、常にかばんに入れて持ち歩く」
自分の場合、これが一番有効だった。特にIT関連。ほとんどの場合、かばんに入れてから
2日以内に読んでしまう。
IT関連の本は大体重いから、一冊まるごと持ち歩くのはちょっとつらい。
あと、ちぎるなんてことまでしたのだから読まなきゃ、っていう心理が働いた。
それにこの状態なら線を引いたり書き込んだりするのも全く抵抗がない。これ
も大きい。
本をちぎるのは抵抗があるというか、本は大切にしなきゃって考える人もいると思う。
この大切にっていうのは、小説とかには当てはまると思う。特にハードカバーだと、
ただ、そういう味わう為の本じゃなくて、知識を得る為の本に関していえば、一番
もったいないのは、せっかく買った本から知識・知恵を得られないこと。
自分も正直最初は抵抗あったけど、仕事の要求が厳しくなってきた&自分にとって
本当に必要なことは何かということをよく考えたら、ある時ふっきれた。
これを実践するようになってから、無駄にしていた時間を有効活用している、という
実感はある。
・なるべくまだ読んでないものを常に入れておくこと。
・その為にはちぎったまとまりを、あらかじめたくさん作っておくこと。
・根元からゆっくりちぎらないと失敗するので注意。
・かばんを開いたら必ず目に入る場所に入れること。
・読んだ範囲については、自分の理解したことをPCに入力して、必要な時にすぐ
見られるようにしておくこと(たまに読み直すのがベスト)。
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以下を読んでから書きました。
本を買ったが読まずに積んでそのままにしてしまう「積ん読」を防ぐ10の方法
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090130_stop_accumulating_books/
http://anond.hatelabo.jp/20081025002806
別に「異邦人」読んだって言ってないのに見抜かれた!と思ったんですけど、多分当然な話なんでしょうね。一作で判断してしまって恥ずかしい…。
は同意です。合う合わないはありますけど、完成度は流石です。
http://anond.hatelabo.jp/20081025012053
おぅ、聞いたことない名前です。ちょっと気になる。でもハードカバーで分冊なんですね。学生としては手が出しにくいかも…
http://anond.hatelabo.jp/20081025010420
うわぁ、こんなに沢山。目移りしそう。とりあえず φ(..)メモメモ
ざっと調べた感じだと「眺めの良い部屋」と「サイダー・ハウス・ルール」が気になります。あとは、以前少し読んで面白そうだと思ったけど、そのままになってる「百年の孤独」とか。
お三方本当にどうもありがとうございました。とりあえず、メモを持って近所の本屋に行ってみます。ではでは。
追記
お勧めがまだありましたら、どんどん教えてください。これからの参考にします。
返答どうもです。
http://www.panrolling.com/books/comics/
「ウィザードコミックス」ってハードカバーのシリーズが終わってるんでまずはこれを
http://www.panrolling.com/books/pl/
こっちで文庫化して
出来れば描き下ろしで新作出してほしい、って本気(マジ)で思っています。
大学生協は? 確か1割引だよね。ただ品揃えがなー。マンガとか売ってたっけ?
首都圏近郊ならルミネカードが10%オフ(だいたい年6回)の時にまとめ買いもオススメ。ルミネは2000円以上の買い物で配送無料なので大量に買って配送してもらったりもする。
私はboopleのアフィリエイト(自分の注文も可)5%を利用して、楽天カードで決済してポイント1%の合計6%で普段は済ませてる。出た本はすぐに買いたいから1万円以上とか買いたい本が貯まるまで待っていられないのでw
そんでハードカバー系の高価な本はピックアップしておいて取り置きなどを駆使して、カードの10%オフキャンペーンを狙う、というように使い分けてる。クレジットカードの割引はルミネ以外にもあると思うので探してみたらどうでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080316210124
どんなものでも反応をもらえるのは、やっぱりうれしい。
読み返してみると、たしかに省略が多いかもしれないと思う。
かといって、続きを書く気力はないのだ。
続きに関しては、ちゃんとした書籍に任せたいと思う。
2冊挙げたので、興味の湧いた方はどうぞ。
・[新版] MBAクリティカル・シンキング/グロービス・マネジメント・インスティチュート
といったことへの理解も深まる。ハードカバーで値が張るのが玉に傷。
・創造の方法学/高根 正昭
社会科学の研究方法の、ごくごく基礎的な考え方を知るためにもいい。
すごく分かりやすいし、すぐ読める。そして安い。
けど、余談ながら、この本を読んでも「創造力」は身につかない。
タイトルがこんななのは、たぶん、この本が書かれた頃の日本では、
新しいものを一から作り出す「創造力」がない、
なんて議論が盛んだったせい。
要するにこの本のタイトルは売り込み過剰だってこと。
今となってはタイトルで損してる、掘り出しものな一冊なのだ。
先ほど、すごいことを発見しました。それは、「政権が長期政権かどうかは、首相の学歴にズバリ、比例する傾向にある」ということです。この学歴問題を引き合いに出すのは「タブー」になっているのですが、歴代首相を論じる以上は首相の出身大学について語らないわけには行かないのです。
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安倍晋三 成蹊大法卒 会社員(+成蹊学園(小学校・中学校・高等学校))
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これを見て分かることは非常に多い。まず気が付くのは、宮澤喜一首相を最後に東大出身の首相がいない、ということです。ここ数代は、慶応と早大のたすきがけ的な形で続いています。
そして、一般的な「偏差値」が高い大学を出た政治家は首相になると「長期政権」になるということです。これは、上の履歴書をみると明らかです。
調べるまでは、まさかそんなことは、と思っていましたが、「政治家における学歴差別」は歴然として存在するのです。これで、なぜ安倍首相が不人気なのか、信望がないのかがよく分かりました。偏差値の高い大学出身の首相は、まわりに似たような学歴の政治家がたくさんいるワケです。そうすると「同窓会ネットワーク」の層が厚い。
同じ大学の仲間意識で皆が支え合うという意識があるわけです。これは、アメリカにおいても同様で、ブッシュ大統領はあれだけバカだと言われていますが、しっかりエスタブリッシュメント大学のイエールを卒業し、しかも、エリートクラブ出身です。それを考えると、安倍首相は哀れなくらいに学歴が低い。いや、学歴が低いといよりは、彼の場合には「受験を経験していない」のです。
受験を経験していないということは、「忍耐力がない」「修羅場の経験がない」という風に一般的に判断されます。しかも、安倍首相は小学校からのエスカレーターです。普通に受験して成蹊大学に入っているわけではない。これは非常にマイナス点です。
日本では、東大受験に成功することが最高のステータスシンボルであり、東大は一時期までは総理大臣を供給する大学でした。アメリカのジャパン・ハンドラーズの研究には「東大」の研究書もいくつもあるんです。東大は官僚制度と政治家にネットワークを持つ。これが日本の最大のパワーだったわけです。
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最も有名なのはチャルマーズ・ジョンソンが共著で加わっている以下の本。ハードカバー版しかない。表紙の「東大」という文字が笑えます。
An Empire of Schools: Japan's Universities and the Molding of a National Power Elite (Hardcover)
by Robert L. Cutts (Author), Chalmers Johnson (Introduction)
Table of Contents
Foreword
Preface
Ch. 1 If There Is a God, He Went to Todai
Ch. 2 First Principles: The Society
Ch. 3 First Principles: The Individual
Ch. 4 The Ivory Basement
Ch. 5 A Tale of Two Citizens
Ch. 6 The Leisure Class
Ch. 7 Who's on Top: The Women Elites
Ch. 8 Family: She's Got the Whole World in Her Hands
Ch. 9 Weapons
Ch. 10 Making It
Ch. 11 Fifty Ways to Lever the Governed
Ch. 12 Reform: No Exit
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同様に、早稲田大学は在野の精神で早大雄弁会を結成し、これも政治家供給源になってきました。慶応大学もどうように政財界に太いパイプがある。小泉前首相と綿貫国民新党党首の共通項はともに慶応出身というところです。意外なところで接点があって、それが情報交換のきっかけになったりする。
慶大出身の綿貫氏
そこに行くと、大変失礼なのですが、成蹊大学出身の有力政治家というのはほとんどいません。政治家の仲間がいないということは、つながるネットワークが少ない、ということ。安倍首相のネットワークは「安晋会」のようないかがわしい人たちの集まった後援会組織だったり、父親の晋太郎の時代からのサポートスタッフです。
安倍晋太郎は、病気で早くに亡くなっており、これを継ぐ形で晋三が政治家になっています。安倍家には、東大出身の寛信という三菱商事・中国支社のエリートビジネスマンもいましたが、なぜか彼ではなく、晋三に白羽の矢が立っている。
そうなると、何にも自分だけの基盤がないエスカレーター学歴の彼には、父の周辺の後援会に頼るしかなかった。そうなれば、晋三はいいなりです。広域ナントカ団だったり、地元の土建業者だったりがまとわりついてくる。それをさばくのは側近たる秘書なのでしょう。
こうなると、なぜ東大出身の寛信氏が後継者にならなかったのかが気になります。順当に東大出の晋太郎が総理大臣になっていれば、晋三が後継者になることはなかったのではないか、と強く思います。しかも、晋三氏には「南カリフォルニア大学」在学時の学歴詐称疑惑で騒がれたこともあります。結局、卒業はしていないということだったようです。民主党の代議士の学歴詐称を追及している段階で噴出した問題でした。
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上のリストに戻りますが、小学校卒業の田中角栄内閣は、やはり短命政権でした。しかし、彼は安倍首相と違い、たたき上げで、一級建築士の資格も持っていた。だから、それなりにポイントは高かったのだろうと思います。鈴木善幸首相もやっぱり短命政権。宇野宗佑首相も、羽田孜首相も・・・・。みんな“ポイント”が低かった。
これを法則化して理解した上で他の首相をみていくと、細川護煕首相、上智大学出身。細川政権は約一年しか続いていません。早大出身の海部政権は約三年続いています。この事実から、キリスト教大学である上智大学は、首相になる場合の「持ち点」が少し低い、ということになるでしょう。ちなみに政治家では野田聖子さんが上智出身です。村山元首相の明治大というのも微妙なところなのでしょう。
そこに行くと、面白いのは、故・三塚博さんと小渕優子さんです。三塚さんは、派閥の領袖も務めた大政治家です。彼は、東京獣医畜産専門学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。在学中は雄弁会に所属しています。わざわざ早稲田に学士入学しています。これは雄弁会に入るためでしょう。雄弁会というのは、今は威光もかげってきましたが、それでも現内閣では山本金融大臣を初め出身者が多い。森元首相、竹下元首相も雄弁会ネットワークです。三塚さんは学士入学で早稲田に入って持ち点を上げようとしたわけです。残念ながら、その努力は報われませんでしたが、閣僚にはなっています。
同様に、早稲田大学に社会人になった後に入学したケースとしては、元首相の娘さんである小渕優子さんの例があります。彼女の場合は大学院です。小渕さんは、羽田首相と同じ、成城大学出身です。この大学は意外に政治家が多い。しかし首相になったのは羽田さんだけです。しかも短命政権でした。
そこで小渕さんは、女性なので雄弁会には入れないのですが、早稲田大学に政治家をやりながら入学するという「奇策」に打って出ました。これは凄い。さすがは政治家の娘です。政治感覚が鋭いなあと思います。成城大学では幾ら政治家として頑張っても総理大臣はなれない、と冷酷に判断したのでしょう。早稲田に入学したということは、早稲田出身の政治家のネットワークの末席に置いてもらえる可能性がある、ということです。それでもなかなか首相への道は厳しいでしょうが・・・・。なんだか応援したくなりますね。
そう考えると、小学校からのエスカレーターの安倍晋三という人が首相になっていることは、国際的な一大スキャンダルである可能性が高いのです。安倍首相が国際的に影が薄いのも早稲田や慶応のネットワークに入っていないからかもしれない。そう考えると、一応、外国の政治家の経歴を調査する情報機関の間では、東大、早稲田、慶応の当たりの大学は評価されている、という見方も出来そうです。これが安倍さんが慶応幼稚舎出身だったらもう少し違ったのかもしれないですね。
そのようにしながら、日本の政治家を出身大学別に持ち点でプロファイリングしていくのも面白いと思います。同じ慶応や早稲田でも、政経学部か文学部か(例:石橋湛山)、第一部(昼間)か第二部(夜間)かで大きく違うのでしょう。私の出身は早稲田の一.五部と言われた社学出身なので、政治家的には微妙なポジションでしょう。
こういう当たり前のことは差別になるといってタブー視されていますが、やはり安倍政権は坊ちゃん政権だったのです。周りに大学のネットワークがないから、変なおかしい団体が支援者として食っ付いてくるわけです。そう考えると、やはり安倍政権、長くないでしょう。
ここでどう考えるべきか判断に苦しむのは、ポスト安倍の麻生太郎外相の扱いです。学習院大学政経学部政治学科卒業とあります。その他、スタンフォード、ロンドン大学に留学しているようですが学位があるかどうかは分かりません。学習院というのはどういう扱いになるか。彼は皇族の血が入っていると同時に、カトリック教徒です。クリスチャン政治家では、大平首相がいますが、これは短命政権に終わりました。(病気だったからかもしれないですが)学習院出身の首相はいないので、これが持ち点が高いのか、低いのかは分からない。ただ成蹊大学出の安倍首相よりは間違いなく麻生外相の方が持ち点は高いはずです。
そこへいくと、同じように微妙なのが東大出身の谷垣禎一元財務大臣です。彼が首相になれば久々の東大出身総理となります。しかし、彼は消費税を上げたりして、短命政権になるでしょう。その後に、つまり消費税上げをやった後に、民主党政権が出来るかもしれない。
つまり、大蔵官僚が、自民党に責任をおっかぶせて自分たちは民主党政権をコントロールするという考え方です。官僚を統制しているのは一部にはアメリカです。今の官僚制度をコントロールできる角栄のような政治家がいないので、官僚制度も政治家同様、アメリカに目を向けて指示を仰いでいるんでしょうね。
そう考えると、安倍首相がやたらと左翼思想を批判したり、「美しい国」というようないかがわしいタイプの保守思想を喧伝したがるのも、東大学歴に対するコンプレックスなのかもしれないですね。安倍家、佐藤家には東大出身が多いですからね。東大といえば、左翼思想、丸山真男、というわけです。「家庭の事情」で教育改革をやられては非常に困るわけですが・・・・。
まあ、政治家の価値は学歴だけで決まるというわけではないでしょうが、実際に統計的に結果が出てしまっているのは隠せませんね。
たまクリエイターでもないのに、なぜかクリエイターが搾取されているという人たちがいる。例えば
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51071216.html
http://d.hatena.ne.jp/mkomiya/20071117/p5
とか。だいたいこういう人はクリエイターが搾取されていることにして著作権侵害を正当化し、なおかつそうした不公正な体制を崩そうとしている正義の使者を気取っているのだと思うのだけど、こういう人によれば日本は「中間搾取」なるものがひどいらしい。だから印税について調べてみたが、やはり10%とというのは普通であるようだ。分類によっても変わるが仮にペーパーバックとハードカバーで分類するなら、ペーパーバックで6-10%、ハードカバーで10%から15%。小売価格と卸売価格でもかわり、小売価格だと8%から10%、卸売価格だと13%から16%らしい。卸売り価格は小売価格の60%。ただしこれらは目安であって、5%という印税率になることもあるらしい。
ソースはこちら
http://www.caderbooks.com/pubfaq.html
http://www.ivanhoffman.com/royalties.html
http://www.fonerbooks.com/contract.htm
出版社が搾取しているという根拠には社員が高給であることが上げられると思うのだが、幻想だろう。高給なのはごく一部中小企業では400万円から500万円。
一方、中小規模の出版社や雑誌・書籍の制作を請負う編集プロダクションは、30歳で400??500万円ほど。
http://ranking1.nobody.jp/salary/tv.htmlしかも高給な講談社などであってもそのうち300万円以上は残業代。
小学館、集英社ともに30歳代後半で平均年収は1000万円を超える。残業の多い編集者などでは30歳で1000万円を超える人も。残業の少ない部署と比較して年収で300万円近く差がつくこともある。
同上社員が高給だから搾取しているなんて、鳥山明は儲けてるから漫画家はすべて金持ちっていてるようなものだろう。だいたい講談社とかメジャーなところは「現代」や「non・no」など主に社員が書く雑誌で稼いでいるのだろうし。以上を踏まえると10%という印税率は搾取されているとはいえない。
ただ基本的に市場が効率的である限り、中間搾取を試みる人間がいても搾取は存在しない。例えば搾取の代名詞である派遣業で考えてみよう。仮にAさんがいて、その労働の価値が時間当たり2,000円であったとしよう。しかしながら現在1,000円搾取されていて、1,000円しか得られていない。ここで中間搾取を試みる人間がいればAさんに時間当たり1,500円を提示し自分は時間当たり500円を中間搾取することを考え、Aさんに提示する。Aさんは1,000円から1,500円にアップするのでこの提案に乗るだろう。ここで終われば搾取は存在したままだが、話はここで終わらない。ここでまたAさんから中間搾取を試みる別の人が出てくる。彼は例えばAさんから250円中間搾取することを考え、Aさんに時間当たり1750円の給与を提示する。Aさんはこの提案にのり、派遣会社をかえるだろう。こうした話はAさんが中間搾取されている間は続く。こうした話が続くと究極的には中間搾取がなくなる。中間搾取を試みる人間がいても搾取は存在しない。というよりも中間搾取を試みる人間がいるからこそ搾取は存在しないのである(ただその調整過程では中間搾取は存在し、現在それが問題になっているといえる)。
書店員の目線でまとめてみました。文章下手だから箇条書きで。変なとことかあったら突っ込んでください。
※21:54に追記しました。トラバのツリーを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
裏付けの資料がほとんど無いのでアレですけど、ちょっと前に「エロゲと韓流ドラマは似てる」って論旨の文章を読んだのを思い出しました。それと同じように、「ラノベと携帯小説は似てる」のかなあと思って書き下してみたのですが、どんなもんでしょうか。
瑞人か…orz EGコンバット完結まだかなあ。私はイリヤの最後の手紙のところと作戦名のくだりでどうしようもなくやられてしまったのでイリヤ命なのさ。四巻だけ何回読み返したことか。イラスト消してハードカバー版を出して欲しいなあと思う。あのイラストはちょっと引かれてしまうのでおすすめし難かったり。(http://anond.hatelabo.jp/20071018205714)
西澤保彦はジェンダー論ぶちかましてるのとかエログロバイオレンスいっちゃったりしてるのとか欝展開系は個人的にあんまり……やっぱり小説はハッピーエンドですよ。SMシリーズの続編はGシリーズというのかーと今知りました。スカイ・クロラは一作目で挫折。評価高いようなのでもう一回挑戦してみようかなあ。村上春樹はあのナルシスティックな文体についていけない…「ノルウェイの森」とか「神の子は皆踊る」?とか何作かしか読んだことないんだけどね。原りょうはいいね!新刊がもう望めないことだけが欠点。(http://anond.hatelabo.jp/20071018204000)
うるせー玉袋なんかねーよー!あっても読まないけど。(http://anond.hatelabo.jp/20071018210059)
マリみては黄薔薇革命ではまって世代交代で離れたなあ。むしろ「夢の宮」が読みたい……(http://anond.hatelabo.jp/20071018122821)
同じく就職してから読書量はやっぱり減った。昔は年間1000冊くらいは読んでたのになあ……(http://anond.hatelabo.jp/20071018233226)
もちろん読んでましてよ。書いた後見直したら色々と漏れてたー(http://anond.hatelabo.jp/20071018222539)
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喫茶店とかで朝から日が暮れるまで小説の話とかしたいなあ、と最近よく思う。すごい幸せなんだろうなあ。身近に読書友達が居る人が羨ましいぜ。ちくしょう。