物事の相似形を探すのは面白い.
身近な具体的な出来事と絡めて,トレースができるほど
それの文章は汎用的だと言えるのではないだろうか.
屍鬼という小説の作中,静信というお坊さんが書く小説が面白い.キリスト教の7つの大罪の一つ.憤怒を象徴する,カインとアベルのお話がベースになっているのだが,彼自身,自分の身の回りの村や寺,そしてその中にいる住職としての自分や父,村人との関係性となぞらえて,小説を書き出している.
彼には何故,と考え続けていることがある.
私にもなぜ,と考え続けていることがある.
そこに私もトレースしてしまうのだろう.
このところ,このテーマとなってる話ばかり見ている気がする.
・ザ クイズショウ:番組司会者とそのプロデューサーの関係が物語のキーとなっているのだが,そこにあるのが「憤怒」だった.これを見て私は,怒りすぎるのも考え物だと思った.
・ストレイトストーリー:主人公は,危篤の兄の知らせを受け,トラクターに乗って兄に会いに行くのだが,道中立ち寄った教会で,カインとアベルの話に自分と兄の関係をなぞらえていた.きっと,カインがアベルに抱いた怒りに近いものを持ってしまった(怒りすぎるのも考え物だ)という罪として主人公にひっかかりがあったのではないかと思う.最後は兄と和解したようだった.
そう,それでカインとアベルの関係について調べていくと,ヤフーの知恵袋で屍鬼についても触れられていたため,あの分厚いハードカバー2段組み 2冊を読むことにした.もともと屍鬼自体はジャンプで連載されている漫画を友人から借りて4巻まで読んだことがあったため,ひぐらしやバトロワなどの村での惨劇物語として認識していた.ブログでの評価を読むと,カインとアベルについての新解釈だと書いてあるものもあった.
さて,静信の書く小説と静信自身については本を読んでもらうとして,私自身に起きたごく個人的なことについて話を進める.
ありきたりな人間関係についての話だ.
自分に好意をもった男性がいて,それに絡まれた私はどうしようもなく絶望的な気持ちになり追い返してしまった.その後それを仕組んだ友人からなぜ断ったのか責めるような目で見られ,とても悲しい気持ちになった.もう5年も前の話だ.
なぜ,私は絶望的な気持ちになったのか.
なぜ,悲しい気持ちになったのか.
この出来事の直後,私は精神体力ともに虚脱してしまい,このような状況整理も問題把握もできずに,ぐるぐると悩んでは泣き悩んでは泣き悩みすぎたことにまた悩んでいた.
あとから考えると抽象的で荒唐無稽な話ほど,自分の周りの具体的な事象に重ね合わせてしまいやすのかもしれない.
結局私は彼をねたんでたんだと思う.
仕組んだ友達は私に対して親切というわけではなかったけれど,
彼に対しては親切にしていた.
それを私はねたんでたんだと思う.
今思い出すと,彼に対してしたことは後悔している.
つきあう付き合わないは別にして,私の話も聞いてもらえばよかった.
話した後はそれでお開きになっても,その後会えば何かしら話すこともあったかもしれない.
ねたんでしまってごめんなさい.
それにしても自分を好きだと言ってくれる人を妬んで嫌がらせするなんてどうかしてる。
悪化させないようにしなきゃ…。