はてなキーワード: ウエイトトレーニングとは
ウエイトトレーニングでも野球でもキリスト教でもラーメン食べ歩きでもなんでもね
自信過剰な低能ほど全く知らないことについて「俺はもう知ってる」「俺は出来てる」と言って
やりたい人がやりたいことをやって楽しむ分には何も文句はない。
かといって、「栄養を絶って思考が不安定になっているところであえて思考に注力させることによって、ありもしない神を実体験させるのサ!」みたいなことを言っても
増田的には同じ反応しそうなもんだけどな。
いや、だから、なにそれ?
なんていう瞑想なのそれ?
いま君が貧弱なイメージと悪い頭で考えた「ぼくのかんがえためいそう」だよね
君も元増田と一緒で
確かに同じ反応をせざるを得ない。
ウエイトトレーニングでも野球でもキリスト教でもラーメン食べ歩きでもなんでもね
自信過剰な低能ほど全く知らないことについて「俺はもう知ってる」「俺は出来てる」と言って
むしろウエイトトレーニングと水泳と自転車が趣味です
4000円弱のとこに行ってるけど
「オシャレそうなの」とか言われてもわからないよ
(「オシャレそうなの」と言われただけで適切な物を選べるような人は
そもそもアドバイスなんか要らない人だと思う)
・眉(細くしなくていいから形を整える)
整えるといわれてもわからないよ
繋がったりはしてないけど
(あと、細いのは全然似合わない人のほうが多いと思う。)
それぐらいならやってる(オシャレとしてではなく横着として)けど
客観的に言ってかっこ悪いと思うんですが…
そうなんだ
女は男ほど外見最重要視してねえぞ
「最」かどうかは問題じゃないと思うんだけど
金で決まるんならなおオシャレなんか関係ないじゃん…
あと、男女の話に限らないけど、お金で寄ってくる人はお金でトラブル起こす人だと思うし
もしお金がなくなったら離れていく人だと思う
煽ってるんじゃなくて
磨けば光るのにって人が多くて勿体無いと思うだけ
君のアドバイスは全部「磨く」とかいうより「身だしなみを調えましょう」レベルで、
あとそもそも別にイケメン(雰囲気イケメン)になりたいとかモテモテになりたいとかは思ってないんだよね。
そういうこと思ってる人は人に言われるまでもなくバリバリとやってるんじゃないの。
一本に拘るとか、バカじゃねーのって思うんだけど。
みたいなもんだろ。
ちょっと覗いてみればさ、トレーニング方法からしておかしいじゃん。
道着で走るとか裸足で外走るとか、なんなの?
冬の一番寒い時期の早朝に稽古とか、真夏にしめきった部屋で稽古とか、そういうのなんで好きなの?
今の時代でまだ練習中水飲むなとかだし、ウエイトトレーニング否定だし。
減量のやり方だって直前に絶食とか水抜きみたいなのやるでしょ?
たとえば段位認定が講道館でしょ?
で、講道館はやっとこさ5代目で嘉納家以外の人間が館長になったけど、それまでずっと世襲だったじゃん。
国際柔道連盟の下部組織が全日本柔道連盟で、でも全日本柔道連盟より講道館がエライ。
何年か前に「国際柔道連盟の代表に日本人がいないのはおかしい」みたいな抗議文だしてたじゃん。
もうね、バカなんじゃね?としか思えないんだけど。
嘉納治五郎があんだけ先進をいってたのに、なんでそれから100年も停滞して、というかむしろ後退してるんだよ。
追記
彼がなかったら武道どころか日本に近代スポーツが浸透するのがずいぶん遅れたと思う。
その点は認める。
横だけど、トレーニーはみんな仮説ぐらいは持ってるよ。
やり方が色々あって、不正解が見つかりにくいのがウエイトトレーニングっていうだけのこと。
体調や関節の痛みなんかでもメニューはフレキシブルにどんどん変わるし負荷も変わる。
あなたは回数にこだわってるみたいだけど、セット間の休憩をどれぐらい取るかも凄く大事だし、
ウエイトトレーニングでもっともっと大事なのは栄養だったりする。
ツリー読むとあなたは「高負荷」とか「10回」とか「糖質制限」とか、ウエイトトレーニングについて一応は勉強したつもりなのはわかる。
でもその知識ははっきり言ってまだ何の役にも立たないレベル・状態と言わざるを得ない。
何を専門にしてる人なのかわからないけど、「全体感」とか「フィードバック」とかいう用語にしても
血肉になっていないふわふわ感を感じる。一事が万事。
どうもちょっと、勉強や座学ばっかりで理論倒れ傾向になってる学生さんのような印象を受ける。
そもそも「飲食業の例えやウエイトトレーニングの例えがシバキあげ主義になっている」とは思いません。
横だが
そういうのはもし本当なら最初に言えよw
自分もその言葉にしっかり乗って「これはしばきあげ」「これはしばきあえじゃない」って議論してたくせに後からこんなこと言い出すなんて、
形勢悪いちゃぶ台まるっとひっくり返そうとしてるだけだろw
口喧嘩に負けた奴が突然そういうの言い出すのは一番みっともない。
どんどん狭いとこに逃げ込んでいってません?
「ぼくと結婚してくれませんか」。
飲食業の例えやウエイトトレーニングの例えがシバキあげ主義になっているのは
「提案だから」ではなく
そこまでわかるように考えて例を作っています。
でないとこうやって1から10まで説明しなきゃいけなくて面倒くさいです。
でこの内容自体は強制されない限り何の問題も無い(言うだけならいくらでも、死ねみたいな命令文では形式上無いわけだし)のだが。
何か問題でも?
・・・。
問題があるないという話もあなたが持ち出した事で、
私は寛容さを求める論調の場でよく読むとシバキあげ主義そのものの論法が猛威を振るっている事について
違和感を表明したうえで「つまりどっちがやりたいの?」という疑問を発しました。
また余談に付き合えば、
「問題がない」と言うのは本気でしょうか。
さっきの例で言えば
「ベビーカーもちの子連れ母親です、エレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです」
という訴えに
「ウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。」
母親はもちろん、提案されたウエイトトレーニングを居する自由がありますが
問題はそこでしょうか?
②guldeen氏は別に強い同調圧力をかけてはいない。苦労することによる他人に対する許容力を向上させる方法の提案ではあっても強制ではない。提案の拒否もできる。
「同調圧力」なんてなしでも、拒否の自由ありでも、シバキあげる事は可能です。
そもそも
「飲食業でもっと辛い思いや忍耐を経験するのがお勧め」というコメントは、
形式上は「提案」ですが、実際に元発言者(若い人でも無職でもない)が飲食業に転職するわけがないことは
guldeenさんも☆つけてる人もみんなわかってますよね。
これは実態的には「提案でもなんでもなく
「修行が足りない」「苦労が足りない」って言ってるだけですよ。
「飲食業でもっともっと辛い思いをするまではお前は何にもわかってない」
「修行の足りないお前の『子供の騒音が辛い』はただの甘えだから却下」
と言ってるだけ。
「お前が修行しない自由はあるよ?
でもお前が修行するまではお前の意見は半人前だから認めない。却下。
おっと、お前には拒否する自由があるんだからシバキ上げなんて言うなよ?」
「ベビーカーもちの子連れ母親です、エレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです」
とい声が議題になったとしますよね。
これを
「この母親は、近場のジムでもいいのでウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。
あんたの症状に合ってるかはわからないけど
体を休めたり寝たりしても疲れが取れないって人は結構いて
そういう人に薦められるのが「積極的休養」っていうんだけど
ジムに入会してウエイトトレーニングしてごらん。
規則正しく週2回、1ヶ月は続けてみて欲しい。
いや、あんたさあ、
ザッと文章読めばわかる。
「雄臭い」とか「モッコリブリーフ画像」なんて言葉出て来ないし、
知ってても使わないから。
俺がよく見てる2chのウエイトトレーニング板は
しょっちゅうホモが侵略して来るんだけど、あいつらと全く同じ匂いをあんたは放っている。
まだまだ今の日本社会の中でホモである自分を認めるのって勇気が要るだろう。
それを隠して押さえつけるためにすごく緊張を強いられて生きてきてるはずだ。
仕事で緊張やストレスが強まると職場でゲイ動画見たくなるんだろう?
そんなの他の人に見られたら面倒なのに、そんなこと繰り返してるんだろう?
それは緊張や抑圧が強すぎて自分を押さえつけるのが嫌になってきてるんだよ。
まだ今は
そうすれば自分のことが今よりずっと理解出来るようになる。
ゆっくりとしたハーフスクワットで大腿筋を追い込んでみてください。
この2分ほどの時間は、どんなライフハックよりも自己啓発よりも
スクワットが終わったら座ってみましょう。
パンプアップした太腿が全身にここちよい充実感と血流を運んでくれています。
どれだけたくさんライフハックを齧っても手に入らなかった自己変革感が得られましたよね。
ジム通いを試した人は多いと思いますが、何故か皆さんカーディオにいかれますよね。
ウエイトトレーニングなんです。本当に必要なのは。
ウエイトトレーニングは短い時間に集中して力を出し切ります。
1回1回が己との対話であり克己心の連続であり、発見の繰り返しなんです。
ベンチに寝てバーベルを挙げてるだけのことで、これら全てが得られるんです。
本当ですよ。
ウエイトトレーニングをする人たちは、格闘技が好きな人、強さに憧れる人が多い。
はあ~あ?
あとあんた怪我しすぎだろ
どんなやり方してんだよ
弟と特に理由なく闘いごっこという取っ組み合いもしたりしてた。
強い、弱い、強いってカッコイイ、そんな話を無邪気にしたときに、「ぜんぜん理解できない」
と母が言ったいた。
今、僕はウエイトトレーニングを趣味にしてる。
ウエイトトレーニングをする人たちは、格闘技が好きな人、強さに憧れる人が多い。
なぜか逆に僕は、強さの憧れを失ってから筋肉を苛めるマゾ的な趣味を始めた。
あの時母は、「理解できない」のあとに
「だって、殴られたり投げられたりしたら痛いじゃん」と続けた。
あの頃は、殴ったり投げられたりする側になるかもしれないということを考えなかった。
多少の痛みはアドレナリンで吹っ飛んでいた。
殴ったり殴られたり、投げたり投げられたりするけど、どちらかといえば殴る、投げることが多いものだと思ってたような気がする。
練習して強くなれば、勝てるようになると信じてた。
試合のルールのなかでなら、なにをされても恨まない、恨まれないっと思ってた。
よく聞く名前でいうと、肉離れ、ぎっくり腰が代表的だけど、筋挫傷、椎間板ヘルニア、靭帯損傷、筋膜炎、腱炎。腱鞘炎、いろいろやった。
自業自得だから我慢できるけれど、これが例えば格闘技の試合中に他人に傷つけられたものだとしたら、ルールの中だとしても恨むかもしれないと思うのだ。
もちろん、この程度だったら恨めしい気持ちも沸き起こるかもしれないが許せると思う。
でも後遺症が残る怪我なんてしたら、恨まずにいられる自信がない。
もっと極端に、死に至ってしまったら、自分が死んだらもう相手尾恨むことすら出来ないが、たとえば相手が死んでしまったら、遺族に恨まれるのは当然だ。
一発のパンチが決まったときには、殴った人間と殴られた人間が同時に存在する。
格闘技の楽しさは、他人を打ち負かして優越感に浸ることに他ならない。
小男が大男を投げ飛ばす。投げ飛ばされる人間に自分を重ねたりはしない。
ボディビルダーは弱いといわれても(カラダを鍛える=ボディビルならそうかもしれないですけど、ボディビルの大会には出てませんが。)、使えない筋肉に意味はないといわれても、見せ掛けの筋肉といわれても、僕はこの先に拳を使うことはないと思う。
普通の人より重いものはもてるし、運動しない人に比べたら筋持久力も心肺機能も高い。
それで十分じゃないか。
次第に有酸素運動からウエイトトレーニングにシフトし、始めたときに20歳だった歳がもうすぐ29歳になろうとしている。
運動は嫌いだった。
今でも嫌いだ。
僕は馴れ合いが好きだ。
みんなとお喋りするのが好きだ。
1人、冷たい鉄の塊を上下させるなんて、信じられない。
今でも信じられない。
正直、筋力なんてなんの価値もないと思ってる。
知力のほうがずっと役立つ。
モテるようになるわけでもない。
むしろ、マッチョは気持ち悪がられるだろう。
で、なんでするかっていうと、つべこべ言ってなにもしない自分が嫌だからだ。
無駄なことであれ、つまらないことであれ、行動をする自分になりたいからだ。
台風が近づいてる。
でも、閉館時間の前に行かないと。
んじゃ、バイバイ。
筋トレじゃなくても、靴磨きでも、なんでもいいんだけどさ、意味もないことを黙々とする練習にもなにか意味があると思うんだよね。