2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220163400

そもそもシバキじゃない提案などありえないのだが。政治性を帯びない言葉が無いように。

どんどん狭いとこに逃げ込んでいってません?

じゃ例として提案・プロポーズ王道

「ぼくと結婚してくれませんか」。

これはシバキあげですか?

馬鹿馬鹿しい。


飲食業の例えやウエイトトレーニングの例えがシバキあげ主義になっているのは

「提案だから」ではなく

「辛さの申し立てを自己責任論的に封殺するからです

そこまでわかるように考えて例を作っています

あなたも読みながら少しは自分で考えてくださいね

でないとこうやって1から10まで説明しなきゃいけなくて面倒くさいです


でこの内容自体は強制されない限り何の問題も無い(言うだけならいくらでも、死ねみたいな命令文では形式上無いわけだし)のだが。

何か問題でも?

・・・。

問題があるないという話もあなたが持ち出した事で、

私は寛容さを求める論調の場でよく読むとシバキあげ主義そのもの論法が猛威を振るっている事について

違和感を表明したうえで「つまりどっちがやりたいの?」という疑問を発しました。

話をしている最中に出発点がわからなくなる記憶力ならば、

ポイントメモしながら会話する癖をつけてください。


また余談に付き合えば、

「問題がない」と言うのは本気でしょうか。


さっきの例で言えば

ベビーカーもちの子連れ母親ですエレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです

という訴えに

ウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。」

で終わりにする市民社会

私の感覚ではかなりファンキーだと思います


母親はもちろん、提案されたウエイトトレーニングを居する自由があります

問題はそこでしょうか?

  • 横だが。 「辛さの申し立てを自己責任論的に封殺するから」です。 封殺になってないよん。 「ウェイトトレーニングをしてない」ことも、「接客業をやらないでいる」ことも、社会...

  • 「ぼくと結婚してくれませんか」 これはシバキですよね。提案は抑圧性、シバキを常に含みます。もしこれに同意していただけないなら、それは単にシバキという言葉の定義が私と貴...

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