グイチャルディきましたか。1802年にピアノソナタ14番《月光》を献呈された女性。ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか。
ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェン→ナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。
そしてウィーンの王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブな自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルトは英雄だよ、という表現か)。
ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか。
かつらをかぶらない"芸術家"爆誕。宮廷や教会に雇われずに自立して生きた最初の作曲家ベートーヴェン。
難聴。クララ・シューマンの映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマンの病気の表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェンの難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。
きましたな。
ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」
ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。
きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。
!うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。
シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)。感情の自由と人間性の解放。ロマン主義の先触れ。小説の出版は1774年(ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。
謎の女=死
第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。
ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」
月光ソナタの呼称はベートーヴェンの死後、ドイツの評論家、詩人のコメントに由来。
実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレンベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタを作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。
ふむ。ハイリゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。
ハイリゲンシュタットの遺書は難聴とグイチャルディとの恋愛の破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。
王侯貴族の使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的に結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。
耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。
【回想】
ベートーヴェンがウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないかと青木やよひ氏は推測しているらしい。
ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺もキーワードだったか…。
ウェルテルと同じ。
残念だが保育園はそんなもんだよ
説明会に保育者がいなかったのならどちらかは子どもを見てないといけないのだし、二人とも聞くのは無理じゃないの
どちらかが見られるときは預けることができない
だから君が参加してても特に何も変わらない。話し合って対応を決めるのは家でできます
なので説明はどちらかが聞いていればいい
「コロナ回復後の観光客の呼び込みを図るため~」という建前でPR映像作成とかにウン百万とか使ってるんだぜ。
こんなの常識的に考えて費用対効果うっすいだろ?不要不急だろ?
市町村の経済振興を担当してる部署の企画力なんて素人そのもので、
結局どこかの町のプランをコピペするか地場業者の提案を丸呑みするしかなくて、バカな企画の横並びになってるわけ。
で、議員も地元業者に国のカネで補助できるとなったら断れないわけ。立場上。支持基盤なんだから。
教育でも福祉でも国費が絡めばクソ細かい監査や報告を強いてくるお国がですよ、こういう使い道を堂々と認めてるの。
市町村内部でも、財政部門って紙や封筒の経費にはクソうるさいのに、こういうアホみたいな企画への数百万円はスルーなの。国のカネだから。
市が市のカネだけで負担しているシンママに対する育児費用の補助金はカットされそうだけどな。
やんなるね。
どうすればいいと思う?