担任とのやり取り
先生にはいじめの多い人の名前を教えましょう→上から目線ですね
もう死ぬ場所は決めてあるんですけどねwまあいいか…→明日からの研修楽しみましょうね。
父親「知っていれば学校には行かせなかったのに」
やり取りの前者は去年の担任とのやり取りであり、
ボクがいつ消えるかわかりません。ですが、先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もう少しがんばってみます。ただ、もう市ぬ場所はきまってるんですけどねwまあいいか…
それに対して担任の返事が
時系列順に並べてみていく。
少年は中学一年生の頃もいじめられていて、その時は別の担任だった。
『上から目線ですね』、『どうしたのでしょう、最近イライラしているようですが、自分で、ストレスを解消できるといいね』
昨年9月中旬、父親の相談を機に、生徒と部活顧問、嫌がらせをしていた生徒が話し合いをして、いじめは解決したようだ。
しかし、二年にあがって4月上旬頃から父親に「ちょっかいを出されてウザい。学校に行きたくない」と話すようになった。
(同級生の親が少年が泣いて帰宅していたこと、いじめられているということを父親に話していたそうだが、これがいつの話かはわからず、一年生のいじめの時の話かもしれない。しかし父親も少年が学校生活に問題を抱えていたことは知っていた)
4月中旬頃からノートにも孤立やいじめの内容についての記述がはじまり、6月8日まで出る。
ニュースでおった限りでは月2回程いじめについて書かれていたようだが、その他にもあったかもしれないので頻度はわからないし、この間担任とそれについて話をしているかはノートからは見えてこない。
しかし同級生の話では少年が担任に泣きながら相談をしていたり、担任がいじめている生徒たちを別室に連れて行き叱ったりもしていたようだ。
6月中旬頃には、昨日は話ができてよかったです、という教師のコメントがある。
それ以降主にテストについて書いていたようだが、6月28日頃に何かあったらしく
ここだけの話、ぜったいだれにも言わないでくださいね。もう生きるのにつかれてきたような気がします。氏んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)
と書いた。それに対して
と担任は返している。
どうしたの?じゃねーよ、とネットで言われたりしていたが、一度話をして落ち着いた後にまたいじめの話が再開したので、どうしたの?というのは不自然ではない。
また、その頃書くことはテストについてが多かったこと、一年生の時は部活顧問と話し合いをしていることから、問題はテストなのか、クラブ活動なのか、クラスでのいじめなのか聞くことも自然だし、死にたい、という子に元気を出そうと言うのも自然である。
そして翌日の29日には、先生には希望をもらいました感謝しています、と少年が書いているので、おそらく何か話をしたのだろうと思われる。
そこで死にたいというような話もたくさんしたとすれば、7月1日、2日の研修に向けて前を向いてもらおうと、研修楽しみましょうというコメントをしたことも納得できる。
6日に警察からノートの返却があり、7日にマスコミがノートについて報道、父親はインタビューにこたえた。
マスコミは少年のノートから担任への感謝の言葉や、誰にも言わないでくださいという言葉を切り取り、担任のコメントがないものには無回答と報道した。
話し合いが行われていれば無回答のケースがあるのも自然であるが、話し合いがあったかのような報道はしなかった。
一年のノートと二年のノートをごちゃまぜにして、一人の担任という悪役を作り上げた。
訂正:7月8日時点で別の担任のコメントであるという報道があったそうです。情報ありがとうございます。
父親はいじめについては知っていたがノートの存在を知らなかった。
もしノートについて知っていれば、と答えたのに、まるで父親は何も知らず大人は担任だけがいじめを知っていて見殺しにしたかのような報道がされた。
本文ではそう書いていてもニューストピックでは省略されていたりして誤解が起こりやすい記事も多かった。
また2ちゃんねるや、2ちゃんねるのまとめでも作為的な報道とそれを受けてのひどいコメントやバッシングがあった。
単に刺激的なニュースになればいいと考えていなかっただろうか。
しかし少年は希望をくれた担任がこうやって責められることを望んでいただろうか。
追記:できるだけたくさんのニュースをおって、真実を求めたつもりですが、間違いがあれば指摘してください。
マスコミを妄信しないことも大事だが、マスコミを敵対視しながらマスコミの情報を引っ張ってくるのも自ら歪ませる行為なので難しい。
自分は当初から教師の側の負荷も考慮した発言をしていたよ(後出し)
しかし報道で得た情報からは、教師のフォロー不足以上の判断はできなかったし(言い訳)
やりたいことがあるが、機材が高くて実現できない。高いと言ってもたかだか150万円ちょいぐらいなんだが。
セブンが好きで、惣菜買うときはだいたいセブンを利用しているのだけれど。
流石にいつもセブンじゃ飽きるなと思って、少し遠めのローソンまで赴いてみたわけよ。
そこで惣菜を物色するのだけれど、どうも食指が動かない。控えめに言って、まずそう。
結局ローソンでは何も買わずに、その日はいつものセブンの弁当を買って帰ったんだ。
自分はローソンの惣菜よりはセブンの方が味は好きだが、そこまでの差があるとは正直思わない。
だから、ローソンでなにも買う気になれなかった自分に対して、少し衝撃を覚えた。
セブンとローソンを決定的に分かつものは、(少なくとも僕にとっては)味ではない。だとすれば、それはいったいなんだろう。
その疑問は、馴染みのセブンに入った瞬間に、氷解した。
ズバリ、照明が違うのよ。
全部が全部そうかは僕には分からないが、セブンの照明の色は少し赤みがかっている。
赤というのは食欲を増進させる効果がある、というのはご存知の方も多いだろう。
家庭でも、ダイニングの照明はだいたい赤っぽい色だと相場が決まっている。
照明が、セブンの惣菜を美味しく見せているのだ(勿論、他の部分での企業努力もあると思う。セブンは見た目に対するこだわりが他のコンビニより強いと感じる)。
どこもだいたい、青みがかった、蛍光灯らしい色で光り輝いている。
クリーンなイメージを出すには良いかもしれないが、この色、食べものとは非常に相性が悪い。
結果、あまり美味しそうに見えない。そのイメージは固定され、いつしか「セブンが美味い」という風潮が生まれる。
と、つらつらと書き連ねたが、自分のなかではそんなふうに納得した、というだけの話です。
破裂音が頻繁に入るような音楽ジャンルのBGMを流水音と一緒に流せば完璧ですね。
というか排泄音をうまく消すノイズキャンセリング的なもの、作ったら結構いいと思う。
僕は童貞だ。
童貞を殺す服とか言うのでも、そうでないものを着ていても容姿のいい女を見ると「いろいろな意味で、一生あの美しさは手に入らないんだろうな」というコンプレックスで心がやられる。
風俗にでもイケよとか言うけど、なんだかなぁという気持ちである。
自分と仲良くしてくれる難関国立大学編入志望の年に30回以上はソープに行く二回生がクラミジアと淋病を併発した事があると自慢げに診断書を見せてくる。それでもやっぱり彼は色々と引きずっているからどうしようもないものはどうしようもないのだろう。
持病で高級な免疫抑制剤を飲んでいるし、なんか気力も出てこないからいい。
しかし、それはただ「キモいのお断り」を遠回しに言ってるだけなようだ。
清潔感のある顔とか言ったら、色白イケメンを出してくる時点で終わってる。
僕のような顔の形が変で大きくて、皮膚は月面の如く生々しい凹凸があって、いたるところで細胞液が固まったようなものとか血とか脂とかが吹き出してグチョグチョになっていて、鼻には開ききった毛穴がまぶしてあって、肌は赤黒い色をしているのはどうやっても清潔感は出ない気がしてくる。
いや、出ないのだろう。
持病の薬を飲み始めて、肌荒れが信じられないくらいひどくなった時に、駅のプラットホームで父が僕の顔を見て「顔が良くないんだから清潔感を大事にしろ」と言った。
しかし、父は僕がどう足掻いても清潔感というものを出すことは無理だということを悟ったのか「清潔感」という言葉を二度と言わなくなった。
今まで15人くらい付き合ったんだけど、この前数えたら過半数が◯◯子という名前だった。
年齢は20代半ばなので、◯◯子という名前はたぶん少数派にも関わらず。
今度デートする子もそうなんだけど、これに気づいてから◯◯子という名前の女性に出会うとドキドキしちゃう。
高級なトイレでもたまについてる消音機。流水音で排泄音を消すらしいんだけど。排泄時の破裂音に全く対応してないんだよ。
そもそも流水音って、そんなに気になるか?気になる音の本命は破裂音だろう。
女性は、そのへん気にならないもんですか?
朝の「おはよー」、夕方の「おつかれー」くらいは、有る。
回りでは、会話が飛び交っている事が多い。
煩いくらいに話している事もしばしばある。
私には無い。
だからと言って会話に参加したいとも思わない。
私はこいつらが嫌いだ。
話もしたくない。
こいつらが何を言っているのか興味もない。
こいつらの言葉が分らないし、
分りたいとも思わない。
あー、早く日本に帰りたい。
(自分の身の回りの世話を一心に引き受けてくれて金銭的支援もしてくれるうえに精神的にも支えになってくれるまるで理想の母親のような)配偶者が欲しい,という弱音が最近気を抜くと口から出そうになっていることに気付く。そうした弱音を抱いている自分の心の弱さにもはたまた落ち込んでしまう。セックスできる母親,とはよく言ったものだ。私は女性でおそらく異性愛者だが,こうした文脈で弱音を吐くと「セックスできる父親が欲しい」にはならず決まって「セックスできる母親が欲しい」になるのが面白いところだ。現実世界の実の母親は,嫌いではないが格別好きというわけではない。弱音の妄想の中にでてくるセックスできる母親はいつだって理想であり,だから手が届くはずもない。
薄給の身で一人暮らしをしている,という状態はおそらくディスアドバンテージなのだろう。田舎暮らしなので家賃はそれほど高くはない。けれど,一所懸命に生活をしているはずなのに,どうしてこんなに時間がないのだろう。どうしてこんなにぐったりしてしまうのだろう。それはおまえが怠けているからだ,もっとがんばればいいところをなあなあで甘えてきているからだ,と思い込んできた。けれど自分で自分を詰っても何の解決にもなりやしない。高給取りの知人や,同じく薄給取りではあるけれど実家暮らしだったりする人間と会話をする行き場のない黒い感情で心が塗りつぶされていく。友人と会うのがしだいに苦しくなっていく。自業自得,そんな言葉が頭がよぎる。これは自分で選んだ道なのに。
でもがんばるしかないんだ。
がんばろう。
犬好きの彼女に、
「無人島に一個だけ持っていくとしたらなあに?」
って毎週聞かれる。
俺はその度に
「猫入りの防災バッグセットかな。これでかなり生きていけるから。」
と答える。
彼女は、
「えー、犬入り防災バッグの方がいいよー。」
と言う。
そして、俺が
「ニャンだとー」
と言い、彼女が、
「なんでもないワン」
と言って取っ組み合いの喧嘩になり朝になる。
犬猿の仲というやつだ。