はてなキーワード: 限界集落とは
>ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登の限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけ
これって具体的に誰がいってんの
何故か個人名が出ないままふわっと「リベラル」「インテリ」を叩いてるけど
ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。
>リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい
という話だけど、
ない想像力を働かせて考えてみる。
谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致、北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。
こうした地域の経済振興や観光アピールや公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。
県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。
でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗が推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。
2003年の能登空港の開港や小松空港の国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。
2022年の谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田が出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗は自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本は事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。
そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。
そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登の限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで
この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域の人間としてはイラっとくるのかもしれない。
想像だけど。
余談ーー
また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。
馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、
今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。
あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県や北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。
総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。
これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算を執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。
ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。
そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民の気持ちはわかる。
一方で、発災直後の対応を外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラの問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードにスイッチが入っていく。
復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題点はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく
これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。
という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、
県民はもっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。
多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論は過去のものになって、もうしていないと思う。
disられていじけて、保守がますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブなスパイラルもわからなくもないけど、
だからと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。
しかし、外野の意見のなかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。
そこは地元の人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者(民間の支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。
よそからきた民間の経験などを踏まえて、外部の冷静な視点で意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。
そして、実際、国や行政が復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。
復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。
しかもスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者は決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ」方式なので、行政の提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったかは統計すらないというのが実態となる。
それこそ、発災直後はヒーローにみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。
心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。
ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。
そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。
先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。
外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。
そのなかには、東日本含め、過去の復興の経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。
外部の人間は玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。
間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命の安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。
そういうときに、その意見もちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。
そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。
とはいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。
石川県は県内あちこちで進めてきた企業誘致や北陸新幹線建設など、
一方、災害リスク軽減に向けた計画づくりは産業振興にブレーキをかけることになるからとペンディングにしてきた。
今思えば07年後の耐震診断くらいはしないといけなかったな。
防災投資を暗黙の裡に手控えなければ進められないという平時の政治のメカニズムが、
この平時と復興期の政治の動きは表裏一体。復興期の動きのなかでは、二つの政治的な動き方がありうる。
ひとつは、地域の経済産業を災害前の同じ状況に迅速に戻そうという動き。
観光地であれば、訪問する外の人々に災害を早く忘れてもらったほうがいいし、
曲突徙薪の故事でいえば政治家が災害後の復旧でヒーローになる手っ取り早い発想だ。食べて応援!みたいな流れもそれに近い。
ビーチ沿いのせまっくるしい土産ストリートで人があふれ逃げ遅れたという教訓があるにもかかわらず、
復興過程ではいち早く観光産業が再生し、政治家は避難施設への誘導標識をつけたり訓練をしたりすることすら嫌がり、防災対策としてはあまり何もしなかった。
結果、全く同じショッピングストリートが出来上がった。そして同じ規模の津波がきたらきっと同じことが繰り返される。
もうひとつの動き方は、災害で失われた生命財産に対するバックラッシュ。
東日本大震災の復興過程では、生命の安全をなにがなんでも守るという災対法の理念を忠実に実現しようとした。
平時では合意形成が難しく、とても実現できないことを復興期にやれるのは強味ではある。
浸水地域ではもう人は住むな、といって一世帯あたり3000万くらいかけて高台をつくり、巨額の復興予算で海岸は大量のコンクリートで防潮堤を建設した。
しかし迅速な復興を目指したあまり、復興計画への住民の合意形成が拙速になった。
結論を急いだ結果、家を失い生計を失って自分自身の生き方を迷っていた多くの地域の人たちが結果的に地域を出ていき、地域に残りたいというのは
そこで人生を終えたい高齢者だけになった。以前にも増して限界集落となって投資したコンクリートを誰も住まない地域に残した、という教訓がある。
山本一郎が復興のあり方に懸念した文章みたけど、それってこのあたりの課題に重なる。
行政が介入した瞬間から参与観察になって地域に影響を与えることを覚悟しないといけなくて、費用便益を事前に計画で客観化できるというのはうそだ。
復興過程での政治や行政主導が住民のレジリエンスを阻害して、結果的に投資に釣り合わない結果になったかもしれないという部分を考察しないといけない。
ギリギリ気を張っている被災当事者の心を折らないためには、子供扱いしてあやすのでもなく上から従わせるのでもなく対等にフェアに扱わなければならない。
信頼できる随伴者がいるのだという、寄り添い型の支援、それが基本だっていうのは意見は理解できる。
そして今のこの発災直後1ヵ月未満というタイミングで必要なマインドだろう。
罹災証明手伝います、とか公的支援がこんなのあります~とか、支援者側が見えているものをわーわーと情報洪水で押し付ける、とか避けるべきだし
そこはそろりそろりと小出しに情報提供してみて被災者が腰を上げるかどうか様子をみるしかない。
ただ、「対等にフェアに扱わなければならない。」という、その気の使い方、その言葉の端々に、当事者から離れた立場がそもそも出発点だというジレンマもあろうね。すでに知らず知らずに上から目線がにじんでいるよね。
ただ大切だっていうのはわかるんだけど、でも長い目でみて、寄り添いってそこまで大事かな、そうかな?とおもうとこもある。どちらかというと、つかず離れずなのかな、と。
今後の人生を決めるのは支援者じゃないしね。彼らの人生の何がわかるって、結局何もわかってないところからスタートするわけじゃない。
支援者としては突き放した部分というのも重要じゃないかと思う。
よく災害復興は発災直後からスタートするっていうように、これから少しずつ復興の話をしなければならないなかで
は極論だとしても、それに幾分かでも近づくニュアンスの主張というのはどうしたって誰か彼かから出てくるもの。
そのときに、信頼関係というのがむしろ邪魔になることもあると思う。
信頼関係ができて人間関係が密になると、知らず知らずに同じ人、仲間内の人としか話をしなくなるってことがある。
話し合いの場で、いろいろな人がいろんな考えを持っている、ということを排除するムードが自然とうまれていく、といってもいいんだけど。
そとからみると、内輪で鉄壁のなわばりがつくられてしまって、はたからみて何かいいたいことがあっても声をかけにくくなってしまう。
ちょっとでも被災者の心情に傷をつけるようなことをいうと、お前は被災者に真に寄り添っていない、と断罪の目線をむけてられてしまう。
支援者同士の分裂や被災者の分断ってそういうダイナミズムで生まれることが多い気がするね。共産党的マインドっていうか。
強い信頼関係が知らず知らずに、他者との温度差にかわっていくのって案外自分では気が付きにくいもの。
連中がどんだけ何もわかってないか
恐らく敵が増えていくプロセスって自分じゃなかなか、わからないだろうな。気が付かないだろうなと思ってしまう。
それは逆に、本当にあるべき地域の姿を考えようとするときに足かせになる。
むしろその地域を全然知らないような無礼にも乱暴にもみえる支援者がわーっと闖入しては去って行ったり、そういうことが許されるような、
ゆるゆるなオープンな空間のなかで、自由な発想が開花する、ということがあるかもしれない。
それは苦労して信頼関係を築いた先行者にとっては不快な雑音かもしれないのだけれど、案外そこに突破口やら解決の糸口がみつかるってこともある。
信頼関係はもちろん大切だけれども、それと同時に、多様性を受け入れる下地を作っておくことって大事だと思うね。
言うは易しで、空気が乱れ、不協和音があることこそが強みだという、そこまで突き抜けて達観することはもちろん自分でもできないけれども。
まあネットの空騒ぎの内容が今の段階で避難所の年寄りに直接伝わってはいなさそうだけど。
よく「心のケア」という言葉が使われるが「戦力の逐次投入」と同じように意味わかってないのに言いたいだけの奴が多い。
DPATみたいな専門家の仕事だけでなく災害時の「心のケア」において大きなウェイトを占めるのはこの先の身の振り方について見通しが立つかどうかということだ。
と言っても被災者のいうがままに迎合するのはむしろ子供扱いしてるのと同じ。ギリギリ気を張っている被災当事者の心を折らないためには、子供扱いしてあやすのでもなく上から従わせるのでもなく対等にフェアに扱わなければならない。
いますぐ先々の具体的なロードマップが見えてなくても、それを模索・策定していく上で信頼できる随伴者がいるのだという、支援側との信頼構築が重要。
という基本ラインをふまえたうえで再びくだんの空騒ぎを見ると、連中がどんだけ何もわかってないかということがいっそう明確になる。
ではないよ。書いた人間だが。
私が言及した高齢者福祉の分野の話だが、支援の現場ではまさに被災地へ支援要員を送り込むべきか、それとも受け入れ先を模索すべきか、という議論がずっとあって、そしていまもある。そしてそれに対して、私は現地派遣を増員するよりも、受け入れ先を増やすべきという意見だ。
しかし、大勢の意見は現地での支援要員の拡充。そういう方向でしか解決策を見出せない現状に対するいらだち、ととらえてほしい。
この分野の支援はどうしたって息の長いものになるから、支援のための最低限の公共インフラが復旧の見通しが立たない現状では、
たとえていうと、自分の家族の問題とおきかえれば、在宅介護にこだわるべきか、施設にいれるべきかという葛藤に近い。
できもしないことにこだわると、支援者も疲労するし、支援が継続できず結果として介護される側のBHNも満たされないという、悪い方向へ向かう。
私は、ドマイナー限界集落ジャンルで二次創作小説を書いている。ジャンル自体がドマイナーなため、当然推しカプの知名度も低く、現在推しカプで活動している人の数はおそらく片手以下。ROMもほぼいない。
私は二次創作が下手だ。文章も構成も、とにかく作品を構成するなにもかもが下手。自分の作品に対しては、稚拙で見るに堪えない、という評価しか下せない。自分で見てこの評価なのだから、他者から見たらもっと酷いのだろう。
だが、そんな私を気にかけてくださる方もいる。同カプの絵師・Aさんだ。
Aさんは商業でも活動されている絵馬で、フォロワーも多く、支部でメジャージャンルを描けば4桁後半のブクマをじゃこじゃこ取っている。
Aさんはいつも私の作品を褒めてくれる。これは私の二次小説が優れているからではない。いわゆる、「これしかない需要」というやつだ。それくらい、馬鹿の私でもわかる。
Aさんは以前私に「あなたの二次小説を、もっとたくさんの人に読んでもらいたい」と言っていた。
その言葉通り、Aさんは拙作をリプライで、引用RPで、空リプで、他者に見える場で熱烈に褒めちぎる。その度に、私は苦しく、惨めで恥ずかしくなる。だって、Aさんがいくら私を持ち上げようと、私の実力が5しかないのだから、5は100にはならないのだ。そして、Aさんのフォロワーも5を100として受け取らない。Aさんがいくら私を分不相応に持ち上げて、布教するかのように晒し上げたところで、拙作への評価が増えたことは一度もない。
Aさんの褒め言葉は、タイムライン上で、彼女の5桁近いフォロワーの目の中で、上滑りしていく
私は他者の評価を求めて二次創作をしているわけではないので、評価されないことそれ自体は苦ではない。
ただ、上滑りしていく虚しさが、ままごとのような恥ずかしさが、たまらなく辛い。自分が出来栄えに納得していない自作を褒められることもまた辛い。
こんなことを言うと、ブロックなりブロ解なりすればいいと言われるだろう。だが、私はAさんの描く推しCPが大好きだ。Aさんに存在を知られる前、私がROMの頃から匿名箱を使って熱心に感想を送っていた。それに、Aさんは同カプの話ができる数少ない、というかほぼ唯一の友人でもある。私はAさんとの縁を切りたくはないし、まだ書きたいものがあるから二次創作もやめたくない。
せめて、過剰で分不相応な褒めはDMなどのクローズドな場でやってくれないだろうか。そう思って、しかし良かれと思ってしてくれていることなのに角を立てるのも、私の自意識が過剰であることがAさんにバレるのも嫌で、今日も私は何も言えなかった。