はてなキーワード: 山菜とは
かつてこれ
https://anond.hatelabo.jp/20231107155841
”感情では熊絶滅してくれたらいいのにと思う派だけど、集落襲撃と違って、人の娯楽(山菜採り渓流釣)のために熊駆除するのは違うと考える。私はソロ登山やるから切実だけど、運が無かったと思う事にする。”
このブコメが傲岸すぎて泣いちゃった。
”投稿者がいみじくも書いた、山菜採りと釣り。その延長線上で、熊の親子は駆除される。釣り合いますかね? まぁ、山菜と魚を絶滅させれば問題解決だが。”
は単にマジでなんもわかっとらんのやな思うだけやからええけど山登りしとる人が自然と人間との関わりとしての正解のように書いてまってるように思えてまったのがごめんやけどなんやひっかかってまった。
いや違うな、ワイは娯楽で死ぬ覚悟はできとるけどこのまとめの人らは娯楽でやっといてそれができてへんのやね、いう文意やろか思てムッときてまったんやな。
”田舎生まれの人は分かると思うけど、こういうとこ通らないと生活できない地域も普通にあるし、山菜取って食うのも文化だし、そう簡単に「人間の領域」と「熊の領域」の切り分けはできないよね。”
もしかしてワイが非表示にしてるコメの中にヒグマなど皆殺しにすべし、いうような過激なことを書いとる人がいて、その人に向けて書いとるブコメならごめんやで。
でもそうやないとしての話やが、このブクマカさんがどこに住んどってどんな暮らしをしとるかはわからんけどこの書き方からしてきっと山からそれなりに離れた都市部の人やと思う。違たらほんますまんやで。
そうでなければ襲撃されることが稀である「集落」と人間が分け入ってはいけないクマの領域「山間部」が離れていて「生活」と「娯楽」が切り離されている前提で話さないやろうと感じるからな。
きっとブクマカさんがソロ登山をするときには何かしらの交通機関もしかしたら自転車やらかもしれんけどそれらを使って山へ行って、そこからさあ登るぞってことを月に数回とかするのやろか、と想像するのやけど(違ったらごめんやで。)、そういう感じやと普段の生活に山やクマの息遣いというのは入ってこないんやろから仕方ないんやけどヒグマに遭遇するような暮らしをしとる北海道民の多くは「家のすぐ裏・ちょっと歩いたとろにヒグマがいる山や森がある」って感じの人が多いと思うねんな、いうかワイがそうなんやけど。
そんなのよっぽど田舎か山間の方の話でしょ?wて思うかもしれんが、田舎どころか政令指定都市である札幌市においては南区・西区・中央区・清田区は本当に山がちな地域が多くそのすぐ裾野までびっしりの住宅街が連続しとるいう感じやって都会においてすら北海道ではほんまにヒグマの問題は身近でありかつそこに代々暮らしとる人間にとっては「山菜取り」は文化以前に普通に生活なんよね。
これらの区を繋ぐ道は件の林道よりはそれは都会的ではあるけどや、鹿も通れば狐も通りヒグマも横切る山の中の道でこれを遊びで通る以外の人の方が多いことは市内、どころか北海道民ならだいたい当たり前にわかっていることやと思んやね、生活ですよほんまに。それ以外のなにもんでもなく。釣りはようしらんからごめんやで。やらんからな。
ワイはヒグマ怖いから絶対山に入らんけどワイの前の世代、その前の世代はあたりまえに春になれば山菜取りが生活の一部である人が大勢おり、それを知らん人が自分の知っている自分と山との距離感を当てはめて娯楽といってのけるのはなんとも…やし、そういう地域の住人がのべつまくなし被害に先んじて山林にいるヒグマらの駆除を望んでいるかといえば全然違うんよね、やからヒグマにおびえながら被害に遭わないよう気を付けて暮らしているわけですわ。
例に出しとる行為と同列のものとしてご本人さんが出しとるから「娯楽」と書いてええと思うけど、そうやって度々のソロ登山をたしなむ人が「生まれたときから毎日家の真裏にヒグマのいる山がある」立場の人のなにを判断できるのだろう、後者の人は前者の人より命を落とすかもしれないことへの覚悟がキマってない、いうふうにとれる物言いはほんまにになんやちょっと…傲慢やない?と居住民としては感じてしまったわ。
去年はエサ不足(竹の花が咲く周期とも関係あるとも言われてるけどどうなんやろな?)でヒグマは例年以上に札幌市内のあちこちに出没しとって、もちろんそれ以前も普通に出没しとって周辺に住んでいる人間はみなそれを警戒して暮らしとるよ。
山の近くの小学校に通う子はたまにランドセルに鈴つけとる子もおる位や。
https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/
この地図
https://www.google.com/maps/@43.1620553,141.1140322,9z/data=!4m2!6m1!1s1IdKI30huZBf56kXAdzwugZ-JcN5Y35QH?authuser=0&entry=ttu
をずいっと拡大してもらうと、いかに市街地と山が隣接していてその境目が曖昧であるかということがわかってもらえる思う。
一歩下ればすぐ車通りのある車線の多い大通りいう民家の前の道に親子のクマが出没して防犯カメラの映像に捉えられニュースになり、「遊びで山に入」らなくても本当にヒグマとの遭遇は日常的なものだという恐れやら覚悟を新たにしたとこなんよ。
山間部やない東区の住宅街にも出没し住民がケガを負ったこともあるしあれも決してその年だけの特殊な状況ともこれからは言えんと感じるわ。
本州の方も良く知っとるやろう藻岩山や朝日山大倉山、定山渓の周辺なんぞまさにクマのメッカのようなとこやしおなじみ白い恋人パークからほんのちょい南に上った山裾の住宅街にもヒグマはたくさん出よるねん。
ほんでそれは多くの住民のすぐ「家の裏」なのであり、生活の場の中いうか一部に内包されとんねん。
札幌市では来年度から山の際の市街地に箱わなを設置するとのことやが
https://www.fnn.jp/articles/-/686749
山から出てしまったヒグマに対する措置やろないうとこやし実際どれだけのヒグマが箱罠にかかるものかというところで、前述のような住環境において住民の命を守るためには決して積極的ではない対応やとワイは思うわ。
札幌は田舎やんかw言われてしまえばそれも間違いないんやけど田舎に限らずヒグマの脅威というものは常に隣にあるもんで、命を失う覚悟もなく甘々の環境で暮らして遊びほうけとるもんでもなく「運が無かったことにする」では済まない毎日があるいうこと少しだけもしここへ住んどったらどうやろワイ・・・て想像して考えてみてほしいんやで。
その上で誰も積極的にはヒグマなどみな死んで滅んでしまえばええねんとも思ってないいうことは特に書いておきたいのや。
そう強く感じとる人間がようけおったとして内心はブクマカさんも書いてるような気持ちと同じやとしても、結果として出力されとらんとこはワイらも同じやねん、たとえブクマカさんより遥かに遭遇する確率が高い日常を送ってたとしてもや。
前述の増田の通りワイはヒグマが怖すぎて泣きそうやからまだ引っ越し資金をためとるで。
そして今これを書いてから泣きながら家に帰るところや。
日経新聞が買い物難民を「自宅からスーパーやコンビニまで500m以上あり車の利用が困難な65歳以上の人」としていたがそのくらいは歩けばいいのでは? - Togetter
それも長時間
俺は庭の草抜きだけでへばるんだが、草抜いたり緑の鉄棒刺したり種巻いたりいろいろやってる
今の65歳以上の年代はネットに疎くて家でゴロゴロしててもやること無いからな
しょっちゅう動いてる
動けなくなるのはだいたい70後半からだ
田舎のじじばばは畑で野菜作るだけじゃなくて、山に入って山菜も取ってくるからな
今の時期ならたけのことか蕨とかな
都民は美術館に山菜の展示がなかったから存在も旬の時期も知らないかもしれないけどな
雑草一つとっても季節の移り変わりが楽しめるってもんだろう
住宅街を歩いても天気のいい日は庭いじりする人がいるからどんなことやってるのかなーと横目で観れるし
雨が降れば雨音も楽しめる
だいたい田舎暮らしで「車通りが多い道」と「徒歩に向いた道」の区別もつかないなんてありえるかよ
店がある通りなんて一部だろうが
人口1万人あたりの死亡者数でもうちの市より東京の◯◯区や横浜とかの方が数値高いからな
可処分所得も見ずに「地方も金がかかる。都会と変わらないー」とか
美術館の数は長野県が一番なのに「文化資本!美術館!!」しか言わねーし
どーこにも老人に優しい要素ないぞ東京は
冬になれば、森の中で、うまくて冷たい空気が流れている中自由に歩き回れて、最高だった。川の表面は完全に凍ってるから、これまた自由に歩き回れる。ある程度高いところから滑っても夏より痛くないし、汚くならない。やぶも漕がず、ダニがおらず、羆が恐ろしくない。かんじきやクロスカントリースキーがあれば、苦労せず行き来できる。寝転がって、頭上の木に小さい鳥がとまる。
春になると山菜が出るから、それを取りにまた山の中に入る。崖を上って、街から出てくる半端者では取れない場所にあるうまいやつを探す。すべてが泥まみれで、土のにおいが一番強い。地面がふかふかになる。白樺が水を吸い上げ始めるから、幹に穴をあけて樹液をとる。子山羊が生まれる。
夏は山が青く見える。春の間は、すべて薄い膜がかかったように見える、もちろん空が柔らかい色合いだが、夏は深い青に戻る。すべて青みがある。川の色も美しくなる。太陽が高くなり、透明度が際立つ。泳ぎに行けば、濡れたところにだけアブがたかり不快だ。川は流れが速くて、あまり遊べない。まっすぐな道に逃げ水と陽炎が目立つ。朝の気温が過ごしやすくて、散歩が一番いい。セミや鳥がとにかくたくさんいて、たくさん鳴いている。
秋はドングリがたくさん落ちる。歩道が全部どんぐりになって、歩きにくい。日に日に冷たくなって、異常に乾燥を感じる。日暮れ時の空気が、冷たすぎて鼻の奥が痛くなる。自転車に乗ったときの手がつらくなっていく。雪が降り始めるまでが一番きつい。歩道の枯れ草が邪魔だ。イタドリが枯れ木のように立っている。なんとなく、彩度が落ちる。雪が完全に降ってしまえば、白くなり、静かになる。
仮面ライダーシリーズはずっと続いているものと思われているが、実は空白期間があり、われわれの世代はライダーに見放された世代だった。空白期間後に久々に復活したのが仮面ライダースーパーワンである。仮面ライダースーパーワンは過去のライダーと違って虫のようなバイクにのったりはしない。でかいバイクででかい態度で高速道路をクルージングする。変身してもライダーキックのような泥臭い技を繰り出したりはしない。当時の世相は「軽薄短小」。電卓やデジタル時計がもてはやされた時代なのだ。当然仮面ライダースーパーワンもちまちまとした道具を繰り出す。レーダーを腕に装着したり、ミサイルを腕に装着したり。いまでいうところのガジェットオタクだな。とうぜん俺ら世代はスーパーワンに夢中になった。
そうだけど、納得できない回がひとつだけある。
スーパーワンがでかいバイクをこれみよがしに転がしてど田舎にいく。群馬県のイメージだな。昭和の群馬。人外魔境
それでスーパーワンはど田舎の蕎麦屋に入る。注文するのは山菜そば。スーパーワンは山菜そばを完食。蕎麦屋のばばあが会計を求めるのだが、スーパーワンは「こんなまずいものに金を払えるか!」と言い出して大暴れ。おまえ、完食してただろ。店を破壊し始めたので、当然、群馬県警が駆けつける。スーパーワンはミサイルなどの卑怯な道具をつかって群馬県警を瞬殺。群馬県警はショッカーだったんだがな。そしてボスキャラが登場するのだが、でかいバイクで体当りしてボスキャラも成敗。大円団。
いやいやいや。山菜そば食い逃げしようとしたスーパーワンが一方的に悪いだろ。ショッカーがなにかわるいことしたかよ。納得がいかん。
鹿が増えてて春になると楽しみにしていた山菜も全滅。田畑も2mくらいの柵をしないとなんぼでもやられる。
猟友会に入ってると有害鳥獣駆除として春から秋も狩猟ができる。目標捕獲頭数があって1頭捕まえると1〜2万円報奨金がでる。
鉄砲担いで山に入るのではなくて箱罠、くくり罠をしかけて餌撒いて見回りしてかかってたら12Vバッテリーに100Vインバーター繋いで
電気ショックで殺処分。写真撮って尻尾切って事務局に提出すると毎月口座にお金が振り込まれる。
定年退職した老人が年間100頭とったら100万円、いい小遣いだ。
その鹿をどうするかというと①食べる②ジビエの食肉加工場に持ち込む③焼却場で処分④穴掘って埋める⑤山にポイ
処分の手間も含めての報奨金だけど⑤が多い。背ロースだけ取る人、角だけカットする人はいるけど中途半端な穴掘って埋めても翌日には
獣に掘り返されてる。山にポイしても翌日にはきれいになくなってる。
他人の山に勝手にポイすると不法投棄だけど自分の山にポイしても違反でない。他人の山に罠しかけさせてもらって許可をもらってその場にポイ
しても違反ではない。モラル的にはアウトだけど自然循環で考えると燃やすよりはましかとも思う。
自治体もこの問題には悩まされていて冷凍庫で一時保管してまとめて焼却場に持ち込むとか食肉加工場に補助をだしたり菌で分解させる減量化施設を作ったりと試行錯誤してる。
けれども猟師にとっては山にポイが一番楽。お金くれるなら持ち込むけど。
ポイした鹿はたぬきやカラスやキツネが食べてるんだろうけど熊も食べてるはず。
そんな山奥の話ではない。車で通れる道のついた集落からそんなに離れていない山でそんなことになってる。
どんぐりが不作とか豊作で数が増えたとかもちろんその通りなんだろうけど猟師の後始末が原因でこれからもクマ被害が増えるのではないかと心配してる。
ちなみに猪は豚熱が流行ってて山には粉末ワクチン撒いたり対策してるけど養豚場はかなり神経質になってるはず。
インボイス制度ってなんか登録し始めて準備しておかなくちゃいけない雰囲気の昨今でいったい何したらいいのか分からないのそれなんてインボイス美味しいの?ってインボイスの郷のある山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところよ。
ちなみに郷って郷と書いてさとと読ませるタイプの郷ね。
郷って美味しいものがあると言えば山菜とか筍とかキクラゲとか!
でね、
なんかどっかの立ち寄った道の駅で偶然見かけて生キクラゲが売ってたのよ!
いつも見るラーメンとかで刻んで細かくなったキクラゲしか見たことなかったので
ちびっこの子どもが魚の形を知らないで切り身のまま泳いでいると思っているかの如く、
私もキクラゲは細いまま海に漂っているクラゲの類いかと思ったら
山の幸なのね!
そんで忘れちゃったけど、
湯通ししたのかそのまま洗って食べたのかは忘れたけど、
生キクラゲをお刺身でいただいて美味しいキクラゲの郷の思い出はあるわ!
そんで私はインボイスの郷になにか美味しいものがあるのかそれは事業者にとって美味しくないのかも知れない噂があるので、
とりあえずはなにかしらの登録というかそう言うのはしなくてはいけないみたいなのよね。
どっちで採れるのか分からないキクラゲを海藻かと思っていた時代が私にもあったように、
ってそれは懐かしいにおいのした~だったわね。
すっかり買ったことを今の今まで読んだ形跡がないことも思い出したわ。
読んで勉強しなくちゃ、
私が買ったのは猿でも分かるシリーズじゃなくて、
鷲でも分かるシリーズなのよ!
デアゴスティーニ的な分冊のインボイスのシリーズがあるけど完結しているころはもうインボイス制度が始まっちゃうので間に合わないけれど
暴れん坊将軍ディーブイディーは買ってしまいそうだったけれど、
それはさすがにやめておいたわ。
あれの週刊分冊シリーズは1回でも買うの逃しちゃうともう集める気力が無くなっちゃうのよね。
笑っちゃうわね。
でも避けてられないので
毛利元就さんが言っていたように
分冊の1冊ではなんかよく分からないけど、
3冊ぐらい集まったらなんか集めてる雰囲気出るんじゃね?って逸話とも似ているわ。
あーもうインボイス面倒くさいと行っていて忘れたふりしていたけど、
私だって忙しいのよ!
昇格戦あんじゃない!昇格戦!
昇格戦控えてんのよ!
じゃないと枕を高くして寝ると案外首が痛いから良い枕って最初思いのほか高さが低いから、
え?これ良い枕なのにこんなに高さ低いの?ってちょっとビックリするぐらいだけど、
いつの間にか慣れてくるのよね。
枕を合わせるんじゃなくて人が枕に合わせに行くんだと思うのよね。
だから昇格戦が終わらないと
てーか昇格しないと
安心して眠れないわ寝ているけど。
今私の忙しいことは
うふふ。
おお!珍しく変わりダネサンドイッチね。
暑くなってきたので、
補給の水分はお水でもいいわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
すぐ近くにうるさい場所はあるけど、切り取られたように静まり返った場所、とても大好き。
なんだか安心する。
小中学生の頃は実家で居間にいずに、よく仏壇のある部屋や、階段に座っていた
なにをするわけでもなくボーッとしていたり、図鑑を読んでたりした。
そう考えると、ぽくは小さい頃からインキャの才能があったんだな、と思う。
高校に入ってから部活に入らなかったが、その分とても長い間教室にいた。
中でも一番好きな時間は、みんなが教室に集まる前の朝早くの時間だった。
高校までは90分ぐらいの割と遠いところに住んでいたが、よく先生が正門を朝に開けてくれるのを待機していた。
誰もいない教室に一番乗り。
なんだか、いつも賑やかな場所なのに朝イチで来た時はとても特別な空間に感じた
二番目に来る同じクラスの女の子と、いい感じになったりもした(何事もなく終わった)。
大学に入ってからは同じように、図書館に入り浸ったり、深夜の徘徊に勤しんだり相変わらずのインキャぶりを発揮していた。
やはり、普段はうるさかったり、すぐ外に出ればにぎやかになったりと、ワイワイしたところに時間、空間的にアクセスしやすくて静かなところが大好きなのである。
それ以前は単に静かなところが好きなのだと思っていた。
社会人になってから、コロナが蔓延し、フルリモートワークとなった。
東京にいる意味もなくなり、少し郊外の田舎の方に引っ越してみた。なんというか、リトルフォレストみたいな生活に憧れていた。
最初の頃は自然に触れ合うのが幸せで、菜園を始めたり山菜とりをしたりとても満喫していた。
が、やっていて虚しさを感じた。
なぞに丁寧な生活に憧れていたが、結局やりたかったことはこれだったのか?と思い始めた。
そこでやっと気づいた。そう、自分は寂しがり屋だったのである。
なんとも都合の良い人間だ。
自分的には、外に出たらうるさくて少しイラッとくるぐらいの環境が丁度よかったのである。
そんな空間だからこそ、家や図書館、教会みたいな静かな場所が輝く。
賑やかだからこそ、家にいる時間が愛おしい。今ぐらいがなんだかんだ丁度いい。
お母さん(実母)は田舎に暮らしてて、自分達が食べる野菜くらいは畑で取れる。季節ごとにこれが美味しいとか今はこれを食べたほうがいいとか言う。もうこの時期のぶどうはあかんなぁ~とか言う。
お義母さんは生まれも育ちも都会で、あそこのお店がおいしいよとかここは昔から通っててとか言う。新しくできたパン屋さんに寄ってからいくね~とか言う。
お母さんの作るごはんはシンプル。ふつうの野菜炒め。ふつうの煮物。ただ素材に仕事がしてある。かんぴょうをいちから干したり、山菜は取ってきて加工したり、梅干し漬け物は全部自作。そもそも野菜は育てるとこから全部自作。
お義母さんの作るごはんはとにかく美味しい。ひとつひとつ丁寧に作られている。煮物はそれぞれきっちり隠し包丁が入っているし、鳥は下味を付けてからじっくり煮込んでありホロホロなのにしっとりしている。
わたしはどちらも無理~。都会でシンプルな料理を作ったり作らなかったりして暮らしたい…ごめんねお母さん&お義母さん…
川釣り海釣りキャンプドライブツーリングBBQジンギスカン海水浴川泳ぎハイキングサイクリングスキースノボ山菜きのこ狩り…
近所でやっとったことが何一つできん。カネ払って遠くまで行かんと。そんでいちいち渋滞や。
何するにも予約予約って面倒くさ。外で肉焼くのにイチイチカネ払わなあかんのなんかホンマダルい。
博物館、美術館もあれこれ行ったけど仕事しとったら土日にしか行かれへん→車もバイクも全く停められへん・停めるのにめっちゃカネかかる・人も渋滞しとる→だんだん足が遠のいた。
歩いて電車乗ってまた歩いてとかシミったれたことみんなようやるわ…。オレはもういらん…。
パンダとかものすごい列並んで一瞬見て終了。白浜行ったらいっぱいおるのに…と思ってしまった。
あと東京の民はなんかのマゾなんか知らんけど何十分も足痛くなるまでボーっと並ぶんを愛好しとるやつ多いな。イラチには無理やわ。
街散策って、行けども行けども似たような店と家ばっかで何が楽しいのかようわからんよ…。谷根千とかええよとか言われたけど、どこが歴史的なんか分からんかった…。
無理やり復元しとるようなお仕着せ?川越?か。作ったような街に見えた。あと500年ぐらいは生活に使おうや…。
まあ東京はどこにでもある地方都市中心部の風景をひたすら凝縮して集めただけのように思ったな。だから東京生まれ育ちは「故郷がない」とか言うんやろうな。
母方の祖父が亡くなった。
入院したのは一昨日の夕方。叔母と従妹がたまたま顔を見に行ったら、起き上がるのがしんどい、とベッドに横になっていて、何度か手の痙攣があり、土曜も診察しているかかりつけに行ったらそこから救急車で総合病院へ。
もともと持病がいろいろあったけど、今回は肺炎(コロナではない)。血中酸素濃度がめちゃくちゃ低かったようで、酸素投与で少し楽になったのか、意識はしっかりしていて、「おい、今日は帰れねえのか」と文句を言っていたというう。とりあえずは抗生物質で肺炎の治療を進めるということになった、ということを聞いたのは11/19の夜、実家の母からの電話だった。
昨日、11/20の午後、「あまり状態が良くない」と家族LINEに母からのメッセージ。電話をすると、抗生物質が思ったほど効かず、血中酸素濃度が思ったほど上がらない、この2、3日で何が起きてもおかしくないと医者から言われたという。でもこの時も祖父はしっかり意識があり、カテーテルが嫌だの歩きたいだの帰りたいだの、散々わがままを言っていたらしい。夕方17時まで、祖母と叔母たちと母(この時直接面会を許されたのは1等親の間柄のみだったそうだ)がそばにいて、また明日、つまり今日の午前にはここまでやった検査の結果が出揃うから、それを基に抗生物質の選定や治療の方針を決める、という話をし、それぞれ帰宅したそうな。
それをわたしが電話で聞いたのは18時。また明日の午前に、医師との面談が終わったら連絡するから、と言われて、了承して電話を切った。
とりあえず職場に現状を連絡しておかねば。いつでも帰れるように荷造りをせねば。でもつまりそれはスーツケースに喪服をつめておけということか。嫌だなぁ。
そう思ってベッドに寝転んで天井を見上げていられたのは、しかし30分程度だった。
「おじいちゃん、旅立ちました」
おじいちゃんはせっかちな人だった。
孫には甘かったけど、たとえばおやつやお小遣いを渡そうとした時、わたしが「もらっても大丈夫なのか」と母の顔色を窺おうとすると、「それくらい自分で決められんのか。お前が欲しいんか欲しくないんかはっきり言え」と怒られた。
いつ遊びに行っても、だいたい畑にいた。トマト、とうもろこし、ナス、枝豆、かぼちゃ、玉ねぎ、葡萄、イチゴのハウスもあったかな。おばあちゃんとお茶の準備をしてると、泥まみれで勝手口や縁側から上がってきて、おばあちゃんに文句を言われながらも一緒にお茶を飲んだ。おじいちゃんの湯呑みは黒で、割れたものを一度金継ぎしてあってかっこよかった。
多くのお年寄りがそうであるように、おじいちゃんもお餅つきが大好きだった。自分はたいして食べないのに、年末は庭で餅米をふかして、臼と杵でついていた。さすがにもうここ数年は腰を悪くして出来なくなってしまって、サトウの切り餅を前にたいそう不満そうな顔をしていた。
わたしは関東に住んでいるので、コロナ禍ではなかなか会いに行くことが難しくて、最後に話したのはお盆に、実家に帰ったときにかけた電話だった。「次来たらおこわ炊いてやるからな」って言ってた。おじいちゃんが作る山菜おこわと、甘納豆を入れて作る、おやつみたいに甘いお赤飯が好きだった。
今、とりあえず地元に向かう高速バスに乗っている。最後が電話越しじゃなく、直接会えていたら、良かったなぁ。おじいちゃんちから帰る時はいつも握手をするのが小さい頃からのルールで、皮膚が厚く豆が凸凹したあったかい手とぎゅうと握手するのは大きくなってからは照れ臭かったけど、最後にそれが出来たのはコロナ禍の前だったから、もうその感覚は遠くて。仕方のないことだけど、それがとても寂しい。いろいろ対策をして、この年末年始は会いに行きたいって母と話していたんだ。
仕方のないことだった(持病があったから、コロナにかかったらそれこそたぶん一瞬だったろう)、でも、何か出来なかったのかな。そんなことをずっと考えてしまう。
まだ実感はない。88歳。昨日までわらって喋ってたひとが急にいってしまう。
わたしが歳をとる分、わたしを見守っていた大人は老いていく。そんな当たり前のことを急に突きつけられて、まだ気持ちの置き所がわからない。
あと2時間もすれば、わたしはもう動かなくなったおじいちゃんに会う。そうなったらきっと、いろんな気持ちにかき乱されそうだから、まだ変に冷静なうちに、おじいちゃんがどんな人だったかを、こうして書いておくことにした。