はてなキーワード: 日課とは
昔から子供が好きで子供さえあれば生きていけると思ってたけど、段々子育てができなくなってきてしまった
仕事を終えて家に帰るともう七時で取り敢えず仕事中に溜まった家事(6タイトル)を消化しないといけない
10時からはslackにインして2時間くらい高難易度プログラムの練習をする
そしてまた寝る前に家事の残りを終わらせると2時くらいで、就寝の準備して寝なければならない
ソシャゲ・ネトゲに飽きてるってことを自覚できてない、もしくは飽きてるけど「一生ゲーム好きでいる」って縛りが否定させてるからじゃないか?
ゲーム自体が楽しくないのに、システムに刷り込まれた「プレイしなきゃいけない」義務感でゲーム触ってるからしんどくなってあたり前
ゲームって数か月で飽きるのが普通なんだけど、ソシャゲやネトゲはゲーム以外の部分からモチベーションを付与する作りになってる
で、今の増田は飽きてるから「楽しさ」とかの内発的な動機ではなく、気力タンクからモチベを無理やり引っ張って来てる状態だと思う
本心ではつまんねーと思ってるのに心に鞭打ってるのと、睡眠不足で病みかけてて「ゲームができない俺はもうだめだ」ってなってんじゃないか?
俺も少しソシャゲやってるけど6タイトル+ネトゲは常軌を逸してる
SNSでAI絵師と反AIの議論(?)を見るのが日課なんだが、以前と比べて最近はもう口争いみたいな投稿が増えてきてちょっと悲しい
眺めていると数人の方は建設的な意見など言っているように見えるが、大多数は攻撃性が高くて見ていて不快。先日は煽られて喧嘩買うぞかかってこいよとか言ってるのもいたし…
AI絵師はモラルがないとか、人の迷惑考えろとか、揚げ足取るなとか、以前はイラスト生成AI規制派の言ってることに賛同できたんだけど、
最近は絵柄割れ厨が!とか、AI推進者はカス!とか、わざわざAI絵みつけてAIやめろ!って攻撃的なリプしたり、揚げ足もとってる投稿が散見される。どっちがモラルがないのかな…逆転している印象。
掃き溜めみたいなSNSに期待しても意味は無いんだけど、どうも底レベルな争いのフェーズに移ってきてしまったなーという印象。
どこまでOKでどこからNGという線引きを早く国や文化庁などが明確な指標を出ない限りこれには終わりは見えないだろうな…
私個人としては少子化・働き手が減っている日本の未来に向けてはAI導入は必須だと思っている。単純作業の効率化・人間は上流工程へのシフト化を行い人手不足を解消しなければならない。
が、しかし、その中でイラスト関連については、ちょっと目に余る使い方をしている人も散見される。AIイラストを公開したりは良いと思うが、他人の絵柄を完全コピーしたり、他人の絵のi2iの利用するのは賛同できない。
音楽も翻訳も文章もその他いろいろな生成AIが出てきて効率化されているのに大きな問題にはなっていないのはそういうところなのかもしれない。最近よく言うデータセット云々はどの分野でも同じようなレベルだと思うし、仕事が奪われる!ってのもどの分野も同じように考えられる。
上でも言った通り、もともと生成AIの一部規制に賛同していたし、今でもモラルやクリエイターの立場は守られるべきだと思っている。ただ最近はちょっとな…という感じ。
昔からゲームが好きでゲームさえあれば生きていけると思ってたけど、段々ゲームができなくなってきてしまった
仕事を終えて家に帰るともう七時で取り敢えず仕事中に溜まったソシャゲ(6タイトル)のスタミナを消費しないといけない
そこからソシャゲのイベントやら日課やらを消化しなきゃならない
10時からはネトゲにインして2時間くらい高難易度コンテンツの練習をする
そしてまた寝る前にソシャゲのスタミナと日課の残りを終わらせると2時くらいで、就寝の準備して寝なければならない
買ったゲームに全然手を付けられないし途中で止めてしまうことも多くなってしまった
ゲームが好きでゲームだけしてれば幸せという生活はやがて破綻する
もう終わりだよこの人生
いやまぁ十中八九、ただ単に時間経過による体調の回復なんだとは自分でも思うんだけど、理性ではそう思っていてもさ、実感を伴った主観ってあるじゃないですか。
ここしばらく急に背中の筋肉がめちゃくちゃこわばって背中を起点にだんだん全身にその体のこわばりと痛みが広がっていたんだ。
この現象私は定期的あるんだけど、はっきりとした原因がわかっていない。
今回は勝手ながら痛みが発生する前くらいからやり始めた生活習慣の中で0秒チキンラーメンをお湯に溶かして食べるっていうのを疑っている。
そして実際ここ数日、日課として食べていたのをやめたらだんだん痛みがなくなってきた。
まだわからない。これだけではなんとも言えない。
でも、わざわざ疑いのある食べ物を食べ続ける必要もないので。うーん。自分の中ではチキンラーメンはNG食品になったかも。
チキンラーメン食べると頭が痛くなるだのお腹を壊すだのって書き込みはwebでちらほら見かけたんだけど、背中が痛くなるってのは全然見かけなかったな。背中が痛くなるってのは多分内蔵やられてからその拡散痛が影響しているんだと思う。(素人による自己診断です)
チキンラーメン食べると胸焼けが酷くなるっていうのは過去に体験していて、だからこそ0秒チキンラーメンならなんとかならないかなって思って食べていました。
特に最近逆流性食道炎の診断を受けて、治療のために胃酸の量を抑える薬ももらっています。だから胃酸の量を機にせず、毎日チキンラーメン食べられる!0秒チキンラーメンなら塩分控えめだしなんとななるやろ!位の気持ちで挑んだけど、胃酸を抑えるくすり程度では無理だった。
よくわからんのは、割と脂っこいものとかも食べているんだよね。なんでチキンラーメンだけが駄目なんだろうか。
チキンラーメンの油だけ私の体質に合わないってことなんだろうか?そんな事ある?アレルギーとかではないと思うんだけど、良うわからんですね。
NHKで3年以上ずっと上司からパワハラにあい、いじめられていた。
会社も上司らの行為自体は事実と認めたが、全て”指導の範囲以内”ということで、
私が自己都合の退職と認めない限り、退職金は出さないと脅されている。
今ジャニーズに関する性加害の間接的関与(少年倶楽部など)に向き合っているNHK様には是非私とのパワハラ・いじめについて向き合ってほしい。
この話は特定されないように少し誤魔化してるので、分かる人にはおかしな箇所はあるが概ね事実である。
まず入社2年目から会社の女性のA先輩から無視されるようになった。
私の部署は作業の伝達・引き継ぎが絶対なのだが、その引き継ぎさえしてくれない。
そのおかげで何度か放送事故を起こしそうになったので、
引き継ぎがある時は必ず周りの人達にそれまでの業務内容や変更点を聞き出してから
仕事を始めるのが日課となった。これが国民の生命・財産を守る公共放送の裏側である。
https://www.nhk.or.jp/info/about/life.html
その日課は私がAさんから嫌われているから行う戒め行脚のようなものであり、
私は嫌われ者ですと言って歩き回る様なもので、人間性をとても否定された気分になって地獄だったな。
後輩なんかは私に気をつかって報告してくれるようになり、ほんと申し訳なかった。
Aさんからされた大体の内容は
・無視される
・聞こえるように悪口を言われる
・ありもしない噂を流される
Aさんは社内で、私と違い人気者で人望もあり、しかも美人だった。
私みたいな人間に味方はあまりいないし、上司や他の先輩達もAさんの味方だった。
デスクの2人(男)にも相談したが、二人から言われた事はAさんは女性だから我慢しなさい、「私はAさんが好きだ」とつれない返事が返ってくるだけだった。
天下りで降ってきた部長の北村(元NHK富山放送局局長)に相談したが、
「私の前で二度とこの話をするな!」とキレられてしまった。
相談の回答は「とにかくAさんに頭を下げ続けろ」とのことだ。
さすが元局長だ。一日の三時間は副部長といびきの大きさを競って昼寝をして、他の時間の大半はYoutubeと相撲を見ているだけはある。
部下が交通事故に遭ってICUに入れられても一回たりともお見舞いに行く事はないが、
国会議員のご子息が派遣で入ったら、徹底的にお世話して次の職場案内まですることだけはある。
他の人には絶対しないが
・みんなの前で大声で叱る
・独自のルールを科される(30分前出勤とか)遅刻した事ないのに。。。
・私だけ食事を奢ってくれない
・変なあだ名をつけられる
世界に私の味方は誰もいない。
この世を生きていくには強くならなければならないと自分に言い聞かせ、また働き始めた。
なぜだか分からないがここでしか生きる場所がないと強迫観念に駆られていた。
そして私は1mmでも心に傷がつかないように全ての心のシャッターを閉ざした。
やっと辞めれるようなお金も貯まり、辞める決心をして最後の賭けにでることにした。
この部署内では無理だが上層部あたりに話せば分かってくれるんじゃないか。
そして私はこれまでAさんと部長にされてきたこと書き綴り、パワハラ・イジメが原因での精神の限界による会社都合での退職届を出した。
徹底的な社内調査を得て、赤松常務から下された会社判断が以下である。
ーAさんのしてきた事は事実と認めるが、悪意は立証できない。本人は恥ずかしかったからと言っている。それではしょうがない。
ー部長のしてきた事も事実と認めるが、これは指導の範囲以内である。問題はない。
・結論が出たので、これ以上話し合うことはしない。
できる反論は全て行ったが、事実と認めてるのでこれ以上調査は行わない、そして会社判断は覆らない、これ以上話合う事はないと返答され続けた。
そして、この件は何も問題ないから君が自己都合と認めない限り退職金は出さないと告げられた。
喉から手が出るほど欲しかった退職金だが、私が守れる最後のカスのような人間の尊厳の為に、退職した今も退職金は貰っていない。
「君はトイレに行きたくて困ってたのに、誰にも言えずにそこにいてお漏らしをしただけだ。
もっと私に早く言ってくれれば良かったのに。だから退職は取り下げないか?」
私がいけなかった。全て私の責任だ。なんでこんな会社にいて何年も無駄に過ごしたのだろう。
残業代は払ってるし、セクハラはないし、殴られてないし基本的コンプライアンスは守ってるから
労災認定は無理だろうと告げられ、やんわり断られた。
年齢立場関係なく凡ゆる人との会話で、どうやら自分はマウントを取っているらしい。
相手の表情が曇った時にマウントを取った事実に気づく。表情一つ変えないタイプの人相手だと気づかない。
人を傷つける趣味はないので、気をつけようとしするのだが、無意識下の行動なのでどうにも制御が効かない。
どれだけ承認欲求が強いのかと思い、マウントを取ってしまったときの心情を追跡してみた。すると思いの外、他人に認めて貰おうとしてマウントを取っている訳ではないことが分かった。
自分は殆どの物事を、自分がレベル幾つで習熟しているかの観点で見ていた。更にそのほぼ全てが在るべきレベルに未達であると自己評価することが日課になっている。日常生活から、趣味、仕事、家族や、友人との会話一言一言に至るまで、全て減点評価をしている。上手くなろうと努力していることでも、本末転倒的にそのものの内容ではなく減点内容だけが頭に残る。その結果、何かの活動に関する人との会話で、自分も少しでも経験があれば「私もやってみたが〜で(課題があり)出来なかった」と返答してしまう。減点に繋げられる内容を覚えることに頭を使っているため、それが自分を低く評価するために作られた物事の本質と指して関係のない独自概念である場合が多く、それを他人に伝えることで「人が知らない知識をひけらかす行為」になり「無意識のマウント」が生み出されていた。