はてなキーワード: マッキンゼーとは
元増田は、大学院に来たら学部時代には見かけなかった人が多かったこと、
しかも、それが理科大出身者が多かったので驚愕したのだろう、よくわかる。
本題。
少なくとも「出身大学は知られたくない。」と言う心理を表してるのが、SNSのプロフィール。
フェイスブックにしろ、ツイッターにしろ、プロフィールが大学院修了から始まってるケースは学歴ロンダリングの確率が高い。
そもそもSNSにプロフィールに出すような自己顕示欲ある人が、大学院から書き始めるなんて不自然極まりない。
日本古来の伝統書類の履歴書なんて、高校から書くことが大半なのだ。
新卒入社した会社からの経歴だけならまだしも、出身大学院だけだと香ばしさが増す。
最近多く見かけるのは社歴ロンダリングで、マッキンゼーがその代表だ。
Up or outの会社で、1年持たずに出て行くことすら珍しくないこの会社に1度入ってしまえば、たとえ1年持たずにやめてもマッキンゼーの名前で本を書いたり、講演したりして生計が立てられる。
当然、プロフィールにも、他の経歴は曖昧でも「マッキンゼー アンド カンパニーを経て」としっかり書き足されている。
例えば、マッキンゼー流 入社1年目シリーズを出してる下の著者は、
1年も在籍していないので入社1年目以降のノウハウはなく、入社1年目シリーズしか刊行されていない。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00M939Y0S/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ちなみになんちゃってマッキンゼー出身かどうかを見分けるのは、マッキンゼーでの経歴が詳細に書かれているかどうかは言うまでもない。
概して、マッキンゼー流が全面に出てくる際は注意が必要だ。(当然、例外もある。)
このエントリーでも学歴と使ったが、日本は学歴社会ではなくて学校名社会が本当の姿。
マッキンゼーってたまに聞くけど何がそんなにすごいの?
就活メディアを見ているとどうも外資コンサル、外資投資銀行、超大手総合商社、とかが最もイケてる就職先かのような扱いを受けているように感じる。
実際にファッション感覚でこういった会社を受けたり、受かって自慢する人もいることだろう。
超イケてるよね。
でも、よく見てみると彼ら実はこれらの会社が別にイケていない時期に入ってたりするんだよね。
「え、コンサル?なにそれ、なんでそんなの行くんだよw」
みたいに言われてる時期に言ってグイグイ伸ばしてきた人達だったりするわけだ。
で、いまさ、こういう会社ってもう伸びちゃってるじゃん。ファッションで入るくらいなんだし。
それって本当にイケてるのかな。
今伸びてるところを冷静に見て、人に流されずに飛び込んでバリューを出していくような人の方がイケてるんじゃないかな。
というわけで就活がんばってね。
マッキンゼーをセミリタイアした独身還暦女性がはてな界隈で人目をひこうと何年も頑張ってるが、堀江貴文に自著への推薦文だか紹介文だかを書いてもらった事に対して無関係な他人から、いくら払ったらそういう事をして貰えるのか聞かれた、とかいう記事があった。(まあそれすら本当かどうか知らないが…)
いつもは人目をひこうとする姿勢が醜すぎて胸焼けするので記事を読むことすらしないんだが、今どんなの書いてるのかなと思って読んでみて、やはり胸焼けした。
いくら払ったら推薦文書いてもらえるの?って聞かれた事の意味をわざと誤認して記事を書くなと。醜悪な生き様でPV引っ張ろうとするなと。
質問者は(まあそんな奴が実在するならだが)、要はお前と有名人の堀江とは格が違うしまったく吊り合っていない、という事が言いたいだけだろう。
それを、自分以外は全部金で動いてるという考え方とか型に落とし込もうとする。堀江に対しても完全に謝礼なしってわけにゃいかなかったと思うけど、そこには一切触れない。名前の信用で書いているのだから金貰ってする代替労働じゃないんだと。使う自分と使われる堀江、堀江は自分より下ですか。
とにかくこの人は退職報告直後あたりとかにも脈絡無く自分とは全く無関係な妊婦の事(社会での扱われ方とか)にやたら触れたりしていて、おいおい60歳独身女性のお前にはもはや関係ない話だろう、行き場を失った母性かよ、と吐き気を催した覚えがある。
本当に優秀な人ほどすぐやめる。
マッキンゼーに代表される、硬直化して一方的かつ定型的でヒエラルキー構造のいわゆる「アメリカン」な考え方。
サービサーとしての意識が低く、抽象化したノウハウを持っていることが常に正しいという態度。
コンサルフィーが法外なため大企業しか知らず、企業経営の基本に無知であり、それを自覚するチャンスがない世界。
長くいる人は、これらが体に染み込んでしまっているのだ。
弁舌が立ったり、ベストプラクティスを知っていたり、お偉いさんに教えを説いたりしていても、社会復帰は難しいのだ。
現場経験なくマネージメントだけで本当に食べられる人はごくわずかだ。
多くの人は「何かすごい経験をした」という歪んだ充実感を持っている。
特に、コンサルがもてはやされた時代にキャリアのピークが重なった人はなおさらだ。
長年コンサルをやっていたキャリアの人と交わる場合は、彼らのバックグラウンド・特性・使いどころをよく見極めてお付き合いすることをおすすめする。
id:Chikirin氏の言っていることを見ていて思うのは、やっぱ、なんか浮世離れしてるよねっていうこと。
浮世離れしている=視点が違っているといういい方向にももちろんいくけど、
彼女がマッキンゼーの人だという事を感じるのは、やっぱ、レッドオーシャン、ブルーオーシャンの話
をされるときだと思う。
下記の四象限で考えると中学二年生ぐらいだと 人と違う道を行くx成功する を狙いに行く。
だけど、段々それが無理っぽい気がして、人と同じ道を行く方向に舵をきる。
マッキンゼーいけちゃうような人で、かつ、人事の担当でエースはれているような女性という
特殊性を持って、人と違う道をいく話を説かれても、なんか違和感あるのは
いや、彼女のような人が、こういう成功系の話をしてもらわないと誰もできなくなって
しまうので大変ありがたいと思うのだが、この裏側の話をセットで誰かしないと違和感残るよねっていう。
あとは、戦略コンサルという思考をダイレクトにお金に変えてきた人の考え方というのもあると思う。
実業で、思考を現実化する部分での難しさ、遅れをとってしまう普通な人(私)だとここまでうまく思考を
話をできないのかなって思う。。
いや、大変ありがたい話だけど、わたし的には海外ニート氏の話とかを合わせてよみたい。
成功する 失敗する
そんな状態では心身のバランスを崩してしまうのも当然だ。日中は食べものがのどを通らず、日曜の午後になると過呼吸を起こすようになってしまったという。「こんなに辛いならいっそ死んでしまった方がラクだな」…そんなことばかり考えるほど憔悴しきった彼女だったが、自分を縛り付けているものは、マッキンゼーに勤めているという「見栄」や「体裁」だということに気付いたのだ。
「生きるために仕事をしているのであって、仕事のために生きているわけじゃない。そもそも私の人生なのに、なにもやりたいこともやらずに死にたくなってるんだろう。バカじゃないの」。
これで充分だろ。その仕事を平然としている奴らがいるんだから。
過呼吸を起こすほどただただ着いて行けなかっただけだろ。
辞めたのは着いて行けなかっただけだろ。それは事実だ。
実際それでやめてく奴はいくらでもいる。
忙しいのなんて入る前から分かってることだ。それに着いて行けなかっただけ。
お笑い芸人になったら、それを偉そうに言うが、
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130729-00002581-davinci-ent
これ見て物凄く違和感を感じる。
こいつをちょくちょく目に付くようになって見るたびイライラしてたが、
要はこいつ、単に落ちこぼれただけだろうが?
マッキンゼーまで行ったのはすごいかもしれないが、そこで着いて行けなかっただけじゃないか?
マッキンゼーに行って仕事する能力が無いのに背伸びして失敗しただけじゃないか?
さも、そういった忙しい仕事をしてるのが馬鹿らしく、思い切って辞めて好きなことをするのが
美談のように書いていることが多くて驚く。
マッキンゼーまで行ったことをネタに売り出すのは別に勝手だが、
さも、忙しく働くのが嫌なら辞めて好きなことしたほうが良い、
みたいな身勝手な記事や本を書くのはやめて欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130514
伊賀泰代てんてーのはブコメ非表示にされてからあんまり読まなくなったんだけど、この記事のデータ http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html には多少びっくりした。
ちょっと劇的すぎる。
国名 | 1980→2008 | 倍率 |
---|---|---|
スウェーデン | 39.7% → 54.7% | 1.4 |
フランス | 11.4% → 52.6% | 4.6 |
イギリス | 11.5% → 43.7% | 3.8 |
オランダ | 4.1% → 41.2% | 10.0 |
米国 | 18.4% → 40.5% | 2.2 |
ドイツ | 15.1% → 32.1% | 2.1 |
スペイン | 3.9% → 31.7% | 8.1 |
カナダ | 12.8% → 27.3% | 2.1 |
イタリア | 4.3% → 17.7% | 4.1 |
日本 | 0.8% → 2.1% | 2.6 |
たった30年でここまで劇的に婚外子率が増えてるって?
元データを調べようと思ったが、外国のデータは米国商務省とあり、たどれなかった。
ソンジャーネ女史の言うように「「結婚していない女性が子供を産む」ことへの法律や経済支援、福祉制度の差と、そういった子供をもつことへの社会の意識の差」なんだろうか?
それはあるかもしれないけども、それだけではないかもしれないという別のデータを同サイトから引っ張ってこよう。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1518.html
これによると、上にあげた現在の諸外国ほどではないが、戦前の日本における婚外子の割合は今よりずっと高かったのである。その当時の日本において泰代ちゃんの言うような法律・経済的支援などが今より充実していた筈はない。
ここから先は完全に個人的推測になるけども、もしかして一番の理由は格差社会にあるのではないだろうか?
元マッキンゼーのおばちゃんが引っ張ってきた上のページにも米国の説明の中で「一人親家族(多くが高卒以下)は貧しくなる一方で、結婚した夫婦(教育があり共稼ぎ)はますます豊かになりつつあるという変化」とある。
欧米諸国が貧富の格差が大きくなっているというデータは知らないけど、日本において近年若干ではあれ婚外子が増えているのは、おそらく貧困のせいで結婚が難しくなっているからではないかと思われる。
毛並みの良い奴だけ欲しいんだろ。マッキンゼーとか割とそういう感じだったと思うが。
時給800円と8万円――仕事をしていて、なぜ100倍もの差がつくのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130313-00000031-zdn_mkt-ind
この記事で気づいてほしいことがある。
マッキンゼーのコンサルタントは時間いくらでお客さんからお金をもらっているということ。
つまり、IT業界批判でよくある「人売りビジネス」と同じなんだな。
単価は10~20倍くらい違うけど、SIの世界でSEやPGを売る「SES(システムエンジニアリングサービス」契約と、
コンサルを高値で派遣する「コンサルティング契約」は、本質的には変わらない。
大手コンサルティングファームでは、プロパーコンサル1人+名も知らない怪しい中小コンサルから来た
多重派遣もバリバリある。業務委託契約だから契約上は多重派遣にならないが
指揮命令系統はメチャクチャで、偽装請負が成り立ちまくっている。
多重下請構造におけるコンサルのピンハネ率もとんでもなく高い。
SIの世界では20~30%のピンハネが多いが、コンサルの世界では50~60%が常識だ。
元記事にある「マッキンゼーのシニアクラスのコンサルタント」を例に取るとこんな感じになる。下請け以下に流れる金額は想定だが、大きく外してはいないはずだ。
客→マッキンゼー 8万/h→下請け 3万/h→孫請け 1万/h→孫請けと契約している個人事業主(実際に仕事する人) 4000円~5000円/h
受発注側どちらかに居た人ならわかると思うが、「上級コンサルタント 3.0人月 900万円」
そして1ヶ月の労働時間がある時間(だいたい160~180時間)を超えたら時間単位で追加料金を請求する。
つまりコンサルタントは人売りビジネスであり、人月ビジネスであり、ピンハネビジネスなのだ。
SIと同じように。
なのにSIは「多重下請人月ピンハネビジネス」と批判されるが、同じ業界構造であるコンサルは批判されない。
と言うより、コンサルの世界を批判する記事やブログを見たことがない。
何故だろうか。
再来週は選挙なわけですが、それと同時に最高裁裁判官の国民審査も行われます。
普段はなにも考えずに無記入で投票してきた私ですが、今回は考えさせられる記事を幾つか目にしたため、考えを表明しておきます。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/politics/elex/gooeditor-20121205-01.html?pageIndex=2
簡単に抜粋。
今年、再審無罪となった東電OL殺害事件では、一審が「疑わしきは被告人の利益に」 という刑事裁判の鉄則に忠実に無罪判決を出したのに、東京高裁がそれをひっくり返 して有罪とし、最高裁がそれを追認した。このような明らかな誤判があっても、誰も 何の責任もとらないどころか、なぜ間違ったかという検証さえ行わない。誤判で無実 の人を刑務所に送り込んだ3人の裁判官のうち2人は今も現役で、出世街道を進み、 今は東京高裁と東京地裁の裁判長だ。 このような状況に対する批判も込めて、私は全ての裁判官に×をつけようと思う。10 人に×をつけるので、勝手にこれを「×10(バッテン)プロジェクト」と名付けてみ た。
これだけの記事であれば、
・そうかぁ「全部×」を入れる人ってこういう人たちなんだろうなぁ。。
・それって、単に妬ましいだけなんじゃないのかなぁ。。
・わざわざ他人を否定するために「×」を書くのってネガティブで気がひけるよなぁ。
というのが正直な感想。
なんだか性悪説に基づいているみたい。
それならばむしろ人を信じる意味でも「×」は書かないで信任したい。うん、立派な裁判官たちのはずだ、と思いたい。という気がします。
さすがマッキンゼー出身(と思われる)Chikirinさん、Q&A形式になっていてとても読みやすいし、論点もまとまっていて分かりやすいです。
下記の記事はできればリンクをクリックして全部読んでみてください。。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20121206
Q9.でも、過半数の不信任がないと罷免できないんだから、ちゃんと意思表示して も無駄なんじゃないの? そんな気もしますよね。でも、ちきりんは違う考え方を持っています。下記は前回の 国民審査の結果です。 <前回、2009年8月の国民審査の結果> 氏名(元職業) 罷免要求票数 率% 桜井龍子(行政官) 4,656,462 6.96 竹内行夫(行政官) 4,495,571 6.72 涌井紀夫(裁判官) 5,176,090 7.73★ 田原睦夫(弁護士) 4,364,116 6.52 金築誠志(裁判官) 4,311,693 6.44 那須弘平(弁護士) 4,988,562 7.45★ 竹崎博允(裁判官) 4,184,902 6.25 近藤崇晴(裁判官) 4,103,537 6.13 宮川光治(弁護士) 4,014,158 6.00 率のところに★記がある2名の裁判官は、この審査の前に、「一票の格差は憲法上問 題ない」というトンデモ判決に賛成していた2名です。ちゃんと不信任率が高いです よね。 さらに東京都や神奈川県などの都会部(一票の価値において非常に軽んぜられている 地域)では2人の罷免要求率が10%を超えるなど、より明確な結果が出ています。
むむ。
正直10名の名簿をみても誰が誰だがわからない、ってのも「×」を書きにくい一つの原因ではあるのですが、ただ、上記のように人によってブレがあるということは、見ている人は見ているんだなぁ、、という気もします。
ただ、国民審査では今まで罷免された人はおらず、最高でも15%程度しか行っていないとのこと。
ということは、見ている人が見ていても、ほとんどの票が白票(信任票)になっているため、見ている人の判断が活かされてない状態になっている、とも考えられます。
とするならば、全部「×」を書くという行動は、以下の考え方をすることもできないだろうか?と思いました。
・ネットで探すも、どうも意見が偏っているようで信じがたい側面もあるし。
・ただ、世の中で言われているように、一票の格差問題は合憲とかいっちゃう裁判官もいるし、検察の異常な取り締まりを放置している裁判官もいるのは事実。
(最近、偽装クリックで誤認逮捕されて、自白を共用された冤罪事件もありましたよね・・・。)
・でも、世の中にはちゃんと見ている人は必ずいます。結果にばらつきがあるのがなによりの証拠。
・であるならば、その人たちを信じて、判断を委ねてみるのはどうでしょう?
・具体的には、票に「全部×」を記入して、罷免要求率のベースを上げるのです。
・少なくとも、今の状態ではちゃんと見ていて投票している人が報われない仕組みになっています。
・そういう人たちを助けるために、罷免要求率(×)のベースを上げる取り組みの手助けをするのです。
決して他人を否定(罷免)するというようなネガティブな感覚から投票するのではなく、ちゃんと見ている人を信じて、その人たちを助けるために投票してみませんか?
という考えに傾いてきた時に、ダメ押しの記事。
あの"おだじまん"が柄にも無く関連記事を。(笑)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121129/240317/?P=5
総選挙と並行して行われる最高裁判事の国民審査については、はっきりしている。 私は、こんなにバカげた制度は無いと思っている。 「×をつけなかった場合、承認したと見なす」 という設定が、そもそもどうかしている。 どこの商店でも、どんなお見合いでも、「選ぶ」「承認する」「賛成する」「結婚 する」という決断は、「棚から手に取る」「◯をつける」「クリックする」「レジに 持っていく」「プロポーズする」という、消費者ないしは選択者の側の「積極的な行 動」を待って成立することになっている。 「×をつけない以上承認する気持ちがあったはずだ」 という類推は、一種の詭弁だ。背理法。まるでたちの悪い法廷じゃないか。
まぁ確かに。(苦笑)
そんな制度は変えなくちゃですよね。
> 「君の若い力で会社を変えてくれ」とかいう言葉に騙されずに海外に出て自分の力を試せ。
OK.
では、次のクエスチョンが浮かぶ。その前に前提の話をする。
いわゆる社畜は日本企業特有のもの、と指摘されがちだが、ゴールドマン・サックスやマッキンゼーでは激務中の激務のはずだ。
霞が関、GS、Mckといったエリートが集まるところは、朝9時から朝5時まで働く不思議なところだ。
その命題を唱える海外勤務経験者が日本で言うこところの一般職勤務だとしたら、日本の総合職と海外の一般職を比較していることになる。
でかい会社に自浄能力はない。そう、グーグルも官僚主義的になってきたという。HPはIBMの真似事をしようとしてグダグダだ。
もちろん、オリンパス・大王製紙・東京電力は3社だけの企業文化ではなく、日本企業全部に当てはまっているものの、事件として顕在化していないだけに見える。
でかい企業は、海外MBAの派遣が多かった。が、海外MBA帰りは日本企業に歓迎されなかったと聞く。
日本にアメリカ流のマネジメントが適用できなかったというわけだ。
『「クリエイティブ人材として期待された人間」が行き場を失っている状態』は日本特有なのか。
そうでないとすれば、
『海外に行け』のその行き先は?たとえば、シリコンバレーのベンチャー?
とにかく、海外に行けばいいもんじゃないと思う。だって、海外にも大企業病はあるもの。かといって、中小企業はぶっ潰れかねないもの。
(本来なら丁寧語で書くべきだが、書き言葉にて思考展開する私にとって、丁寧語に変換することは私の思考を妨げるので書き言葉にて失礼。)