はてなキーワード: ゴミ収集車とは
気が付くと、ゴミ収集車が来た後になってるんだ
正直、設計を「虚業」なんて言っちゃう人にそれは無理だと思う。
ゴミ収集車を作っている人を想像しろ、なんて言っても想像できる範囲は製造工程まで。
現場の人が0から製品を作り上げてると思ってて、その設計や運営を担うバックオフィスは身体を動かしてないから遊んでるようにしか見えないはずだ。
ググってみた限りだと、まだゴミ収集車の自動運転化が試験されてる段階だな
ゴミの収集の自動化のネックは、分別されていないゴミへの対処だと思う
それぞれの家の前にゴミ用コンテナを出してそれを回収して貰う形なら、特定が容易だから分別を守らない人への対処も楽なんだけどな
ググってでてきたボルボの収集車の試験運用の動画だとそんな感じだった
日本は狭い道が多いから収集車が通れない場合も多く、全部の家を回ってゴミ用コンテナを回収していくのはちょっと現実的じゃない
「MIRAIには未来はない」理由を、理系のはてなーにわかるように書く の続きで、バス・トラックのFCV化の可能性について書こうとしたんだけど、そこからだんだん水素社会自体について考え始めてしまったのでダダ漏れで書きます。
前増田のブコメで「バス・トラック分野についてはEVよりFCVのほうが優位なのでは?」という指摘を何件かもらった。技術的には概ねその通りだと思う。前増田で挙げたFCVの諸課題は、(2代目MIRAIが実際にそうしたように)車全体のサイズを大きくするほど希釈・軽減されていく性質がある。一方でEVのほうは、車が大型化し、求められる航続距離と出力が大きくなるほど必要な電気容量も増え、それに伴ってバッテリセル部の大型化・重量増・充電時間の長時間化という問題が重くのしかかってくる。
だから、FCVを自家用車のスケールに展開しようとすると技術的に無理が生じてくるし(たとえば、軽自動車サイズで実用的な航続距離を持つFCVを作るのはあまり現実的でない)、逆にEVを大型商用車のスケールに展開しようとすると実用性の面で問題が生じてくる(高価格・高重量で給電にも時間がかかる)。言い換えれば、EVとFCVは、その特性が活かせるスイートスポットが違っている。EVは二輪車〜自家用車レベルに向いていて、それより上へのスケールアップには課題がある。FCVは大型商用車用途なら一定の強みを発揮できる可能性があるけど、自家用車以下へのスケールダウンには向いていない。だから「乗用/大型商用で線を引いて棲み分けする」という選択肢は確かにありうると思うし、当のトラックメーカー側も、日野・いすゞ・ダイムラー・ボルボあたりは現状はEVとFCVの両ベット戦略で進んでて、しかもFCVのほうが将来有望だと考えているように見える。
※大型商用車のEV化については、バス・トラックのバッテリセル部がモジュール化されて、トラック向けの幹線ガソリンスタンドのような「バッテリ換装ステーション」でメーカーや車種を問わずに換装・課金される仕組みが整う可能性もあるんだけど(外付け換装型の商用EV自体は日本では川崎市のゴミ収集車などで、中国では大型トラックで導入されている)、かなり大規模なインフラ変革になるので、バス・トラック業界全体が早急にこの方向でまとまるとは考えにくい。
一方で、実際に大型商用車がEVとFCVのどちらに寄っていくかは、単純に技術的・コスト的な優位性だけでなく、社会や行政がモビリティの分野で「EVベースの電気社会」と「FCVベースの水素社会」のどちらがリアルな選択肢と考えるかによって大きく左右されるかもしれない。個人的には、大型商用FCVは技術的にはEVに対して現状優位にあるけれど、この「社会的なリアリティ」という点から見ると、だんだん厳しいことになっていくような気もする。国と資エネ庁は、モビリティ分野に留まらず我々の社会全体に水素というエネルギー源が浸透する「水素社会」という壮大な絵図を描いて、自家用FCVをその中核的存在と位置づけてきたわけだけど、自家用FCVの将来が怪しくなってきた今、「水素社会」というエコシステム全体にも、それが翻って大型商用FCVの未来にも、陰が差し始めているんじゃないかと。
資エネ庁の水素社会の見取図には、実現しつつある「水素社会」の具体例として、
が掲げられている。このうち①②は、ガス網を経由して送られた天然ガスを改質して水素を作り、さらにそこから電力と熱を取り出す技術だ。この反応過程に水素が介在していることで、「水素社会」の尖兵みたいな扱われ方をしてるけど、改質段階で結局CO2を排出してるので、実は全然カーボンニュートラルではない。天然ガスの持つ反応ポテンシャルを余すことなく高効率に使ってるだけ。
③④は、水素を何らかのインフラ経由で地上の固定設備に輸送し、そこで電気を取り出す技術だ。カーボンニュートラルな水素には、主に「グリーン水素」(再エネの電気で水を電気分解して作る水素)と「ブルー水素」(天然ガスなどを改質して水素を取り出し、同時に発生するCO2はCCSで地下や海底に圧入貯留する方法で生産される水素)の2種類があるけど、グリーン水素で③④をやるのは「電気で製造した水素を物理的に運んで、その先で水素を使ってまた電気(と熱)を作ること」に等しい。そんなエネルギーロスを繰り返すぐらいなら最初から送電網で送った電気を使えばいいわけで、基本的に③④はブルー水素でしかやる意味がない。
ところが日本政府が「水素社会」実現時期のベンチマークとしている2050年にはブルー水素はグリーン水素よりコスト高になるとの予想も、いや2030年にはそうなるという予想もある。そうなった時点で、③④は「電気より割高なエネルギー源」を使って電気を作る、社会的に無意味なアプリケーションになってしまう。
そう考えると、実は「水素社会」のビジョンって、石油・ガスなどの化石燃料エネルギー関連産業と、その産業に紐づく重電系企業・商社・省庁が、既存の資源や技術やインフラを使い廻しつつ「我々もカーボンニュートラルできます! やります!」つって延命するために目いっぱい膨らませてみた風船なんじゃないか、という気がしてきた。
エネルギー企業はこれまで通りLNGや石油を掘り、それを改質し、ブルー水素を取り出し、CCSでCO2を地中に送り込む。商社は既存エネルギーと同じようにそのブルー水素を輸入する。重電企業は既存のLNG火発のガスタービン技術を使って、ブルー水素で発電する。ガス会社は既存の都市ガス網やプロパンガス供給網への水素混入度を高め、情勢を見つつ緩やかに水素ガス供給網に転換していく。こういう、既存の産業構造がそっくりそのまま生き残れる「ありき」の姿から逆算して「水素社会」のビジョンが立ち上げられ、そこに①②③④が繰り込まれてるんじゃなかろうか、と思ってしまった。
このパンパンに膨らんだビジョンを針でつつくと、「水素社会」の絵図の中には⑤の燃料電池自家用FCV・フォークリフト・バス・トラックだけが残る。確かに「設備と送電網を結線して、そのまま電気を利用する」ことができない分野=非結線のモビリティ(自動車・気動車・船舶・航空機など)なら、エネルギーを一旦「水素」という物体に変えて持ち運ぶ必然性が出てくるし、コストや容量の面でも「送電網から無際限に送られる電力」ではなく「有限のバッテリに蓄電される電力」と競うことになり、水素陣営から見た競争条件はだいぶマシになる。でも前増田でも書いた通り、そのモビリティ市場の核となるはずだった自家用FCVは、技術的にだんだん死に筋に入りつつある。
…と考えているうちに、自分は大型商用FCVの将来にもそれほど明るい見通しが持てなくなってきた。「水素社会」の現実的な利用分野が大型商用FCVぐらいしかないとしたら、我々の社会はそれでも「水素社会」路線を推進するんだろうか。そのとき、FCV向けの高純度水素は現実的な価格で流通するんだろうか。もしかしたら大型商用FCVはEVに対する技術的優位性を発揮して、LPG・CNGバス/トラック/タクシーみたいに(一般人には馴染みが薄いけど、社会を支える縁の下の力持ち的な存在として)地道に普及していくのかもしれない。あるいは、この分野のためだけに「水素インフラ」を全国的に整備するコストを社会が負担できず、大型商用車分野でもバッテリ換装や超急速充電などを駆使してEV化が進んでいくのかもしれない。どっちにしても、いま官民が推し進めている「水素社会」の壮大なビジョンとはだいぶかけ離れた、なんだかシケた未来像が思い浮かんでしまった。
モビリティ分野の他に、「水素社会」の普及・浸透が見込めるような「これだ!」って新分野はあるんですかね〜。水素焼肉? 速い水素乾太くん?
肉とか魚とかのトレーだけど、真空パックとどちらが環境負荷が少ないのかはよくわからない。
トレーは体積が嵩張るけれどかなりの部分が空気で、風船を膨らませるようなものだから原料は案外少ない。
ちなみに回収する時に(リモネンかなんかで)溶かす方法も考えられたけど、そのまんま回収する方が低コストってことで実用化されなかった。
私はトレーでも真空パックでもどっちでもいいけど、それよりもペットボトル捨てる時に潰せよって思ってる。
自治体によるけど、ペットボトルの回収時は潰すように指示しているケースがほとんどだと思う。でも回収されたペットボトルを見ると、潰す人はよくて一割くらい。
潰さないものだから回収する車はペットボトルよりも大量の空気を運んでいる。
これも自治体によるけど缶は潰さないように指示されることが多いと思う。
ペットボトルは回収された先で切り刻まれるけれど缶は回収先で押しつぶして塊にする違いが理由。
アルミ缶の四角い塊を見たことがあると思うけどあれにすんだけど、あれにする時に潰してある缶があると綺麗な塊にならないことがあって自治体は缶は潰さずにと指示している。
造反有理で何事にも理由はあるので、回収する際はきちんと確認して下さい。
ゴミに関してさらに言うと燃えるゴミ・燃やすゴミは水分を切りましょう。燃えにくくなって余計な二酸化炭素を排出することになる。
コロナウィルスのワクチン接種が日本で始まってから、医療従事者や予約を取った高齢者以外のルートで、自治体の首長や議員、地元の企業の有力者が接種したということがニュースになり、批判をされている。このニュースにおいては大きく分けて以下のような意見が出ていると思っている。
批判派のメインは一つで、ずるをしている、ということだ。権力者と近い人間がその権力を使って、ワクチン接種の列に並ばずに自分だけが利益を得ようとしているというものだ。
もう一方でこのニュースを肯定する意見もある。いくつかあるが、大きくその意見を支えているのが「ワクチンを余らせるべきではない。余るなら別の人が打つべき」ということだ。1本2000円する高額なワクチンを無駄にするわけにはいかないので、余って捨てるぐらいだったら誰かが打つべき、という意見はもっともらしく聞こえる。
ただ、ちょっとここで考えてみた。素人考えなので間違っているところは十二分にあると考えている。どこが間違っているのかを教えてほしいので、どうか上記のニュースに肯定的な意見を持つ医療関係者の意見をいただきたい。
私がワクチンのオペレーションに関して参考にしたのは以下の資料である。厚生労働省とファイザーの情報なので一番正確だろう。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000726454.pdf
https://www.pfizer-covid19-vaccine.jp/#/VaccineTreatmentMethod
余ったから別の人に接種を行う、というオペレーションを想像してみる。厚生労働省の情報によるとファイザーのワクチンは接種日まで超低温冷凍庫に保管されて、当日に冷蔵庫に移される。解凍されたワクチンは5日以内に打たなければならない。その場合余ったとわかるのはいつのタイミングだろうか? 1日100本用意して、その日80本しか使われなければ明日使うという選択肢も用意されているのに。そもそも厚生労働省の資料にある当日に解凍というのを無視して月曜日に金曜日までの1週間分ワクチンを一気に解凍していない限り、余るということが発生するのだろうか?
もう一つ考えてみるのが、接種会場に届くものが解凍済みという場合である。そうすると1日に必要量以上届いてしまった場合は一気に接種をしなければ行けないし、余っているので明日少ない本数送ってきてください、というオペレーションが成り立たないのかもしれない。接種会場に在庫が積み重なるパターンである。しかし、ファイザー推奨の移送手続きによればサテライト会場でもドライアイスによって-60℃の超低温状態が保たれているはずなので、届いた時点で解凍済みというのは正しくないと考えている。通常医薬品の取り扱いというのは厳格なものであり、このオペレーションと異なる方法をとっているとしたら重大事故になるはずである。
では、厳格に運用するとして解凍した当日中に打たなければいけないとする。その場合に余ったとわかるタイミングはいつだろうか。少なくても午後だ。仮に午後3時ぐらいとしよう。予定していた人が会場に来ない。あと2時間で会場は閉まってしまう。このままでは予定の接種を終えることができず解凍したワクチンが無駄になってしまう。
接種会場から取りまとめをしている役所に何本余ると連絡が届く。ワクチンを無駄にしないためにあと2時間で打てる人に会場に来てもらわなくてはいけない。そのときに誰に連絡をする?
最初の連絡先に市長や議員、社長を選ぶ? それらの人は朝から一日の予定が決まっている。その予定をすべてキャンセルして今から2時間以内にどこどこ会場に来なさい、と言うか? そんな人達の予定を調整するのがどれだけ難しいか、社会人として働いた事がある人なら当然知っているはずだ。
では逆に、余ることを前提に市長や議員などの予定をおさえたとする。逆に余らなかったらどうなるか? せっかく開けた予定が無駄になる。それらの人が余るかどうかわからないワクチンのために何日も予定を開けておくのか? そんなことは非現実的である。
もっと言えばファイザーのワクチンは接種後に副反応が発生して、高熱を発症する場合もある。簡単に一日の予定を開けられない市長や社長の翌日も潰れてしまう可能性がある。急いでワクチンを接種して翌日に影響が出たら? そんなリスクを負ってまで急遽仕事の予定をキャンセルして接種に行くのか?
しかし現在報道によれば、多忙な上流階級の人々に対してのみ、余っているので接種できたという情報だけである。ただし、余っていたら接種したというのは上記のようなオペレーションが働かないと成り立たない。
最初に書いてしまったが、市長だの社長だのは余ったから接種されたのではなく、最初から自分たちの分を融通してもらっているはずである。そうでなければ説明がつかないからだ。ただ、医療従事者や予約が取れた高齢者が接種対象となっている現状で、融通してもらうというのはまぎれもなく自分の持つ権力の行使であり、それでは具合が悪いので、一番マトモな言い訳として、余ったから打ったと言っているだけだと思っている。
この結論に対して、上記オペレーションを踏まえた上でぜひ間違っている点についての指摘を求めたい。
これまでのオペレーションの穴があったとして、本当に余ってしまった場合、そのときに誰が打つのかについて考える。
ワクチンが余っているなら誰でもいい、かつ極めて時間制限がある状況下であるならば、一番病院において近くにいる人、医療事務や病院で働く掃除担当のパートの方、医療従事者の家族、病院に出入りしている卸業者などを対象にすることだって選択肢はある。医療従事者の家族がコロナに感染すれば、ワクチンを打っているとはいえ濃厚接触者になるのではないだろうか(ここは自信がないので教えて下さい)。その場その場で判断するなら、どこぞの社長を呼ぶより家族の方がまだ急遽の呼び出しにも対応ができる可能性が高い。
さらに言えば、私は他にも優先的に接種すべきエッセンシャルワーカーがいると考える。インフラに関わるような公務員(水道局やゴミ収集車の職員の方も含む)や高齢者施設の職員、物流系の仕事に従事される方、あるいはスーパーの店員などいくらでも挙げられる。この人達だって市長よりは予定の調整をつけられやすいだろう。
新潟県三条市がワクチンが余った場合は教職員を優先する、と表明して高い評価を得ていた。教職の方々は常に多くの子供達との接点があるし学校でクラスターが起きて学校閉鎖になれば影響度が大きいので正しいと考えている。
権力者のワクチン接種のニュースで肯定する意見として「いずれ打つことになるのだから問題にすべきではない」という意見がある。私はそれを正しいと思わない。この手の話でニュースになるのは議論も合意もなく権力者がワクチンを優先して接種しているという、権力を持っているか、権力に近いかどうかが、ワクチン接種の決め手になっているからである。今はまだすべての医療従事者への接種が終わっていない。彼らが先に接種したことで接種日が数日ずれた人もいるだろう。その数日のズレがコロナ感染の決定打になることもありうるかもしれない。
これからは高齢者への接種が始まる。誰ががその列に割って入ったとして後回しになるのは自分の親や祖父母かもしれない。一人や二人ならいいとなるかもしれないが、昨日セコムの役員が80人分のワクチンを接種したというニュースが流れた。この話がだんだん甘くなってくれば、○○議員の後援会員数百人を優先して、という話になるかもしれない。それによって遅れる人も出てくる。遅れた人は自分が遅れたかどうかに気づくことはないが、それは権力の使い方として正しいのだろうか。今回はワクチンだが、コロナ感染者が入院できる基準が権力の近さによるものだったとしてそれを許容できるのだろうか。ワクチンだからいい、入院はいけない、ということのどこに基準を設けて話をすべきなのだろうか。
以上が素人が考えた意見である。はっきり言ってこういう意見は専門家に語ってほしい。医療系のライターならワクチンが余るのかどうか専門知識によって確認することができるはずだ。社会学者とか政治学者なら権力者が優先されることへの意見をもっとロジカルに説明できるはずだ。新聞社などメディアはただ批判するのではなく、もっと深堀してほしい。もし、専門家がここで説明していたという記事があればそのリンクなどを貼ってもらえると嬉しい。
私としては、こんな素人の意見でどうのこうのはてぶがつくよりもビシッと専門家のみなさんによって議論が深まってくれる方が嬉しいし、この疑問がそういう知性のある人に届いてほしいと思っている。
ほぼ毎日入れる上に、1500円くらいの時給だったから「美味しいな」と思ってやった
朝8:00くらいに出勤
「ゴム手袋よーし」「安全確認よーし」みたいな掛け声をしてゴミ収集車に乗る
後はまあゴミをある程度収拾→焼却炉に運ぶ、を2、3回繰り返して終了
(午前中に1回、午後に2回くらいかな)
事務所の洗濯機で汚れた服を洗って、その後事務所内にある大風呂に入る
17:00の業務終了まで漫画読んだりストレッチしたりのんびりする。
車から降りるとき、乗る時は後方確認して車が来ないことを確認しないといけない
後、軽そうに見えても糞重かったりするか油断すると腰をやられる
一番重要なのはゴミを庫内に回すボタンを押すときに、人がいないことを確認すること
一回安全確認せずボタン押したら危うく巻き込みそうになってクソ怒られた
夏だけど車内はガンガンにクーラーかけてるし、バイトが入る車は三人体制なので、そこまでキツくはなかった
たまに捨てられた雑誌とかをチョロマカしてる人がいたけど、あれはダメだろうな
聴覚障害者が大学で講義を受けるとき、内容が音で聞こえないので受講ができない
その対策として、講義内容を文字に書き起こす「ノートテイク」という仕事を大学の事務で募集していた
ノートパソコンの専用のツールを使って、2人1組で講義の内容を交互にタイピングしていく
障害者の子はそのタイピングしたものを見れるツールを持っていて、それを見て受講する
あくまでも講義をそのまま受講してもらうことが目的なので、分かりにくい講義は分かりにくいまま伝えなくてはいけない
「え〜」とか「あ〜」みたいなノイズも、極力書くようにしていたし、私語の多い講義の場合「(教室内では私語が飛び交っている)」みたいなことも書いた
その後教授が「話してる奴らは出ていって」と怒ったときは伏線回収に達成感を覚えて楽しかった
それでもマジで言葉が多すぎる上にまとまってなくて、書くに書けないって時があって、仕方なく要約した形で書くことがあった
そういう時は「なんか今日わかりやすかった」と好評だったので複雑な気分だった
小学6年生の子の算数を受け持ったんだが、小学6年生の問題は結構解けるのに、小学3、4年の問題は解けてなかった
結局基礎が全然できてないので、100マス計算と低学年の問題を延々とやらせてた
そんな状況なのに塾の都合で「学力診断テスト」みたいな画一的なテストやらせなきゃいけなくて「無駄だな〜」と思ってた
個人塾なんだから個人の進捗に合わせりゃいいだけで、テストとかモチベ下げるだけでいらんだろって思った
割とすぐやめた
その時はゴミ収集車で回収して焼却場に持って行けばいい