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はてなキーワード: お供えとは

2022-11-20

anond:20221119161631

>すまん!今まで要石やってくれとったダイジン、サダイジン!またやってくれ!

了解!!

>おわり。

>は?

えー。この物語はいくつもストーリーラインがあるが、その一つが神からの拒絶と再契約。それが全然読み取れてないな。

神は人からの敬意と信仰をもって力となす。が、草太は伝承を正しく受け継げていないので要石を単なる封印の道具とみなしていて全然敬意をいだいていない。それが原因で封印がゆらいでいる。それが初期状態

なのですずめがさわっただけで要石はぬけてしまう。後半の常世でのシーンでもわかるとおり、ほんらい要石は人の力で抜こうと思ってもぬけるものではない。それがあっさりぬける。自由になった神は痩せ衰えた姿で彼女の家を訪れる。そこでの敷居をまたぐ誘いとお供え物、とどめに「うちの子になる?」というすずめの言葉。これにいたく感動し再び力を得たダイジンは、彼女を新たな巫女として戸締まりを続けることにする。要石? それはこの無礼な前任者をあてればいい。

しかしすずめは「うちの子になる?」といった言葉も忘れ、草太を失った悲しみでダイジンも拒絶する。再び痩せ衰えるダイジン。それを見ていたサダイジンは、怒って「養い親に拒絶された子供気持ちを味わってみろ」と環をあやつって黒い本音を言わせたりもする。

その拒絶関係にある神との関係を修復したのは「私が要石になるよ」の一言。自らの身を御供として差し出すすずめの心をみて、ダイジンは再び要石になる。自らいちど要石になりその気持ちを知った草太の「お頼み申し上げます」には、物語の当初にはない真摯さがあった。故に二匹の猫は要石にもどったのだ。

物語以降の二人は、いままでと違った意味で要石に思いを寄せることとなるであろう。それが神との再契約だ。

2022-10-06

僕は、互いに観察しあうロナルド・レーガンを横目に見ながら、田んぼの稲の間を縫うように歩いて行った

買えるタチヤあいがもたちが足にまとわりついてくる

ぼくたちはなかまだもんげ

みんな生きているんだ

鉄の女がこっちを見ている

幼馴染のさっちゃん

いつもぼくのバナナを食べてもらっていた

そんな彼女もも大人になって遠くに行ってしまった

今目の前にいる彼女はすでに殊勝な当時の姿ではない

アルゼンチン代表の彼と飛行機に乗って行ってしまった

ぼくはいまだにウォータースライダーの中を滑り降りているというのに

途中で着替えることもできずに

何を目指してこれから生きていけばいいのだろう

タガメプールに浮いている

いやタイコウチだった

もう肌寒いのになぜプールに入らなければいけないのか

牛が鳴いている

自分で体をかけるようにブラシが牛舎のはしっこにくっつけてある

ラジオがながれている

牛はラジオを解するのだろうか

近寄ってじっとみる

隣には墓地がある

無縁仏雑然と並んでいる

誰がお供えをしているのだろう

道を挟んで向かいを降りていけばそこは海だ

向こうに見えるのは島なのか大陸なのか

シベリアはもう遠くに行ってしまって二度と戻れない

きっと僕は二度と許されることはない

ユースケ・サンタマリアマグノリアトムクルーズトムとジェリーメリーに首ったけ

サンは俺には救えない

モロのあそこをモロに見てしまたか

神々しい

光の中に沈む

さようなら

さようなら

さようなら

2022-10-04

anond:20221004190144

お供え物だよ

神を祀るか増田自身が神になるしかない

とりま火の神でも起こしてみたら

家の玄関付近に物を置いていく人がいる

お茶ジュース菓子といった食べ物飲み物の類を玄関の前のところに置いていく人がいて困ってる

地蔵様にお供えするみたいな感じ

家の前で交通事故でもあって誰か死んだとかならお供えって事で(迷惑だけど)分かる

でも、そういう事は一切ない

処分に困るんだよなぁ

うちの敷地内ではあるから捨てても問題ないとは思うんだが、何が目的なのか分からないのがホント不気味

2022-08-12

anond:20220812003016

お供え、部屋が暑いので

KitKatを買ってお供えしていたら。

さわると熱い……。

よく見るとパッケージが膨らんでる。

中でコーティングチョコが溶けてた。

お供えにならないよこれじゃ。

母、ウェハース好きだったので

パッケージになってるからKitKatにしたのに。

家の中でここまで溶けるとか。

缶詰くらいしか無理なのかな。

お花とかも、夏は無理です(どれだけ暑いというのか)

これまでは痛み止めのんでいたおかげで

疲れてというか、痛み止めのおかげでどんなに暑く寝苦しくても

眠気が来てたんだよね……。

2022-08-07

お坊さんが託鉢してたかお供えをしたいと思い、日持ちのもつ食べ物で思い付いたのがカロリーメイトだったのでその辺で買ってお供えしたんだけどさ、ふっつーに小銭で良かったみたいで恥かいちゃった

2022-08-05

お線香って特殊景品かなんかなの?

先日祖父が亡くなって、それなりに色んな人と交流あったから、めっちゃお供えをしていただいた。

食べ物が多くて、四十九日とかで来た人に配って、と、これはまだいい。各家庭でおかきとか余ってると思うけど。

5箱ぐらい、でっかい箱に入った線香もお供えいただいた。

腐らないし、箱も立派な漆のやつとかあるし、昔からお線香をお供えする風習? みたいなのもあるかもしれない。

で、家に一生使い切らんぐらいの線香がある。そもそもお寺さんからとかなんだかんだで小箱の線香も沢山備蓄されていて、ほんとに使い切れない

これって、実は使いまわしていい、とか(他の人へのお供えとして熨斗だけ付け変えて)

お寺の近所に小さな小屋が建っていて、持っていったら換金してくれたりするのだろうか。

まりにも量が多くて意味がわからなくなってる

それともうちが一日1本使うかどうかって不信人なだけで、昔は大家族でそれぞれが朝昼晩に3本ずつとか消費してたお線香大量消費時代からの名残なのだろうか。

いつもお線香が枯渇しがちで、おっきいお線香もらったら助かるわーって言ってた時代があったんだろうか

2022-07-26

anond:20220726204602

お盆には帰ってきてね。

お供えは何がいいかな。遺影と一緒に花火大会に行くことにする。

2022-07-21

anond:20220720145652

でもお前の家の前は精緻になってお供え賽銭まれば喜ぶし、

犬猫聖地になって糞を老いてかれたら起こりますよね?

他人信仰をどうこう言うつもりはないで

2022-07-02

近所のおっさん孤独死した

警察官が15人くらい集まってて、近所のおばちゃんが、何かを警察官説明していた。

その数日後、妻が「あそこのおじさん、孤独死したらしい」と言ってきた。例のおばちゃんが妻に伝えてきたらしい。

近所だけど、おっさんとの交流はほぼなかった。そもそも家の外にいるのをほとんど見たことがない。ただ一度だけ、犬を飼い始めたとき、犬用のオヤツを突然くれたことがあった。オッサンは犬を飼っていないのに。ただ保存状態などわからないことが多かったので、申し訳ないが食べさせずに処分させてもらった。少し罪悪感を感じながらおっさんの家の前を通ったら、一輪だけ花が供えられてた。

明らかにワンカップのラベルをはがしただけの花瓶で、花もこのへんにたくさん生えている薄紫の、雑草にしては透明感があってきれいな花だ。誰か、もしかしたらあのおばちゃんかもしれないが、お供えしたんだろうな。人が死ぬとどうも奇妙な気分になる。

とりあえず手を合わせてきた。

2022-06-15

妻の実家仏壇を引き取ったら、夫婦間で軋轢が生じている

妻の実家仏壇ルールでは、朝一番に使う水とお茶、炊きたてのご飯があればおそなえすることになっている。お供えしたご飯は一日たったあとに炊飯器に戻す。これは衛生的にもどうかと思うし、線香の強烈な匂いがついたご飯炊飯器に戻って、微妙に他のご飯に線香臭さが移るので正直最悪だ

耐えられないので3合炊きの小さな炊飯器をもう一つ買って、それを仏壇とは分けて使おうとしたが、炊きたてのご飯仏壇お供えするルールであり、2個目の炊飯器でも同じ仏壇ルーティーン必要だと言われさすがに「はぁ?!」となり、妻と揉めている

なんで仏壇ときで揉めねばならぬのか。死んだ人間より生きた人間のほうがダイジヤロ……

2022-06-13

anond:20220613134226

祭りって夏祭りみたいのじゃなくて神社に旗立てたりお地蔵さんやお堂を綺麗にしてお供えするやつだから

2022-05-23

物心ついて以来、初めて母の日意図的スルーした

「家族」なんだから父の日母の日誕生日勤労感謝の日クリスマスバレンタイン敬老の日…には感謝を込めて何かを用意するのが当然だと言い含められていたから、そういうものか、と思って今まで特に疑問に思わずやってきた。

実家を出てからは、お中元お歳暮、折々の仏前のお供えなんかも送ってきた。

家族の好みや世間流行りも考えて何を送るか考えるのはそんなに苦ではなかった。

けど、感謝されるでもなし、そもそも5つ下の妹は何も用意したことないにも関らず特にから何も言われてもいないのを知って、なんか家族のために心を砕くのも時間をとるのもお金をかけるのも馬鹿馬鹿しくなってしまった

そしたら、母親からしょっちゅう送られてくる「仕事やめて地元に帰らないか、帰らないならせめて結婚しないのか」というお小言も、父親から毎日のように送られてくるクソどうでもいい写真やクソ滑ってる親父構文も、ぜーんぶ相手するの嫌になっちゃったー!あははー!

2022-05-20

盆や彼岸の準備とか年末大掃除とか季節飾りの用意とか、祖父の主導で男手メインにやってたからそういうもんかと思ってたけど、世の中的にはそうではないらしい

おせち料理とか、時期の仏前のお供えご飯とかは祖母と時々母がやってたから、料理とそれ以外っていう住み分けだったのか…?

でも端午の節句の笹巻きとか、ぼた餅おはぎとか、年末餅つきとかは家族全員でやる行事だったし、クリスマスとかハロウィンとかバレンタインとかは父が張り切ってなんか用意とかしてた

誰かと暮らす予定は今のところないけど、特別な日の用意の方針が生まれつき違うときどう折り合いをつけていくんだろうか…

国際結婚した人とかもギャップありそうだな〜

長年付き合って結婚するなら、季節の行事の話なんかもすることあるんだろうけど、出会って二、三ヶ月で結婚までこなすような婚活してると結婚してから拗れたりしないのかな

2022-04-24

anond:20220424123129

俺40過ぎてからでも地蔵盆お供えもっていったら

おばあちゃんブルボンホワイトロリータとかルマンドとかファンタオレンジとかもらってたわ。

ごめんなお地蔵さん、おばあちゃん、おじいちゃん、ご先祖様。家系絶滅させて。

2022-04-20

anond:20220420131747

いや普通に捨てるだけやろ

お供え物っていうのは一回供えたらそれで用は済んでるねんで

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2022-02-19

[]

ごはん炊いたよ🍚

お供えの分作っちゃって

のこりおむすびにしたら

美味しかったぁ。

炊きたてってやっぱり最高だね🍙

2022-02-02

俺が最近気づいたこ

西欧は割とマジで自分たち歴史を作り神を作ったのだから私たちが神の代理人なので自分達がルールを作るのは当たり前と思っている。電気自動車しか再生プラしかGDPRしかり。罰金は神へのお供えである

自分が35才なのだ10個以上上の人が障害者フランク差別する感じがジェンダーギャップなのだが多分25くらいの新入社員からは俺の世代もLGBTQやら男らしく女らしくみたいな視点ではドン引きするのだろう。そういえば自分地方大学生だった頃はホモ気持ち悪いよねと普通に当たり前のように話していた。

資本主義やら税制やら法律などのルール時間が経てば経つほどルールハッキングする奴が出てくる。格差が広がるのを食い止めるにはルールアップデート必要だがそれができた例は思いつかない。人類破壊創造構造的に欲してしまうのは悲しい

・俺がなんとなく余暇積極的になれないのは地方進学校出身大学に行って夢を叶えようと刷り込まれていて未だその途中という認識からかもしれない。社会人になって知り合ったシティボーイ達の優雅余暇の過ごし方には死ぬまで憧れ続けるのかもしれない

センスがよくて見た目もよくて休日キャンプ写真も素敵で…みたいなアカウントを好きでフォローしていたのに、同じ東京にいて自分も立派な仕事をしているのにどうしてこの人たちみたいに幸せそうに生きれないのか見てるとどんどん辛くなってくる。俺は自分ミスでは無い信頼性トラブルを進んでフォローしたのに誰から感謝されずただ自分時間無責任な人に奪われている

・いつからアメリカ映画やらドラマの悪役がイスラム系テロリストだったのが最近中国人悪者になっている。ナチュラルプロパガンダコンテンツが世の中には溢れている。宇宙少年少女日本の衰退国ネタが多くて世相は反映されるものだなあと思う

ニチレイ今川焼きは美味しい

2022-01-19

ウイスキー好きの叔父が死んだ

もう1年以上前の話になるが、ウイスキー好きの叔父が死んだ。とにかくウイスキー好きな人で、東京に出たまま故郷に帰らず、かといって結婚するでもなく酒ばかり飲んでいる変わり者だった。うちはあまり酒を飲まない家系から盆や正月に集まると本当に浮いている人だった。酒癖だけは人一倍良くて、酔っ払っても機嫌が良くなるだけで人に迷惑を掛けるということがなかったから嫌われてはいなかったし、小さい子供たちからは酒を飲んでるときお年玉をせびると気前がいいと人気だったくらいだけれど、何をしているんだかわからない一族のはぐれ者、というのが大人子供共通認識だったと思う。葬式コロナ禍の真っ只中だから親族で済ませたんだけど、叔父スマホ拝借して連絡した「最近もやりとしていていた人たち」は叔父が通っていたバー常連客達ばかりで、こいつらも香典と一緒に供え物としてウイスキーを送りつけてくるような変わり者ばかりで、四十九日には遺品整理で残った大量のウイスキー仏壇の前に並んだお供え物のウイスキーは合わせて100本をゆうに超えていた。

そんなウイスキーの扱いに困った親族の矛先が俺だった。俺は親戚の中では珍しく酒に強かったから(それこそ未成年の頃から)よく叔父の酒の相手を任せられていたし、地元大学ではなく東京大学一人暮らしで通っているというのも地元で暮らす親戚たちから見れば叔父との共通点だったんだと思う。そうして、「特に高級なものがあれば売っても構わないが、弔いだと思って気長に飲んでやってくれ」というものすごく無責任言葉と共に俺のボロアパートには大量のウイスキーがやってきたわけだ。

ともあれ時間だけを持て余した貧乏学生には悪くない話であった。俺は丸一日かけて叔父コレクション目録を作り、叔父が通っていたというバーマスターに連絡を取り、一部をマスターや他の常連客に市場の半値で売るという条件で全部査定してもらった。その結果、俺は十数本のウイスキーを売るだけで100万円を超える現金を手にすることができ、ちょっと税務署の方角が気になってしまった程だった。困ったのは残ったウイスキーだ。まだ1本あたり1万円を超えるボトルが大量にあったので売ろうと思えばいくらでも売れたのだが、そんなことをすれば当たり前だが残るのは今もネットで数千円で買える酒だけになってしまう。十分儲けさせてもらった負い目もあって、俺は残ったボトルを飲み干すことにした。

自分だけで飲んでいたら何年かかるかわかったものではないので友人を呼んで酒盛りをしたりしたのだが、叔父の好みがドライな方向に偏っていたせいで残ったコレクションはすこぶる評判が悪かった。だが評判が悪いからといって他の酒の持ち込みを許していたらいつまで立ってもウイスキーは減らないため、部屋にあるもの限定無料居酒屋を俺は開き続けた。当然客足はみるみるうちに遠のいていったのだが、最後まで残ったのがA子だった。

A子はいつの間にか俺よりウイスキーに詳しくなっており、仲間内で唯一俺の部屋の徒歩圏内に住んでいたということもあって、勝手ウイスキーの山をひっくり返してはあれもあったこれもあったと毎日のように一人で俺の部屋に飲みに来ては、覚えたばかりのウイスキーのうんちくを俺に語るようになっていた。暇を持て余した男と女毎日二人っきりで酒を飲んでいれば肉体関係に至ったことは想像に難くないと思うのだけれど、俺とA子は最後まで恋人同士になることはなかった。俺はなんだか叔父が生き返ったような気持ちで酒に付き合っていたし(A子と叔父を重ねて見ていることに気づいたとき、俺は叔父のことを思ったより慕っていたんだなと気づいた)、A子から見た俺も、好きな酒をたらふく飲んで気持ちよくなった後についでに気持ちよくなる相手という感じだったと思う。それでも、酒の魔力かセックスの魔力か、泥酔して肌を重ねていくうちに俺達はとても親密な関係を築いていった。同性の友達よりずっと深く、恋人ほど依存しない、そういう関係だった。俺達は毎日のように酒の力を借りて自分の思いを何でも恥ずかしげもなく話し、肌を重ねながらお互いのことを受け入れていった。そんな関係半年ほども続いたある日、それは突然に終わった。彼女が消えたのだ。

彼女希死念慮のことを、俺はずっと知っていた。だが何もしなかった。ただアルコール摂取してそれを分解するように、彼女の話を聞いて、飲み込んで、それで終わりだった。俺は彼女の話すことを全て受け入れてはいたけれど、彼女のことは受け入れてなかったんだと思う。彼女の抱えていた漠然とした絶望を俺は理解できたけれど、彼女を受け入れる勇気はなかったから。

彼女消息が判明した後もわからないことはたくさんあった。わかったことは彼女遺書を書いていて、その内容が死ぬことにしたこと、その前に好きだったウイスキー蒸留所を見てくることにしたことだけだった。俺は彼女の親の顔を見ることも、俺と彼女のことを伝えることもしなかった。そうすることが正しいのかわからなかったし、今更そうして彼女を受け入れることが彼女に対する不義理に思えたからだ。だからこれ以上のことは何もわからない。わかっていることは部屋に残った大量のウイスキーを、叔父がそうしていたように一人で飲むことになったというだけだ。もうすぐ、彼女の好きだったウイスキーを作るための麦に花が咲く。

2022-01-01

anond:20211231132524

この解釈いいな

昔は地元の人がお供えしてくれたけど近年は途絶え・・・みたいなの想像ちゃう

2021-12-30

義母被害者性を確保するためにおせちを作っている

おせちなんて買えばいいと親類全員言ってるが、パートから帰ってきては、無理におせちを作って、「疲れた」「忙しい」「私は大変」を口癖にしている。

正月仏壇お供えも無理にしなくていいと言ってるのに、祖父母もやっていなかったようなお膳を作って、大晦日になるとと疲労困憊アピールしている。

自分の居場所を確保するために伝統家族役割をしようとして被害者ぶってる姿がどうしようもなく哀れでならない。

から年末義母には会いたくないのだ。

2021-12-20

[] そのひゃくごじゅうに

ブツーッス

 

本当はブッーッスって言いたかったんですけどなんか発音しづらい上になんか誤解されそうでちゃんとツを発音してみました。

それでも通るので有難いですね。ありがたいなぁ〜。

たまに思うんですよ、何でこんな中肉中背で一重のおじちゃんに祈らなきゃならんのだと

でもまぁ人間孤独になれば気軽に寄り添うものも無い訳で

から神とか仏がいてくれるとありがたい訳ですね

ありがとう中肉中背で一重のおじさん、また今度お供えしておくよ。

 

ということで本日は【気休めよいか】でいきたいと思います

気休めよいか!気休めヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

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