はてなキーワード: 資本とは
ここで散々議論されている「東京の文化資本は田舎より優れているか問題」ですが、問の立て方から既に分断が起きています。
その分断とは「文化資本」を単なる「文化」の意味で使っている人と、ピエール・ブルデューのいう「文化資本」の意味で使っている人たちの分断です。
前者はいわゆる一般的に浸透した意味での「ロリコン」や「蛙化現象」と同じように、言葉の本来の意味を調べずに、なんとなく雰囲気で喋っているタイプの人たちです。
ブルデューのいう文化資本は、①家庭における②学歴や社会的地位や経済資本の再生産に結びつきやすいものを指すので、東京田舎うんぬんの話は文化資本とは関係ありません。
前者のような人たちに正しい言葉の意味を教えるのはほぼ不可能なので、後者のみなさんは諦めましょう。彼らは文化資本に恵まれなかったのです。
出産しない限り人間は再生産されようがないし人間が再生産されないならば当然に人間文化も再生産されない
さて東京を考えるとクソアホみたいに人がいる割に全く子供が生まれず激烈に少子化してるから東京でその「再生産」は行われない
それでも東京から人が居なくならないのは、地方が産んだ子供を東京に集めているうえ、その後、子供を産ませずに人生を終えさせる(その間労働させて上前を撥ねる)からであり、
大きな視野で考えると人類を「再生産」せずにむしろ集約・殺害していく緩やかなアウシュビッツとさえいえる
人類が再生産されずに集約殺害されていく土地では、当然に人間文化が再生産されることもない
ユーザー層が入れ替わったのでしょうね
昔のはてなーと現在の対立煽りしているはてなーは別の人種なのでしょう
[B! 教育] どうやって子どもに「文化資本」をプリインストールしていけばよいだろう? | Books&Apps
文化資本とは、語彙力や言葉遣い、学力や教養や美的センスといった、個人的リソースのことを指す。
文化資本は直接的にはお金にならないかもしれないが、地位や人間関係へのアクセスを左右し、巡り巡って経済資本をも左右するという点において、やはり資本である。
この手の話に熱心に参加していたのは子供を持つ親や教育関係者ですね
トピ主さんやしんざきさん、まつもとさん辺りも文化資本関連で何か書かれていそうな気がしますが探すのが面倒になったのでここでやめます
なぜ文化資本という単語が《東京すごいポルノ》に使われるようになったのかよくわかりませんが
本来の意味では住んでいる場所よりも親の方が重要ですし、問題視しているのは貧困の再生産です
「親ガチャ」の類を呪詛(つまりは、生まれ持った資本に格差があることを憎悪する発想)しながら東京に住むことを地方に住むことよりも上等だと思ってる、倒錯した手合いは割といそうだなと思わされる話
例えば、冬に雪が豊富で、子供の頃からスキー場に通えて、学校でスキーやスノボを教えてる地域って、東京と比べてそっち方面の文化資本が豊富だと思うんだよね
turanukimaru いや美術館が無ければ美術館に行く文化も作れないので「文化を享受できる環境・子に文化を享受させる親の文化」は文化資本なんだが。みんな美術館(物理的な資本)の話じゃなくて美術館に行ける東京の話してるだろ。
tick2tack オックスフォードの社会学辞典みるに文化資産へのアクセスが含まれる https://t.ly/xdJLQ 美術館へのアクセス能力が文化資本だという認識で問題ないと思う。
それって要するに資産や社会的地位、権力の再生産につなげられなかったケースの事でしょ?
勿論そういうものの価値を否定はしないし、むしろ文化の目的ってそういうものの方だと言いたい気持ちもある(資産等の再生産の方が邪道)けど
世帯が世帯内に有する文化資本:土地や金など生活的地盤、習慣、人脈、職業など
この増田本人では無いので尻馬に乗る感じで申し訳ないけど、ブコメとか見てると未だに理解があやしい人が多い気がする
まず元増田の内容を自分なりにまとめると、「文化資本」に該当するかどうかを計る条件として
の2つの条件が少なくともあり、はてなで言われている「文化資本」の多くはこれに該当しない(そのため、はてなの人達は「文化資本」の意味を理解せずに使っている疑いがある)
特に②についてはそもそも資本とは自己増殖するもので、文化「資本」というからには再生産の要素を含まないと変というのはその通りなんじゃないかなと思う
でその上で、なんだけど
いや美術館が無ければ美術館に行く文化も作れないので「文化を享受できる環境・子に文化を享受させる親の文化」は文化資本なんだが。みんな美術館(物理的な資本)の話じゃなくて美術館に行ける東京の話してるだろ。
例えばこの反応って、①の説明にはなってるけど、②の説明にはなって無くない?何が再生産されているの?
個人的には、文化「資本」を名乗るうえで②の方が重要な気がするので、そっちが片手落ちになっては意味が無いんじゃない?と思ってしまう
上は一例だけど、元増田への反論で②の再生産の部分まで言及できている人が少ないように見える
で、更に、そもそも「東京は文化資本が豊富」と言っている人は、どういう再生産を想定しているんだろう?
ただの資本の場合、単純に金持ちは投資等で更に資本を再生産できる、というよくある話で、これは分かりやすい
対して文化資本は、例えば親が教育の重要性をきちんと理解し、そのおかげで子は十分な教育を経て資産や社会的地位、権力を得られるようになり、それらが再生産される、といったシナリオになる
ただ、「東京は文化資本が豊富」と言ったり、その例が美術館(へのアクセス)だったりする場合、具体的にどういう継承から資産や社会的地位、権力の再生産に結び付く話をしているんだ?
例えば、近くに美術館があってよく通った場合、しかしそれが自身の給料や社会的地位や権力に特に結び付かない事はよくあるし、その場合②を満たさないので「文化資本」とは呼べないよね?
例えば美術に精通する事で上流階級の人とコネが生まれて立身出世の役に立つ、とかだと「文化資本」と呼べると思うけど、現代日本でそういう機会がそもそもある人は(東京内に限っても)何%だろう?
当然、その%が低ければ東京全体でならした時の美術館の「文化資本」寄与率は低くなって、他の寄与から比べると誤差以下になってしまう
という感じで多くの場合②を満たせない割合の多いと思うんだけど、どうだろうか?
具体的にどういう継承・再生産のシナリオで考えているんだろうか?
また、再生産という観点で見た時、そもそも「東京」で括る意味って何?とも思う
例えば「金持ちは文化資本が豊富」ではダメなんだろうか?こちらなら上流階級の振る舞いや教育の重要性の理解等々、再生産に関わる文化資本が豊富なのは頷ける
これに比べて「東京」だと、金持ちでない人も居るし、そういう人が美術館に通っても再生産に繋がらない事が多い
というのも、そもそも機会やノウハウなど、「美術」という文化的素養を資産や社会的地位、権力の再生産につなげるための回路こそ、資産家の親から子へ継承される貴重なものであり、ある意味それこそが「文化資本」だからだ
よって、「東京」という雑多なフレーミングは文化資本を持たないノイズの人達(言い方は悪いけど・・・)を多く含み本質的ではないのに対し、
「金持ち」というフレーミングは再生産に結び付く「文化資本」と本質的につながっているので、より適切なんじゃない?と思えるし、その上で「東京」で括る意味is何?と思えてしまう
「東京は金持ちが多いから、結局文化資本とも相関がある」という人も居るかも知れないけど、それってわざわざ要らない項を噛まして、分かりにくい疑似相関を作ってるだけじゃね?
地方でも金持ちなら教育もするだろうし振る舞いも継承したりコネも引き継いだりするだろうという事で、文化資本と言えるものが多そうだし
結局、文化的ななにかを資産や社会的地位、権力の再生産へとつなげられるかどうかって、住んでる場所より資産や社会的地位、権力に依存するんじゃないかなー、と思うし、それによる寄与と比べると「東京」要因の寄与って誤差に呑まれそうじゃね?と思う
もう一つ大きな、そして根本的な疑問として、元増田の言うように「文化資本」というものが資産や社会的地位、権力の再生産、つまりは格差の再生産を前提とするものだとして、
それが「東京に豊富だ」と言われる事は、その人達にとって嬉しいのか?というのがある
美術なり音楽なりの素養が格差の再生産となるという事は、それなりに差別的な論理が社会のなかに残存しているという事だけど、
そのおかげで得をしている格差の再生産の加担者or受益者と指さされているようなものなので、それ嬉しいか?胸張るような事なのか?と思う
なので、軽々しく「東京は文化資本が豊富」という人は、「文化資本」が前提とする資産や社会的地位、権力の再生産についてよく分かっておらず、つまり「文化資本」の意味をよく分からずに使っているのでは?と思えてくる
ある意味「東京には文化資本による格差の再生産を肯定or容認するような差別的な風潮が残存している」という事でもあるので、本当に意味を理解して使ってる?と疑問
美術館に通って歴史や文化への理解を高め、子どもに教育を行い子どもの歴史や文化理解のベースが高まるのが文化資本になる。
美術館が近くにあり、いつでもそこに通える環境で、親が子どもを美術館に連れて行くような行動を取ると、個人に文化資本の蓄積が進む。
資本は多ければ多いほど再生産の規模も大きくなるけど、美術館に倍行っても再生産される文化はほぼ変わらないので、量を語ってどうこうするものじゃなさそうな気がする。